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新生活②

 早朝のまだ暗い部屋の中。

 遮光カーテンが働きすぎて僅かな光さえもシャットダウンした結果、本当に真っ暗。アラームの電子音頼りにスマホへと手を伸ばす。


 5時30分。

 早すぎることはない。

 朝食の準備を終わらせるころには6時を回り、夏菜が起きてこれるとは思わないし新生活中も起きてこれたのは初日だけ。一人で朝食を食べ終わると6時半ぐらいか。しっかり食べないと昼まで体力が持たない。そして仕事の準備をして出勤する頃にはもう15分は経過している。駅に向かって仕事場について、着替えたりすればぴったり7時30分といい時間になる。



「おはようございまーす」



 二日目で、昨日は中途半端に休みだったために忘れられていたらどうしようと不安があったもののスタッフルームへと続く裏口は開いており、挨拶をすれば優しく甘いとも思える声で返事が戻ってくる。


 まだ真新しい真っ黒な七分袖のコックコートに袖を通し、全く同じ色のハーフエプロンを巻いて終了。他は自前で準備は楽。

 8時に事業開始。

 それまでは特にやることもなく通勤で疲れた身体を少しだけ休ませながら、向かいに座る今泉さんと談笑。ついで今日やることのレクチャーを受けたりしているとあっという間に時間が過ぎる。


 丁寧に時間を掛けて手を洗い業務スタート。

 本来なら前日に仕込みをある程度終わらせているらしいのだけれど、先程も言った通り休み。定休日であり事前に仕込んでいる物が少ない。

 

 洋菓子店といったらまず何を浮かべるだろうか。

 そうスイーツの王道と言ったらケーキ。

 あまり巷では知られていないことなのだけれど、いくつかの種類は冷凍保存されている。ガトーショコラやチーズケーキなんか大抵のものは冷凍保存され、お店に出す物は冷蔵庫へと入れて解凍することになっている。

 取り出してデコレーションし保存する流れ。


 どういう物が冷凍されないかと言うとフルーツを使ったものである。

 3分の1は冷凍出来ないので朝から作る必要があるわけだ。


 つまり朝から今泉さんは大忙しなわけで僕にやらせる作業を伝えると一心不乱に常にケーキと格闘を始める。全てが手作業、そう盛り付けるフルーツをカットするという作業も。

 僕も言われたとおり均等になるように、昨日からイメージトレーニングしていた工程をトレースし続ける。やることは今泉さんの補佐。

 見て学べることも多い。


 それにこの店はケーキ屋ではなく洋菓子店。

 生物だけではなく焼き菓子もある。

 並行作業もなんなく熟す今泉さんの姿。


 プロの仕事。

 春人さんの仕事っぷりにも思う。

 手際の華麗さに見惚れそうになる。

 が、見惚れている場合ではない。

 盗める物はすべて盗む。



 朝の作業に3時間。

 まだ開店もしていない。



「ふぅ、とりあえずお疲れ様」

「それじゃあ並べてきますね」

「お願いね」



 ショーケースに色とりどりのスイーツを並べ、ラッピングされた焼き菓子もケースの上に並べると店内が一層華やぐ。

 僕は甘い物が好きで色んなものを食べてきた自負があるが、このムースのケーキなんか宝石にも見劣りしないほど綺麗で美味しそうでパティシエの腕が良いのが見て取れる。


 最後に看板をオープンにひっくり返してようやく一段落、とはならない。


 地方雑誌とネットの口コミで広まったこの洋菓子店。

 朝からすぐにお客さんの相手をすることになる。

 本来は頑張れば一人でもお店を回せそうな広さとスイーツのラインナップ。レジスタッフはお昼から入ることにもなっているが、一部店内で機能していないところがある。


 イートインスペースだ。

 洋菓子とドリンクでゆっくりしてほしいという願いと、美味しそうに食べてくれるお客さんを見たいという今泉さんが考えた物だったけれど開店休業状態。



「もったいないな」



 インテリアにも拘っているのに無人の席。

 お店が好調ゆえにやりたいことが出来ない不自由さ。

 開店と同時に来店したお客様を捌き切り束の間の平和の独り言。



「ほんとはね、冷凍なんてせずに作ったものだけを並べたかったんだけれど。そしてそのスイーツをその日のうちに食べてもらいたい」



 と、僕の独り言に反応される。



「諦めたんですか?」

「その日のうちに食べてもらうことは諦めてないけどね。思いの外早く実現出来そうで結構わくわくしてる」

「はぁ」

「ま、今はわからなくていいよ」



 僕の頭をぽんっと撫でてキッチンへと戻っていく今泉さん。

 エプロンを結び直して、ピンク色の入った黒髪をゴムでポニテを作るとこちらを振り返った。彼女に染み込んだフルーツの甘酸っぱい香りが僕を誘う。



「今日はプディングの売れ行き良いみたいだから補充だね。教えるからついてきて」

「はい。お願いします」



 日が高くなりレジに入るスタッフが入ると同時に僕らは休憩に入る。

 十分に補充したとのことで今泉さんと一緒だ。

 僕一人残ったところでレジに入るしかやることはないのだけれど。あとオーナー兼パティシエである今泉さんが若い女性でもあり、女性の職場ということで店に残っても肩身が狭い。


 お昼休憩。

 お店近くの喫茶店で済ますことに決めた。

 喫茶店に入ると僕が興味本位できょろきょろとしてしまうことに今泉さんは笑っていた。



「市ノ瀬さんの娘さん、夏菜ちゃんって言ったっけ? どう? 順調?」

「唐突ですね」



 春人さんのツテで務めさせてもらっているのでそのへんは筒抜け。

 興味津々とばかり表情を輝かせる。



「いや、いいなぁーって青春してるなーって」



 彼女に教えてもらったことの感覚が抜けないうちにメモったことを見返しながら会話を続ける。態度が悪いとも思うが僕は僕で必死なのだ。



「今泉さんも綺麗な女性なんですから、青春してたんじゃないんですか?」

「おぉう……、彼女持ちがわたしに色目使っていいのかな?」

「使ってないですよ。思ったことをそのまま言っただけですから」

「夏菜ちゃん苦労してそう」



 よく言われる。

 だけど本当にその気もないし、少しでも自分にそんな感情が湧き上がれば自分を許せなくなる。



「? そうですね。苦労ばかり掛けていると思います」

「はぁ……。ま、いっか。それでどうなの?」

「どうって、順調そのものですかね」



 僕が一度勘違いしてしまった時ぐらいしか危機的な事件は起きなかった気がする。

 今思うと自分が痛々しい。

 彼女を信じきれていなかった事、自信のなさ。家庭環境による古傷の痛み。

 たまにチリチリと焦がす痛みもあるが、そんな自分を受け入れている。



「ほぉ~……」

「なんですかニヤニヤして」

「羨ましいなって、幸せのおすそ分け貰ってるだけだから」

「羨ましいって……、今泉さんこそどうなんですか? 実際のところ」

「学生時代はモテてたよ」



 そりゃそうだろうと思うだけの美人。

 僕の回りにはいなかったタイプの女性。

 なんというか元気でまわりを明るく照らすタイプ。



「彼氏がいなかったわけでもないけど、昔からおじさんのお店で働かせてもらってたし、将来は絶対に自分の店持つんだって決めてたからね」

「夢、かなったんですね」

「子供の頃の夢はケーキ屋さんって言ってたぐらいだよっ。少女趣味だったけれど、成長するにつれてお菓子の奥深さに更にはまちゃった」



 似た夢を持つ自分としては励まされる気持ち。

 しかし、彼女のニュアンスとして恋愛は上手く行かなったということが示唆される。



「そう。当然として今も良かったって思ってるよ」



 それと同時に寂しさもある。



「でも高校生ぐらいの年代の男の子ってやっぱりあれだよね。デートとか男女のそれとかやりたいよね」

「まぁ……、そうっすね。否定出来ませんね」

「だよね。わたしはバイト、バイト、バイトだったから。ずっと押してくる彼氏に苛立ちを隠せなかったから、今までのどんな彼氏とも上手くいかなかったんだよ。別に気持ちいいわけでもないし、こんなことしてるなら少しでも練習したいってなっちゃう」

「彼女の気持ちを汲み取れない時点で別れてよかったのでは? 本当に好きなら応援すると思うんですよね。そもそも今泉さんも彼氏のことそんな好きじゃなかったんじゃって感じるんですが」

「そうかも? 彼氏いないと恥ずかしいみたいな変な空気あるよね学生時代」



 同意はしかねる。

 周りに興味ない僕ら他人の評価なんてものは存在しない。

 でもそんな空気感はあの閉鎖的な学校では確かにあったと思う。彼女がいないと馬鹿にされたり、童貞ってだけでからかったりね。



「今はどうなんですか?」

「仕事に余裕出来たらかなぁー。あ、でも仕事楽しいし当分他人の恋愛みてるほうが楽しいかも」

「昔の今泉さんのことは知らないですが、今の今泉さんなら素敵な人と出会えるとも思いますけどね、僕は」

「励ましてくれてんの? このこの」



 身を乗り出して僕を突く。

 彼女がモテる理由の一つなんだろうな。

 ボディタッチが多い、勘違いする男子もいるだろうに。



「っていうか、なんでわたしの話になって歳下の男の子に慰められてるの?」

「知らないですよ」

「彼女がいるってどんな感じ?」

「幸せですよ」

「本当に幸せそうで羨ましくなってきた」



 それからただの雑談に変わり、仕事以外に趣味のなさそうな印象だった今泉さんにも趣味があるようだったけれど秘密にされてしまった。

 理解され難い趣味だろうと予想が出来て、僕も深くは突っ込まなかった。

 好きな物は好きで良いと思うだけれどね。


 昼食を終えた帰り道。

 午後も基本的にはなくなった物の補充とお客さんの対応。

 その対応が新人には案外難しい。

 今泉さんが丹精込めて作ったスイーツの説明が必要不可欠。お勧めを聞かれたりするとすぐに答えなければならない。言い澱むと説得力がない。

 しかし、どんな意味を込めて作っているのかと聞いているとスイーツ自体の理解が深まる。

 食材同士の相性とか歴史とか言葉の意味。


 もうメモ帳が二冊目に届きそうだ。

 帰ったら精査しないとな。


 夕方5時を過ぎると補充はせず、翌日の仕込みに入る。

 相変わらず見惚れる手際の良さを堪能しながら、今泉さんの補佐をしながら教えを請う。

 そして終業間際、食材が余ったからと本格的なケーキを一つだけ作らせてもらうことにした。実践は何よりも身につく練習。


 今後も給料から天引きされる形で材料を購入して練習させてもらえる約束もできたので、かなりありがたい。

 時間はまだまだあるけれど、日が経つにつれて焦る気持ちは強くなる。相手が相手だけに。



「仕事中にも思ったけれど前より断然手際よくなったよ柊くん」

「ありがとうございます」

「まだまだ計量は遅いね」

「すんません」



 上げて落とされた。

 落ち込む必要もない、自分自身まだまだだと理解している。

 こればかりは数をこなさなければ身につかないことも。



「あとフルーツのカットも遅い」

「はい」

「というか全体的に遅い。メレンゲ作る時なんかもかき混ぜすぎてるし力入れすぎだし」



 怒涛のダメだし。

 ある意味、夏菜のおかげでメンタルは強くなっている。

 あの子のほうがスパルタだし言葉強い。



「うん、及第点。これならもう少し上達したらいくつか任せられそう」

「あ、ありがとうございます」

「驚いたなぁー、わたしなんかより全然上達早い。まだ二日目だよ? 最初から基礎的な部分が出来てるのが大きいのかな?」



 これは春人さんのおかげかな。

 心の中でお礼を述べる。

 ありがとう。いつも助かってます。



「今日は楽させてもらちゃったし夕飯奢るよ」

「ありがたいんですけれど、彼女が家で待ってるので次回でもいいっすかね」

「もう奢らないっ」

「あはは……」



 ※



「ただいま」



 一人で暮らしていた頃は言うことのなかった挨拶。

 気付けば家に入ると同時に言ってしまう。



「おかえりなさい」



 それもこうやって返事が返ってくるからだろう。

 明るい家に戻るとほっとするし、夏菜の顔をみると心が暖かい。

 仕事で疲れていたからだろうか靴を脱ぐなり彼女に抱きつく。


 ふわっと香るバニラムスク。

 甘く清潔感のある匂い。

 この落ち着く香りを思い切り吸い込む。



「今日も甘えん坊さん継続ですか?」

「いや疲れを癒やすための儀式だよ」

「そうですか。では堪能してください」

「ではお言葉に甘えて」

「甘えてるじゃないですか」

「言葉で遊ぶなよ」



 大きく切り開かれた胸元に顔を埋め、もう一度大きく吸い込む。

 こそばゆいのか夏菜の身体が小さく長く震える。

 顔を離してあげると真っ赤に染まっている。



「私、汗かいてないですかね?」

「暖かくなったとはいえ大丈夫だよ」

「良かったです」

「未だに気にするんだね」

「まぁ……はい」



 悪戯心で埋めていた場所をぺろっと舐めてみると体温まで上昇。



「あー、もう駄目。先輩が悪いんですからね」

「とっとと……」



 腕を思い切り引っ張られ足を掛けられる。

 実は夏菜。

 合気道の有段者である。しかも実践向け。

 古武術に近いのかな? そんなことを冬乃さんから教えてもらった。

 僕も詳しくは知らないのだけれど、当たり前のように打撃も関節技も決めてくるし投げも出来る。ぶっちゃけ喧嘩したら僕は勝てないという。


 親馬鹿である春人さんが護身用に習わせたらしいが、親子喧嘩でぼこぼこにされている彼を見て戦々恐々としたものだ。


 僕の意識が働いていることからかなり手加減を加えながら組み敷かれている。



「引っ越しからやることも多くて先輩がかなり忙しそうで疲れたご様子ですので控えていたのですが、もうこうなったら知りませんからね」



 身動き出来ない状態で衣服を剥ぎ取られる。

 さて僕が悪いのは十分に承知。



「ここ玄関だよ」

「関係ありませんけど」



 目が据わってて怖いまである。

 最近は犬ぽさが全面に出ていたけれど、久しぶりにみた発情した猫。



「溜まってたのか」

「あ、今カチンときました。手加減して差し上げようと思ったのですがそれもなしです」



 やることは変わらないのね。

 何を言っても油に火を注ぎそう。



「えっと、明日も仕事なのでお手柔らかに」

「知りません。とりあえずそのうるさい口を塞ぎましょうか」



 脱ぎたてのそれを丸められて口に突っ込まれる。こういう時に限ってスカートだもんな。普段履かないくせに。

 ここまで大暴走した夏菜を見るのは初めてで、どう足掻いても彼女には勝てないようです。対処法もわからない。

 駄目なスイッチ入れてしまった僕の責任。



 精根尽き果てて、彼女に引きずられるような形で一緒にお風呂に入る。

 脱ぎ捨てるものは最初からなく脱衣所を素通りして湯をかけ流す。

 二人同時に入る物だから流れ落ちるお湯の量も多い。


 立ち上る湯気に響く室内。

 湯の温かさと人の温もりを同時に感じる至福の時間。



「夏菜のお尻って、尻っ。ケツっって感じするよね」

「そんなこと言います? もう一回戦しときます? いいんですよ? 私は休みなので明日動けなくなっても」

「下着以外で口塞ぐ方法考えないとな」

「結構楽しかったですよ。はまりそうです」

「……」

「冗談ですよ」



 本当に?

 結構ノリノリだったような。



「たまにはいいかなって思ってるぐらいですよ。攻めるより攻められるほうが私には合ってますから」

「まぁ確かに」



 半眼で睨まれてしまった。

 Mっ気があるということではなく、彼女の攻めは奉仕とも言えるようなもので、優しさに満ちている物だった。性根が優しすぎるから攻めきれない。

 それは普段から感じることでもある。どこか攻めきれていないという。



「夏菜は優しいな」

「なんですか? 褒めたところであげれるものはもう何もありませんよ」

「そういうところだよ。それに十二分に貰ってるから」



 姿勢そのままに後ろから抱く。

 柔らかく温かい身体を全身で感じる。汗と湯船で濡れた髪を頬で撫でる。愛おしく離れがたい。



「あの、あれですからね。私のほうが先輩のことす、あれですからね」



 語彙力死んでるな。



「好き?」

「う、うん。あ、はい」

「可愛いな」

「んーっ」



 言葉では抵抗する素振りを見せながらも、身体は完全に僕に任せている。

 自由に動けるその両腕は後ろ手に回し僕の首に巻き付く。



「ください」

「もちろん」

「んっ……、甘い」

「ケーキ食べたからかな」

「あ、ズルい。もう一口貰いますね」



 ※



 遅くなってしまった夕食の後の一服。

 彼女に淹れてもらったコーヒーを啜る。



「今日はどうでした?」

「比較的順調だね」



 自分が思っていたよりも今泉さんに認めてもらえていた。



「んふ。そのようですね。顔を見ればわかりやすい、いい事あったみたい」

「うん。まだまだ夏菜に勝てないけど自信にはなったかな。足元掬われないように気を付けてね」

「私には必要ない忠告ですね」



 お互いの視線がぶつかり合う。

 試合前の牽制。

 バスケの勝負の時もこんな感じ。



「もうすぐ春休み終わってしまいますね。もっと続いてくれないですかね」

「そだね」



 もう少し同棲生活を楽しんでいたかった。

 時間はいくらあっても足りないと考えるのは僕も一緒だ。


 長く続いた雨で桜は散ってしまっているだろう。

 僕もまた大学生活が待っている。

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