夏休みの始まり
終業式を迎えて、その翌日。
高校最後の夏休み。
長期休暇に入ったとは言え、生活サイクルは簡単に変わるわけでもなく朝早く起きてしまった。
朝は温かい飲み物がどうしても欲しくなり僕だけキッチンに向かい二人分それぞれの好みのドリンクを用意して部屋に戻った。
夏菜は着替えているものの、昭和レトロなおもちゃドリンキングバードを模した動きを披露している。硝子のローテーブルの傍らに座りクッションを抱きかかえ頭突き。
行動せずに座っているだけでは目を覚ますには苦労しているようで、一時間を要しようやくあまり開かない瞼が半分ほど開きいつも通りの表情を見せてくれる。
「夏休みと言えば?」
今も尚なまけもののようなを思わせる動きを見せる彼女に聞いてみた。
何かやりたいことがあるのなら叶えてあげたい。
「デートですかね」
「全部ひっくるめやがったな」
「アルバイトがあるので全て全力で行えるとは思いませんが、出来なかったことは来年、再来年にすればいいですよね」
思った以上に嬉しい答えが返ってきた。
これからもずっと一緒にいるという意思表示。
話しは変わるが夏休み入ってすぐに今年も合宿をしようかという企画が持ち上がったものの、学園敷地内と保有の合宿所は埋まっており、去年同様の場所を考えていたが、遠出することも出来ない司がいる現状で男一人女二人の旅は安全性を考慮し流れた。
文化祭は学生としての行事、それには司も参加することになっている。
練習量を考えるとお粗末なライブになるだろうが、寧ろ去年がかなりの盛り上がりを見せていたほうが異常。
僕も飽きずに演奏を続けているし、新入部員の絵梨花ちゃんの腕が三ヶ月とは思えないほど上手くなっている。それでも初心者の域を出ていなが、夏休み次第では十分なベーシストに成長するんじゃないかな。
ただ一番の問題がある。
こういった連休でスタジオを借りて合わせることが出来ない。
一人で演奏するのと複数人で合わせてやるとのは違った技術がいる。
「文化祭のこと考えてます?」
「よくわかるな」
「なんだかんだ先輩は真面目ですからね」
対面に座ったガラスのローテーブルの向こう側、テーブルに肘を付き目を細め少し邪悪な笑顔を忍ばせると脚を伸ばして僕の内股を突く。本調子を取り戻したらしい。
こんな悪戯はいつも受けている。
無視すると機嫌を損ねて執拗に攻めてくるのがわかっているし、さて今回はどうするか。
考える間、こちらからも脚を伸ばし彼女を突く。
謎の攻防がテーブル下に繰り広げられる。
最初は雑談があったものの、次第に無言になりどうしたら相手が引くのかを考え始める。
手のように繊細な動きは出来ず、力加減も怪しい。
エアコンのついた部屋でも身体を動かすことによりじんわり汗ばむ。
冷静になればなにをやっているんだろうとも思える二人の行動。
が、負けず嫌いの二人。
冷静になるはずもなかった。
「おい、流石にそこは卑怯だろ」
「言っててください。そんなルール決めてませんから」
同じ場所を執拗に攻められればズボンの布は盛り上がるようにして引っ張られ形を変えて強度が出てくる。
それに気付いた彼女の目が怪しく鈍く光る。
「んふ。先輩ってえむだったんですか」
「それは、そっちだろ」
「そうですが?」
「……こいつ」
「でもちょっとハマりそうです」
もともとその気はあったような。
猫科なんて昔は称していたが、付き合ってみれば従順で犬っぽい。そしてどちらかと言うと犬派であると名言している。
ペットは飼い主に似るのではなく、元の性格により飼うペットに惹かれるものが違うのではないだろうか。
従順でありながら敵を前にしたら獰猛。
隙を見せれば食い殺される。
自分の思考にあながち間違いじゃないなと、夏菜を見ていて納得する。
家族。
身内に対する強い愛情もまた犬っぽい。
僕が考えている間にも夏菜はうっすらと笑みを浮かべて攻撃してくる。ここでやり返すように薄い布で守られた彼女の弱点を攻撃すると、お互いに歯止めがかからなくなるのはわかりきっていた。
両手を上げて……降参。
嫌々ながら降伏を示し、無理矢理に話を元に戻すことにした。
「何の話してたっけ?」
「夏休みと文化祭ですね」
つまらなそうに答える。
期待していたのかな? でも、たまには思い通りにいかないということを知らせるべきかもしれない。
「そうだった」
夢中になったせいで思い出せなかった。あと、我慢したせいでちょっとムラムラする。
彼女からこっそり距離を取り、ベッドの縁を背もたれにして深呼吸。
「文化祭は追々考えるとして。夏休みだな、どっか行きたいところある?」
「先輩が行く場所ならどこにでも。特別感を出さなくても私はそれなりに満足できるタイプなので」
離れた距離は詰められ接触する。
向かい合った状態で僕の太腿にお尻が乗っかると、首に手を回され後ろに倒れないように固定される。僕もまた彼女が倒れないように腰に手を添えた。
「海に行こうって話は以前したけど」
「新しい水着買ってるのでいつでも」
「早いな」
「夏休みに入る前に麗奈と」
「去年の水着も可愛かったけど、今年はどんな感じ?」
「……内緒です」
「楽しみにしてる」
「はい」
折角の長期休暇。
高校生最後の夏休み。
出掛ける場所は多く、思い出も増やせる。
「遊園地とかどうだろう、お化け屋敷とか」
夏の定番。
「……嫌です、行かないです」
「ホラー系完全に苦手になったね」
「えぇ、無理です」
「じゃあやめおこう。お化け屋敷以外にもあるしね」
「どうしてもというのであれば構いませんよ。その変わり身体の中にある水分撒き散らしますが、それでいいのであれば」
「とんでもない事言うね……」
「こう言えば無理に連れて行ったり出来ないですよね」
「……う~ん」
「え、何その目。正気? 本当に漏らしますよ。いいんですか」
なにその脅し文句。
「可愛い女の子が漏らすとか言うなよ」
悪い意味でドキっとする。
可愛い女の子という言葉に反応して、自由に投げ出していた彼女の脚が僕を挟む。
がっちりホールドされてしまった。
「そんな女の子を無理矢理に引きずり回そうとするのはどこの誰なんですかね」
「人聞きの悪い。まぁそれほど行きたくないのはわかったから」
「本当に行きたいのであれば大丈夫です。しがみついて離れませんけれど。今のこのように」
「漏らさない?」
「どうですかねー……」
自信はないようだった。
そんなにびびりだっただろうか。
スプラッタや吃驚させるような洋ホラーは平気なことは覚えている。底冷えするような和ホラーは苦手で一人で寝られなくなるという理由で鑑賞することさえなくなった。
しかしこの状態で漏らされると被害は甚大。羞恥により外的と内的どちらにもダメージ。
笑い話にもならなさそう。
「ほら日本のお化け屋敷って当たり前ですけど廃病院とかのイメージじゃないですか、雰囲気から想像させるような感じがしてどうも苦手」
「なるほどね」
わかるような気がする。
生存の危機に関する恐怖は本能だが、恐怖というのは知識があって作用する。
幽霊の正体見たり枯れ尾花とあるように、夜に出るというだけで、暗闇に警戒し風で木々が揺れるだけで恐怖を煽る。想像力が高ければ高いほど自分で恐怖を作る。感受性が高いほど身に染みる。
「器用だけど不器用だな」
「うるさい」
「……可愛い」
茶化すように言ったのではなく本音が漏れただけ。
ぽつりと。
絶景を目の前にしてこぼれ落ちる言葉と同じ。
「あーあーあー」
夏菜が壊れた。
僕の上から俊敏に距離を取りベッドに飛び乗る。
枕を拾い上げて盾にした。
「なに?」
「……可愛いって言うな」
「いつも言ってる気がするけど? それに夏菜は聞き慣れてるでしょうに」
「耳元で囁かれるように言われるとちょっと心臓が跳ねると言いますか、これを言うと誤解されそうですが、お腹? の辺りがキュンとします」
「大丈夫? なんかの病気か」
「そっちのほうで誤解されるとは思いませんでした」
お腹のあたりキュンとするという感覚がわからず、女性特有のものだろうかと考えた。
理解出来ず病気だったらどうしようかと思ってしまっただけ。
うん、なんかごめん。
「そういうことって良くあるの?」
「たまにです」
「本当に大丈夫だよね?」
「心配してくれるんですか」
「当たり前だろ」
「んふっ、大丈夫です。多分遺伝ですかね? 母さんは同じようなこと感じるらしいんですが、麗奈は一度もないと言っていたので……、男性はないんですかね?」
「こういう話したことないからな」
「することないんですか?」
「他の男子は知らないけれど、司とも春人さんともしないね」
「父さんともしないんですね。女子は結構赤裸々に語るんですけれど」
何かを思い出したように夏菜は顔を横に流した。
どこかで僕の事話したな。
冬乃さんとではこうはならないだろうと想像出来るので、相手は麗奈ちゃんか。
友達同士のコミュニケーションのネタとして扱われるなら全然良い。
悪口を言われていたりしたら凹むかもしれないが。
「お腹がキュンとするって感覚僕にはわからないけど、どういう時になるものなの?」
「やはり嬉しい時です。頭撫でられたりとか抱きしめられた時にたまに。最近だと誕生日、その前となるとバレンタインに先輩からバラのプレゼントを貰ったときですね」
「ほー……」
胸が温かくなる。思わず抱きしめたくなる。そんな感じだろうか?
気持ちはなんとなく理解出来そうではあるが、やはり感覚的なものはわからない。
「あと褒められた時とかもです。可愛いとか、綺麗だとか。……あと、気持ちいいとか」
「褒められるって誰に対しても、かな」
興味本位で聞いたものの、指が自身のこめかみをなぞる。
怒らせてしまったので誤解を解くために「言い方が悪かった」と謝罪しておく。
彼女もこくりと頷き、早とちりでしたと誤ってくれた。
「有象無象に言われたところで何も思いませんよ。先輩はどうなんですか? 知らない女性に格好いいとか優しいって言われるの」
今現在の周りからの評価。
夏菜は他人は有象無象と酷い言い方をしていたが、周りからすれば僕がその評価。
中性的な顔立ちと言われ、否定したいところだけれど母親似。
夏菜が小さいから大きく見られがちだが、身長が180センチにも満たないため割りと風景に溶け込む。
つまり何が言いたいかと言うと人と関わりがないため褒められるようなことは一切ない。
「嬉しいかな。……なにその目」
「いえ別に」
不貞腐れてしまった。
盾になっていた枕が武器へと変わる。
「僕は褒められ慣れてないからね。誰かの評価を気にして行動するタイプでもないし、自分がやりたいことやった上で礼を言われるのは、悪い気はしないよ」
たった一言ありがとうの気持ちで嬉しい。
「んー。やっぱりなんか複雑。先輩が褒められると私も自分のことのように嬉しいんですが、独り占めしたいような」
「独占欲か」
「そうですね。その通りです」
肯定し、ため息。
喜怒哀楽。
この中で一番見ないのが哀。
それもその筈、表情に全く出ない。というよりは僕に見せることがあまりない。彼女のほうで隠していたり見せないように努力しているのだと思う。
それでもたまにこうしてため息を吐く。
彼女の小さな身体では抱えられない不安。
ため息は周りを伝染する。
僕にもわずかに不安の色を感じる。
「僕は独占欲抱かれるの嬉しいよ」
「いえ、違うんです。先輩ならそう思っていただけるのはわかっているのですが、これは私の甘えですね」
ベッドの上に逃げていた夏菜を追って僕も隣に座る。
ただ座るだけでこちらからアクションを取らない。
「甘やかしすぎですよ」
「夏菜を甘やかすのは僕の楽しみだからね」
勿論締めるところは締める。
メリハリは大事。
「人間強度下がりますね」
「なんだよそれ」
彼女の言い回しに思わず苦笑いが出る。
「メンタルが弱くなったというか、ちょっとしたことで不安になったりとかですかね」
「普通の女の子だしね。……男も女も関係ないか、凹む時は凹むし」
「……なんというか、少しわかった気がします」
一人で納得してころんっと寝転がり、自分が良いように僕の脚を移動させ枕にする。
待っても答えず満足そうに目を瞑った。
手癖になった頭を撫でる行為に彼女また頬を緩ませる。
緩んだ頬をぷにっと摘んで引っ張る。
「うっ?」
こんな対応をされると思わず、片目だけでこちらを見つめる。
「気になるんだけど」
「私が先輩をす……、惚れた理由の一端を見た気がしただけです」
「ふーん?」
「私に接してくる男子によらず女子も一つ隔たりがあるんですよ。最初から普通に女の子に接するというより、一部員として接してくれたところですかね」
意味がわからず首を傾げる僕。
そんな僕に夏菜はくすっと微笑む。
「先輩は初対面から図々しい対応でしたから」
「断ってくれてもいいのに」
女子の紅白戦。
当時から彼女は中学一年生ながら既に能力は秀でており、女子バスの中では圧倒的だった。試合にならずハーフタイムに入り監督兼顧問の教師から外されていた。
体育館の出入口。生徒がよく移動に使う渡り廊下に隣接されていない、保護者など外来の人間が使う表玄関の小さな階段に座って涼んでいた彼女に声を掛けた。
彼女の動きに魅了された僕はたまらず一対一の勝負を申し込み惨敗。
予想以上の実力に興奮したのを覚えている。
僕はレギュラーであっても実力は部内でも中の上、上の下といったあたり。夏に試合がありその試合にも負けたこともあって、その時が一番バスケに夢中になっていたと思う。
間違いなく彼女に挑めば、さらに先に行ける。さらに熱中することができると。
嫌そうな顔をしながらもしつこくねだる僕に呆れながらも再戦を受け入れてくれた。
「私を負かして馬鹿にする腹積もりなのかと思ったのは事実ですが、今となっては当時の私に拍手を贈りたいですね」
「そんなつもり一ミリたりとも思ってないけど」
「知ってます。というより思い知らされたって感じですかね。あんな純粋な目を向けられて断るような選択肢を排除されたように思います」
「そんな目してたかな」
「ええ、きらきらでした。年上の先輩ですが、小さな子供の我儘を聞いているような、変な気分だったのを覚えています」
「……う~ん」
子供扱い。
当時の僕の事を考えると確かに精神面はかなり幼かった。
今はどうかというと夏菜に振り回されながらも成長している筈。
「ま、僕にとってもターニングポイントになった夏菜との初対面だったし」
「私と先輩それよりも前に二人で会ってますよ」
「え? いつ?」
「はぁー……、私との出会いを忘れるなんて最低ですね」
「いや、まじでごめん。思い出せない」
「大丈夫ですよ」
「もしかして嘘?」
そんな気配はないが。
「そんな訳ないじゃないですか。にしても、へー……」
僕がそうしたように夏菜も僕の頬を引っ張る。
その眼差しは怒っているふうでもなく、なんだか嬉しそう?
「いいんですよ、私だけ知っていれば。んふっ、今日もまた惚れ直しました」
なんか、納得いかない褒められ方をした。
最後まで夏菜は口を割らず、自分だけの思い出にしたいようだった。




