彼らにとっての日常会話
「恋愛に駆け引きが必要だと思いますか?」
昼休みの屋上。
梅雨が終わっても強くなる日差しと湿り気を帯びた空気に晒されながら昼食を二人で食べる。進級してからは夏菜と僕と二人で食べることが増えていた。
個人的に最近のお気に入りであるきんぴらごぼうを口の中に放り込んで、ささやかな幸せを感じていると彼女がそう聞いてきた。
彼女がこんな質問をしてくるのはいつもの事。僕も逆に彼女に度々こういった質問をすることもあるし、お互い一緒にいるだけで何も話さないことだってある。
「いらないんじゃない?」
駆け引きを楽しむってことも理解は出来る。
競技をやっていた身。出し抜けば今までやってきた練習が身についた証であり、してやったという気持ちが湧き上がり高揚する。
けれど恋愛は敵対するわけじゃない。
他人はどうか知らないが僕には向かない。
口下手というよりは言葉が足りない僕が駆け引きを楽しもうとしたところで、すれ違いや誤解を産みかねない。
「まぁ先輩らしい答えですね」
少し馬鹿にしたような笑みで夏菜は人差し指を僕の頬を拭うようにして、指を自分の口に運んだ。
「ありがと」
「いえ」
狙っているのか天然なのか、指を音を立てて舐めては吸う。
ポテチなんかのお菓子を食べた際にも似たようなことをしているので天然物か。子供っぽい仕草ではあるのだけれど、彼女のような容姿を持つ女性がすると違った意味で見えてしまう。
「ちなみに夏菜の答えは?」
「そうですね。私の人生にはいらなかったでしょうか」
「というと」
「先輩に対して効果がないということですね。一番効果的なのは素直に伝えることでしたから。私も先輩同様に嘘が下手なので」
「僕は結構、手玉にとられてるような気がするんだけれど」
「単純ですからね」
自分も食べている途中なのに、僕のコップの中身が空だと気付くとすぐにおかわりを入れてくれる。悪い気はしないが、完全に尽くされている。
つくづく幸せだと感じる。
「ありがと」
「んふっ」
「どうした?」
「いえ、小さなことなのに何度もお礼を言うんだ、と思いまして」
「変?」
「そんなことないですよ。素敵だと思います」
「う……」
真っ直ぐ見つめられてそんなことを言われると照れてしまう。
「ほら効果的です」
「……そうだね」
一足先に食べ終わり弁当箱を片付ける。
決して照れ隠しではない。
「で、どうして突然そんな質問を」
「男性は会えない時間が燃え上がらせるっていうじゃないですか」
「どうだろ」
「母さんが言っていたし雑誌も似たようなことを書いていたので」
雑誌だけなら信じなかっただろうな。
今回の話のネタは雑誌から引っ張ってきたのか。
「ちなみに女性は離れるとも書かれていましたが」
「気をつけます」
「はい、離れないでくださいね」
「勿論」
「私も離れるつもりもないので覚悟しておいてください」
「うん」
「素直に頷くの凄いですね」
「そう?」
夏菜のバッグに手を伸ばす。
彼女は僕の手を目で追うだけで特段何も言わない。
なぜなら、このバッグの中に飴が入っている。
少し前の話となる。
夏菜と一緒に昼食を摂ることが多くなったと言ったが、僕が食後に自分のポケットから飴を取り出した際にいつ捨てたかわからない包み紙がいくつか出てきたことに起因する。
当然のように怒られて、今では彼女のバッグに飴が常備されるようになった。
包みを捨てる袋と一緒に。
完全に母親と子供のそれ。
そして本人も食後に舐める習慣が出来ていた。
自分の分と夏菜の分を取り出しておく。
「何度も言いましたが、私って見た目以上に重い女の自覚あるので」
「まぁ……確かに?」
一見クールで美人で可愛さを内包している容姿。
クールというよりは眠そうでやる気がなさそうで、ダウナー系ってところだろうか。
喋り方もぽつぽつと雨粒のように話す。彼女の凄いところはかき消されそうな声量にも関わらず、すっと耳に入ってくる声。
「……はい。なので重い言葉を投げかけられても受け止められるので」
「その重さが心地いいんだよ。あぁ、愛されるなって」
「キモいですね」
「ひどいな」
「母さんと自分を比較することがあるんですけれど」
「……否定はしてくれないんだね」
「私のほうが重い自信があります」
いいんだけれどさ。
冬乃さんね。
まぁ確かに春人さんとの冬乃さんの関係は完成しているようにも見えるが、多分天井はないのだろう。
当然比較すると僕らの関係は未完成。
これから。
「僕の軽さといい勝負だね」
「……ふふっ。どんな勝負ですか」
夏菜もようやく食べ終わりお弁当箱を片付ける。
僕が先程まで飲んでいたお茶の半分をあおる。
飴玉の包みを開き口に放り込んだ。
片手を差し出してくるので、包みを手渡すと自分の包み紙と一緒にごみ袋に捨てた。
「春人さんも大概重い人だよなぁ」
「そうですね」
冬乃さんが春人さんにくっついている光景ばかり目立つが、一緒に住むようになってから知ったこともある。定休日なんかがわかりやすく、冬乃さんの昼休みになる時間になるとすぐに自分から連絡を取ったり迎えに行ったりしている。
「束縛する男性と女性ってどう思う?」
「いいんじゃないですか、私は束縛されたいですし」
こんなはっきりと言う子も珍しいだろうな。
「嫌がりそうな人の方が多い気がするんだけれど」
「他所は他所、家は家って言いたいところですが」
指先が唇に触れる。
僕らにとって他愛のない会話だけれど、彼女はそんな言葉にも耳を傾けて真剣に考える。
「束縛されて嫌だってことは遊びたいってことですよね。恋人、夫婦よりも優先順位が高い物があるってことだと思います」
「そうだね。それはなんとなくわかる」
「私と仕事どっちが大事なの?」
「ん? 夏菜」
「……ありがとうございます。いえ、そういうことではなくて、よくある質問じゃないですか」
「実際にしてる人がいるかどうか知らないけれど」
「例えばの話なんで」
一度言葉を区切り、続ける。
間に咳払いをいれている。
「仕事は義務じゃないですか、生きるため必要なこと。同列に語るべきじゃないと思うわけです」
「うん」
「つまりそんなことを聞く時点で恋愛を義務化しているかと。恋愛自体は生きるために必要なことではないので」
「本能的なものではあると思うけど」
「そうですね。でも多様化した現代では一人で生きるという選択肢も増えましたから」
「うん」
「つまり恋愛は本人の中で変わるものだといえます。恋愛の義務、相手を好きという気持ちが薄れ、ただいる人になっている」
「寂しいね」
「人間は慣れる生き物ですから。いくら好きでも、慣れて飽きる」
「恋人の前で言われるとちょっと凹むかも」
想像出来ない話でもない。
マンネリとかもよく言う。
「先輩と私の前では関係ないので気にしないでください」
「そうかな」
「はい。多分、私も理解していないところがあるので想像になりますが、与えられて当然だと思っているから起きる現象ではないでしょうか」
「愛情をってこと」
「愛を無償のものだと思っています。勿論一部金銭目的の例外があると思いますが、そうであって欲しいと無意識に考えている」
「確かに。その方が綺麗だからね」
綺麗だから憧れる。
そんな気持ちもあると思う。
「私は恋愛なんて綺麗な物じゃないと思っているのですが、それでも綺麗なものにしたいと考えています」
「綺麗なものじゃない?」
「だってそうじゃないですか、報われた恋は美しいかもしれませんが、その過程には痛みも寂しさも悲しさだってありますから。私だって散々泣きましたから」
初耳で思わず目を見開いて彼女を見た。
すこし照れたように顔を背ける夏菜の頬に触れる。
柔らかく肌触りもよくて、少し熱い。
「話がずれたのでもとに戻しますが、付き合いたてってどちらも同じかそれ以上に愛情を交換しあっているのだと思います」
「与え合うってことね。それだと確かに無償とは言えない」
「はい。受け取った分だけ相手に渡す。だから繋がれているのだと思います」
頭の中でコップの中に水を流すようなイメージ。
だけれど、これは不自然だと思う。
どこから水が湧いてくるのか。
「愛情はわいてくると言いますから、恋愛にはエネルギーが必要だからそれを消費して作り出しているのかもしれませんね」
「成就した恋愛にはその燃料の消費が低い?」
「そうかもしれません。相手がいることに安心して低燃費に……なるほど」
ふんふんと頷き夏菜はもう一度唇に触れる。
「私も同じ用にコップをイメージしていましたが……。このコップの底には穴があるのかもしれませんね。受け取った愛情が徐々に落ちていきいつかは枯れる。その時は恋愛の終わりかもしれません」
「注がれる愛情が減り、満たされることなくこぼれ落ちて空になる。そんなイメージ?」
「はい。なので破局とか……」
ちらりと僕を見て、言うかどうか悩み口を噤む。
安心させるように触れていた頬を親指だけで撫でた。
「浮気に走る」
「そうです。そのコップが空だから、満たされない愛を他者から貰う。自分で満たせる味は薄く少ない。結局、相手より自分が大好きなんでしょう」
「貰うばかりで与えなかったから、相手だけが満たされないってことでもあるのかな」
「はい。それで話を最初に戻すと束縛というのは貪欲に相手から貰いたい証なのだと思います、他者に流す愛情を自分だけに向けさせる」
束縛も愛情の一つの形。
どう受け取るかは当人同士の問題。
コップに注ぐものは多分愛情だけではなく、きっと自己顕示欲、承認欲求も含まれる。人によっては自己愛なんかもそうだろう。
想像して胸焼けする。
「コップのサイズは様々で大小がある」
「だからこそ束縛する人ほどコップの容量が大きくて、相手以外のところから貰うために遊びにいったり、浮気しやすいのかも……」
夏菜の言葉が止まる。
そしてじわっと涙が溢れ出していた。
「大丈夫?」
「いえ、すみません。いろんなルートで先輩に捨てられる未来が見えました」
「なんでそうなる……」
僕は呆れながらも彼女をなだめる。
普段はだるそうな顔をしていながらも、自分や周りの人のことになると感受性豊かであり想像力が逞しい。
大人びて様々なことが出来るけれど、彼女はまだ子供なんだろう。
そこは僕が導く役目。
「コップと水を器と感情と称すなら、理性と思い遣りなんかは蓋や修理道具なんじゃない?」
「……?」
「人は考え想像する生き物だよ。そのコップに穴があるなら塞げばいいし、蒸発してなくなるなら蓋をすればいい。割れそうなら補強する」
「そう、ですね」
「宝物を仕舞うように大事に大事にすれば、愛情をこぼさないんじゃない?」
「それだと愛情を渡すのに手間ですね」
「だからこそ僕らは面倒なのかもね」
「んふっ。そうですね」
それに多分、夏菜の愛情は濃厚でどろりとしていて流れ零すのが難しいものだろう。
液体というよりは固形に近く、だからこそ重いのかもしれない。
そして僕や春人さんの器は割れない。
僕らにとっての日常会話。
こんな話はあまりしないが、それでもトークテーマ次第ではそうなってしまう。
他愛のないと切り捨てるものですら僕らはしっかりと愛のある会話とする。
時間は限られていて、彼女がいつもの無表情に戻る頃には昼休みが終わりを迎えていた。
カップルの多い屋上。
今日は珍しくシーンっと静まり返っていて、誰もが僕らを見ていた。
なんだろうと疑問に思いながらも屋上を後にした。
そして翌日。
僕が登校してくると司が寄ってくるいつもの光景。
この親友、割りと僕のこと好きなんじゃないかと誤解しそう。
ただしその日は早朝から呆れ顔。
「お前らまたなんか変なことでもしでかしたんか?」
「へ?」
「この学校の空気がいつも以上に甘ったるい」
「そういえば男女で仲睦まじい光景が多かったな」
彼女の腰に手を当てて、窓の外を見つめるカップル。
腕を組んで登校してくる人達。
見つめ合って二人きりの空間が存在していたり。
「関係なくない?」
だとしても恋人同士の問題。
僕らは無関係。
すきなだけ、いちゃつけばいい。
「三年同士のカップルが屋上で会話した内容に感化されてって話なんだけど」
「夏菜二年だし、もっと無関係じゃん」
「いや、特徴も聞かされたんだけどどう考えても市ノ瀬ちゃんだったよ」
「?」
「髪型に胸のサイズ」
「それだけならどこにでもいるだろ」
「まぁ……胸のサイズは結構限られるけどな。んで、タレ目に泣きぼくろ」
「うん、夏菜だね。しかしなんで三年同士なんだろう」
「いや、お前のネクタイしてるだろ市ノ瀬ちゃん」
「……あぁ、納得」
確かに三年の色。
誤解されても仕方ないか。
「流石学校公認のカップルだな」
「その称号生きてたんだ」
暫く聞かなくなって忘れてさえいた。
「進級して同時に死んだけど、お前らのやりとりが目の毒で復活したよ」
「ふん?」
聞けば学食での出来事、屋上、登下校とどこでも一緒にいるカップルがいると。
知らなかった一年にも認識して、羨ましがられたということ。
「しらね……」
僕らは僕ら。
いつまで経ってもそれは変わらない。




