春
去年の今頃。
教室を挟んだ扉の向こうに夏菜がいて、僕に悪態をつきながら教室に侵入してくる。
春休みを終え進級。
学年もまた一つ歳をとる。
その放課後、ぼーっとドアを眺めてしまっていた。
一緒に帰宅する予定で彼女を待っている。
3月にはホワイトデーがあったが当日は残念ながら二人ともバイトでお返しに少し変わったメイク道具を贈った。
花束を模したブラシに花瓶のような物に大きめにガラスのケース、固定するためにガラス玉を入れブラシを突き刺すというインテリアとしても使えそうな物。
バレンタインに贈ったバラが枯れ、言わないけれど態度で凹んでいたのは明らか。
たまにこうしてピンと来る贈り物に出会えることもある。
橋田家の兄妹の受験はどちらも落ちることなく受かっていたという夏菜を通して聞いていた。
だから同じ校舎のどこかにあの二人もいるのだろうと思う。
絵梨花ちゃんの容姿も優れているが、夏菜の時ほど話題には上がらなかった。
それでも狭い校舎の中、いずれ会うこともあるだろう。
先に彼女のほうが会っている可能性もある。
話題と言えば。
寧ろこの学校で一番の話題になったのは先月の卒業式。
の後、卒業式には参加せずに人がまばらになったころに、卒業証書などを受け取りにきたお腹の膨らんだ神楽先輩の姿が未だに話題に上がっている。
その場に僕も夏菜もいて、悲鳴にも似た同情と好奇心で満ちた視線に晒されていた。
今年度も同じクラスになった司が質問攻めに合っていた。
夏には一児の父親。同世代の友人が子供を育てる。
なんだか不思議である。
携帯で時間を潰していると新たにクラスメイトとなった人たちの騒ぐ声で、彼女が迎えに来てくれたのだとわかる。
喧騒を物怖じせず軽い足音をたてながら僕の元へ。
荷物を纏めて僕も立ち上がる。
去年と変わっているようで変わっていない不思議な光景。
「すみません、遅れました」
「ん、大丈夫。予想は出来てたから」
「理解のある彼氏で」
「心境は複雑だけれどね」
「だったら直ぐに迎えに着ましたよ」
「モテる彼女がいるってのも鼻が高いけど」
「どうしたらいいんですか私は……」
僕にもわからない。
「ほら、スーパー寄って帰るだろ?」
空いた手を彼女に差し出し、応える彼女の手。
慣れ親しんだひんやりとした手のひらが心地良い。
僕らの関係を知らないクラスメイトの悲鳴を背に学校を後にする。
「また髪伸びたね」
日常とも言える制服姿。
伸びた髪は胸に乗っかっていた。
「切ります?」
「大人っぽくなったし、これはこれで好きかな」
「そうですか」
うん。
冷たく棘のある雰囲気は鳴りを潜め、穏やかな雰囲気になり母親に似てきて色気も出てきている。
大人になりつつあるということだろうか。
一年前とは比べ物にならないほど表情も出てきている。
と、言ってもやはり親しい間柄ではない人からは無愛想に映る程度のもの。
夏菜は毛先を弄り手を離すと唇に触れる。
癖は直らず素直な性格のまま。
切ろうかどうしようか悩んでいるのだろう。
春の日差しに照らされた赤茶色の髪は光り輝き、ムスクの香りが漂う。
彼女の横顔はとても可愛くて見ていて飽きない。
万華鏡のような彼女。
角度を変えれば新たな発見がある。
「そういえば智樹君たちとは会った?」
「いえ」
「そっか」
「今日の相手だと思いました?」
「少しね」
負けを認め、努力に方向性を変えた。
ダリアにも勉強するために寄っていて、夏菜が接客に出ていても目で追うことはしなかったし、僕に敵対するようなこともなかった。
ただ真面目に勉強するだけ。
だからこそ受験も成功したのだろうと思う。
人は日々成長するもので、良い相手に恵まれることを勝手に願う。
「明日弁当作ってって言ったらどうする?」
「いいですよ」
「二つ返事か」
「先輩はもっと我儘いってもいいんですよ」
「言ってるつもりなんだけれど」
「全然です、全然ですよ。私なんか先輩が断らないこと前提で色々話進めちゃいますからね」
「夏菜のお願いだったら、できる限りのことをして全て叶えるつもりだよ」
「甘やかしすぎ」
恋人でもあるが恩人でもある。
この世でたった一人の大事な人。
そして誰よりも負けたくない相手でもあったり。
「人の事言えないくせに」
「そうなんですけどねー……。甘やかさせてくれないというか、一人だけこっそり大人になっているというか、少し寂しいです」
「寂しい?」
「なんか置いていかれてるなーって」
「そんなことないんだけれどね」
「わかってますよ。ちょっとした愚痴です」
「不満があったらいつでもぶつけてくれ」
「んー、嫌われませんか?」
「嫌わないよ。嫌いになりたくないし、嫌われたくないから言ってほしい」
抱え込んで爆発するよりも、全て受け入れてどうするか考えたい。
「先輩こそ、私に不満があったりしたら言ってくださいよ」
「うん」
不満なんてないけどね。
お弁当のおかずもあるので予定より荷物が増えた帰り道。
公園の出入口に差し掛かる、日差しは暖かく風は冷たい。
風にのって桜の花びらがどこらかしこに届けられる光景に足を止めた。
「去年の今頃だよね」
「はい」
「こうなるなんてね」
「私はそうなると信じてましたよ……。ごめんなさい、嘘です。不安もありましたが、こうなるように努力したつもりです」
「成長できたかな」
「そうですね。素敵に成長できたと思いますよ」
握る手がきゅっと強くなる。
言葉で態度で示す。
「私も成長できたでしょうか」
「うん。夏菜は愛情深くなったよね」
「まぁ重いとは思いますが」
「軽い愛情なんてないと思うよ。そんなの最初から好きとか愛してるなんて言わないって思う。それを受け入れる覚悟もないなら、相手のことを理解してないんだよ」
身体を求めるだけの甘い言葉。
軽薄な態度に踊らされるのは、勘違いしたピエロだけ。
良いように踊らされて涙を流す。
真に愛情を持つものは綺麗で強靭な魂を持ち、誰にでも影響を受けることはなく汚されない。
そう僕は思う。
思えるようになった。
「ロマンティスト」
「うるさいな」
「馬鹿にはしてませんよ、素敵だと思います。でも一つだけ違います」
夏菜の唇が僕の口を塞ぐ。
「誰にでも汚されないってことはないです。先輩の影響だけは受けます。貴方の色だけには染まりますよ」
「そっか。そうだね。その通りだ」
※
翌日の朝5時。
日はまだ登っておらず薄暗い。
けたたましいアラームの音にびっくりして目が覚めた。
「う゛ぅ~ぁあ……」
ゾンビのような唸り声が隣から響く。
美少女であり美声の持ち主だが、この時ばかりは否定する。
「大丈夫?」
「んー、あぁ……へいき……」
どうみても平気じゃなさそうだった。
僕の軽いお願いでお弁当を用意してくれるために起きたのだ。
21時前には就寝してこの時間に起床。
ちょっと申し訳なく思う。
「暖かい飲物淹れておくからさ、落ち着いたら降りてきなよ」
「はぁ~い」
ベッドから降りると、僕という支えを失って夏菜はころんっとベッドに倒れる。
そんな姿を見ながらくすりと笑いを漏らし廊下へと出ていく。
春といえど朝と夜は冷える。
フローリングはひんやりとして素脚で触れると身震いがする。
スリッパを履いてリビングへと降りていく。
薬缶に水を入れて火にかけて暖房を抑えめに入れておく。
電気を付けずに薄暗い部屋の中、ガスコンロの青い火と水の揺れる音。
ポコポコとした音が沸騰し激しく音を立て始めると火を止めた。
お店でやるように紅茶を淹れる。
コーヒーほどではないが、紅茶にもカフェインが含まれている。
眠気覚ましにはいいだろう。
爽やかな香りもゾンビみたいになっている彼女には浄化作用があるかもしれない。
蒸している時間に床を引き摺るような足音が聞こえ、彼女がリビングに来たと知れる。
母親とお揃いの柄の妖美なスリップに僕の愛用しているカーディガン姿で目を擦りながらの登場。伸びた髪はサイドに緩く纏め、おさげが肩に乗っかるよう晒している。
新妻みたいな見た目。
「はい。熱いから気をつけて」
「ありがとうございます」
飲むよりも先に香りを楽しむ。
その姿が堂に入っているために今度はどこかの令嬢のようにも見えた。
「ん?」
僕の視線に反応し首を傾げる。
「見惚れてただけだよ」
「なんですかそれ」
照れたようで、身体を捩りながら微笑む。
一口紅茶を飲みテーブルにそっと置いたのを確認して、背後から抱きしめて朝の挨拶を交わした。
通学まであと2時間以上も残っているが寝直すのはもったいなく、時間が経つにつれて上機嫌になり、鼻歌混じりに料理をする夏菜の後ろ姿をずっと見守ることに。
夏菜の調理が一通り終わる頃に顔を洗おうと席を立つと、入れ替わるように春人さんが起床。廊下で挨拶するが、今度は冬乃さんともすれ違うが似たもの親子で顔が死んでいた。
男性陣は朝は比較的強く、女性陣は弱い。
夜はどうだろうか、その日その日主導権の奪い合いのような気がする。
いつもより少しだけ遅い通学。
季節が移ろい、街並みも変わる。
学校へ続く坂道は見事な梅の花に桜の花。
はらはらとピンク色の雪が降っていた。
いつかしか豪華な絨毯となり、僕らの新年度を祝福しているかのようにも見える。
吹き抜ける風は爽やかで新緑の匂いも混じっていた。
適度に乾いていて頬を撫でられては気持ちよくて目を細めてしまう。
この色と香りで新しい季節の訪れを感じる。
「ホームルームが終わったら部室でいいかな」
「はい」
「っていうか僕何も言ってなかったけど、今日一緒でいいよね?」
「私もそのつもりでしたが」
「そっか。それなら良かった」
校舎に入り靴を履き替える。
一階分だけ下がった教室。
踊り場で別れるのは変わりない。
形式だけとして存在しているホームルームが秒で終わり、買ったばかりのアコギの入ったケースを手に部室に向かう。
僕のほうが早いだろうな予想のもと歩いてきたが、予想が外れて夏菜のほうが先に部室に辿りついており、部室の前にちょこんと座っていてた。
遠くからの角度でストッキング越しに白い花柄の刺繍の入った黒の下着が覗けてしまう。
「下着見えてるぞ」
本人は気付いていなかったようですぐに座り方を変えた。
「気を抜いてるわけではないので、先輩に見られるのであれば本望です」
そういう割に顔がこちらを向いていない。
「嘘つき」
「嘘じゃないです。恥ずかしいのは別問題なので」
「その様だね。立ち上がればいいだけなのに」
「……そういうところは変わらず嫌いです」
今は僕だけが持つ部室の鍵を開け扉を開く。
こもった熱が廊下へ脱出して、ぬるい風が頬と首を撫でていく感触が不快。暗い部屋を進み、カーテンを開き窓も半分ほど開けて空気を入れ替える。
先程とは違い気持ちのいい風が部室に吹き込んでくる。
「いい天気だな」
「そうですね」
「帰りたくなってきたな」
「そうですね」
「帰ってピクニックに行くか」
「そそられる提案ですが駄目ですよ」
わりと本気でサボりそう。
それぐらい学校で過ごすにはもったいないほどの雲ひとつない青空。
小高い丘にある学校からは遥か遠くまで見渡せるような景色。
手を置いた隙間から夏菜が下から潜り込むようにしてすっぽりと僕の胸に収まり、程よい暖かさに抱き心地のいい身体。
「いい風……」
甘いような酸っぱいような春の香り。
朝に感じた物とは少し違う、青春とともとれるような匂い。
ひらりはらりと夏菜の頭に桜の花びらが一枚落ちた。
一度窓から離れては簡素なテーブルに置いたばかりのケースを開きアコギを取り出す。
少し堅いペグを回し、一本一本丁寧にチューニング。
本番前の指のストレッチ。
春の歌。
愛と希望より前に響く。
ここだけ捉えたら希望のある曲にも思えるがそうでもない。
春と言えばは出会いと別れの季節でもある。
詳しいことはわからないが、別れた後にそれでも前に進むための曲と僕は考える。
正解は作った本人が知っていること。
でもどう解釈しようが、それは聞いた人間側もまた正解。
時代が変わっても色濃くのこる歌ってのはいつでも季節を感じさせる曲が多いような。
今もなお出続ける曲も僕らの後の世代に刻まれるのだろうか。
「なんか、先輩の卒業前に歌われたら泣いてしまうイメージが沸くんですが」
「感受性豊かだね」
「あと一年……」
夏菜が何か考え込むような仕草をして黙り込む。
結構深く考え込んでいる指先の動き。
見守りつつも春メドレーで指の調子を確かめる。
四季のある日本の独特な哀愁や高揚、悲壮と希望。
美しい言葉たち。
「思ったより悲しい曲多くありませんか? 先輩のチョイスが古いのもあるんでしょうけれど」
「僕の性質だろうな」
どしても暗い物に引き寄せられる。
深淵を覗きたくなる。
そして僕はまだ大丈夫だと感じたいのだと思う。
でもポジティブな曲より確かにネガティブな歌詞が多い気がする。
僕が知っている古い曲から順番に演奏していく。
例えば、なごり雪。
君が去ったホームに残り落ちてはとける雪をみていた。
文学的で好きな歌詞だけれど、想定は3月ぐらいの別れを意味しているような気がする。
春よ、こい。
散々カバーされてきたこの曲もやはりオリジナルの力強さには敵わない。
そして悲しげなメロディーに歌詞。
ぎゅっと心臓を掴まれるような有名な楽曲。
もうかなり昔に感じるが、神楽先輩たち演奏した3月9日も別れをイメージする。
春という言葉以外に、桜。
咲き誇ると同時散りゆく刹那的な美しさ。
様々なアーティストがこのタイトルをつけるが、その曲も桜のように散りゆく。
もちろん期待や願いを込められることもあるが、根本に別れがある。
春は出会いと別れが普遍のイメージ。
「別れを別れのままにするのがいけないんじゃないですか?」
「なんでキレてるんだよ……。僕が作ったわけじゃないぞ」
「それはそうなんですが」
納得いかないとばかりに噛みつかれたが、気持ちはわからなくもない。
それに彼女が言っているのは正論だと思う。
共感を生む楽曲であり、大抵の人たちが経験していることだったり、作詞している本人の経験もあるだろう。
そういえば、春人さんがいつか鼻歌で気分良く歌っていたCHE.R.RYも季節は春か。
しんみりとしたした部室を吹き飛ばす意味で最後に演奏しておいた。
どちらかというと恋の歌だけれど。
「先輩」
「なに?」
「絶対に離れませんから」
「それは僕もだけれど」
「多分、私が言ってることと先輩が考えたことは違いますよ」
「?」
「先輩が卒業してもずっと一緒にいるという意味です」
「それは無理じゃない?」
通う場所が違う。
住む場所も変わってくる。
……。
「本格的に同棲するつもりか」
「ちなみに私には先輩の弱みを握っています」
「……保証人ね」
本来の親に対して頼めない。
しかし親族以外に頼めるものだろうか。
「うちの学校と先輩の大学の間に住居を借りましょう」
「無理しなくても」
「なんとでも言ってください。私は決めました」
開き直った彼女は無敵かもしれない。
彼女の決意に僕は苦笑いで答える。




