青柿が熟柿弔う
襟首を掴みパタパタと扇ぐ親友。
「あっっつう」
「……お疲れ」
「おう。渉、今日反応鈍いな」
体育祭の練習が授業に追加され本格化。
文化部の多いA、Bクラス。
運動が出来るかどうかという知見は、クラス替えを機に僕と司は鳴りを潜めて隠密することに成功。楽な役回りを勝ち取ることが出来た。
けれど一つ参加することは強制。
去年とくらべて楽なのは間違いないが、気温も湿度も上がりもやっとした空気が肌に張り付く。
それ以上に僕は体力の低下で動くこと自体辛い。
「つかお前なんか痩せた?」
「まぁちょっとね。人間って可能性の獣だったんだなって」
僕は騎馬戦で司も同じく騎馬戦。
チーム決めを行い、同じ赤チームで模擬戦を行っていた。
「空が青いなぁ」
「なぁーに言ってんだか」
「そういえば市ノ瀬ちゃんともすれ違ったけど、彼女も様子が変だったな」
「ん?」
「見た目とか表情は知らんけど、歩き方に違和感があったような。どこか痛みを堪えてるって感じか? お前が一番知ってるだろうけれど」
まぁ、それもその筈である。
一度やると決めたのであれば、とことこんやってしまう僕らの性格は悪い方向に作用し、後半はやけになってしまって痛みとの戦いだった。
身体から出る潤滑油は枯れ人工物に頼り、未開拓な場所にも進出。
とても濃い二日だったと思う。
長く交わりすぎたことで彼女からは僕のニオイが移ったようで、今朝も夏菜からはムスクの香りとは別のものが混じったようなニオイを感じてとってしまう。
換気した部屋も淫靡な匂いが中々抜けていかない。
自分のニオイも嗅いでみる。
うん。
普通に汗臭い。
染み付いた彼女の匂いも取れている。
爛れた休日。
多分次はやらない……、と思う。
何事もやり過ぎは良くないという教訓を得た。
人間は失敗から学ぶ生き物。
けれど予知もできる生き物。
「大丈夫だと思うよ」
「そうか?」
「うん。何かあればすぐ病院に連れて行くし」
グラウンドでは女子たちが騎馬を作りはちまきを奪い合う。
男子とは違い迫力に欠けるものの華がある。時折本気になって体操服を掴まれて、下着なんかを見せることになっている。
よく中止にならないなこの競技。
男子の目が釘付け。
いつの間にか僕もこの光景を見てもなんとも感じなくなっている。
ただ事象として受け入れていた。
「病院で思い出したけど、そろそろなんじゃないの?」
「夏休みには産まれるね」
「今度、夏菜を連れて会いに行っても良い?」
「雅も暇そうにしているから喜ぶよ」
体育の授業が終わっても話は続いて、二人で学食に向かい話の風呂敷を広げる。
窓際の日当たりのいい席。
見通しも良いが出入り口より遠い場所にあるため人が周りおらず、僕らにとっては特等席になっている。
「男の子、女の子?」
「女の子」
「へぇー、名前はもう決めたの?」
「候補は出てるけどまだ決まってないよ」
「美男美女の子だからきっと可愛いんだろうね」
「……どうも」
照れているのか、苦笑いしているのか判断つかない微妙な顔でコツコツと白いテーブルを突く。
会話が途切れたタイミングで出入り口に夏菜の姿が見えて手を振る。彼女も僕らがここに座ることを覚えていて振り返してくれたのだけれど、身長が低いためすぐに姿が通り過ぎる学生達に隠れてしまっていた。
司は夏菜と入れ替わるようにして買った食券を手にカウンターに向かって行った。
授業中に話して思い出したので、隣に座った夏菜に近づいてニオイを嗅いでみる。
人によっては重さを感じる甘い香り、僕の好きな彼女の匂いが復活。
「く、くさいですか?」
自分の手首や腋の辺りに鼻を寄せくんくんとニオイを嗅ぐ。
他人から見ると妙な光景。
見目麗しい少女が自分の腋のニオイを嗅いでいる状態ってなんだろうな。
「大丈夫、夏菜の匂いがする」
「先輩の臭いとれちゃいました?」
「うん、でもその言い方だと僕が臭いみたいだよね」
「実際、変わったニオイではありますよね。甘いようで香ばしくて癖になる匂いというか」
大体こういう話をしていると誰かに突っ込まれるので辺りを確認する。
流石の僕もそろそろ学ぶ。
司はまだ列に並んでいてもう少し掛かりそう。
「学食だからこんな話やめておこうか」
「他人なんて気にしなくてもいいんじゃないですか」
「夏菜の良いところではあるけど、飲食店を目指すんだから客の居心地が良い環境づくりするの大事だってわかるよね」
怒っているわけでもないが、そう受け取られたのかシュンとする。
「誤解がないように言っておくけど、僕も同罪だからね。よく絵梨花ちゃんとかに突っ込まれるからさ」
「……そうですね」
「そんな顔するなって」
言葉通りに受け取り素直に頷く。
けれど曇った顔は晴れない。
頬に手のひらを添える。
「嫌われたのかと」
僕の触れた手に彼女の冷たい手がさらに添えられる。
「僕が夏菜のこと嫌うわけないじゃん」
「本当ですか」
「信じられない?」
「信じていますけど、……その証拠が欲しいです」
すっと目を閉じて顎を自ら上げる。
背中で周りから隠すようにして僕も目を――
「あいてぇっ」
「学校で不純異性交遊すんなって」
脳天に軽い衝撃。
そしておでこ同士がぶつかる。
涙目になった夏菜が司を睨んだ。
注意しておきながらこの結果。
精進が足りない。
夏菜の手のひらで転がされている。
なんてね。今回は少しばかり自分から踊らされることを望んだ。
「山辺さん、邪魔しないで」
「ここがどこか分かって言ってる?」
「学食ですが?」
「渉を騙すように、仕向けただろ」
「騙すとか人聞きの悪い」
「ちょっと怒られたからか同罪になるようにしたのか?」
「素直に言っただけで何一つ嘘言ってませんよ。そうなる可能性もあるとは思っていましたし、そうなるように仕掛けたのは事実ですが」
司は僕の対面に座り直し、未知の生物を見るように夏菜を指差す。
「お前の彼女おっかねーよ」
「別にちゅーぐらいいいじゃないですか」
「言い訳あるかっ、渉もなんか言えよ」
「この学校の校則に不純異性交遊に関する記載ないんだよね」
「は?」
「当たり障りのないことしか書いてないからね校則」
「校則全部覚えてるの?」
「うん」
「はい」
彼は無言になりトレーに乗せられた焼き魚を解す。
ずるずると味噌汁を啜る音まで立てる。
「で、夏菜もう一つ何か企んでたでしょ」
「えぇよくわかりましたね」
それが何なのかまではわからない。
「流石に面倒になって公衆の面前でキスの一つでもすれば、新入生も理解するかなっと」
「そういうことか」
夏菜は嘘をつかない。
企みもするし敢えて話さないという選択を取る時がある。
けれどそれには意味があって、何か企んでいることを知っていても乗っかることにするのが常。
「打ち合わせでもしてんのかよ……」
呆れ混じり。
見ないふりをしていたが、結局気になって口を挟んできた。
「なんもしてない、というか夏菜の即興じゃないの」
「はい」
多分落ち込んでいる時に、反省と同時に考えていたようだ。
人によっては反省の色が見えないとして怒りそうなものだけれど、反省は反省でしっかりとしている。見た目だけじゃ多分そんなことにリソースを割いているなんて他人にはわからないだろう。目の動き、指の動き、普段の癖。いつも彼女を見ている人間しかわからない。
「でも先輩も大概ですよね。人に注意しておきながらキスは受けるなんて」
「下の話は防ぎようがないけど、キスは見なきゃ済む話だから」
「先輩の感性も中々謎ですね」
「俺からするとどっちもどっちだけどな……」
厳しい親友の意見。
人前でのキスなんてなんの珍しくもない。
街を歩けばたまに見かける。
クリスマスのイベントごとが重なれば遭遇する比率もあがる。
暗がりには公然わいせつ罪にもなりそうなのがちらほらと。
雰囲気が恋人たちを盛り上がらせるのだろうけれど、時と場所を選んだ上で日常的に愛情を受け渡ししても問題ないんじゃないかというのが僕の考え。
良くも悪くも僕もまた他人を気にしない性分。
「似たもの同士だよお前ら」
「ありがとうございます。つまりお似合いの二人ってことですね」
「嫌味もきかねーのかよこの子」
春人さんの用意してくれた弁当の包みを開ける。
勿論中身は夏菜と同じ。
こうしてたまに春人さんの気が向いた時に弁当が用意される。
折角の昼食。
話題を切り替える。
夏菜と馬鹿みたいな話も楽しいけれど、この場にはもう一人いる。
「神楽先輩って普段なにやってんの?」
「んー。特になにも、家の手伝いしてるぐらいだなぁ」
「お腹大きくなって動くのも辛いだろうしな」
「普段から労っているつもりだけど、どうしても一緒にいられない時間とかあるし」
「お父さんは大変だね」
「からかうなって……。っていつ会うよ? ちょうど二人いるんだから聞いておこうと思うんだが」
「何の話ですか?」
静かに昼食を摂っていた夏菜だったが、二人という言葉に反応し耳を傾ける。
袖を小さく何度も引っ張られ、耳打ちするように訪ねてきた。
「そろそろ出産だし、今のうちに会っておこうかって話」
「いつでも同じじゃないですか?」
「夏休み中に産まれるらしいんだけど、婚姻祝いしてなかったから。どうせなら神楽先輩がいるときに祝っておきたいじゃん」
夏休み中は産婦人科で入院しているだろう。
僕らは時間的に余裕があるから、もう一度その時には出産祝いとして訪ねたい。
「二人もう籍入れてるんですか」
「うん」
「羨ましいですね」
司は五月で十八歳。それと同時に籍を入れた。
神楽先輩と呼んでいるけれど、山辺雅が今の名前。
「でも私達今月一緒の休みないですよ」
「そうなんだよねー」
あっても定休日。
しかし平日。
司の都合を確認する。
「会う時間ないなぁー」
「出産後でもいいんならこっちから連絡するが?」
「うん、そうするしないね」
色々話し合った結果。
夏休み以降に祝うことになった。
残念だが仕方ない。
少し寂しく思う。
その日の帰り道。
短い時間だけど部活をして、今日も二人同じ歩幅で帰路の着く。
夏菜をバイト先まで送り届けて一人で帰宅。
「ただいま~っと」
靴を揃えて脱ぎ、自分用に充てがわれたスリッパに履き替える。
玄関入って直ぐの二階に繋がる階段を登り、左に回ると彼女の部屋。
向かいは夫婦の寝室。
並んだハンガーの右に着替えた制服を掛けるとすぐに一階に戻り、いつでもすぐに沸かせるようにとお風呂を洗浄。そしてまた部屋に戻る。
スマホの通知に春人さんからのメッセージがポップアップとして表示され、アプリを起動し確認する。
夏菜になにかあったのかと心配になったが、内容は単純に店を閉めたあと冬乃さんと呑みに行くというだけの話。
気分転換ギターケースからレスポールを取り出す。
艶のある黒いボディにずっしとした重さ。
早く大人になりたい焦燥感と子供のままでいたい寂寥感。
最近の言葉は単純で多様性がある。
なんて便利な言葉たち。
でもそんなのは思考放棄。
流行りだけの稚拙な音。
適切な言葉があるのに使わない、考えない。
気持ちが伝わってこない。
使い捨てのような言葉。
拙くても適切な言葉を探して長い羅列になったとしても、その方が気持ちが伝わる。
そして正解した言葉には強さが宿る。
そんな風に僕は思う。
同意は求めない、これは僕だけの正解。
気付くと白い空間に放り出された。
音だけが世界に存在する。
いつの間にか集中していたようだ。
必要ないものを削り、後に残るこの空間。
思考も加速する。
雑念とも言えるような様々な考え、でも僕にとっては大事なこと。
だからこそ、この空間には残る。
削ぐという言葉から更に続けて、もし恋人の時間から不必要なものを削ぎ落としたら何が残るのだろうと考える。
恋とか愛とか。
デートとかセックスとか。
記念日。
あぁ、こんなのは考えるまでもない――。
「あ」
弦が弾けてプツリと切れる。
アンプに刺したヘッドホンから弾けるような雑音。
現実に引き戻される。
「んふっ」
背後からの微笑。
「おかえり」
「はい。ただいま」
部屋には電気の明かり。
僕が付けた覚えはない。
夏菜が帰ってきたということは夜の9時を過ぎている。
弦の交換を後回しにして、正面から夏菜に抱きつく。
「んっ、今日は甘えん坊ですね」
「いや恋人から不必要なものを削ぎ落としたら何が残るんだろうって考えてさ」
「また妙なことを……。それで何が残ったんですか」
「君と僕」
「その心は」
「愛とか恋とか、その他の行為に想いも後から生まれるもんだなって」
「簡単な答えでしたね」
「そうだね。デートも記念日なんかも彩る物で、二人がいなきゃ始まらないよね」
「時間も場所も関係なく、ただ私と先輩が一緒にいないといけないってことですね」
「うん」
夏菜の匂いを嗅いでいると心落ち着く。
ざわついていた想いがうっすらと穏やかに変わっていく。
「今は時と場所が揃ってます」
「ん?」
「……しますか?」
「昨日の今日で無理だよ」
「私もです」
時と場所が揃っても条件が満たされていないというだけ。
削って残ったものは一番大切な物であるが、付加していく物にも決して無駄ではなく大事な物には違いない。
だからこの空想に意味はなく。
ただの思考遊び。
「お風呂入ったらゲームでもしようか」
「いいですよ。負けたほうが黙ってキスを受けるということで」
「罰ゲームにならなくない?」
「えぇ、誰も罰ゲームをするとは言ってないですから」




