砂糖菓子の弾丸③
放課後の道。
斜陽を浴びて伸びる二つの影。影の間にある茜は広いようで狭く、距離感が曖昧。
片方が離せば、片方が近づく。
挙動不審に揺れる影は僕。
会話のきっかけは彼女ばかりで僕から話し出すことは出来ない。
どもり、会話の冒頭にいつも「あ」なんて入れてしまうが自分自身に傷をつける。
なんでこうなってしまったんだろうと自問自答は無意味で、ただ自分のコンプレックスが浮き彫りになるだけ。
「でね。夏菜ったら本当に可愛いんだよ」
なんか、親友自慢が始まっていた。
噂に聞く市ノ瀬夏菜とはえらく違ったけれど、知り合いでもない自分が知るはずもない。
聞いていても、正直『だから? 何?』というのが素直な感想。
市ノ瀬夏菜なんて一段階どころか二、三と上の存在。
芸能人を見るような、こちらが一方的に知っているだけ。
「楽しくない?」
「あ、はい。いや、何がですか?」
はいって言っちゃたし。
まぁ実際つまらない。
「夏菜の話」
「友達が好きなのは理解出来ますけど、僕にとっては知り合いでもないですし……。聞いていてもどう反応していいのかわからないです」
「珍しいね」
橋田さんの返事の意味が理解出来ず言葉が出てこない。
何が珍しいのだろう。
けれど無言が正解だったのか、橋田さんはなんだか嬉しそうに頷いている。
試された?
でも、なんで?
疑問は増えるばかりだった。
たどり着いた先は……とてもぼっちにつらい場所。
真っ白な外装に店内もポップな色調。しかもキラキラと輝くのはカップルたち。
とても居心地が悪い。
もっとジメジメとしたナメクジが居そうな所なんかが僕にはお似合いだと思う。
隣にいるこの人は一人でいても似合っているだろう。
「うわぁー……。やっぱりカップルばっかじゃん」
嵌めやがったなこの女っ。
しかもこんな女慣れしてない童貞丸出しぼっち男子高生を連れてくるとか頭がおかしい。橋田さんだって雲の上の存在みたいな人なんだから、寄ってくる男も一人や二人じゃないだろうに。
「良かったぁー、一人で来なくて白い目で見られるところだった。北山くん誘って正解だったねー」
「……」
本人に正面切って文句は言えないチキンなので睨みつけてやる。
「ん? 何々どうしたん?」
「あ、いえ。何も」
蛇に睨まれた蛙。
人間界でも弱肉強食は変わらない。
店も綺麗なら店員もまた綺麗。
今どきの綺羅びやかな女性に先導されて席へと案内される。
若い人がオーナーなのか、メニュー表もまた内装と同じようにポップ調。
みずれぇ……。
というか、日本語で書かれているのに異国の言葉みたいに見えてしまう。
「北山くんはどれにする?」
「えっと……じゃあこれで」
口に出せば噛みそうなので指で示す。
「いいね。じゃああたしはこれにしようっと」
橋田さんが大きく手を上げて店員を呼ぶ。
「これと、これ。えっと飲み物はあたしはミルクティーのアイスで、北山くんは……」
「コーヒーで」
彼女にだけ聞こえる小さな声で。
「コーヒーで」
「ホットとアイスがありますが」
と、店員さん。
「ホットで」
「ホットでお願いします」
はぁ……。
最悪だ。
自分で注文すら出来ないなんて思わなかった。
「多分、味は保証出来ると思うよ。このカフェ教えてくれたのは夏菜たちだから」
「そうですか」
進学校の中間期末と常に一位を取り続けるあの美少女は舌も肥えているらしい。才色兼備という言葉相応しい人間が本当にいると思わかなかったが、あの学園のアイドルはそれ以上の存在、学園の化け物と言ったほうが正しいんじゃないか。
「……たち?」
「もう一人は渉先輩」
「あぁ……。柊渉」
学園のアイドルにも想い人はいる。あんなに可愛いというか美しいというか浮世離れた少女。彼氏の一人や二人、一ダースぐらいいても不思議ではない。が、市ノ瀬夏菜は男たちの理想系、とても一途で尽くすらしい。
らしいというのは結局これも噂。
その彼氏も結構ぶっ飛んだ存在だ。
学園祭のライブのステージで市ノ瀬夏菜と熱い接吻を交わしたというのは耳にしたばかり。市ノ瀬夏菜に比べれば柊渉はまだ人間の部類。
自分の彼女が可愛いからって見せつけんじゃね―よと思う反面、少し羨ましくも思う。
僕だって健康な高校生男子。
「あ、きたきた。食べよう」
「はい」
メニュー表の写真よりも綺麗にコーティングされたケーキ。フォークで先端を切り取ろうものならスルッと入っていき、柔らかいスポンジにすら綺麗な断面が残る。
ただの桃のフルーツケーキ。
なんであんな長ったらしい名前をしていたのか知らないが、このケーキ自体はとてもシンプルで甘い香りを漂わせる。
瑞々しい桃に真っ白なクリームを口に運ぶ。
「あ、美味しい」
見た目よりも甘くなく、ちゃんと桃の美味しいところを凝縮したようなケーキ。
テイクアウト出来るなら母さんにも食べてほしい。そう思わせるスイーツだ。
「食べてる時はいい顔するね」
「……っ」
迂闊だ。
今日一日でどんだけ恥ずかしい思いをしてるんだ。
「これって持ち帰りとか出来るんですかね」
「うん。レジで注文受け付けてるみたいだよ」
「じゃあ買って帰ろうかな」
「そんなに気に入ったんだ。お礼になったみたいで良かった」
「こちらこそありがとうございます」
「えへへ」
日が暮れる前にカフェを後にした。
手には僕が先程まで食べていた物と全く同じスイーツがある。
駅前にたどり着き。
安心したのもつかの間。
「また明日ね。北山くん」
また明日……か。
初めて言われたな。
嬉しくなる気持ちと同時に、果たされない約束に意味はあるのだろうかと。
自宅に戻ってスイーツを冷蔵庫に入れる。白く小さなホワイトボードに『母さんへ。中にあるスイーツ食べて』と書いて自室に戻る。
僕の家は母さんとの二人暮し。
父親は僕の物心がつく前に事故で亡くなったと母さんから聞いた。
けれど、それは優しい嘘だ。
子供でも父親がなぜいないかなんてすぐに気づく。仏壇がない、墓もない。里帰りしても爺ちゃんや婆ちゃんも父親のことは一切話さない。ヒントはそこら中に転がっている。
そして母親が思う、子供には父親がいないといけないなんて考えも幻想だ。
自分にとって誰が一番大切なのか、大切にしてれているのかなんてわかっている。
女手一つで僕を育て、キャリアウーマンだった母親は子供にために自宅で出来る仕事に切り替えたって。どう考えても尊敬に値する人。
大人になって母親に楽させたい。
僕の小さな夢。
だからどんなに自分のことを馬鹿にされたっていい。
非力だろうとこんな体躯だろうと構わない。
しかし思い出すのは今日の出来事。
ベッドの上に転がり、母さんとショップの広告ぐらいしか届かない僕のスマホ。
橋田麗奈という名前が刻まれてしまった。
変な人だった。
翌日。
学校の廊下を歩いていると。
「きったやまくーん。おはよー」
派手な容姿が近づいてくると目の前で立ち止まる。
周りの生徒たちが小声で「うわぁ、橋田さんめっちゃ可愛い。隣にいるのがアレだからあんまり目立たないけど橋田さんも結構良いよね」なんて聞こえる。
自信に満ちた顔。
ギャルメイクに着崩した制服。
この学園でレアだからわかる、本当に好きでギャルをしているんだって。
「お、おはようございます」
「昨日はありがとっ。付き合ってくれて」
「いえ、こちらこそ。誘ってくれてありがとうございました。母親もあのスイーツ喜んでくれました」
「あ、お母さんに買ってたんだあれ。北山くんが食いしん坊なだけかと思った」
「僕は見た目そのままに少食ですよ」
今日も話しかけられるとは思わなかった。
果たされてしまった、また明日。
この人。
僕を馬鹿にする他の女子生徒と違うのかもなんて。
「麗奈。次、移動教室」
廊下がざわついたと思ったら、噂の市ノ瀬夏菜がいた。
友達である橋田さんを呼びに来たらしい。橋田さんの隣にいる僕に目を向けることなく、存在すら認識していないような顔で彼女と話始めた。
「マジ? 教科書とか持ってきてないわ」
「先行ってるから」
「ちょ、待ってくれてもいいじゃん夏菜ぁー。ってホントに先にいっちゃったし。じゃあ、北山くんまたね」
「あ、はい。……また」
普通に翌日になっても話しかけてくれるんだな、この人。
友達になろうよ、か。
でも。
数日間。
橋田さんは当たり前のように僕に話しかけてきた。僕も悪い気はせず、本当に友達が出来たみたいで嬉しくて、彼女の一つ一つの言葉に返事をする。
『え、マジ? 橋田さんの彼氏ってあれ?』
「……」
固まる拳が痛い。
手のひらに爪が食い込む。
僕のことを嫌っているわけではない。
罪の意識のない無垢な暴言。
久しぶりに聞くと効くなぁ……。
今まではひっそりと生きてきたからなかったけれど、橋田麗奈という光が僕を照らしてしまった。
授業と授業の合間の休み時間。
「ねぇ、北山くん」
「すみません。ちょっと用事があるので」
その次の休みも僕は彼女を避けた。
短い、ほんの数時間しか彼女ことを知らないけれど、いい人だと思う。だからこそ、僕と一緒にいるのは彼女の不利益になる。
そんな思いが僕を支配した。
僕は何を言われたっていいけれど、友達が何か言われると思うと我慢出来ない。
あぁ、僕。
橋田さんのこと友達と思ってるんだ。
放課後になって一足先に学校を出ようと歩く。
昇降口で靴を履き替えようとしたところを橋田さんに捕まった。
「ねぇねぇ、北山くん。久しぶりにカフェ行かない? あたし今日暇してるんだ」
「……あ、えっと……。その……」
「えぇ、また用事?」
橋田さんの不満そうな顔を見ると罪悪感が膨れる。
「すみません」
「あ、ちょっと……」
僕は逃げるように駆け出した。
駐輪場で自分の自転車の前で息を切らして、しゃがみ込む。
「はぁ……」
ため息を混じえて後悔する言葉が続く。
「やっちまった。橋田さん怒ってないかな……」
「怒ってるよ。後悔するなら逃げるなっての。……さすがに感じ悪いよ? 今日ずっと避けてたでしょ、文句あるなら直接言えば?」
「え……、あ……。橋田さん?」
「で、何? あの態度。さすがのあたしでも傷つくんだけど」
「すみません」
じゃりっと地面を鳴らしにじり寄られる。
「謝罪は良いから早く答えて」
彼女の威圧に対して縮こまり、全てを話す。
僕といることで彼女の評判が落ちること、僕は何を言われても良いけれど橋田さんが悪口言われるのが嫌だと。自分が常にぼっちで身長が低く、男子高校生にしては声が高いというコンプレックスまで話してしまった。
「はぁ……」
もの凄いため息を吐かれてしまった。
「そんなことであたしから逃げたわけ……。言いたい奴には言わせておけばいいのに。……友達を悪く言う奴は確かに許せないかも? そこだけは同感。それにあたしが誰とどこに居ようが、その人たちは無関係でしょうに」
「だから……」
「なにあたしの事嫌いなわけ?」
「……全然」
優しくて真っ直ぐな人。
嫌いになれるわけもなく。
「ならいいじゃん、一緒に入れば。お互いのことまだ知らないわけだし、知ってからずっと居るか離れるかはそんとき決めれば。それにもう友達でしょ?」
「……」
「ほら、行くよっ」
手首を掴まれて、脇から腕が生えてくる。
ぐっと立ち上がらせられたが、身長差があって片足が浮いてしまった。
「あ、ごめーん」
それは良い。
「む、胸。胸当たってます」
「あはは、めっちゃ顔あっかっ。人ってこんな顔赤るなるんだねっ」
「橋田さん!? いいから離れて」
「ごめん。ごめんって、あたしの周りの男たちにはない反応だったから面白くて」
まともに女子と話したことのない童貞には刺激が強すぎる。
むしろ奢らせてと言いたい。
こうして僕にも一人友達が増えた。
※
「ねぇ、聞いてよ夏菜」
「なに?」
親友である夏菜に話しかけると、凄い面倒くさそうな目を向けられた。
いつもこんな目をしているけれど、事実面倒くさそうなんだろうなって長い付き合いで感じる。表情が乏しくて分かりづらく、あたしもたまに読み間違えるけれどこれは自信を持って言えた。
でもこの子優しいところで、読んでいた本を閉じて膝の上に乗せて、ちゃんと顔をこちらに向けてくれる。
「明日、彼の家で勉強することになってさぁ」
「勉強?」
「もうすぐ期末じゃん」
「あぁ……」
忘れてたらしい。
しかも言い方が渉先輩に似てきている。
「というか今回、勉強みなくてもいいってこと?」
「まぁ夏菜に教わってもね……」
「何?」
「だってあんた教えるの下手くそじゃん」
「麗奈の教えられ方が下手なだけでしょ」
「いやいやいや」
「だって先輩はすぐに理解するけど」
「でたでたって……夏菜の惚気が聞きたいわけじゃなくて、こっちの話聞いてよ」
「はいはい」
いつもこうなので話を続ける。
「どうしたらいいかな」
「知り合ってからすぐに家に行くっていう判断が理解不能としか」
「あー、あはは」
「また誤魔化してる」
「わかってるんだけどねー」
前よりは慎重に動けてる自負はある。
初対面の人に対して積極的になるのは、まぁ性格というか。これまでの短い人生の癖みたいなものだ。男でも女でも気になる人がいるとつい手が出てしまう。
「で、その北川くんって人は大丈夫なの?」
「北山ね、北山。無駄に線一本無くさないで」
さっそく覚える気がないのが伺える。
一文字合ってるだけでマシ。
「う~ん。大丈夫じゃないかな、小動物って感じ。めっちゃキョドってて可愛いし」
昔飼っていたハムスターを思い出す。
常に周りを警戒しながら、ちょこちょこと動く様は男の子なのに可愛い。だからかな? 他の男子たちと絡むよりも新鮮で楽しい。
ペットを可愛がっているようなもので、彼には少し悪いとも思っている。
彼と初めて出会った時。
自転車のチェーンを直してくれて、手を真っ黒になりながらも黙ってちゃんと修理してくれた親切心に警戒を緩めたのは確か。
話しかけて来るなっていうオーラが凄かったけど。
人となりはこれから知ればいいのかなーなんて。
「麗奈が後悔しないならいいけど」
「心配してくれてるんだ?」
「当たり前」
「かわちい」
「あーもう、すぐ抱きつくのやめて」
こうやって心配してくれるし、言葉は少ないし、口が悪い。けれど、本当に綺麗で可愛くてビックリするぐらい良い子だから好き。友達になれて良かったなぁって本当にそう思う。でもそう思う反面、夏菜の隣に立つと劣等感に苛まれることが多々ある。
どう足掻いても勝てないこの子には、と。なんども思い知らされる。
友達を通り越して親友とも言える。恥ずかしくて言葉にして言えないけど。
昼休みの終わりを知らせるチャイム。
拘束を解いて夏菜から離れて自分の席に戻る。
あたしの彼女の席と同じ列の一番後ろ。身長のせいで隠れがちになっている、あの赤茶色の髪を眺める。光を直接浴びるとブラッドルビーのように輝く髪さえも美して羨ましい。
価値観が違う私たちが上手くっているのは同じ性別だから。内面を知れば知るほど好感がモテる。あたしが男だったら間違いなく惚れる。でも、もし渉先輩が存在せず、あたしが男という世界線で運良く夏菜と付き合えたとしても上手くいかない。
親友なのに夏菜に対して嫉妬や羨望が入り混じって息が詰まり、そんな女の子が常日頃から隣にいるって考えると……ぞっとする。
誰だって大なり小なりプライドがある。
ただでさえ普通の友達に対してだって嫉妬は覚える。
夏菜に対しては絶望を感じる。
いつだって二番目。
常に敗北。
そんな気分。
特にそう感じたのは今年の夏。
夏休みを控えた暑い日のこと。
友達に誘われてサッカー部の練習試合を観に行った後、その友達と知り合いだったサッカー部の先輩を紹介された。部活に真摯に向き合って真面目で遊びっけも女っ気のない人。隣に座るだけで顔を赤らめて、触れれば逃げてしまう。部活が休みの日に遊びに誘っても個人練習という名目で断られる。
もしかしてこの人ならばって……。
何度目かのアタックでようやく困ったような顔で頷いてくれた時は嬉しかったのを今でも覚えている。嬉しかったからこそ、裏切られた時の感情は物凄く薄暗い物。
約束の日、二人で歩いているところに買い物に来ていた夏菜と出会ってしまった。
それからはずっと夏菜の質問ばかり。
真面目で部活を真剣にやっているような人でも狂わせるサキュバスかなにか。
なんでこのタイミングで、なんで夏菜ばっかり、あたしだってちゃんとした恋がしたい。
大好きなのに大嫌い。
今にして思う、最初から彼のことを夏菜に言わなかったのは盗られるって思っていたことに。あたしは引き立て役。
そんな仄暗い感情から、夏菜の恋を少し邪魔してやろうと思ってしまったのか。
彼を夏菜に紹介してしまった。
怪訝な目で夏菜に見られるが、何かを察したのか何も言わずに去っていく。
醜い嫉妬からこれまで続いていた友人関係も終わったかなって後悔しても遅かった。考えればすぐにわかるのに感情に振り回されてしまった。
「ねぇ」
一人残ったカフェに夏菜だけが戻ってきた。
「どういうこと?」
静かに怒る夏菜の声。
背筋が凍る。
「夏菜が全部持ってるから」
でも口から出た言葉は、拗ねた子供のような文句。
「意味わからないんだけれど」
「だってそうでしょ、夏菜には渉先輩もいる。自分だって容姿に恵まれて、優しい両親に自由な時間があって……何もかも揃ってるじゃん。ずるいよ」
「……」
唇に指をあて、何かを考えている様子。
こんな時でも冷静で腹が立つ。
勿論、自分が悪いってわかっている。でも少しくらい感情を向けてくれたっていいのに。
「うん、私は運がいい。この容姿は両親からの贈り物。先輩と出会えたのも奇跡」
「わかってんじゃん」
「でも容姿がいいからって全てが手に入るわけじゃない。……見える?」
夏菜が突如近づいてきたかと思うと、前髪をあげておでこを突き出す。
前髪の生え際あたりに小さいけれど目立つ傷がある。
「なにこれ」
「麗奈には言ってなかったけれど、小学校の頃にイジメられた時の傷。それがただ残ってるだけ、見た目とか勉強もしてないくせにとか、調子に乗るなって理不尽な理由で男子に付けられた。汚れた水の入ったバケツを掛けられて、遅れて落ちてきたバケツでついた」
「でも、それは昔の話でしょ」
それが酷いってわかってるし、でも今の夏菜は気にしてないのがわかる。事実を淡々と話しているだけ。
「今だって偶にだけれどしょうもないことされてるけれど? ジャージ隠されたりとか、歩いてる途中で脚だされたりね」
「気づかなかった。そう言えば、サイズが合わなくなったって言ってなかった?」
「あれは本当」
「……あ、そう」
「元々それも見越して一つ上のサイズ持ってるし、先輩が学校指定の使わないから貰えたし、正直ラッキー」
「……あんた、慰めたいの? 惚気けたいの?」
「あ、ごめん。どっちでもなかったんだけれど」
「どっちでもないんかい……」
「先輩っぽく説教でもしてみようかと思ったんだけれど、私には無理だね」
「あー……、そう」
気が抜ける。
「事実だけ述べる。私だって告白して振られたことある、何もかも持っているわけじゃない。全部が全部自分の想像通りにことが運ぶこともない」
「は? 誰に?」
「先輩に」
「え? いつ?」
「この学校に入学した頃に」
知らなかった。
自分のこと何も話さないなこの子は。
「だけれど諦めなかった。絶対にこの人は私のモノにするんだって」
「結局何が言いたいわけ?」
「容姿とか才能とかきっかけにしか過ぎないってこと。良い時もあれば悪い時もある。でも、何もしない人間に運がついたとしても逃すだけ。結局、麗奈は何がしたいかってことが言いたかった」
少し照れたように夏菜は頬を掻く。
左側髪だけ耳にかけて、その露出した耳が赤い。
「……ちゃんとした恋をして、夢を叶えて、素敵な家庭を築きたい」
夏菜を見て羞恥心が移ったのか、口に出した言葉が青くキラキラとしたものだったからか。高校生になって、周りの女子高生に染められつつあったイマドキ。それが昔の――夏菜と出会った頃の自分に変わる。
ただ妄信的にやりたいことが義務化。
もっと謙虚に、相手のことをちゃんと見てから好きになる。
「そう、私と一緒。何をすればいいかわかる?」
「素敵な人をみつける」
「そればかりは頑張ってとしかいいようがないから」
「わかってる。ごめんね、醜い嫉妬なんか見せて」
「いいんじゃない、嫉妬は。私だって麗奈が羨ましいって思うことあるし」
「え?」
「身長高いし、胸のサイズもほどほどだし、服のセンスいいし。……あと脚細いし」
夏菜が自分の太ももの肉を摘む。
少しむっちりしていて健康的、男子が好きそうな肉付き。
「でも羨むだけじゃ何も起きないのは私は知ってるから。吸収して活かそうって思ってる。嫉妬も自己顕示も自分を育てる肥料だから。行き過ぎると毒ってだけ。麗奈は今回使い方を間違っただけみたいだけど」
「棘がある言い方じゃん」
「私だって気にしてるんだから。……これでも結構凹んでるし、怒ってるから。このカフェで奢ってくれたら許してあげる」
「……はぁーい」
夏菜が対面から隣に座る。
ちらりとこちらを見ると。
いつもより小さな声で――
「私にとって麗奈が初めての友達だから、麗奈がそんな風に感じてるなんて気づかなくてごめん」
「……。渉先輩にももっとこんな風に素直になればいいのに」
「う、うるさい」
「あたしも――、夏菜が初めてのちゃんとした親友だから」
「そう」
そっけな……。
読み取ろうと顔をじっと見つめるが、まだ今のあたしでは理解できなかった。
「こちらこそ、ごめんね」
これからあたしと夏菜は本音を隠さず、言い合える関係になる。
大人になって付き合いのある友人はどれほどいるだろうか。
困ったことがあれば手を差し伸べて、そのまた逆もあって。
生涯ずっと価値のあることじゃないかなぁ。
「えっと、これとこれ。あと、こっちとこの期間限定メニューはテイクアウトで」
「……頼み過ぎじゃない?」
「半分は食べて」
「テイクアウトは?」
「先輩が好きそうなスイーツだったから」
友達やめようかな……。




