卒業まであと少し
「それじゃあ、柊くん4月からよろしくね」
「はい。よろしくお願いします。それでは失礼します」
卒業式を明後日に控え、桜は蕾のまま春の訪れを待っている時期。
電車に揺られること2時間。
とあるお店に訪れていた。
店内はシックな色合いで落ち着いた雰囲気。
日光が入らないような工夫もされているが、そのためか照明は明るく設定されているようだった。
しかし30分ほどの会話の後にはすぐに退店という流れ。
単純な顔合わせみたいなものだった。
春人さんを通して紹介してもらっていたが人手が足りており、そこのオーナー経由でオーナーの姪っ子さんのお店。専門学校に通いながらオーナーの元で修行していた彼女が今年の春から独立したお店で働けるようになった。
元々希望していたお店ではなく、だけれど大学に近いという利点もあり何の文句もない。
独立から間もないがタウン誌にも取り上げらておりネットの口コミサイトでも好評。
その結果として猫の手も借りたい状況に陥っていた。
最初は補助で入りレジが忙しい時には僕もフロアに出たり、今の夏菜と同じポジションとなっている。
仕事の流れの説明を受けたが問題なくやれそう。
なによりもありがたいのが夕方から翌日の仕込みをするそうなのだけれど、その時に教えを学べるという話。
名ばかりの面接が終わり、予定よりも時間も余っていたので寄り道をしながら梅ヶ丘を目指した。
電車の中で夏菜にメッセージを送り、少しのやりとりの後すぐにスマホを仕舞う。
実家というと失礼かもしれないが、当たり前の話、行きに2時間掛かるということは帰りも掛かるということ。クッション性のある座席だけれど長時間座ると尻が痛くなってくる。腰をくねらせたりして尻を浮かしてどうにかやり過ごした。
往復4時間もほぼ毎日電車で通学するとなるとさすがに無理だと悟り、引っ越しすることにして正解だと改めて思った。
生活習慣も戻りそうだしね。
ご飯食べるのが面倒で食べないってことも。
本当に気をつけないと。
自立するってことは自分の行ないが全て自分に返ってくるってことだ。
昔の自分とは違う。
だから大丈夫。
色んな物をもらった。
言うて怒られるだけだしな。
怒ってくれる人がいることもまた恵まれている。
改札を出る頃には丁度、聞き慣れたチャイムが静かな駅まで届いた。
冬と春の間を抜ける坂道を登り、見慣れた校門が待ち構える。
制服ではないので校門の前にぼーっと突っ立っているともう一度チャイムの音が鳴り響き、時間差で生徒たちがずらずらと出てくる。
その生徒たちの中でも一人だけやたら目立つ少女。
太陽の光と暖かい風を浴びて髪の色が赤く揺らめく。
セーラー服の上に袖の余りまくったカーディガンを羽織りストッキングを履き、学生の中で一番露出の少ない格好をしているが誰よりも色気があり、同年代の女子生徒と比べると基本的には私服も含めて地味めを好んでいるが、それを感じさせない華やかさもある。
なんだろうなこの娘。
衆人の中に紛れることなく色を放っているのは、自分の交際相手だと知っていても気後れする。
ただ、視線を彷徨わせながらこちらに向かってゆっくりと歩いて、僕と目が合うなり小さく微笑むと最短距離で生徒たちの間を小走りで追い抜く姿はなんとも可愛らしい。
思わず頭をすぐに撫でてしまった。
何かを感じ取って疑問を浮かべているが、すぐに気にすることをやめた。
僕が手を差し出すとその手のひらを見つめ、自分の手のひらを重ねる。
まだ冬の冷たさを残すような彼女の手のひら。僕の熱と中和されるように混じっていく。
「鞄を持つよって意味なんだけれど」
「どうせ手を繋ぐんですからいいじゃないですか」
「それもそうか」
遅れて差し出された鞄を預かり坂道を下る。
長い長い坂道。
毎日登っては降りて、季節ごとの色を見せてくれる。
桜よりも早く咲くのは梅の花。
散りゆけば桜が咲く。
2月下旬から4月まで見応えのある坂道だった。
「もう残るところ後2日ですね」
「うん。振り返ると短かったな」
特に夏菜が入学してからはあっという間。
楽しかったということ。
「ありがとうな」
「なんですか急に」
「夏菜がいたから高校生活楽しかったなって」
思えばそう、中学だって彼女がいたから楽しかった。
勿論、司がいたこともそうだ。
でも一番の理由は夏菜がいたこと。
「今、そんなこと言いますか……。少しは、残る側の気持ちにもなってくださいよ」
言葉尻が小さくなっていく。
「いつだって私は先輩の一歩後ろを歩かされる」
「それは」
「わかってます」
朝、いつも用意されているハンカチをポケットに仕舞っていたので差し出す。
顔には出さないが瞳は正直だ。
表情に出ないだけで彼女は感情豊か。
「相変わらず紳士的」
「こうやって紳士的にもなれるのは、昨夜から準備してくれてるおかげだけどね」
ハンカチなんて自分で用意するという考えがそもそもない。
それに優しく出来るのは優しくされているからじゃないかな。
小学生の時なんか優しくしてほしいから優しくしていただけのような気もする。
今と昔の自分を比べると本当に変わったな。
白いキャンパスに線を入れたのは僕の努力。
けれど色を足したのは夏菜の存在。
夏菜も似たようなこと言ってったっけ。
「環境は変わるけど、関係は変わらないって」
「わかってますよ。でも、この今が楽しいし幸せなのでもっと感じていたかったなって」
「どれだけ楽しいことを続けても時間は足りないよね」
「はい」
「まぁ、これからももっと楽しいことが出来るってことでもあるけど」
「ポジティブですね」
「今まであまりやらなかったこともあるし」
「例えば?」
「デートの待ち合わせとか、僕らって基本一緒に家を出てるパターンの方が多いし、意外と僕は待ち合わせ好きなんだよね。今日の夏菜の服装はなんだろうって」
「うっ、プレッシャーを感じますね」
「僕もセンスがないなり頑張ってみるからさ」
と、言っても長期の休みには泊まったり家に帰ったりもするだろう。
それはそれとしてこうした楽しみもあるってことだ。
「環境が変わっても関係は変わらないから」
「そうですね」
「むしろもっといい関係を目指す」
「んふ」
「幸せすぎて不安にさせてみるよ」
「幸せだけでいいです」
夏菜は満足したように小さく笑うと繋いだ手を絡ませてくる。
うっすらと赤くなった瞳はそのままに不安は消えて希望に満たされる。それこそ春のような朗らかさ感じさせる様子。
「でも、先輩」
「ん?」
「私の作ったご飯食べられなくなりますよ」
「留年しようかな」
「もう遅いです」
卒業までの残り僅かな日を彼女とともに過ごす。
一つでも多く彼女の想いに答えたい。
今出来ることをやるだけ。
※
夏菜がお風呂に入っている時、僕は暇になる。
彼女の部屋でやること言えば勉強か趣味に没頭するかの二択だったりするわけだけれど、そのうちの勉強は暫く必要がない。
大学がどのようなものなのか調べた限りでも、小学校から続いた授業形式ではピンとこない。
ギターを触る気にならなくてただ部屋の中を彷徨う。
夏菜の机に座り、僕があげたプレゼントの数々が並ぶ棚をぼんやりと眺め、そのままに広げられている参考書を手に取る。
もう既に三年の範囲を終えていることに驚きはなく、彼女らしいやと笑えるほど。
努力を怠らないから彼女は彼女であり続ける。
こちらも事前準備が早いというか僕の大学の過去問も準備している。
過去問の隣には辞書なんかまで置いてあったり。
辞書か。
二学期ぐらいに調べるであろうページを開く。
ボールペンを手に取り、未来の彼女にメッセージを送る。
本来借りパクした辞書にメッセージがあるっていうのが元ネタだったりするわけだけれど。
見ない可能性のほうが高いがちょっとした時を超えた悪戯。
優しさの欠片もない。
こうして遊んでいると階段を登る足音が聞こえてくる。
悪戯の仕込みがバレるほど虚しいものはなく元ある場所に戻していると、そのタイミングで扉がゆっくりと開く。
「何してるんですか?」
「何もすることなくて、何かしようとしてたところ」
「そうですか」
甘い香りを漂わせ隣に立ち、いつもの基礎化粧品を机に並べる。
毎度のことながら大変だなと思っていると最後に鏡をセットして僕の上に座る。
「やることないんでしたら椅子にでもなっていてください」
「言ってることわりと酷いよね」
「私が座るのは先輩だけですよ」
「良いように言ってるけど椅子なんだよね」
「でも結構先輩の上に座ってること多いですよ」
「確かに」
納得してしまったので椅子に準じる。
この役目を誰かに譲るつもりもないし。
とか言いつつやっぱり暇なので会話ぐらいはいいかな。
「そう言えば三年がいなくなって何か変わったことある?」
「特に、と言いたいところですが。やはり先輩がいないと告白される回数が増えますね」
「いつもの事だね」
彼氏が居る前で呼び出す奴なんて稀。
度胸は買うが。
それに彼女が告白されるタイミングなんてのはいつも一緒で、大体が春先と夏休み前に集まり、それ以降は数がぐっと下がる。
冬休み目前にまた少し増えるのがいつもの流れ。
「そろそろ三桁いった?」
「それだと全校生徒の三分の一から告白されたことになりますよ」
「でも夏菜ならありそうだなって」
「流石にないですって」
毎回報告してくれているが、実を言うと中学から換算するといっている筈。
仲が良くなる前の回数はもちろん知る由もないけれど、今までの傾向から推測出来る。
「本当にモテるよなぁ」
「嬉しくないですよ。時間の浪費ですし」
「だけどちゃんと聞くんだから律儀だよな」
「人を好きになることは誰に止められませんし、その権利すらありませんから」
「うん。僕も本当に夏菜の事好きになるなんて思わなかったし」
「運命ですね」
「運命? 僕が夏菜のこと好きになるのが?」
「いえ、私が先輩を慕ったことで運命になっただけですよ」
自信げにそんなことを呟く。
本気でそう思っているのが見て取れた。
僕のことをロマンティストとかポエマーなんて馬鹿にするけれど、彼女も似たようなもんじゃないかなってちょっと複雑な気分。
「つまり夏菜が僕を好きになったことで、僕が夏菜を好きになるのは運命になったってこと?」
「よく今の説明でわかりましたね」
と微笑みながらスキンケアを終えて、お茶を淹れてくると言い残し部屋を出ていった。
こんだけ長い付き合いだとニュアンスや視線、仕草で何を考えているのか理解出来る。
趣味思考なんかも重なり混じり合って似た物にもなっている。
元々性格の根本的部分が似ていたのもあるだろう。
本気で付き合って、相手を見ているからこそ。
夏菜が戻ってきて寝る前のティータイム。
落ち着いてゆっくりとした会話を楽しみ寝るまで続けるのが僕らの日常。
「部活のほうはどうなってる?」
「元々先輩を中心にしていた部活なので先輩がいなくなって部活という形だけが残っている感じですかね」
「そうだよなー」
「でも絵梨花は頑張っているみたいですよ。ベースの他にギターも買ってたようで練習しているようです。麗奈が夜うるさいって嘆いてました」
「絵梨花ちゃん?」
ちょっと違和感を覚えたが、すぐにわかる。
「そう言えば名前で呼ぶようになったんだ」
「えぇ。先日、麗奈の家に泊まりに行った時に二人で話す機会がありまして」
「色々話せたんだ」
「はい。お互いが妥協出来るところまで」
「そっか」
話した内容までは深く聞かない。
「智樹くんは?」
「麗奈に聞いた話しだと、先輩に負けたのが悔しかったようで今はバスケ部に入って真面目に練習しているようです」
「あれから話してないんだ」
「廊下ですれ違ってもあちら側が目を逸らすので特には。と言っても私から絡む必要は全くないですし」
「なんにも起きなさそうだね」
「心配してたんですか」
「少しね」
いい子ではあるんだけど危うさがあったから。夏菜を心配したというよりは智樹くん本人を心配していた。
「そんなことより私達の話しましょうよ。目標とか」
「夏菜に勝って君を幸せにする」
「……それが目標ですか」
照れを誤魔化すように夏菜は紅茶を一気に呷るように飲もうとするが、カップの中は既に空だったようで更に顔が赤く染まってしまう。
「というより誓いかな」
「ふーん」
興味なさそうに顔を背けているが瞳だけはこちらをしっかりと捉えて離さない。
顔は赤いままだし意識してくれている。
「そう言えば夏菜に手伝ってほしいことあったんだ」
「なんですか?」
「引っ越ししたらさ家具とか家電とか選ぶの手伝ってほしいなって」
「言われなくても勝手について行くつもりですよ。丁度一週間後ですよね」
「うん」
「本当にすぐですね」
「だから今のうちにどんなもの買うか調べよう」
「はい」
帰りの坂道と違い。
この時は雰囲気は明るいもの。
未来予想図ははっきりと輪郭が描かれる。
「思った通りにかなえられるといいよな」
「『叶える』ですよ。今までそうしてきたように」
なんとなく覚えている歌詞を一部引用してみたが、それを知らない夏菜はただ自分の言葉でしっかりと力強く答えた。
きっと僕らの未来は明るい。




