小さな手の鼓動
「どれがいいのかな?」
「私に聞かれても困りますけど」
「冬乃さんに聞いておけばよかったかなぁ……」
長かったようで短くも感じる夏休み、それももう終盤となっていた。
二週間ほど前に司からの喜びの電話があり、また落ち着いたら知らせるということで、その日は報告だけを聞いて通話は切れてしまった。そして昨夜にもう一度着信があり、今週の水曜日うちに遊びにこないかと誘われた。
今日がその前日。
夏菜と買い物に出掛けた。
彼女と休みが合ってもなくても出掛けるのはいつものことではある。
「消耗品とかの方がいいんじゃないですか?」
陳列されている商品の前にしゃがみ新生児用と書かれているおむつを手に取る。
「いくつあっても困らないし、いいかも」
あーでもない、こーでもないと二人話し合いながら商品を吟味し、結局最初に夏菜が手にしたメーカーのおむつを2つ購入する。
新生児用ではなく成長した後に使えるサイズを選んだ。もう既に新生児用を沢山買い込んでいる可能性も見越して、後でも使えるものとして選んだ。
もう一つの購入物。
高校生である僕らには馴染みがないもの。
祝儀袋。
流石の僕らでも結ばれる紐の色は理解しているものの、結び方までは意味は理解していなかった。
けれど幸い祝儀袋に包まれるビニール袋には出産祝い用と書かれているため迷うこと無く購入できた。
しかも値段別にあるようで社会の常識って面倒だなと感じた。
行きと帰り。
車を持てるわけもない僕らは徒歩での移動。
セミの大合唱を背に受けながら、突き刺すような太陽の光、風もぬるく不快。
店を出てすぐにじんわりと汗をかいてくる。
「夏菜、悪いけど袋から飲み物取ってくれる?」
「ん」
右手におむつを2つ、左手にはエコバッグ。
両手が塞がっているので彼女にお願いをする。
ペットボトルのキャップまで外してくれたのでエコバッグを腕に引っ掛けるような状態で受け取ると、一気に呷るように流す。
「やはりどっちか持ちましょうか?」
「どっちも重くないし大丈夫だよ」
「そういうわけじゃないんですが」
「ん?」
「別に何でもないです」
口を尖らせ僕の尻を軽く叩いた。
察しろということらしい。
会話の裏で思考を回す。
「にしてもここまでする必要あったんですか?」
「出産祝いと結婚祝いのこと?」
「えぇ、どちらかでも良かったのではないですか。私たち高校生ですから、そんなにお金を掛けると相手も困惑するんじゃないでしょうか」
「親友のだからお金掛けてもいいんじゃないかなって僕は思うけど」
「それはそうですが、こうやってお金を惜しむことなく出せるのは私たちだからですよ」
「それはそうかも」
高校生も案外何かと入用。
見た目に気を使う年頃で交友関係もあり、遊びに衣服にとお金を使っている。
容姿にお金を使うのは僕らも一緒ではあるのだけれど。
「僕ら友達少ないしね」
進級してから前のクラスとは繋がりが減った。
稀に遊ぶことはあったが、今は完全にない。
もう高校3年生ということも、他者との繋がりを緩める要因になっているようだ。
早い人は去年から塾に通っており、季節が流れるごとに通う生徒は増えている。
忘れていはいけない僕らは進学校に通っている。
授業の内容は濃密で他の学校が習うよりも先のことを教えられており、二学期からは個別の勉強に割り当てられる。
授業をしっかり聞いて学べばそれなりの成績になる。
上位にもなれば間違いなく国公立のA判定ぐらいは余裕で取れるということらしい。
こんな形態の授業が出来るのはうちの校風が自由だからだ。
言い換えれば自己責任。
授業についていけず、進級できず、退学していく生徒もそれなりにいる。
クラスの数は変わらずとも、人数が減っている。
去年同じクラスだった浮気少女も学校を辞めていたと、後になってあの女子グループから聞いた。彼女の行ないは僕の価値観とは相容れないもので許容出来るものでない。だから今どこで何をしてようと関係がない。
「私は人付き合い嫌いなのでいいんですよ」
苦手ではなく嫌いときたか。
彼女も僕も幼い頃にいじめの対象になっていたからわからなくはない。
返り討ちにした彼女と受け流すことを覚えた僕。
両親のいる彼女といない僕との違いだろうか。
人の温かみを捨てきれず、苦手として残った。
「そう言えば友達になれたかもしれない娘いたなぁ」
ぼんやりとしている過去のことを思い出す。
「はぁ?」
「ひっくい声出たな……」
底冷えするような声だった。
「いつの話?」
敬語も抜けてんな。
「いつだと思う?」
「いいから」
「小学生の頃だよ」
多少機嫌が直る。
「で、どんな奴」
そんな事はなかった。
「なんでキレてんのさ、かなり昔の話なのに」
「幼き頃の甘酸っぱい初恋……。こんな風にたまに思い出す程度には幼い頃の記憶は残る。……むかつく」
「好きだったわけじゃないが、変わってて気になる娘ではあったね」
無言で蹴るのはやめて欲しいな。
あとやっぱり想像力豊かすぎる。
「小さい頃の先輩か」
「卒アルに多分数枚写ってたはず」
家族で撮った写真なんてあるわけでもなく、昔の自分を見るとしたら卒アルしかない。
「……見るの相当先になりそうですね」
「そのうち取ってくるから」
飲み終えたジュースの空。
ちょうど自販機が存在していて、隣に置かれたゴミ箱に捨てておく。
「それで?」
「卒アルじゃ誤魔化されなかったか」
「当たり前、わかってます? 同学年だったりしたら気付いてないだけで、再会している可能性もたくさんあるんだってこと」
冷静にはなれたようで口調が元に戻る。
続けてくれてもよかったのだけれど、これはこれで特別感があっていいとも思っている。
悩ましいところ。
「再会したところでなぁ」
「言いたいことはわかります。でも複雑なんですよ……。私も同い年だったならなぁーって思うこと結構あるんですよ」
「……会ったのは一回だけだよ。ほら、夏菜も同じ学校のはずだから覚えてるだろ。小学校の遠足でやたら広い公園」
「ありましたね」
「だから同級生ってわけでもないんだよな。あの遠足って一年から六年まで合同で一クラス二名の男女の計十二名」
団体行動を学ばさせるための物だろう。
結果として孤独を生んだが。
酷い不貞話。
小さな閉じこもったコミュニティーでは広がりきっていた。
噂話が収まったところで、こいつは排除する対象というのは残り続ける。
「それなら、いいのかな? それでどんな人だったんですか?」
「腰まで伸びる長い髪が印象的な静かな娘だったね」
ぽつりぽつりと語りだす。
「子供ながらに白いブラウスにロングスカートで清楚な感じ」
「見た目だけじゃないですか」
「話さなかったから見た目の印象だけ残ったんだよ」
「話さなかったって……、よくそれで気になりましたね」
「だからこそかもね」
「話すわけでもなくずっと後ろを付いてくる女の子。無言で一緒にお弁当を食べて、木陰で休む。付かず離れずちょうどいい距離を保ったまま。夏菜みたいに物理的にいじめられてた訳じゃないけど、強制的にぼっちだったから」
「ふーん」
「夏菜も似たようなもんだよね」
「どうでしょう。低学年の頃は上級生に可愛がってもらえた気がします。それからですかね、クラスで省かれるようなったのは」
「理由は聞くまでもなさそうだ」
成長にするにつれて理性が働き収まる。
けれど子供の頃は素直故に顕著。
天使のような悪魔ではなく、天使であり悪魔なのだ。
「男の人っていつまでも子供、童心を持ってますが。女性っていつまでも子供かもしれませんね、悪い意味で」
「話だけ聞くとそうかもね。可愛い女子は嫌がらせを受けるって」
「はい。一部の理由はわからなくもないですけど」
「夏菜がそういうところに理解を示すって珍しいね」
「一部ですよ、一部。どうしても手放したくない、振り向いて欲しい男性がいると、ね」
しっとりとした汗ばむ肌と肌が触れる。
季節柄か温かいというより熱い。
けれど不快には感じない。
「それは性別は関係ないよ。僕もわかるからさ」
「であれば一部も理解しなくていいことになりそうです」
「うん」
「それより、やっぱり祝儀袋の入ったほうは私が持ちます」
「うん、お願い」
答え合わせの時間。
「これで手が繋げるね」
「正解です。でも時間が掛かったようですね」
「落第?」
「いえ最終的に答えが合ってればいいので。でも、まだまだ私のこと理解しきれていないようですね」
「みたい。精進するよ」
「はい、期待しています」
歩きながら会話は続いていく。
家路のちょうど中間辺りにダリアがあり、途中休憩してから自宅に帰ることにした。
ちょうど常連さんが来ていたようで、夏菜が妊娠したと誤解されて祝われてしまった。あまりの喜びぶりに僕らは何も言えず苦笑いを浮かべるだけ。
誤解だけれど気持ちは嬉しい。
※
「「お邪魔します」」
長く艶やかな黒髪をナチュラルボブにカットされた神楽先輩と見慣れている司、その腕に大事そうに抱き掛かられている産まればかりの命。
際限なく辺りをきょろきょろと見ている。
「うは、かわいい」
髪の毛も綿毛のような柔らかさで、小さな空気の流れでもゆらゆらと揺れている。
「先輩、顔がだらしないです」
「仕方ないだろ」
「まぁわからなくもないですが」
僕を誂うように言った夏菜もそわそわとしており、視線は赤ちゃんに釘付け。
「そろそろ上がったらどうだ?」
「そうだね」
靴を揃えて脱ぎ、フローリングに足を乗せる。
免疫力のない赤子。
先に手洗いとうがいをさせてもらってから、二人の寝室に向かうことになった。
二人の部屋。
広々としているからか、赤ん坊用のベッドがすぐ目に飛び込んでくる。隣には新生児用のオムツや、いつか使うであろうという玩具たちがずらりと並んでいた。
二才児、三歳児と書かれている。
「気が早すぎない?」
「いやこれはお義父さんが……」
「うちの父、初孫が嬉しいのか色々買ってくるのよ」
なんとなくだけれど、僕と夏菜の間に子供が産まれたら春人さんたちも似たような行動をしそうだと隣に立っている彼女と顔を見合わせ、同じことを想像したのか苦笑いを浮かべた。
「あ、そうだったこれ」
僕の手からは司にオムツが渡り、夏菜から神楽先輩へご祝儀が。
「助かるよ」
「うん」
「渉の子供が出来たときには期待してて」
「僕らより司達の二人目が早そうだけどね」
「そうかもな」
白く角を綺麗に丸く整えられたテーブルの前に座る。
神楽先輩は飲み物を取り行くと言って、子供をゆっくりと大事そうに司に任せると去っていった。一連の流れをみると本当に家族になったんだという感想を抱いた。
彼の隣を陣取っていた僕は許可を取りながら赤ん坊に触れる。
もちもちすべすべしているほっぺた。
体温の高さが触れた頬でも感じ取れる。
「先輩、顔が緩んでます」
「だってすげぇ気持ちいいよ。本当にマシュマロみたい」
「私もすべすべしてますよ。あともちもちしてると思います」
何に対抗意識を持ってるんだか。
「お」
夏菜に意識を持っていかれていたが、その間に少し離れた僕の指先を赤ん坊が力のない、けれどしっかりと小さな手のひらで握ってくる。
生命としての力強さは感じてしまう。
「あうぅ」
言葉はわからず僕に返事したわけでもないのだろうが、産まれたばかりの子供の声。
どう表現していいかわからないほど感動してしまった。
自分の子供だったら泣いてしまいそう。
「あうぅ、あうあう」
ものまねしたわけじゃないのに、自然とそんな言葉を発してしまった。
「あぁ……、駄目だ。先輩が幼児退行しちゃってる」
「市ノ瀬ちゃん、そんなこと言わないであげて」
「あ、大丈夫です。こんな先輩の馬鹿面も可愛いと思ってますので」
「ブレないね。確かにちょっと気持ち悪い顔してるけど、普段こいつクール系なのに子供の前だと甘々なんだな」
「強気を挫き弱気を助くを地で行く人ですからね。自分の子供だとどうなるんですかね、この人」
「可愛すぎて悶え死ぬんじゃないかな」
「それはちょっと困りますね」
僕を放置して話し始める二人。
間に挟まる悪口は聞こえているが、気分がいいので突っ込まないことにした。
「渉抱いてみるか? 首はまだ座ってないから気をつけてな」
「う、うん」
妙に緊張する。
折り曲げた腕で赤ん坊の頭を固定してゆっくりと抱き上げる。
確かな重み。
でも簡単に壊れそうで怖い。
割れ物を扱うよりも大事に。
抱き上げてみるとわかる人の命。
指に感じていた時よりも強く温かい光。
小さな鼓動と脈を感じる。
「すご……」
「なんだよ、その感想」
無邪気でもなくただ無垢な存在。
キャンパスに例えるならまだ色さえ付いてない真っ白。これから二人が、家族が大事に育てて色付く存在。
だからこそ余計に怖い。
「夏菜、交代しよ」
「えぇ……、私ですか? 少し恐れ多いですが」
「市ノ瀬さんも抱いてあげて」
トレイに麦茶を入れて戻ってきた神楽先輩が夏菜に声を掛ける。
「まぁ、はい」
自然と手に子供が渡る。
彼女といえどおっかなびっくりとした様子で受け入れる。
が、赤ちゃんが泣き出したことで余計に狼狽えていた。
「ええ、なんでぇ……?」
「夏菜って動物だけでなく、赤ちゃんにも嫌われるのか」
「なんでですかね? 私、邪悪だってことですか」
夏菜が動物に嫌われるのは匂いだと思うが、赤ちゃんはなんだろうか。
「雅」
「そうだな。司は言いづらいか……」
二人は気付いている様子。
「市ノ瀬さん、胸が海里の視界を遮ってるし圧迫してる」
「やっぱりこの胸ってクソですね」
恨めしそうな目が印象的。
僕ら男性陣は壁を見つめるし、神楽先輩はほんのりと羨ましそうだった。




