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引っ越し

「こんなところか」

「はい、お疲れ様でした」



 電気と水道が通り、ガスはまだ翌日。

 清掃は入っているだろうが気持ちよく新居を過ごしたいということで、僕ら二人で清掃することになり小一時間ほど掛けた。

 掃除機があれば簡単に終わったであろう作業も中学生の放課後のように雑巾と水の入ったバケツだけ。ホコリがありそうなものを叩き落とし、ガラス窓から始め部屋や玄関、風呂からトイレと至るところを磨く。



「にしても何もないな」

「今日引っ越してきたばかりですからね」



 服や小物、楽器程度しか僕の私物はなく、引越し業者の手を借りることすら必要なく、新たな僕の拠点は伽藍堂。

 空虚ではない。

 まっさらな砂場でなにかを積み上げるかもしれないし、真っ白のキャンバスでなにかを描くかもしれない。

 これからという未来がある。



「先に買い出しかな」

「お布団とか買ってこないと今日は床で寝ることになりますし」

「必要な物のリスト作っておくか」

「了解です。スマホのメモに書いておきますね」



 まずは先程行った通りに布団。

 一組か二組買うかで少し揉め、注文しておく必要があるベッドのサイズでも揉めた。

 ダブルかクイーンが良い僕とセミダブルが良いと言う夏菜。


 理由を聞けば必然的に密着出来るからという話で、広くても密着すればいいのにと思う。

 が、更に話をすればもし今後喧嘩することがあってもお互いに絶対に離れられない状況になり、仲直りの機会も増えるから、と。

 僕らの場合、喧嘩になりそうでもちゃんと話し合いしているしあまり感情的になることもそう多くない。


 そう聞いてしまうと流されそうになってしまうが、僕としては寝相の悪い夏菜を心配しているだけである。

 夜中に目が覚めると落ちそうになってるからね。

 夜中に起きる理由も蹴られているからだったり。でも人は慣れるもので、良い蹴りが入らない限りは僕も熟睡。



「あとはカーテンとかもか」



 僕一人だったら気が向いた時でもいいけれど、夏菜も泊まるとなると早急に必要。



「私の好みでいいんですよね?」

「もちろん」

「新しいこと始める時以上になんだかわくわくしますね」

「それはちょっとわかるかも」



 今まではもとの環境の延長線上。

 ここからは新しく自分ですべて決めていく。

 責任を伴うがそれに見合っただけの自由がある。

 今まで教わったことも無駄にはならない。



「先輩も私もこういうところは似てますよね」

「そうだね」



 無言になる二人。

 僕が夏菜の頬に触れる。



「……あ、駄目ですよ」



 触れただけである。

 振られた感じがして凹む。



「なんでそんな顔するんですか」

「失恋した痛みが初めて理解できたかも」

「大げさすぎです。これから買い物があるんですよ、夕飯だって今日は作れませんし保存も出来ません」

「夏菜としちゃうと時間忘れちゃうもんね」

「先輩ってシングルコアですから」



 目の前のことしか集中出来ないと言いたいらしい。

 その通り。

 よく僕のことをわかっている。



「でも夏菜だって忘れるよね」

「思考停止にさせられているんですよ。全て先輩が悪いんで……反省してください?」

「はい、すんません」



 電気ケトルでお湯を沸かし、持ってきていたペアマグと適当に買ってきた紅茶のティーパック。手軽な物でちょっと手間を加えるだけで美味しくなる。



「んー。やっぱりちゃんとした物買いたいですね」



 限度はある。

 夏菜の舌を唸らせるには足りない。



「それも今日買いに行こう」

「はい」



 テーブルもないのでマグカップを床に起き、胸の谷間からスマホを取り出す。



「なんでそんなところに……」

「ちょっとの間置いておくには便利なんですよ。女子の服にあるポケットとか飾りなので入れるにはたまに不十分なんです」



 たしかにキャミソールみたいなインナーにシャツを羽織り、下から3つまでボタンを留めている服装。シャツにポケットはあるが小さい。

 薄いストッキングにショートパンツと夏菜の休日のスタイルとしては定番の服装。


 ずりずりと近寄りシャツを捲ってみる。

 ちょっと夏菜の顔が赤くなっているが無視してショートパンツの収納を確認。

 スマホが半分ほど出てしまうほどこちらも小さい。



「もうっ」



 ちょっと怒ったように僕の手を握り捻る。



「夜まで我慢してください」

「いやいやいや、そのつもりじゃなくて」

「……」



 無表情、無言。

 睨みつけるだけ睨んでくる。



「はい、私の早とちりだったようで」

「反省して?」

「先輩が変なことしなければ勘違いしなかったことですよ」

「変なこと? 何されると思ったのかな」



 煽ってみると夏菜のふくれっ面がパンパンになり、駄々っ子ようなパンチが飛んでくる。

 見た目のコミカルさに反して威力が高い。

 スナップが効いてるんだよな。


 流石に痣になりそうなので彼女の手首を掴み引き寄せる。

 攻撃ばかりで守りが手薄、引き寄せることでバランスを簡単に崩す。

 胸に落ちてくる前に残った手で抱きとめる。



「ごめんって」

「許しません」

「どうしたら許してくれる?」

「そうですね、今回ばかりは頭撫でてもキスでも許しませんから」



 僕の首に両腕を掛け自分で体勢を維持しながら肩をあむあむとわざと声をあげながら甘噛し始める。今日の僕のシャツは黒だから、彼女の唾液が目立たないからいいんだけれど。



「それで何か思いついた?」

「……特には」

「時間も時間だし夏菜が纏めてくれた物書いに行こっか」

「……決めました。先輩明日一日口開くの禁止です」

「今日は?」



 口は災いのもと、つまり黙れってことね。



「デート中話せないとつまらないですから、今日は許します。本当は一週間って言いたいところですが、春休みも終わってしまいますから」

「はぁーい」



 ※



 初めて訪れる街と言ってもいいぐらい何がどこにあるのかわからない。

 スマホのアプリでマップを出してから移動する。

 僕らの住んでいた街と風景は変わらない。

 でも海が近いのかわずかに潮の香りがした。


 細々とした家電は通販で自分で設置するのは難しい物は今日注文しておくということを夏菜と話し合って決めていた。

 冷蔵庫や洗濯機をまず見に来た。



「冷蔵庫はやっぱ大容量がいいよね」

「んー、一人暮らしが基本になってしまいますけど」

「ほら僕も色々と作るようになったから」

「……」



 無言だったけれどちょっと嫌そう。



「家庭料理は夏菜には勝てないから、もうそこは諦めてるしこれからもお願いします」

「負けず嫌いな先輩が完全敗北を認めるなんて珍しいですね。頭大丈夫ですか」

「もう年季が違うし努力の桁が違う、技術は上がり続けるし貯蔵されたレシピも増えていく」



 僕が一歩進むごとに十歩も先を行かれてしまう。

 だから同じ土俵でありながら違うベクトルを選んだ。

 逆だったら同じ土俵でも簡単に追いついて抜いていくことすら出来るんじゃないかなぁ。


 その才に憧れる、嫉妬もする。

 そんな彼女が僕に期待する。

 確かに重い。

 重圧はある。



「……本当に気持ちいいぐらいだよ」

「?」

「気にしないで、独り言だから」



 僕ら、というより僕か。

 似たように新生活を送るために家電量販店には同世代の客が多い。

 新生活応援キャンペーンなんかでポイント還元の張り紙も至る所に張られている。


 並んでいるレジを抜け白物家電コーナーへ。

 エアコンなんかは備え付きがあるし、どうしても必要なのは生活の基盤となる冷蔵庫。オーブンレンジは狙っているものがある。

 予算も寝具とその二つに掛けて、調理器具なんかも夏菜と話し合って二人が満足いくものをと思っている。



「なんか」

「どうしました?」

「こうやって二人で生活するのに必要なのを一から選ぶって、本当に結婚したみたいだよね」

「んふっ。同じこと思ってました」



 すっと絡んでくる手。

 熱のこもった視線が僕に向かう。

 伸びた前髪を別けて覗ける、上目遣いの潤んだ瞳に長い睫毛。

 付き合って一年以上経つのにどきっとする。



「じゃあ僕はオーブンレンジみてくる」

「なんで逃げるんですか」



 それこそなんでバレるかなぁ。



「いつまでも隣にいてくださいよ」

「ずるいよ」

「知ってます。顔が赤くなって可愛い」



 指摘されたことで余計に顔が熱い。



「降参。一緒に回ろうか」



 手は自由に動かせないので肩をすくめる。



「最初からそう言えばいいのに」

「仕方ないだろ、夏菜が可愛すぎたんだから」

「ごほっ。……ったく、どっちがずるいんだか」



 一歩半下がり身体の半分が僕に隠れる。

 気を取り直して冷蔵庫を選別し始める。

 値段も容量も機能もバラバラ。


 大体こういうのは十年単位で決めたほうがいいですよ、と夏菜からアドバイスを貰っていた通りに考えるが、新生活用に押し出されている商品は基本的に一人暮らし用で小さく、値段も安い。

 高い物になると大容量で急速冷凍という機能がついている。



「夏菜は大学卒業したらどうする?」

「暫くは父さんのところで正社員として働く予定ですよ」



 まぁ、僕も似たようなもんか。

 いくら大学が四年間あるとして、その間も修行を重ねたとしても足りない。

 夏菜だけならなんとでもなるかもしれないが、技術だけではなくお金の問題が出てくる。

 経営に関しても素人。


 両開き可能な冷蔵庫を前にして、意味もなく右から開いたり左から開いたりと繰り返す。

 どういう仕組なんだろう。

 ちょっと楽しい。


 呆れた視線を感じ、咳払いをして本題に戻る。

 一人暮らしに最適と見出しのあるコーナーから少し横にずれて、一般家庭にも置かれるような売り場まで移動。



「容量はやっぱり大きいほうがいいとして、これ部屋に入るかね」



 三百から四百リットル。

 夏菜の自宅にもあるようなサイズを見ながら、その中でお手軽な値段のする一つ指さして確認する。

 一人暮らし用よりも値段のばらつきが多い。

 高いもので二十万を超えている。

 流石に手が出ない。



「どうでしょう。あ、ここにサイズ書いてますよ」



 事前に測っていたのでそれを記している夏菜がスマホを取り出す。

 僕も上から覗き見る。



「いけそうですね」

「おっけー。この野菜や肉なんかの鮮度をキープするやつなんか良さそうじゃない?」



 デザインもスッキリしている。

 機能も見た目も完璧。



「こんな機能があるんですね」



 夏菜は冷蔵庫に近づき、中身の構造を確認している。



「一番上の段、届かないんですが……」



 そう言われたので腋から手を入れて持ち上げる。



「そういうことではなく……」

「一応、確認してみたら?」

「まぁ、そうですね」



 何やってんだあのカップルと人から発生される雑音の中で聞こえてきたが気にしない。



「どう?」

「下の段とそう変わらないです。上は先輩、下は私専用みたいな使い方しますか」

「そうだね。踏み台とか買ってもいいんだけど」

「それは……、なんかムカつくので却下です」

「あ、そう」



 プライドがあるらしかった。



「153センチか」



 ちなみに数ミリ単位でサバを読んでいる。

 遺伝の確率は30%と言われている。食事や睡眠と生活で大きく変わるとも言われており、彼女はバスケをしていたのにも関わらず小柄。

 ちらりと夏菜の特徴的な部分を見て、冬乃さんの遺伝が強かったんだろうなって。


 遺伝的要素から自分の身長の公式を求めることが出来るらしいが、なんだっけな。

 男子と女子で少し違うが……。



「うるさいですよ。179センチ」

「残念、今は180丁度なんだよね」

「む」

「そうだ。(両親の身長の合計±13)÷2+2だっけな」



 男子はプラス、女子はマイナス。



「私は当てはまりませんでしたけどね」

「僕は親の身長も知らないのでこの公式は使えないけどね」

「自虐ですか?」

「いんや、ただの事実を言っただけ」

「そうですか」



 もう過去は過去として置いてきた。

 今更彼らに思うことがあるとしたら、僕の知らないところで幸せになればいい。



「これを候補としていくつか見ようか」



 夏菜が頷くのを見て一周ほど回ってみた。

 結局、僕らが候補にあげたものが僕らには適正がありそうでこれに決めてしまった。



「さてと、次はオーブンレンジ」



 スキップしそうな勢いで人の合間を抜いていく勢い。

 腕を組んで歩いているのでそんなことはしない。

 変わりに鼻歌を。

 フーファイターズのモンキーレンチ。



「テンション高いですね」

「僕の相棒となる調理器具だからね」

「先輩の相方は私ですが?」

「なんで張り合うのさ」

「いえ、なんとなく? 先輩を困らせてみようかと」



 確かにちょっと戸惑ったけどさ。



「それで、どんなものを選ぶんですか」



 本当はレンジとオーブン単体が良いんだけれど、置けるスペースが限られている。

 けれど容量が大きく二段式であることは決めていた。

 そして何より大事なのは最大温度の出力が300度以上。



「なるほど。そういうことですか」

「あ」

「アホですね。今まで隠していたつもりだったようですが、これでもう先輩の考えていたことが私の中で確信に変わりました」

「そ、そっか……」



 誤魔化しは通用しないし出来ない。

 夏菜に宣言してからというもの、彼女が僕の前で鼻を鳴らす仕草が増えていた。

 すでにその時から気づかれてはいただろうに、一応は言わないでいてくれたということだ。

 僕がアホすぎて堪えることができなくなったというところだろう。



「どうしてですか」

「これは僕の中で黙っておくつもりだったんだけれどね」



 きかっけはそう。

 彼女の何気ない一言。

 日常会話の中に落ちていた物。

 私より先輩のほうが向いてそうですね。という、たったそれだけ。



「どうやら僕の人生には君が必要みたいだよ」

「この人、本当に……」

「もちろん選択肢は色々あったし」



 それこそ教師にも向いているとも言われていたし、大学生活の中で色んなことを体験して決めることだって出来た。

 僕が選んだのは夏菜と一緒に進む道。

 だから夏菜が決めたことではなく、僕が選んだこと。

 彼女が辿る道筋に光る物が落ちていただけ。



「一つだけ訂正してください」



 と、夏菜が僕の鼻を上にあげるように突く。



「必要みたいだよ。ではなく、必要と言い切ってください」



 僕の自信のなさの現れか。

 癖みたいになっている。



「うん、必要」

「はい」

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