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微熱

「夏菜はどう?」



 翌日の少し遅い朝。

 もう昼と言ったほうがいいかもしれない時間帯。

 12月30日。


 今年も本当に残り僅か。

 彼女の両親は帰省ための準備を行っていた。

 午後には家を出る予定だったのだ。


 早朝に食事の準備をするために起き上がろうとした夏菜がふらつき慌てて抱きとめると、昨日のくしゃみから心配はしていたものの風邪を引いてしまった。

 すぐに熱を計りかぜ薬を飲ませると、彼女が寝付くまで見守った。

 元の体温が低いこともあり37度を越えただけでもとてもつらそうだった。

 ようやく落ち着いた頃に僕も眠ってしまい、起きてから遅めの朝食を摂っている所にリビングで荷物を纏めている冬乃さんに声を掛けられたのだ。



「かぜ薬飲んでぐっすり寝てますよ。高い熱ではないのですぐに治ると思いますが」

「渉くんが居てくれてよかったわ」

「僕のせいで風邪を引いたようなもんですけどね」

「あの子がしたいことをしてその結果なんだから責任を持つのはあの子であり、それを認めた私たちだから」

「はい」



 荷物を一旦纏めると冬乃さんは立ち上がり、食後の暖かい紅茶を淹れてくれる。

 ベルガモットの爽やかな香りが部屋中に行き渡る。

 香りだけでアールグレイだとわかる。



「でもあの子の責任は渉くんも半分背負う必要があるから」

「その通りですね」



 夫婦ではなくても恋人であれば彼女の行動も僕の責任だと思う。



「というわけだからあの子の看病よろしくね」

「勿論です」

「渉くんがいるから今年は二人だけで行ってくるのも平気よね」

「はい」

「2日の昼には戻ってくるから」



 僕の頭を軽く優しく撫でる。

 彼女に似て冷たい手。

 でも一際大きく感じられた。

 親の暖かさような。



「あと早いけどお年玉と、3日間の食費ね」



 二つのポチ袋とお札。

 二つあるということは片方は考えなくてもわかる。



「食費はわかりますが」

「自分たちの子供にはあげるものでしょ」

「普段からお世話になってますし」



 生活費も払わなくていいとさえ言われている。その代わりに家事の手伝いを任されている。

 夏菜が幸せそうなら、それだで良いと言ってくれていた。



「そう言う子にはお仕置きするからね」

「いや」

「次、断ったらお尻だしてもらってひっぱ叩くから」



 それは流石に。

 この歳にもなってその罰は恥ずかしすぎる。



「ではお言葉に甘えて」

「夏菜が言ってたように頑固ね。春人くんに少し似てて笑っちゃう。知らない間に私産んだのかしら」

「それだと僕と夏菜は交際出来ませんが」

「あ、確かに。じゃあうちの子じゃないわ」



 極端な物言いに笑ってしまう。

 冬乃さんの雰囲気からか何を言っていても優しさに満ちている。

 表情豊かで柔らかく、纏う雰囲気が穏やか。

 不思議な人。

 親子なのに雰囲気だけは夏菜と真逆、でも性格の良さは瓜二つ。


 その後も暫く冬乃さんとの会話を楽しんだ。

 春人さんが自分の車に荷物を積み込み、彼女を呼ぶと会話は終わってしまう。

 


「じゃあ渉、夏菜のこと頼むな」

「はい」



 冬乃さんがそうしたように春人さんは肩を軽く叩いてから玄関から姿を消した。

 二人に絆されてしまったのか人に優しくしたい気持ちになる。

 この家で過ごすなら僕ももっと成長出来る気がした。


 二人が出掛けるのを見送ったあとすぐに夏菜の部屋に。

 僕が扉を開けるとちょうど目を覚ましたようでベッドから起き上がろうとする彼女を制する。



「起こしちゃったか」

「いえ、外から車の音が聞こえたので」

「ゆっくりしてな。家事とか僕が全部やっておくから」

「すみません」

「……それは」



 僕のせい。

 と言おうとしたが開きかけた口を閉じた。



「風邪が治るまで甘えてくれ。僕は夏菜のようになんでも出来るわけじゃないけど、そこそこ出来ると思うから」

「はい。甘えさせてください」

「何かして欲しいことある?」

「今は特にないです……。傍に居てくれたらそれで」

「うん。一緒にいるよ」



 額に貼り付けているシート越しに触れても熱い。

 効果時間は持続しているけれど、シートを張り替えてあげる。

 ひんやりとした感触に目を細める。

 火照った顔に潤んだ瞳。

 風邪じゃなければ押し倒してしまいそうになる。



「もうすぐお昼だけど何か食べられそうか」

「食欲ないです」

「ヨーグルトとかプリンなら食べらそう?」

「んー、少しなら」

「おっけ。持ってくるよ」



 準備しようと立ち上がるが袖を握られる。



「傍にいるって言ってたじゃないですか」

「すぐ戻ってくるから」

「だめです。甘えさせてくれるんですよね」

「わかったわかった」



 ベッドの縁に座り直して彼女の手を握る。

 無駄な会話をしても辛いだけだろうから、ただただ静かに一緒にいるだけ。



「あらら」



 どのくらい経ったかわからないが、静かな部屋に彼女の呼吸。

 先程までは仰向けに眠っていたのに横になって丸まっている。

 それでも手を離さず強く握ったまま。



「これじゃ下にもいけないな」



 片手でスマホを取り出して読書アプリを開いて時間を潰すことにした。

 小説を一冊読み終わる頃。

 急に片手が持ち上げられて驚く。



「何読んでるんですか?」



 背中と肩にも彼女の重みを感じる。

 少し開いたカーテンの窓。

 反射して彼女が横向きにしなだれ掛かるように僕に身を預けている姿が映る。



「少し前に図書室でおすすめされていた小説かな。文庫版が出たから図書室に置かれたんだろうけど、なんとなく思い出してね」

「面白かったですか?」

「映画になるみたいだから、放映されたら一緒に見に行こうか」

「じゃあ面白かったんですね」

「うん」



 電源を落として小さな白いローテーブルにスマホを置く。

 彼女も起きたことだし、自分と彼女の分の昼食を作ろうと立ち上がる。



「寝る前は食欲なかったみたいだけど今はどう」

「あんまりですね」

「消化に良いものなら食べれそう?」

「少しなら」

「それじゃ少し待ってて」

「すぐに戻ってきてくださいね」



 風邪を引くと心が弱くなる。

 寂しいのか、そう言いながらも袖を離さない。



「僕の手料理を夏菜が食べるのは初めてじゃないか?」



 と言っても消化に良いものだから手料理というのは違うかもしれない。

 うどんかおかゆぐらいの選択肢しかぼくにはない。

 一緒に住むのだから冷蔵庫も自由に使ってくれて構わないと言われている、覗いてから何を作るか決めるのだけれど。



「……ん。そう言われればそうですね」

「夏菜に怒られてからはちゃんと作り置きしないでやってるから、春人さんや夏菜に比べたら味は落ちるけど心配しなくてもいいよ」

「はい」



 それでようやく手を離してくれたので市ノ瀬家のキッチンに立つ。

 コーヒーや紅茶を淹れるために入ることはあるけれど食事を作るために足を踏み入れるのは初めてだ。

 流石というべきか料理好きが二人いるキッチン。

 何に使うのかわからない機材やみたことのない調理器具が並んでいる。


 冷蔵庫も大きいし食材も豊富。

 ご飯は出掛ける前の春人さんが多めに炊いてくれいたのでありがたく使わせてもらう。

 無難におかゆにしよう。

 変にアレンジする度胸はない。


 使い勝手のわからないキッチンで四苦八苦しながら調味料やら食材を探す。

 鶏ガラスープの素が見つからず、一から出汁を取っている可能性もあって本当に困る。



「コンソメだったり鶏ガラの素は右の引き出しに入ってます」

「あぁそう? ありがとう……。なんで起きてきてるのさ」

「汗かいてたので身体を拭くついでに」



 着替えもしていたようで、色違いのパジャマの上からカーディガン。

 髪も整われている。



「心配して来たのかと思ったよ」

「いえせっかくなので先輩が料理している姿みたいなって」

「作ったらすぐ戻るからな」

「大丈夫ですよ。そんな重たい風邪でもないですから」



 鶏ガラスープの素に卵、生姜に長ネギ。

 こんなもんだろう。

 一人用の鍋に水とスープの素を入れて沸騰させる。その間に卵を割って溶く。

 土鍋だからか沸騰するのに時間が掛かるので生姜を擦り下ろし、長ネギもみじん切りに。



「何?」



 こちらをじっと見つめてくる彼女が気になって声を掛けた。


「いえ、本当に料理してるなって」

「どういう意味だよ……」

「先輩ずぼらなのに丁寧」

「人に食べさせる物だし、ちょっとはね」



 分量なんか彼女たちのように目分量で測れるほど料理が上手いわけじゃないから、しっかりと調理器具を頼る。

 たまに自分でお菓子を作ったりする時もあるけれどやっぱり計測は大事だと思う。

 一度感覚で適当な分量を入れたつもりで出来上りが酷いことになった。



「先輩はスイーツとか作りますよね」

「知ってたの?」

「そりゃ先輩の家でずっとキッチンに立っていたの私ですよ。何を使ったのかわかりますって」

「それもそうか」



 ちゃんと片付けているけれど消えた食材は明らか。



「私は結構大雑把なのでお菓子作りは苦手なんですよね」

「え」



 少し意外。

 あれほど料理出来るのだからお菓子作りも簡単にこなせると思っていた。



「お菓子作りは分量をしっかりしないといけないものですから先輩向きですよ」

「へぇー。……っと」



 話しているうちに鍋の水が沸騰し始める。

 ご飯を入れて少し煮込み、生姜とネギを加える。

 スプーンで一口食べてみて、あとは塩で味を整えるだけ。

 これ、料理か?


 あとは自分用にカップ麺を……睨まれたので大人しく棚に戻す。

 手元に夏菜のレシピがないので簡単に自分で作れる料理。

 ちょうど擦り下ろした生姜が残っていたので生姜焼きを作る。

 本当に冷蔵庫の中にある食材は豊富。これで一週間で使い切るのだから凄い。むしろ足りなくなって夏菜と買い出しに出掛けている。



「じゃあ二階に戻るぞ」

「はーい。私が扉開けますね」



 部屋に戻りトレイに乗っけたまま料理を置いた。

 汗をかいたと言っていたのでお茶とスポーツドリンクの二つを用意。

 勿論薬と水も準備してある。



「あ、普通に美味しい」

「料理って程じゃないからな、これ」

「しっかり料理ですよ。先輩の優しさが詰まってます」

「……はっず」

「……素直な感想ですよ。しっかり先輩に毒されてますね、私」

「それは知らない」



 食欲がないと言っていたが、米一粒も残さず綺麗に平らげる。



「ごちそうさまでした」

「お粗末」



 水と薬を彼女に手渡す。

 彼女の素直に受け取るとが片方の手が唇に触れている。



「どうした?」

「いえ、先輩も風邪ひきません?」

「なんでだよ」

「以前、先輩が倒れた時はほぼほぼ記憶にない状態だったじゃないですか」

「そうだね」



 意識が朦朧になった。

 産まれて初めてってわけではないが、介抱されたのは初めてだったが。

 記憶にあまり残っていない。

 彼女に母性を感じたことだけははっきりと覚えている。



「そういうわけでリベンジしたいなって」

「馬鹿言うなよ」

「先輩に介抱されるのは負けた気がしてきて、お粥も美味しかったですし」

「アホ言ってないで薬飲んで寝ろって」

「そんなこと言わずに」



 デコピンを喰らわせ、彼女が小さな悲鳴を上げる。



「初詣行くつもりないのか?」

「行きます」

「じゃあ寝ような」

「はーい」



 子供のような返事を聞かせながら、手や膝を地面につかせてのそのそとベッドに戻っていく。

 お尻がこちらを向いていて、薄目の寝巻き。下着のラインがくっきりと浮かんでいる。



「どうしたんですか顔が赤いですよ。本当に風邪移りました?」

「いや、下着のラインが浮かんでたから」

「素直過ぎですよ。見られてもいい……。今日はだめなやつでした」

「なんで」

「色気がない地味なやつなので」

「夏菜も素直だな」

「お互いに似たもの同士ということで水に流しませんか」

「うん」



 互いに苦笑いを浮かべる。

 気まずい雰囲気にならないのは彼女の関係値故か。

 馬鹿みたいに話せる相手。


 看病をしながら丸一日が過ぎた。

 夜も料理を作り、お湯で濡らしたタオルで彼女の汗を拭き。

 額のシートをまた取り替え、ようやくベッドで落ち着ける。

 看病も結構大変なのだと理解して、以前の彼女に対して頭が下がる。



「少し元気なってきたか」



 部屋の照明を消す前に熱を計らせる。



「顔色もいいし」

「はい熱も下がってきました」

「でも明日もゆっくりしなよ」

「はい」

「それじゃ寝ようか」

「私はずっと眠っていたので眠れそうにないですけれど。邪魔にならないようにスマホで読書しますね」

「うん。おやすみ」

「……おやすみなさい」



 一瞬彼女の顔が悪戯を思いついたような表情をしていた。



「起きてるからって悪戯するなよ」

「……しませんよ」



 翌日。

 起きて顔を洗う時に首元にしっかりと痣のようなものが残っていた。

 ……やりやがったな。

 本当に風邪を感染そうとしてきたわけではあるまいな。

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