新生活に向けて
運転免許を取得し、受験にも見事合格。
気付けばもう梅の花が咲く季節。桜が咲くにはまだ少し早い時期。
残り僅かな高校生活も自由登校になっており基本的には自宅で過ごしていた。
正直に言うと大学受験は緊張した。
目標が出来たばかりでこんなところで失敗するわけにはいかない。
人間、欲が出ると慎重になるのかもしれない。
手応はあったし、自信もあった。
結果を見るまでは完全に安心は出来なかった。
とは言ってもやるべきことを見据えていたので、試験が終わってからは記憶の片隅に追いやり、知識の蓄積と技術の向上を目指していた。
学校に行く必要もなく時間を手に入れたことで集中することが出来たのは丁度良かったと言える。
そして今日も今日とてやることがある。
不動産に内見の予約をとっており、今日がその日。一人暮らしの準備も進めていかなければならない。
まずは隣に眠っている彼女を起こす事から始める。
目が覚めると必ずと言っていいほど、腕やら腰やらとどこか抱きつかれていたりする。時には脚を絡ませてきたりしているのだけれど、今日は布団に潜り込んで姿が消えているだけだった。
春先の早朝は少し肌寒い。
「そろそろ起きろー」
布団越しに声を掛けながら身体を揺らしてみる。
これで起きたことはないので、今日も勿論起きることはない。
時刻は午前6時半。
学園まで片道40分程度。
起きるには早い時間ではあるものの満員電車を避けて早い時間に起床している。
小柄な体躯のため押しつぶされてしまう。二人して寝坊した時なんかは彼女をどうにか守っているが、僕にも限界があり結果として僕に潰されるような形になってしまう。
僕も寝起きが良い方ではないけれど、夏菜と一緒に過ごすことで改善された。
それに早朝の学校。
登校してくる学生も少なく、校舎がひんやりと静まった時間がわりと好きだった。
「んー……」
反応はあったがそれ以降無言のまま。
なんなら布団の中で寝返りをうち、多分背を向けている。
ぺちぺちと腰のあたりを軽く叩いてみるもののやはり無反応。
布団を捲り身体を転がして尊顔を拝する。
眩しいのか顔を歪めて苦しそうに見える。
「起きろー。朝だぞー」
布団を奪い返そうと片手を彷徨わせながら口を開く。
「……あと15分」
結構強欲だな。
「顔洗って着替えてくるまでだからね」
「ん」
返事になっていない返事を寄越すともそもそと布団を掴み、赤毛だけを枕に残して沈んでいってしまった。
苦笑いを浮かべながら、頭を撫でる。
今思うと去年は結構無理して起きていたんだなって。
名残惜しい肌触りから離れて着替える。
鏡越しに見える布団の山脈を眺めると、本気で二度寝に入っている。
顔を洗って戻ってくると時間としては10分も経過していないが、時計を見ているはずもないのでこちらも起こしに掛かる。
カーテンを開けてから部屋に光を取り込む。
布団を剥ぎ取ると恨めしそうな顔がそこにはあり、美人が本気で睨むとちょっと怖い。
「……あと5分」
「だーめ」
「じゃあ」
「時間を伸ばすのも駄目だからな」
「バレてます……」
似たようなやりとりを繰り返しているからな。
そりゃ先読みも出来るようになる。
頬をふにふにと撫でてからベッドに腰を降ろし、一応は覚醒しつつあるのか枕から僕の太ももに頭を移動させる。
男の硬い太ももが枕替わりになるとは思えないが気に入っているご様子。
「このまま寝ているので、着替えさせてください」
「また無茶なことを」
脱がせるのは出来るが着せるのは無理じゃないかな。
僕の考えとは裏腹に夏菜は両手を投げ出してさっさと着替えさせろとでも言うような態度。
悪戯されても文句は言えない。
いや、むしろ喜ばれそう。
そういう娘だ。
「ほら」
両脇に腕を差し込み引き上げる。
完全に力を抜いており、なんというか猫を持ち上げているような気分になる。
「んー……、伸びる」
「今日は一段と緩いな」
「ふぁ」
欠伸を一つ、目をこすり、視線を彷徨わせる。
そして……瞼を閉じた。
「おい寝るな」
「女の子を起こすには、することがありますよね?」
「もう完全に起きてるじゃん」
身体あったかいし。
やわらかいし。
けれど、彼女の返事は。
「……おやすみなさい」
「なんでだよ」
ここまで粘るのは稀。
体調が悪いのかと思ったけれど、調子が悪ければ素直に報告してくるのでその心配はなく、何か隠している線のほうが強い。
「何か隠してるな?」
「な、なんのことですかね」
わっかりやすい動揺が見える。
「で?」
「ぴゅーぴぃー、ふーふー」
この子、口笛吹けなかったんだ。
初めて知った。
脇に差し込んでいた腕を引き抜き座らせると、正面に移動し顔を覗く。
避けられ視線の先も虚空。
「……」
「無言で見つめないでくださいよ」
「何隠してるの」
「……素直に言ったら怒らないですか?」
僕は答えず笑ってみせた。
「肯定も否定もなし笑顔は怖いんですが」
「それで? 何を企んでいるんだ」
「大したことじゃないです」
ベッドに横になろうとする彼女の背を抑え座らせたままに、むっとする彼女の表情を無視。何かあるんだろうと思っていたが体調が悪いとかじゃなくて本当に良かったと安心もする。
諦めたようにベッドに降りて衣服を脱ぎ始め制服に着替え始める彼女の後ろ姿を眺める。
白いインテリアに混じった僕の痕跡。
その間に立つ彼女の姿。
パジャマにしているパーカーの下にはキャミソール。肩紐が二つ並び、今日の下着の色まで確認出来た。
なんとなく柄も連想してしまえる。
セーラー服を着用してからショートパンツを脱ぎ捨て、こちらに投げつけてくる。
三度寝を止められた嫌がらせか、着替えを見るなとでも言うことか。
「先輩、今何時かわかってます?」
「え?」
言われるがままに袖を捲り、腕にあるブランド物の時計で確認。
既に家を出る時間を通り越していた。
着替え終わってから顔も洗い、寝癖のついた髪を整えて、さらにメイクも……すっぴんのほうが多いから除外するとして、今から朝食をゆっくりと食べる時間はなさそう。
「春人さんに頼んで車借りる?」
「……少し魅力的な提案ですね」
わざわざ保険にも入り直してくれてたまに運転させてもらっている。
本当に優しいというか、お人好しというか。
「どうやら学校に行かせたいみたいなので、はっきり言いますが今日はサボります」
「そういうこと。単純に時間稼ぎしてただけか」
「思ってた反応と違いますね」
「別にサボるくらいならいいんじゃないとしか」
僕は真面目ってわけじゃないし。
成績が良くても出席日数も足りてればいいんじゃないかと。
まぁ内申には響く。僕の場合、推薦を受けられなくなる程度には。
「で、何するつもり? 制服には着替えているみたいだけど」
「内見について行くだけです」
「何故?」
「来年には私も住むんですよ。なんなら週末には泊まりますし、長期休暇も一緒です」
「あ、そういうこと」
内見の予約を取っている話はしたし、平面図も見せておいた。
彼女が卒業後は同棲するということも決まっており、僕の予定ではその時にまた新しい物件を借りようと思っていたのだけれど。
「そうすると二人で住むには狭くない?」
「はい。でも良いんじゃないですか? 狭い部屋で一緒に住むってのも侘び寂びがある気がします」
「そんなもんか」
まぁ、それはわかった。
「でも、なんで制服?」
「制服の私も先輩の記憶に刻み込んでおきたいって言ったらどうします?」
「可愛いなって思うだけだよ」
「んふ。それでは言葉通りに受け取っておいてください」
最初から学校をサボると言えばよかったのにと思う。
が、根が真面目ではあるから学校を理由なしに休むということは悪だと認識出来ている。
僕が許可するのは違う気もするが、どうするかは彼女が選ぶこと。
そう告げるとしたり顔で最初から両親の許可すでに昨夜に取っていたという。
じゃあ今のやりとりはなんだったのか……。
「え? 先輩をからかいたかっただけですが」
だそうだ。
しれっと言うことでもない。
地味に精神的ダメージを受けたので彼女の着替えをじっくりと観察することにしよう。
……なんて言うか。
僕が脚フェチだからだろうか、ストッキングを履くという所作がえろく見える。透けて見える色気のないシンプルな下着もまたいつもと違った印象。
じっくり見すぎたか、睨まれてしまった。
猛省。
※
最初に頼んでいた1DKのアパート。築年数も5年未満で外観も含めてかなり綺麗。
何より僕らが気に入ったのは広々としたキッチン。
コンロも2つあったり、収納スペースも充実。
4階で最上階ということであの黒い悪魔も出づらいと思う。高い階層に住めば出ないとまことしやかに呟かれているのを聞いたことがある。ちょっと高いというには微妙なところではあるのだけれど、そう願う。
飲食店に努めていたこともあって多少は耐性があるけれど、見ないなら見ないほうがいい。
気分を害する。
出てきたら頼りになるのが夏菜である、子供の頃から春人さんの手伝いをしていたということで顔色一つ掛けずに素早く処理してくれる。本当に頼れる女子。
ちょっと自分が情けない。
苦手なものは苦手なのだ。
浴槽も広く脚を伸ばして浸かれるということで夏菜は満足げであり、流石に洗い場は少し狭いもののトイレは別で家賃の割にかなりいい部屋。
正直もうここしかないという好物件で決めた。
今日は内見だけというつもりで、僕の場合は連帯保証人都合でそもそも契約が難しい。
なので契約者は夏菜でその保証人が春人さんということになる。
本当に助けてもらってばかり、いつか絶対に恩を返す。
日を改めて契約を交わすことになり書類だけを持って自宅へと戻った。
そしてその日の夜。
あとは寝るだけで一日が終わるという頃に夏菜がゆっくりとベッドの脇に座りながら話しかけてきた。
「何かわくわくしますね、新生活」
「今年中に限っては夏菜は通い妻みたいになるけどね」
「いい言葉ですね。それに私、婚約者ですし? 忘れたとは言わせませんよ」
「言わないって」
先にベッドに横になっていた僕に覆いかぶさるような体制を取っている。
昔から着ていたパーカーは半分程しかファスナーは上がらず胸が完全にストッパーになっているし、肌着はがっつりと胸元が開いたキャミソールと中々に刺激的な格好。
本人は無意識。
「アパートとマンションの違いってなんだろうね」
誤魔化すように適当な話題を振ってみると、夏菜はくすりと笑って答える。
お見通しらしい。その上でスルーしてくれる方を選んでくれた。
横に並び僕の腕を取っては枕に。
「違いなんてないですよ。管理会社がマンションだと言えばマンションですし、アパートだと言えばアパートになりますよ。ですが大体どこも3階以上、鉄筋だとマンションと呼んでるみたいですね」
「へぇ~、良く知ってたね」
「たまたまです。先輩が賃貸サイト見ていたので私も一緒に住むならどんなところが良いかなーと、授業中暇なので確認していただけです。その時に私も気になって調べました」
「なるほどねー」
「結構楽しいですよ妄想するの」
そう言えば、内見の時に部屋を見渡し好みのインテリアなどを嬉々として置きたいと言っていた。調理器具の一部は僕の家、今は見知らぬ誰かが住んでいるかもしれない家にあった物を利用出来るが、他は買い直しになる。
彼女が妄想し話してくれた内容。
あんまり実感はなかったけれど、その時から少しずつ環境が変わる事が理解してきた。
少し前の生活に戻るだけ。
けれどただ無意味に消えていく時間はなく、目標に向かって進むのだと思うと不安よりも希望のほうが強い。
「僕のセンスは壊滅的らしいからね。夏菜に任せてもいい?」
「はい。完璧に女の子の部屋にして彼女の存在をアピールしておきます」
「そんなことしなくても誰も呼ばないよ」
「念のためですよ、念のため」
どうせ講義とアルバイトの往復。
遊ぶ時間なんて今年一年はない予定。
どんな部屋にしたいか、どんな家具を置きたいかなど改て話していると、次第に夏菜の喋りがゆっくりになり途中で寝息に変わっていった。
愛おしく宝物のように彼女の頬に触れてから僕も眠りにつくことに。
卒業までにやることはまだまだある。
予定ぎちぎちで、終わったら体調崩してました。
ストックもなくなっているので、ゆっくりとですが再開していきたいと思います。




