今年の終わりに
「夏菜」
「……はい」
いつかの逆転。
僕は正座しろなんて言ってないのにも関わらずベッドの上で綺麗な正座を見せつけられている。
「なんで正座?」
「怒られるんじゃないんですか」
「調子どうかなって確認しに来ただけなんだけれど」
納得したようで姿勢を崩す。
日が高く家具の陰の位置で大体の時間がわかる。
僕も座りこんで日当たりの良い部屋で日差しを吸い込んだ布団に手を触れさせる。
自然な暖かさ。
夏菜は寝起き。
けれどこんな昼過ぎまでぐっすり眠れていたようで、寝癖と乱れたパジャマ以外はさっぱりとした印象だった。
この様子だと熱も引いたようで何よりなのだけれど。
「てっきり首のキスマークのことかと……」
深夜自分がしでかしたこともはっきりと覚えているらしい。
僕も思い出して自分の首筋に手をあてた。
首痛い系男子の出来上がり。
あのポーズって謎だよな。
「風邪もうつされてなかったし良いよ。久しぶりでちょっと嬉しいぐらいだし」
これは本音。
彼女と付き合い始めてから2ヶ月とちょっと。
もうすぐ3ヶ月にもなる。
久しぶりに思える程ずっと一緒にいた認識の証明。
「そうなんですか。こっそりキスしたこともお腹にも跡をつけたのもお咎めなしですか」
パーカーをめくりインナーもめくる。
鳩尾の左下にくっきりと。
ハートマークになっていることから同じ場所に2回もしていることになる。
「いつ?」
「深夜の3時くらいです」
「眠れなかったのか」
「いえ、ちょうど一冊読み終えたところだったのですが、隣で先輩が可愛い寝顔をしていたのものでつい」
「夏菜もお茶目なことするよね」
恥ずかしそうに指輪を弄る。
最初に彼女の感情を理解したのは仕草から、そして顔の微妙な変化に気付いた。
恥ずかしいことだけは耳が大弁に語る。
それに最近は。
「ったく僕が起きている時に可愛いことしてくれたらいいのに」
僕の言葉で目を細める。
表情も出るようになってきた。
彼女も彼女で成長している。
それが嬉しい。
「それだと恥ずかしくて出来ませんよ」
「恥ずかしいこと結構普段からやってるのに」
よくわからない。
両手を広げると小型犬のように飛び込んでくる。
頭を撫でると抱きついてきた腕がぎゅっと力を増した。
これは恥ずかしくないのだろうか。
「そのうちどこが恥ずかしくてそうじゃないのか試すかな」
「心の声漏れてますよ」
「……えへ」
「あと、どこがって言い方が卑猥です」
「確かに。でも夏菜も卑猥じゃん」
「え? 私、卑猥ですか」
顔は見えないが驚愕したようでわずかに声色が高い。
「自覚なかったのか」
「んー、ちょっと不服です。私がしたいのは愛情表現であって淫行ではありませんから。行為そのものが主目的ではないです」
「ずっとえっちな子だと思ってた」
直接的な文言が多かったからそんなイメージがついてしまったのかもしれなけど。
「誤解……ではありませんが、そこまでじゃないと思いますよ」
僕から離れると乱れた服を正し、手櫛で髪を整える。
「私も若い女の子ですから感情の起伏や周期によってはそんな気分になったりすることはありますが、何が何でもとは思ってませんから」
「それじゃしなくてもいいんだ」
「それとこれとは話が別です」
握った拳が軽い音をたてて僕の胸に何度も当てる。
「両親に性教育受けてますから、私にとって、す……恋人とするのに抵抗がないだけですかね。両親があんな感じなので」
「……凄いな」
こういう家庭も珍しい。
学校で学ぶことがなかったし、家庭が教えなければならないのかも知れない。
日本の環境だと性は黙秘されがち。
開放的にしろってことではなく、見識は深めるべきだ。
「前にも言いましたけれど先輩が悪いんですからね」
「ホテルの時は悪かったよ」
「それだけじゃないです。タイツを破かれた日も大変だったんですから。あんな風に触れられただけで変な気分になるなんで自分でも驚きですよ」
「ちょっと濡れてたしね」
汗ではない何か。
「うっ……、それは忘れてくれていいです」
からかってみると熟れたトマトようになり身体ごと背ける。ただ反撃を用意したようで、慎重に寝転び頭を僕の膝に預ける。
せっかく手ぐしで整えたのに僕の膝で髪が広がる。
「二人きりですよ? 少し前に言いましたよね」
それに対しての解答も僕は用意している。
二人が出かけた時にこうなることは予想出来ていた。
彼女は僕が言った言葉を忘れない。
「病み上がりだろ? 完全に治してからな」
「しょうがない人ですね」
「なんで僕が駄々っ子みたいな態度とられるのさ」
「しょうもない人ですね」
「それは悪口だろ」
「冗談」
僕の返しは彼女にとっても予想範疇だったらしい。
「言ったことは責任持つから。元気になったらな」
「……はい」
額に手を当てて熱を計る。
平熱かな。
大したことのない風邪で良かった。
「本当に大丈夫そ?」
「はい。いつもより気分いいくらいです」
顔色も良い。
綺麗な白い肌だからこそ風邪になった時は血色悪いのがすぐにわかる。
「おっけ。でも無理したらだめだからな」
不器用ながらも彼女の髪を整える。
「出来る限りのことはやっておくから、たまには頼れるところ見せないとね」
「そう言われると従うしかないですね」
少し遅い昼食を作りに一階に降りる。
まだ寒いリビングで夏菜は暖まるまで部屋に待機してもらうことにした。
ただ昨日よりは器具や調味料の場所は把握出来ているものの、未だに探すのに手間取る。
フライパンひとつで何種類あるのかわからないし、鉄のフライパンもサイズに吊るされて保管されている。幸い今回は使わない。
夏菜が眠っている時に買い出しにで作るものは決めていた。
風邪の治りかけに良いとされるレシピを春人さんに聞いてその通りに購入。
作り方もしっかりメッセージに記されている。
鶏肉とキャベツのトマト煮込み。
なんとか時間は掛かったものの満足したものが出来上がる。
ちょっと見た目は宜しくないものの、味はレシピ通りに作ったので大丈夫。
すぐに夏菜を呼びに部屋に戻るが。
「ごめん。着替え中だった?」
濡れた髪にバスタオル一枚を身体に巻いている。
ちょうどお風呂から出てきたところだったようだ。
下着がいくつかベッドの上に並び、布で出来た虹が存在している。
「あれ、俺沸かしてたっけ」
「いえ自分で」
「全然気付かなかったや」
「その……ちょっとだけ、部屋から出ていってもらってもいいですか。あと、少しは驚くとかしたらどうなんですか」
そんなこと言われても。
これでも一応見ないようにはしている。
「ごめんごめん。リビングで待ってるね」
「はい」
僕もご飯食べてから入ろっかな。
今日は年越し。
あとはゆっくり迎えるだけだ。
5分、10分と過ぎて夏菜がようよくリビング現れる。
「あの……。どうですか?」
「恥ずかしがってるのがポイント高いね。って、痛い」
結構腰の入った良いパンチ。
「馬鹿言ってないでちゃんと自分の彼女を褒めたらどうですか」
「正直に言うと夏菜を褒める言葉が見つからないんだよ。大げさに言うと嘘っぽいし、可愛いとか綺麗だとかだと足りない」
無言で今度は猫パンチが飛んでくる。
今日は暴力的だな。
「なんでだよ」
「……ずるいからです」
「でもなんて言ったらいいんだろうね」
改めて夏菜の全身を見つめる。
試着の時にも思ったけれど、元の容姿が良いというのもあってかなり似合う。
身長も高くないからかいつもの服装よりは幼く見える。
けれど憂いを帯びたような表情に泣きぼくろという特徴から大人びても見える。
だからといって中途半端というわけでもなく、専属のモデル顔負けの可愛さだ。
「食べよっか」
考えるのをやめた。
「褒めてくれるんじゃなかったんですか」
「いくら綺麗な言葉を並べても、夏菜は表せないわ」
結局最初に言った言葉に戻る。
「いいんですよ。一言可愛いだけでも」
「……可愛い」
「はい。ありがとうございます」
夏菜もテーブルに着いたので、彼女の前に料理を並べる。
トマトの酸味とスパイスの食欲を誘う香り。
付け合せのサラダはただ切って茹でただけ。
「あのー、先輩」
夏菜が僕の料理を見て困惑していた。
出来栄えは悪くない。
寧ろ彼女の師でもある春人さんのレシピ。
味も悪くないと思う。
「何か嫌いなものでも入ってた?」
苦い物と甘すぎる物は苦手なのは知っている。
もしかしたら僕の知らない夏菜の嫌いな物があるのかもしれない。
「いえ、私ではなく。先輩トマト嫌いですよね」
「……うん。どうしよう」
「なんで気付かなかったんですか」
「夏菜のことで頭がいっぱいだった」
一つのことに集中すれば他のことが抜ける。
まさか自分のことまで忘れるとか。
「先輩は本当に馬鹿ですね」
やさしい笑顔が痛い……。
普通に罵って欲しい。
「まぁ僕ももう高校生だしきっと食べれる」
「そうだといいですね」
手を合わせていただきますをしたあとスプーンで掬う。
赤いスープ。
辛味ではなく酸味の匂い。
意を決して口に。
「あぁあぁぁぁ」
鼻から抜けていくツーンとしたトマトの臭い。
ぐじゅぐじゅの食感はトマトが完全に溶けていることでないのが唯一の救い。
でもトマトの味。
顔が歪む。
「……っ。……っ、うっくっくっくくふふ」
夏菜が背を向けて全身が小刻みに震えている。
聞いたこともない笑い声。
「だ、だめ。その顔……、情けない声。ひどいっ。ごめん、なさい。ツボに入りました」
「そんなに酷い顔になってたのか」
「は、はい。お腹がいた、い」
「……」
まぁ、失敗はあったけど。
夏菜がこんなに表に出すほど笑えたのなら、良かったのかな? 病み上がりの彼女には悪いけれど得した気分。
「く、うふふっ」
そこまで笑わなくてもいいんじゃないかな。
※
「かえしは作ってありますし、だし昆布も水につけて保管してますので」
昼食を食べ終われば、少しの休憩のあと夕食の準備が始まる。
僕の昼食はレトルトカレーになった。
ちょっと物足りないけれど自分が悪い。
専業主夫は無理だな。
毎日毎日手の込んだ料理なんて無理だ。
この家が特殊か。
出汁も出来合いでいいしな。
市ノ瀬家には改めて感謝を。
「おっけー。で、どうすればいいの?」
「出し昆布の入っている鍋を沸騰寸前になったら昆布を出してください」
テーブルで紅茶を飲みながら指示する夏菜の言う通りに動く。
昆布を取り出して弱火にしてから鰹節を入れる。
30分から40分ほど煮出す。
「こし布は私が出しておきますので、他の部分もお願いしますね」
夏菜が隣にきてシンクの下にある開きからこし布などを取り出していく。
しゃがんだ拍子に胸元が緩み、桃色の半円とその先端の突起が見えてしまう。僕が選んだ彼女の服装。レイヤード風の肩出しニット。
そのレイヤード風とたる部分がレースの生地で透けて見える。
男性の性というか、目が吸い寄せられてしまう。
「どうしました?」
「みえ……、いやなんでも」
「?」
「あー……、うん。見えてる」
僕の視線を辿り察する。
小さく呻きながらも胸元を押さえた。
「急いで着替えてしまったので付け忘れてました」
「そんなことある?」
「うるさいです。あったんですから、あるんです」
これ以上なにか言おうものなら手が飛んできそうなので、大人しく長ネギにかまぼこを手に取り、まな板の傍に並べた。
「先輩は揚げ物をしてことありましたっけ?」
「ないね」
油を大量に使うから面倒くさいのと使い終わった後の油の処理の仕方がわからない。
「少し質素ですが……」
僕を見ると夏菜はそっぽを向いて口元を押さえる。
小さく震えているところから思い出し笑いをしているようだ。
「私には先輩が作った昼食の残りも食べないといけないのでね」
「悪かったって」
「ちょっとした仕返しです」
小松菜を茹でながら長ネギを小口切りに、かまぼこを大体5ミリ程度とのオーダー。
「定規ある?」
「感覚でいいですよ」
「どんなもん」
首を捻っていると、苦笑い気味の夏菜から助け舟が。
「私たちの指輪より少し大きいぐらいで」
「ありがとう、わかりやすい」
茹で上がった小松菜は食べやすい長さ。
「これだけだと寂しいので、てんかすも出しておきますね」
「うん」
「あと煮立つのを持つだけですね。味の調整は私がしますのでしばらくゆっくりしててください」
タイマーをセットして二人でこたつで休む。
「詰めてください」
「ん」
正方形のコタツ。
下半身を入れるスペースはいくつもあるが、春人さんと冬乃さんも二人で狭いスペースを共有しているのでそれが当たり前になり、違和感がなくなっていた。
「寝るなよ」
「先輩じゃないんですから」
「そんなこと言うなら本当に寝るよ」
「頼もしいところ見せてくれるんじゃなかったんですか」
「……そうでした」
なんの言い返しも出来ない。
ここで寝てしまえばだらしない姿を。
セットしたタイマーが鳴り響く。
こたつから出なければならない。
夏菜の家で初めて使ったけれど、これは人を駄目にする道具だ。
心地の良い暖かさ。
後ろ髪をひかれる思いで抜け出す。
暖房が効いているのにもかかわらず、フローリングは冷たい。
もこもこスリッパに足を通せば暖かくはなるんだけれど、やはりこたつを味わうと物足りない。
出汁と夏菜が作っておいてくれたかえしを混ぜる。
これでスープは完成。
味は夏菜が調整してくれる。
「先輩」
「ん」
夏菜の濡れた小指が僕の口に。
調整したスープの味見。
「どうですか」
「あっさりして美味しい」
「後は麺を茹でるだけですね」
今後も夏菜と料理するのも楽しいかもな。
知れないことが知れるというのは僕の性に合っている。
「麺は普通に茹でるだけでいいの?」
「少し固めに茹でて冷水にさらしてください」
「市販の麺だから茹でてそのままかと思ってた」
とりあえず言われた通りに。
ただの水道水なのにこの時期に流れてくる水は指先が痛くなるほど冷たい。
「ふふっ」
「ん?」
「険しい表情してますよ」
「しょうがないだろ冷たすぎるって。小学校の頃、プールに入る前のあのシャワートンネル抜ける時の気分だよ」
「あぁ、ありましたね。私もあれは苦手でした。心臓が止まるかと思いますよね」
「そうそう」
ま、数回しか入ったことないんだけれど。
小学校からほぼプールの授業は逃げて、中学では一回も受けてない。
おかげで夏の体育の成績だけは1。
「金槌ですもんね」
「夏菜は泳ぐのも得意?」
今年の夏。
海に行ってまで砂遊びを興じた。
改めて思い出すと僕ら二人はなにやってるんだろうって……。でも、あれはあれで楽しかったんだけれど。
「はい。結構得意ですよ」
「浮きそうだもんな」
「胸は関係ないですからね」
「そうなのか」
関係あったら男子は漏れなく全員金槌。
しょうもないことを考えながらも水気を切り、麺をどんぶりに移す。
そして出来たばかりのスープを掛け、具材を乗せる。
「完成ですね」
「出来合いのものじゃないからか、完成するとちょっとうれしいね」
「はい」
「なるほど、それで美味しいとか言われると感動も一入だね」
「はいっ」
二つの返事。
後半になるにつれて語尾が強い。
「年越しそばって厄災を断ち切るみたいな意味だっけ」
あと健康長寿。
おせちの中身も全て語呂合わせ的な意味合いを含んでいた覚えがある。
「色々意味はあるみたいですね」
「面白いよね」
「末永くお側にって意味が私は好きですね」
「へぇ……」
「あ、照れましたね」
真顔で言われるとちょっとね。
本気でそう思っているのが感じ取れるから、鼓動が早くなり顔が熱い。
「話はちょっと変わるけれど、来年の夏は二人で一緒に海に行こうか」
「泳げないのに?」
「いいじゃん、泳げなくても夏菜と二人で行きたいなって」
「……はい」
今度は彼女が羞恥に包まれる。
何故だかはわからない。
「まずは春になったら花見?」
「お弁当作ります」
「あぁ、それよりも初詣だね」
「そうですね」
「年越したらすぐに寝て体調整えようか」
「はい」
すぐ先の話から未来の話。
そんなことで盛り上がっているとすぐに時計の針は真上を向こうとしていた。
決別という選択をしたのだが、終わりよければすべて良し。
そう思えるんだから今はきっと幸せなんだろうね。
テレビからカウントダウンが始まる。
1から0へのタイミングでお互いに顔を見合わせる。
「今年もよろしく」
「はい。お願いします」




