新生活③
来てしまった入学式。
いよいよ大人一歩手前、子供の延長線という不思議な感覚が宿る。
コンサートホールとしても使える市営の施設。
500人以上の新入生が集まる。
スーツを用意するのを忘れていたし、別に決まりでもないので普通の私服で入学式を迎えようとした前日。
サイズぴったりのスーツが用意がされていた。
袖を通した僕を眺めながら満足そうに何度も頷く夏菜に何枚も写真を撮られた。
その光景を思い出して笑ってしまう。
「どうした渉」
「いや、思い出し笑い」
「気持ち悪いからやめたほうがいいぞ」
高校の卒業式以来の親友の声。
どうして僕のまわりにいる人は辛辣なのだろう。
口の悪い男子の隣にはその妻が座っており、僕らを見ながら購入したばかりのドリンクを飲みながらにこやかに笑っていたりも。
窘めてほしいな、なんて。
雅先輩がなぜいるのかというと一年間完全に休学していたからで、復学の手続きと記憶にないオリエンテーションをついで受けるらしい。
僕の隣は空席で気分的にはカップルのデートに何故か参加している男みたいなポジション。
これは考え過ぎという物で司は結構僕に話しかけてくれているから気まずさはないが、雅先輩と会話となると妙な緊張がある。それに雅先輩は僕にある記憶とは違った柔和な雰囲気を纏い、記憶のままの仕草で対する。
なんとなく冬乃さんを連想する。
見た目も性格も違うのにどこか通じるものがある。
……母親か。
僕自身も変わったと実感しているが、この二人もまた大きく変わった。
受付後を先に済ませても時間に余裕がありすぎて近くのカフェで時間を潰している訳だけれど、ほんとにこのカフェどこにでもあるな。
遊びに出かけると大体この店に寄っている気がする。
値段は高いが味は保証されているし、組み合わせも色々とあって楽しくもある。
でもやっぱり僕は落ち着いたカフェのほうが好きだな。
「柊くん」
「はい?」
「市ノ瀬さん呼ばなかったの?」
「明日は始業式ですし」
ゆっくり休んで欲しい。
こうみえて僕は自分だけの時間も大事にしている。春休みだけれどバイトがないわけじゃないし、わざわざ時間を掛けて今のアパート往復している訳で疲れていることもわかっていた。式が終わって大学へと移動、オリエンテーションを受け次第帰宅する予定。その後、夏菜を自宅に送る事を決めていた。引っ越しして以来で僕も夏菜の家に戻ることは少し楽しみにしていた。
「ちゃんと市ノ瀬さんを大事にしているかい?」
男装の麗人みたいな口調で雅先輩が聞いてくる。
「むしろ大事にされてますね」
「はは、愛されてるな」
「っすね」
愛してるとか好きだとか言わないからなあの子。
けれど言葉がなくとも通じることはある。
バイトの日数を減らしているとは聞いているが、家事のほとんどを彼女がやってくれていることに頭が上がらない。これも愛されている証拠だと今の僕はわかる。
嫌いな相手、興味の無い相手にこんなことは出来ない。
『私がやりたいことをやってるわけですし、こればかりは譲らないって言いましたよね?』
なんて不満そうに本気で言うのだ。
市ノ瀬家に世話になっていた時は手伝わせてくれたのにと言い返すと、それはそれこれはこれと言いながら夏菜は僕の手を優しく包むと何もかもお見通しとばかりに目を細め優しく微笑む。
『私たちが家族として先輩を迎えても気にするでしょう? だからですよ。紙切れ一枚とはいえ早く正式に家族になる必要がありますね?』
なんて、もう一度思い出し笑いしそうになるのを堪えた。
一つ思い出すことで更に深く思い出が溢れてくる。
次々に引き出される記憶の引き出しに自分自身少し驚いてもいる。
※
高校を卒業して暫く経った頃、引っ越しの準備に取り掛かっている時期のことを思い出していた。
一つの区切りとして春人さんと冬乃さんにお世話になったことへのお礼を述べようと、23時を越え電池切れを起こして寝静まったのを見届けて向かう。
暗いリビング。
仄かに揺らめくキャンドルの光。
談笑する大人の男女。
日本酒か焼酎ばかり呑んでる冬乃さんも今日はワインを楽しんでいる。春人さんはすでに顔が真っ赤でお酒に酔っているのか愛妻に酔っているのか。
少し羨ましいな。
完全に入るタイミングを見失いこまねいていると二人同時に見つかり手招きされた。春人さんが立ち上がりわざわざカフェオレを淹れてくれ、僕は彼の空けた席の隣に座ることにした。
「夏菜、寝ちゃった?」
「うん。ぐっすり寝てる」
「ありがとうね、渉くん」
「何のお礼?」
考えても何に対してのお礼かわからず質問で返す。
冬乃さんの声とやわらかな微笑みから本心で僕にありがとうと言っていることが伝わり困惑。
親子デートという謎の行動から冬乃さんとの距離感は近づき、僕からの口調は軟化し春人さん同様に話せるようになった。
「夏菜と付き合ってくれて」
「それはこちらこそ。むしろ歓迎してくれて応援もしてくれて」
「んふ」
夏菜と同じ笑い方。
冬乃さんの癖を引き継いだのだろうか。
夏菜が声に出して笑い出したのはここ最近。
春人さんは黙って僕らの会話を聞いている。
「正直に言うと私は渉くんじゃなくても誰でもいいのよ。夏菜を幸せにしてくれる誰かなら」
否定する言葉でもない。
親としては自分の子供の幸せを願うのは当たり前のはずだ。
本来のあるべき姿の家族。
「でも今は渉くんでよかった」
「そう言ってくれて嬉しいっすね」
「結構心配してたんだよね」
「言うの恥ずかしいけど、夏菜ほど完璧な美少女もいないと思うけど」
ちょっと抜けてるところとか、大事なところでポカをやらかす愛嬌もあったり。それも含めてあの娘は完璧。親ばかならぬ彼女ばか。
「そうね。あの娘変な子だものね」
「変って……」
「わたしの子なのに飲み込み早いし運動神経いいし、頭だっていい。だからこそ心配にもなるのよねぇ~」
「むしろ誇りに思うところでは?」
「うん、誇らしいけど」
冬乃さんはワイングラスをスワリングしながら、回る赤い液体を眺める。
「ある日、ずぶ濡れになって靴下だけで帰ってきた娘を見た時は本当に心が苦しかったわ」
いじめ。
大人の社会だってあるんだ。
子供世界にないわけがない。
「しかも額から血を出して、心臓が止まるかと思った。もうどうしていいかわからず、娘が虐められているという事実を認められなくて悔しくて泣いた日も」
小学生の頃に受けた今も残る傷跡。
クラスで一番影響力のある男子にちょっかい出されていたという話を本人から聞いた。
まぁ、今思うと好きな子に近づきたいという気持ちだけが先行して、でもやり方がわからなくて虐めるという行為に至ったのだと知っている。
だからと言って許せるものでもない。
本人はムカつくだけと言っていたけれど、斜向かいに座るその子の親が思い出して悲しんでいる。
「翌日にはあの子の学校に呼び出されて、虐めた相手に怪我を負わせて教師から説教されて……。もう意味がわからなかったもの」
「でしょうね」
やられたらやり返す。
バケツに入った水を掛けられたからって、バケツに石を入れて投げかけるって言う発想が結構驚き。倍にして返すにしてもやり過ぎ、下手したら人は死ぬ。そういう意味でもある程度あの頃から加減というものを知っていそう。
彼女を怒らせたらガチで怖い。
「自分の子供だから何考えてるとか表情も読み取れるけれど、赤の他人なら無理だっていうことをその時わからされた」
「今も完璧とはいえないですが、出会った時は確かに表情は読めなかったっすね」
「でしょ? 成長するにつれてどんどん無表情でまったく笑わなくなって、ずっと悩んでたのよね」
いつか見た彼女のアルバムはまさにその歴史。
小学校と中学校の入学式では表情が別人だった。
カフェオレを持った春人さんが僕にカップを差し出し、そのまま冬乃さんの背後に移動してそのまま抱きしめると頭を撫でた。
親の気持ちは計り知れない。
冬乃さんと代わるように春人さんが喋り始めた。
「でもな、渉と出会った時からまた笑うようになったんだよな」
「えぇ」
抱きつくその腕に手を添えて、冬乃さんはにっこりと微笑み頷く。
「だからね、ありがとう」
「さんきゅな」
何も言えなくなる。
お礼を言いたいのはこっちだったのに。
「だからこれからも夏菜のこと頼むな」
「頼まれなくても」
春先とは言え夜は肌寒く、受け取ったカフェオレで身体が温まる。
程よい甘さが今日は心地が良い。
「そうだった。渉くん何か用があって来たんでしょ」
「えぇ、まぁ……。お世話になったことに対して礼をと。返せるものは何もないけれど、どうしてもお礼だけは言いたくて」
「律儀な奴だなぁ」
酔いが覚めて少し赤みが減った春人さんの顔が苦笑いを浮かべる。
「返せるものがないって、そんな訳ないだろ。お前にしか返せないものがあるんだから」
「え」
「さっきも似たようなことを言ったが、夏菜を幸せにしてやってくれ。それが一番のお返しだ」
「春人くん。それはちょっと違うんじゃない? 二人が幸せになることでしょ」
「確かに」
目の前に並ぶ夫婦は笑い合う。
むず痒くて、嬉しくて、少しだけ僕の手が震える。
泣くのを堪えて思わず下を向く。
「嬉しかったのなら前を見ろ。悔しかったのなら上を見ろ。辛かったのなら横を見るんだ。寂しかったのなら手を伸ばせ。それで大体解決するぞ。これは俺の友人からの言葉で今も思い出す」
そんな春人さんの言葉が胸に響く。
本当にこの人たちに出会えてよかった。
「渉くん、夏菜のこと好き?」
「はい。好きだし愛してるし……」
次に繋げる言葉が出ない。
「それ以上の想いを伝える言葉がない?」
「っすね」
「んふふ。愛してるって言葉じゃ伝えきれないって良く言うものね」
「ですね」
僕らが話し込んで時間がかなり経過してしまったのか、眠そうな目を擦りながら夏菜が入ってきた。迷わず僕の隣に座ると頭がまだ重たいのか肩に乗せてくる。
その様子に春人さんも冬乃さんも嬉しそうだった。
「夏菜の幸せは約束されたようなもんか」
空いている肩を軽く叩かれる。
けれど責任と期待が重くのしかかる。
※
3人でカフェを出る。
似たようなスーツを来た人たちはまだ動かず会話に花を咲かせているようだ。
左腕に巻かれた時計を見ると、まだまだ時間に余裕がある。
二人の後ろを歩きながらついてくと入学式に使われる施設とは反対に進んでいるのに気付いた。
完全に緑だけになった桜の木が見える駅前の公園。
昨夜の雨で完全に押し流されてしまった。
幸い自宅付近の公園で僕らはお花見をしていたので良かった。高校を卒業してしまったから夏菜の手作り弁当を戴けるのは当分先になるだろうと予想していたから、気まぐれに出かけることにしたのも正解だった。
そして目に映るのは亜麻色の髪と少し落ち着いた栗色の髪。
一人はわかる。
もう一人は多分だけれどなんとなく関係性から妹の方だと思う。
僕の本命が居そうなものだが赤茶色の髪は見えない。
雅先輩の質問とこのメンバーから呼んだのだろうと予測はできていたが間違いか? 辺りをさらに見渡すがあの目立つ容姿を持った女の子の姿はやはりない。
ここにいるんだったら最初から僕についてきてもおかしくはなかったかも。
「先輩」
「……っ、ガチでびっくりした」
肩に思い切り重量をかけられて背伸びをしながら耳元で囁くように急に話しかけられたことによる驚きと、耳に感じる吐息にぞくぞくとした妙な気持ちよさに少し飛び上がってしまった。
「すみません。そんなに驚くとは思わなくて」
「いや、大丈夫。会えただけで嬉しいから」
「またそんなことを……」
「それで夏菜たちはどうしてここに?」
遠くから橋田姉妹もこちらに歩いてきて合流。
なんとなく僕だけが状況を掴めずに居る。
「先輩とお花見したって話をしたら麗奈もやりたいって話になって。雅さんも入学式の間は暇だからって一緒にすることになったんですが」
「残念だったね」
「そうですね」
二人で見渡す公園。
春を一番感じさせる目玉の姿はない。
「そろそろ行かないとまずくないですか?」
「あぁ本当だ」
司と顔を見合わせて頷く。
受付は済ませているから遅刻にはならないだろうが、途中入場はバツが悪い。
「終わったら連絡するよ」
「はい」




