残り香も消え、気持ちも新に芽吹く
「にしても可愛かったね」
「まぁそうですね」
「含みある言い方だね。もしかして私のほうが可愛いとか?」
「そこまでは言いませんよ」
「そこまでってことは少しは思ってるんだ」
「否定はしません」
「そっか」
何と比較してるんだって思いながらも、彼女の自信と物言いにくすりと笑ってしまう。
真っ直ぐ自宅に帰るのは勿体ないと以前夏菜が行ってみたいと言っていたカフェに立ち寄る。
趣味と実益。
最近はカフェ巡りが趣味にもなっているようで、僕が心配していなくても自分で気分転換をしているようだった。少食気味の彼女に付き添って僕も一緒することが多いのだけれど、デートにもなるし断る理由もない。
「なんですかその笑い。結構真面目に言ってるいるんですが」
「赤ん坊の可愛さと夏菜の可愛さはまた別の物じゃん」
「どんな風に可愛いですか? 私」
「おぉ……、今日はやけに食いついてくるね」
「良いじゃないですか、具体的に教えてください」
「んー……」
色々あるけれど。
「恥ずかしがり屋なところかな、自分から誘っといてすぐに耳が真っ赤になるし」
「ほ、他には?」
自分で聞いといてもうすでに耳たぶ辺りがほんのりと色付く。
こういうところ。
「甘えん坊で寂しがり屋でもあるところとか」
犬っぽさがある。
同じ空間にいる時は隣か膝の上にいつもいるし、構わなかったら構ってくれるまで小突いてきたりするし。
クール系な容姿でありながら行動が可愛らしい。
そのギャップもまた彼女の魅力なのだと思う。
口が悪かったというか、生意気な後輩的な態度もまた恋しいと思うが……、今でも十分悪態ついてるな。
こちらの捉え方が変わっただけか。
例えば何事もそつなくこなすけれど調子に乗ってぽかやらかしたりなど、思いつく限りの夏菜の可愛いところを伝える。
「内面ばかりじゃないですか……」
「外見褒めてほしかった?」
「まぁ……はい。以前、聞いてから随分経ちますから好みの変化もあるかと思いますし」
「そういうことか」
好みまで合わせてくれる。
けれど僕から合わせるという努力をしたことがなかったな。
彼女に認め続けてもらえるよう努めていたけれど、容姿のことはすっかりと抜けていた。
「逆に夏菜こそどうなの?」
「ありのままの先輩が好ましいです」
同じ文字でも好きと好ましいとでは伝わる意味が微妙に変わってくる。
相変わらず釣れないなってこっそり笑っておいた。
「僕も同じでありのままの君が好きだしなぁ……。夏菜は元の見た目が優秀ながら服装も気を使ってるし、毎日欠かさず美容ケアしてる。本当にすごいよ」
「いえ、ありがとうございます」
「正直褒めるところがないほど優れてる」
「しかし、そういうことではなくもっとこうだったらいいのにって思うところはないですか?」
「ないけど」
「けど?」
ちょっとした悪戯を思いつき、手を振り顔を寄せてもらう。
囁くように耳打ち。
「その真っ直ぐに見つめてくる瞳が好きだし、眠そうな目も可愛くて好き、ワンポイントになっている泣きぼくろも色っぽく見えて好き。すべすべな肌も触れていて気持ちよくて好き。小さな口でぷっくりとした唇も好きだよ」
みるみるうちに顔まで真っ赤になる夏菜を見ていて楽しい。
ここがカフェだから小声で伝えているが、夏菜の部屋だったらと思うと彼女をからかうのに言葉だけでは収まらなさそう。
「その髪型も似合っていて、さらさらな髪も好き。豊かな胸も揉みごたえあって――」
「あーあーあー、もういいですってわかりました、わかりましたから。私の負けでいいです、なのでこれ以上何も言わないでくださいっ」
長い前髪を垂らして顔を隠すとお手洗いに行くと言って逃げてしまった。
勝ちも負けもない。ただのじゃれ合い。
一人になって残ったコーヒーを呷るよう飲む。
夏菜が行きたいと言っていただけあってコーヒーもいい味を出していて、軽食類も新鮮な野菜をメインとした物が多く身体に良さげ、スイーツもお店で作っているようで本業と比べると形は多少崩れているところもあるがフルーツ本来の味を引き出す美味しさだった。
お店の雰囲気はと言うとログハウスのような外見に店内も木製の家具を多く使われていて料理とも相性がいいように感じられた。
そろそろ良い時間である。
夏菜が戻ってくる前に会計を済ませておき、荷物を纏めておく。
今日は気分がいい。
新に誕生した家族を昼間に見ることが出来て、帰りには美味しい食事を頂くことが出来た。
友達と遊び、彼女とデート。
充実した一日。
ほぅっと空気を漏らすように息を出すとちょうど夏菜が戻ってきた。
こちらを見る顔はまだ赤く、視線が彷徨っていた。
まともに僕の顔を見ることが出来ないらしい。
僕の予想以上に効果があったようで、たまにはこういう悪戯もありかもしれない。
カフェ出て夕暮れの道を進む。
閑静な住宅街。
白い家の壁が家が多いのか、本当に橙色の街並みになっていて幻想的で哀愁を感じ取れる。
悪戯が効果的だったせいもあって並んで歩いていても腕を組むどころか手も繋いでいなかったのだけれど、その街並みに踊らされたのか自然と二人とも指先が触れる。
ようやく顔を見合わせ微笑みあう。
「なんですか、手繋ぎたかったんですか?」
カフェでの敗北宣言はどこへやら切り替えの早い子である。
挑発的に唇だけが歪んでいる。
「うん」
「素直ないい子ですね」
手のひらを見せるようにこちらに向けてくれるが、タイミングが悪く僕のスマホが通知を知らせる。
「っち」
舌打ちしたな……。
確認したつもりだったのだけれど、司の家……というよりは雅先輩の家に忘れ物でもしたのかな。余談ではあるが、いつまでも神楽先輩とは呼べない。
「ごめんって」
こういう時、自分が悪いわけでもないのに謝ってしまう。
変わりに。
「先輩が悪いわけじゃないので、あとで可愛がってくれたらいいですから」
と、条件付きで許してくれる。
ズボンのポケットからスマホを取り出すと、予想とは違った相手からの電話。
ただ『父』とだけの表示。
あれから半年。
姿どころか声すら聴かなくなった。
毎回のことながら暫く聞かなかっただけで、どんな声をしていたのか忘れていく。
人の声は忘れやすい。
「取らなくてもいいんですか?」
「あ、そうだね」
鳴りっぱなしになっているスマホの画面をスライドさせる。
「久しぶり、どうしたの?」
緊張も不安もなかったのだけれど、夏菜がこっそりと残った手を繋いでくれてぎゅっと力を込められた。心配してくれているというだけで嬉しいがちょっと不甲斐ない。
大丈夫だよって笑い返すしかできない。
自分の中で本当に大丈夫だと思っていても、言葉や態度だけではどうしても示せないこともあるんだとなんとなく理解した。
これから行動で示していくしかないんだろうね。
『元気だったか?』
「うん。元気にしてるよ」
実家に居た時よりも快適な生活を送れている。
自分一人で全てをやる必要はなく、夏菜とその両親が世話を焼いてくれる。下心のないその行ないに触れるとこちらも自然と返したくなる気持ちになり、僕からも度々手伝いを申し出たりなどしている。
他人の家だけれど本当の家族と同じ、夏菜とまったく同じような扱いを受けている。
それがどれだけ嬉しいことなのか。
「それで何の用? 電話してくるってことは用件あるんでしょ?」
『あぁ……。一度話したいことがあるから家まで来てくれないか?』
「なんで急にまた……」
もう僕は僕の生活をしているというのに。
『悪いと思っているが……』
「まぁ、わかった。いつ行けばいいの?」
前に夏菜と約束した卒業アルバムの件もあるし、なんならまだまだ家に置いてきている物も結構ある。ついでというか、そちらがメインとして一度帰るのも悪くない。
『土日はどちらも家にいるから』
マイクに指を当てて塞ぎ、ちらりと夏菜の顔を眺める。
「土日どっちか予定ある?」
バイトの休みは把握しているが、どこかに遊びに行く可能性もある。
一緒に行くにしても予め聞いておいて損はない。
「どちらもありますけど」
「そっか」
僕一人では全ての荷物を持って帰れなさそうだから不必要な物は処分する方向にしよう。
「土曜日にそっちに行くよ」
『わかった。よろしく頼む』
通話終了。
僅か5分程度。
こんなもんか。
夏休みももう終わる。
最終日は部屋でゆっくりしたいし、面倒なことは早めに終わらせるに限る。
「土曜日ですね。わかりました」
「予定あったんじゃないの?」
「土日とも先輩と一緒にいるという予定があるだけです」
「……紛らわしいよ」
「予定というよりは確定事項です」
「そうだね、いつも一緒だからな」
「ご理解頂けてなによりです」
離れた手が忍び寄り交差する。
身体に染み付いた彼女の歩調に合わせて家路をゆっくりと歩いていく。
正面に伸びる影が一つに纏まった。
※
本当に久しぶりの生まれ育った家。
どこにでもある普通のマンション。
鍵は持ったままなのでエントランスへ入り、そのままエレベーターに乗り込み14階のボタンを押す。
夏菜の家よりもずっと見てきた光景なのに親しみを覚えるのは彼女の家。
ここは寝て起きる場所というイメージ。
鉄で出来た玄関へと繋がるドア。
こちらは鍵を使わずインターホンを鳴らす。
事前に時間を伝えていたからかマイク越しに名前を呼ばれて、扉の鍵が重い音を立てて外れた。中から出迎えてくれたのは父と村川ゆなの二人。
父は相変わらず少し疲れた雰囲気を持ったままだが、村川ゆなの姿は少しどころか大きく変わっている。
安っぽい茶髪は自然な髪色に変わっていて僕と同じやや灰色掛かったくすんだ黒。
別にそれはいい血がつながっていた証拠みたいなもんだ。
気にはしない。
驚いたのは彼女のお腹が不自然に膨らんでいること。
呼び出された意味がわかった。
「お邪魔します」
ただいま。
という言葉が出ずに、もう自分の家はあちらなのだと。
夏菜はしてやったみたいな顔をしているが、目の前にいる二人は少し複雑そうだった。
いい子ではあるのだけれど、ある意味いい性格をしている。
リビングに案内されコーヒーを出されたが、安物のインスタント。
僕が置いていった器具はホコリ被ってはいないものの使用された形跡はない。
ただ違和感があるのは部屋の匂い。
半年いないだけで別の家にいるみたいなフローラルな香り。
ドラッグストアなどで売られている消臭剤とは違う、上品な女性物の香水に近い。
普段から村川ゆなが家にいる証拠。
案外うまくいっているようだ。
父は一度は許し、僕は一度裏切った人間を許すことが出来ない。
血は繋がっていても別の人間。
許せることと許せないことが違う。
たったそれだけ。
テーブルについたものの微妙な雰囲気。
相手側から話しかけてくる気配もない。
夏菜は隣にいるが本来なら無関係でここにいる必要もない。
ただ心配して着いてきているだけ。
僕がここにきた理由は相手が呼んだからで、なんなら荷物の整理をしにきた。
正直早く終わらせたい気持ちが先行している。
前回はある意味逃げたという結果が残る。
けれど優しくも残酷な時間が僕の中で柊の家を無意味に変えた。
当たり前だと思っていた環境が当たり前ではなく、上のもっと上。
優しさに包まれた家庭があるのは知ってしまった。
「再婚するんでしょ」
と、僕から。
頷く父を見て笑顔があることに気付いて望まぬ妊娠ではなかったようで少しだけ安心した。
別に彼のことを嫌いになったわけでない。
幸せなことはいいことだと思う。
「それだけじゃない。前々から転勤の話が出ていてな」
「引っ越すんだ?」
「ああ」
長く住んだ家を離れて都心へと引っ越す予定だそう。と言っても長くいたのは僕だけで父としては本当にたまに帰ってきて眠るだけの場所。衝撃あったけれど、なんとも思わず「そっか」の一言で片付けしまう。
むしろそんな感想を抱いた自分のほうに驚く。
一緒に引っ越さないかという提案をされる。
新に家族四人で暮らさないかという話。
隣に座った夏菜からそっと手を握られる。
僅かに震えていることに気付いた。
そんな不安にならなくてもいいのに。
表情は髪に隠れて見えはしないが、手の震えだけで十分に伝わる。
信用とはまた違う話だろう。
急に湧いて出た引っ越し。
彼女の立場だったら僕も似たような不安を抱く。
ずっと一緒にいるのにこんなところで急に離れるということ。
進学しても同じ県内にいるのとはまた違う。
会おうと思っても簡単には会えない。
だけど最初から僕の中でやることは決まりつつあった。
握られた手をぎゅっと握り返す。
「そっちはそっちで幸せな家庭を築いて、僕は僕で幸せな家族を築くから」
これからのこと。
家族は新に自分の手で作ることも出来る。望み務めるのは優しく温かい市ノ瀬一家のような信頼で結ばれた強い絆。
司達を見て思ったことでもある。
驚いたのは僕以外の三人。
「渉はもう大人になったんだな。親は無くとも子は育つってことか」
それは違う。
父から仕送りでお金にも困らず、夏菜からは両親に貰えなかった愛情を。
だから自分だけの力だけではない。
結局一人で生きていけると思っても無理な話。
大人になれば可能かもしれないが子供のままでは誰かに支えられて生きていくしかない。
それに。
ようやく再スタートした二人の関係。
僕が居ればこの微妙な雰囲気を保ったままだと思う。
それは次に生まれてくる子供にも悪影響を及ぼすかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
けれど案外子供というのは賢いもので絶対に空気を読んでしまう。
健やかに朗らかに育って欲しい。
子に罪はなく未来が与えられる。
余計な物を取り除くのは大人たちの役目。
「話はそれだけ?」
「あ、ああ……」
本当にこれだけで僕は呼ばれたらしい。
電話で片付く話だったんじゃないかな。
まぁあっちにはあっちの覚悟というものがあるかもしれない。
知ったことではないかもしれないが、それに付き合うだけの関係性は残っている。
「じゃあ僕らは荷物の整理して帰るから」
僕の部屋に夏菜を連れて入る。
掃除はされていて、こういうところを見てしまうと断ってしまうあたり僕は結構騙されやすい性格なのかもしれない。
処分しても構わない物と持って帰る物に分別。
本当に必要なものは夏菜の部屋にあるので大抵は処分しても構わない。
この中で一番大事だと思えるのは夏菜のコスプレ衣装ぐらいしか本当になく、あとは約束していたアルバムや置いていたスコアブックだけをカバンに詰める。
元から殺風景な部屋ではあったが、更に風通りのいい部屋になってしまい広く見えた。
ベッドや机などに触れ世話になったなぁーなんて考え深い。
「アルバム、もう見てもいいですか?」
「家に帰ってからね」
「仕方ないですね」
「なんで僕が甘やかされる立場になってるんだよ」
いつも以上に機嫌が良さそうに弾む声を聞きながら後片付けをする。
家を出る時には父に見送られ、少し大きな茶封筒を渡される。
夏菜の部屋に戻ってから封を切り中を覗くと通帳と印鑑、後は手紙だけ。
手紙の内容は今までの親として出来ることをしなかったことへの謝罪が綴られており、内容から僕らが部屋で荷物を整理している間に書かれたもの。
そしてこれからのことを僅かばかりに書かれていて、新居が決まって子供が産まれた際には連絡をするということ。
鼻歌まじりにアルバムを眺める夏菜を後目に封筒に戻して、大事にギグケースにしまうことにした。
そして唐突に鼻歌が止まり、不思議に思って声を掛けた。
「どうした?」
「……」
覗き込むと初めて見た顔をしていた。
眠そうに垂れた目が大きく開き、口もかすかに開いている。
「先輩と私って小学校の頃に出会ってますよ」
「……え?」
そう言うと駆け出すように部屋を出ていく夏菜を、今度はこちらが驚いて見送る番だった。




