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新生活①

 春の心地いい空気とともに目が覚める。

 ダブルサイズのベッドの中央に猫のようにまるっとした体勢で眠る彼女を避けて起き上がる。ベッドの面積が広くなったことで夏菜の寝相の悪さが加速してしまった。

 これは思わぬ誤算。


 くしゃくしゃな髪を撫でて頬を滑らせる。

 名残惜しいがもうすぐ昼。

 人肌で暖かい布団から離れる。


 現役女子高生である夏菜の春休みはあと数日。

 入学式のある僕のほうが一日だけ休みが短い。

 四月になってすぐにという訳じゃないのが正直助かっていた。おかげでこうして夏菜と二人の時間も作れてる。


 来週には一人。

 期待半分、不安半分といったところだ。


 まだ少し折れ目の残るカーテンを開く。

 光が眩しくて顔が歪む。

 

 窓を開くとやわらかな風が身体をかすめて夏菜の髪をなびかせる。

 見渡す街並みは少し騒がしい。

 何より空の青さに目を奪われる。


 夏菜と文化祭で歌った曲を思い出した。

 過去を思い出すには早すぎる。でも幸せな過去はいつ振り返っても気分が良くなるものだ。


 深呼吸を一つ窓辺に残して汚れ一つないキッチンへと向かいお湯を沸かす。

 コーヒー豆を取り出して適量をカランカランと乾いた甲高い音を鳴らしミルへと流す。

 夏菜は相変わらずミルクと砂糖がないと飲めないからこれは僕の分だけ。彼女には彼女用のティーセットが部屋にあり茶葉は少なめで用意している。そっちは彼女が起きてから淹れるとしよう。


 豆が粉状になったところでちょうどお湯が湧いたので器具やカップを温める。

 不思議と手に馴染む新品のコーヒーポット。

 ダリアと自宅にあるものとまったく同じもの。

 記録された個人のメモ帳を見ずとも身体が記憶。

 それでも慎重に見張りながら丁寧に蒸らし泡を膨らませた。


 豆の状態の青い香りから、挽いた時は多くの香りがする。

 僕は挽いている時の匂いが一番好きだったり。

 すべて機械でやってしまえるような世の中でも、手作業でそれだに時間を掛けるというのは贅沢な時間だと思う。


 少し手間が掛かる作業だけれどこのフレグランスとも呼ばれる香りを嗅ぎながらゆったりする時間もまたゆっくり。


 コーヒーの香りは四段階ある。

 残るは抽出後。

 アロマと呼ばれ、コーヒーが気体となって立ちのぼる時の香り。


 そして最後はフレーバー。

 口に含み味わいとともに鼻を通り抜けていく香り。

 本当に多種多様でナッツやキャラメル、柑橘類だとも表現される。


 淹れたばかりのコーヒーを手にソファに座る。

 香りに誘われたのか薄着でありブラトップの肩紐がずれ落ちて、なんともまぁ艶めかしい出で立ちの夏菜が寝室の扉を開いて、目をこすりながらこちらを見ていた。



「おはよう」

「んー」



 いつも思うんだけれど、この状態でどこまで意識あるんだろうか。



「夏菜」

「ん?」

「おいで」

「ん」



 ふらふら危なっかしい動きでこちらに歩いてくると、ぼすんっと音を鳴らして隣に座り僕の肩を枕代わりにしてまどろんでいる。

 口元がむにむにと動いているのがなんとも。



「紅茶いらない?」

「いる」

「じゃあ、少し一人で待っててくれる」

「嫌……かな」



 じゃあ暫くはこのままかな。

 肩に乗せたまま、残ったコーヒーを啜る。

 やっていることはお年寄りが縁側でお茶を飲んでいるのと変わらない。

 猫のかわりに夏菜を撫でているだけ。


 外からの雑音もなく掛け時計もないこの部屋は、夏菜の息遣いがよく聞こえる。

 まだ眠気の強いのか小さく、小鳥のさえずりのよう。

 夏菜の声は普段ボソボソとゆっくりと喋っているから低く聞こえがちだけれど、本来は高いほうで歌声は如実。

 僕の中だけで天使の歌声として大人気。



「ふぁ~……」



 欠伸が一つ。

 綺麗な歯並びが覗ける。



「起きた?」

「もうちょっと」

「おっけ」



 滑舌が良くなってきた。

 本人が言うようにもう少しというところ、ほのかに身体も暖かくなっているのが僕にも伝わる。


 三人ほど座れる水色のソファ。

 夏菜が小さいからもう一人ぐらいは座れそう。

 クッション性が高くここで寝てもいいほど座り心地が良い。

 大体の家具は淡い色合いで纏められ部屋が明るい。


 小物なんかも置かれていて完全に女性の私物とわかる。

 インテリアの良し悪しがわからず夏菜にお願いした形で、確かに彼女が選ぶ物はどれもこだわりがあって値段以上の物。


 僕が選ぶと暗めの物になりそう。

 白とか黒でまとめてしまうだろうな無難に。


 男一人で住むような内装にはなっていない。

 もし僕に新たに友人が出来て部屋に招くことになったら驚きそうだ。


 元々自分の私物は少ない。

 これから増えるだろうし、時間が流れれば僕と夏菜の半々。

 今は楽器のたぐいしかない。


 カウンターの向こうに見えるキッチンは僕も使うからある意味半々か?

 やることもないが、ただ部屋を見るだけでも楽しい今。


 隣の彼女が倒れないようにと支えている手を伸ばして撫でている髪。

 さらさらで柔らかい感触を楽しんでいると、するっと指から抜ける感覚に暖かくなっていた身体も離れていく。



「んーっんん」



 くぐもった声と当時に天井に向かっていく腕と連動するように胸の形も変わり、谷間も驚くほど長く伸びる。

 またデカくなってないか。

 かなりがっつりと見てしまったせいか夏菜と目が合う。



「また大きくなった?」

「よくわかりますね」

「いつも見てるし」

「うわぁ……」



 わかっててこの言いようである。

 その証拠に口元が笑っている。

 いつも夏菜を見ていると言いたい僕と、いつも胸ばかり見ていると言わせたい夏菜。



「本気で嫌がってないくせに」

「ま、バレますよね」

「それもわかってて言ったろ」

「んふ」



 ここにきて初めて見る表情。

 ふにゃっとした締りの笑み。

 僕も自然に釣られて微笑み返してしまう。

 隣にいる人間が幸せそうに笑うってとても当たり前で大切なこと。


 夏菜の頭を二度三度優しく叩き、ソファから降りると彼女の飲み物を作りに出た。

 少し遅れて彼女も僕の後に続きカウンターに肘をついて静かに見守っている。



「楽しい?」

「いえ別に」

「流石にヘマはしないよ」

「手慣れたものと、思っただけですよ」

「そっか」



 こぽこぽと音を立て始めたポットに耳を傾けながら茶葉を用意する。



「私とお茶を淹れる腕はもう同等ですね」

「そっかな」



 褒められたみたいで照れる。

 それでも個人的には少しおこがましいと思ってしまう。



「納得してない顔ですね」

「……ちょっとね」



 一瞬思ったことでもつらつらと彼女に伝えてみる。



「はぁ……。先輩は私のこと神かなにかだと思ってるんですかね」

「女神だとは思ってるね」

「……そうですか。ではなくてですね、私も一人の人間です。得手不得手ももちろんありますよ」

「それは知ってる」

「先輩と私の違いというと成長の速さぐらいなもので、行き詰まる場所は同じですよ」



 鈍い僕にしては彼女の言わんとしていることがすぐに理解出来た。

 思考も似てきているのだろうか。


 つまり夏菜はどんなに努力しようとも突き詰めてしまえば成長がゆっくりになり、一見平らのような成長率になると。

 これは伸びしろの問題。

 いくら天才的であっても、努力家だろうとそれは同じところで行き詰まると言いたいらしい。



「私と先輩の差なんて抽出に限っては誤差みたいなものです。飲む人が勝手選ぶだけの好みの違いですよ。私が自分で淹れるよりも先輩に淹れてもらったほうが美味しいと感じてしまう程度に」

「競うことも出来ないと?」

「いえ、あとは発想と知識じゃないですかね」

「あぁ確かに」



 言われてみればわかる。

 ドリンク類は甲乙つけるのが難しい。

 だがスポーツはわかりやすく勝ち負けが出る。男女で肉体的に有利不利が出やすく、技術も体力も身長差、腕力。思考能力も踏まえて戦わなくてはならない。

 天才的な人間ほど強く、努力家な人間が追いつける頃には肉体のピークを過ぎてしまうかもしれない。才能を開花させ、センスを磨くことが早ければ早いほど勝者となる。


 逆に言うと技術と知識が一番勝敗をわけるものもあるということ。

 今まさに僕が彼女に挑んでいる部類がそれだ。



「そう言えば昨日聞きそびれましたけれど、どうだったんですか新しい職場」

「あぁ」



 四月に入りすぐにバイトに入った。

 朝からずっと家を開けており、夏菜とはほぼスマホ越しにしかコミュニケーションを取れていない。夕食ではもちろん会話をしていたはずなのだけれど、疲労によりあまり記憶がなく食べてすぐに寝てしまった記憶だけが残る。



「一つだけ私が想像出来るのは、オーナーさんが驚かれたんじゃないでしょうか」

「よくわかるね」

「私が散々経験してきたことなので。昨日出来なかったことが今日は出来ている。今日は無理でも明日には手にしている。ほんと面白い」

「面白いってこっちは真面目にやってるのに」

「えぇ、それが伝わるから面白いんですよ。明日のお仕事では更に驚くことになるでしょうね」



 夏菜は楽しそうに笑う。



「どうだろうね」



 驚かれはした。

 最初から基本が出来ていると、戦力になるだろうと喜ばれもした。

 ただ、もちろん出来ないこともあった。


 一つ一つに時間がかかりすぎるというアドバイス。

 プロの仕事、時間との勝負。


 作業手順を受けながら、オーナーでありパティシエの今泉さんは僕に教えながらも倍以上の手際で作業をこなす。

 僕とそう歳は変わらないが、何年も先を進んでいる。


 当然の結果。

 けれどやっぱ悔しいよね。

 なにより出来ない自分がもどかしい。

 バスケや楽器と違って練習のしようもないのがまた辛い。


 同じ物をなんども使えるわけじゃない。

 失敗したら失敗しただけ食材を無駄にするだけになる。

 一番遅いと言われた計量ぐらいはなんとかやれるぐらい。


 イメージを繰り返すしかないんだよな。

 残したメモを擦り切れるまで読んでは脳内で自分の動きを最適化させる。

 メモがなくても思い起こせるように繰り返す。



「大丈夫ですよ。なんたって先輩ですから」

「なんの根拠にもなってないな」

「私にとっては重要な要素です」

「そっか……。ならもっと頑張んないとな」

「はい」



 ※



 夕方になるにつれて天気に陰りが出た。

 明るかった空はカーテンを閉めたように薄暗い。


 部屋の湿度も上がっていたようで、練習として小麦粉で計量を繰り返していたが妙に合わなくなってきていた。水分を吸収しやすいというのを身をもって経験した。

 知識として知っていても活用、対応しなければただの知識。

 腐ってしまってはその知識も覚えていないのも同然。


 三時間も小麦粉と遊んでいたのもあり、そろそろちゃんと素材として活用してあげなきゃ可哀想だろう。

 何作ろうかなっと考えながら冷蔵庫に視線を移す。



「すぅ……すぅ……、んん……すぅ……」



 キッチンにある唯一に椅子に腰掛け眠る彼女。眠っていることにも驚いたが、いつからそこにいたのか不思議だった。

 手を洗い夏菜とお揃いで買ったエプロンを一度外して、背中と膝の裏に手を伸ばして持ち上げる。呼吸と連動して動く胸が密着しているとどうしても触れてしまうし、落とさないようにと背中から腋へと伸びている指先はどうしても豊かな胸を凹ませる。


 付き合う以前から触れてしまうことがあったし、付き合ってからは直接肌で触れ合うことも増えたが飽きない感触。

 きめ細やかで吸い付く白い陶器のような肌。

 それが張りもあって柔らかくて、表現のしようのないあの揉み応えと合わされば、まさに無敵と言っても過言じゃない。


 胸が単体で存在していても意味はなく、夏菜の付属品で存在しているからの存在価値。

 なんて胸一つ、二つに思考を巡らせてアホなことを考えたもんだと一人で苦笑いを浮かべる。

 にしても軽いな。


 身長のわりに体重はあるらしいが。

 育ちすぎる一部位を除いても、筋肉がついていたというのもあるだろうけれど。今は完全に女の子らしい肉付きになっている。

 運動は続けているからほどよく筋肉も残っている。


 見た目は普通の少女。

 と言いたいところだけれど、誰もが羨む美少女。

 ただし僕にとっては本当に普通の女の子かな。


 これも違うな。

 この世でたった一人の僕にとっての一番大事な人。

 特別なんだよ。


 慰めの言葉なんかで世界の半分は女子だとか男子だとか、きっともっといい人がいるなんて言うけれど。なんの慰めにもならない。

 その人はこの世でたった一人しかいないんだから。

 

 戯言はこの辺までにして、夏菜を寝室へと連れて軋むベッドの音を聞きながらゆっくりと起こさないように下ろす。

 一日ゆっくりしようということで部屋着のままで露出が多く隙きだらけ。春の気温は気まぐれで今日は少し肌寒い。風邪を引かないようにと布団を掛けようとするがそれでは微妙に暑い。

 寒くて風邪引くよりかは後でシャワー浴びるなりすればいいか。


 さっと布団を掛けて、離れる前につい頬へと触れてしまう。

 なんだろうな。

 高校でシロを撫でているような気分になる。


 あ、そうか。

 僕は彼女に触れることで癒やされている。

 違うのは持ち上げて、相手のお腹に顔を埋めて吸い込むことや、肉球のちょっと獣と土臭い香りを嗅いでしまうことがないぐらい。


 夏菜を見下ろす。

 流石にお腹はまずいか。というか、もう布団に隠れてるし。剥ぎ取ってまでやることじゃない。

 相手はどこかの飼い猫ではなく、僕の恋人なわけで。

 あれ? なにやっても許してくれそうな気がしてきた。


 えっと。



「ちゅっ」



 悩んだ末に出た答えがこれ。

 前髪をかき分け晒したおでこ。綺麗な形ではあるが一つだけ残る傷が小さく目立つ。

 その傷の横に模範とも言える音を鳴らした。



「ものすごく悩んだ末にそれですか。可愛らしいものですね」

「いつから?」

「運ばれてる途中で」

「……おう」

「思春期の男の子って感じで可愛かったです」



 ものすごい恥ずかしい。



「これで終わりですか?」

「う、うん」

「もっとえっちなことされるかと思ってましたが」

「そんなことしたら起きるじゃん」

「好きなことすればいいと私は思いますよ」

「じゃあハグしよう」

「なんなんですかね、今日の先輩は可愛くてムカつきますね」



 そんなこと言われても困るが。


 膝立ちでベッドに乗り上げ、覆いかぶさるように宣言通りに布団を剥ぎ取って夏菜を抱く。

 ほのかに暖かい人の体温。

 じんわりと伝わってくるその熱に日々抱え込む不安が溶かされる。



「どうですか?」

「癒される」

「はい、私もです」



 静かにただ抱き合うだけ。

 曇った空から涙が出てくるようで、しとしとと、次第にぽつぽつと弾みをつける。薄闇の部屋、互いの熱だけを交換し合う。

 言葉がなくても語り合えるそんな空間が出来上がっていた。

 本能むき出しで絡み合うことも嫌いじゃないが、ただこうして優しさに包まれるのも悪くない。



「キッチンほったらかしにしてるから、そろそろ」

「もうちょっと」

「後5分だけね」

「15分」

「寝起きかよ」

「それほど魅力的だということです」

「まぁ……確かに」



 二度寝なんかより魅力的。

 それは間違いない。



「それじゃあと10分だけね」

「短い」

「このままだとずるずると抱き合ったままになるからね」

「そうですね。じゃあ、あと30分だけ」

「人の話聞いてたかな?」

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