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優しい両手

 父親との通話を終える。

 ズボンのポケットにスマホを納めるものの、スマホが鉛のように重く感じる。

 二人きりで話しがしたいと言われた時からそんな予感はしていた。

 父の言葉の端々に希望が溢れ出ていた。


 トイレへと繋がる小さな通路で深呼吸を一つ、二つ、三つ。

 肺からどろどろと沈殿していた負を吐き出すように。

 精神的なものなのか先程よりも照明が暗く感じる。

 もう一度呼吸を整える。



「よし」



 通話をするために夏菜と離れた場所へと戻ってくる。

 彼女の傍に見覚えるのある陰、智樹君が傍に立って彼女と話しているようだった。

 スマホを眺めながら彼女はぼんやりとしている。

 智樹君との会話よりもそちらに注視しているのが、少し遠くからでもわかる。

 ちょっと不憫だなって智樹君視点。

 しばらく話していると妹の絵梨花ちゃんも合流してため息混じりに戻っていたけれど。

 そして二人きりに戻ると夏菜はいきなり謝罪をしてきた。



「すみません、先輩」

「どうした?」

「先輩は私が男子と二人でいるの嫌かなって」

「今のは偶然だってわかるから良いよ」



 午前中に話したばかりのこと。

 律儀なところに僕は笑う。

 嫌だと思う僕は確かにいるが、それは時と場合と人による。

 避けられない時だってあるのはわかっているし、今の僕は夏菜に対して信頼が厚い。身内よりも信用していると言っても過言ではない。



「それにしても友達の弟ってどう接するのが正解なんですかね」

「ただの弟なら問題ないんだろうけれど」



 誰が見てもはっきりと智樹君は夏菜に惚れている。

 先程もそわそわとしているのが見て取れた。



「はい。ですから面倒なんですよねぇ……」



 夏菜はため息をつく。

 本当にうんざりしているように疲れて見えた。



「んー。僕から言っておこうか? 僕の彼女に近づくのやめてくれないって」

「……」



 口が半開きのまま僕の袖を引っ張る。



「もう一度言ってくれませんか」

「智樹くんに僕から言っておこうか?」

「その後ですよ。絶対わざとですよね」

「まぁーね」



 肩を力強く殴られた。



「で、実際どうする?」

「妹さんと約束してましたよね」

「彼女の友達の妹の約束と彼女のためと思うことなら迷わず彼女を取るよ僕は」



 誰だってそうだろ。

 天秤で測る必要もない。

 生きるためにご飯を食べるレベルの当然のこと。



「先輩の気持ちは嬉しいですが今のところ問題ないので、先輩は自分自身のこと考えてほしい」

「そうなんだけどね」



 気分を入れ替えたつもりでも、考えるだけで鬱々とした気持ちが湧き上がる。

 眼の前には彼女がいる。

 今は夏菜のことを考えよう。

 夏菜はそう言っていたが智樹君の受験が終わったら僕からさっさと言ってしまおう。

 そうでなくとも何かあればすぐに。



「それで先輩」



 心配するよな。

 立場が逆なら僕もそうなるだろうし。



「電話のことでしょ」



 荷物を持ったまま話すことではないとして、しめ縄や鏡餅と行った正月用の飾り付けを購入しモールを出た。

 帰りの道中にカフェに寄って話そうと決める。

 春人さんのカフェような落ちつた雰囲気の店ではなく、明るい照明と色使いでポップな印象があって嫌いじゃない。

 だけど長いこと通っていたせいか僕はダリアのほうが好きだ。


 椅子に腰掛けて、夏菜にも見えやすいようにメニューを開く。

 僕はオリジナルブレンドコーヒーとチーズタルトを選び、夏菜は紅茶がなくて迷った末にソフトドリンクを注文していた。



「明日家に戻って話しを聞くって感じ」



 暗い感じでもなく明るい声色だった。

 憑き物が落ちたような。

 逆にこっちは不安に駆られる。



「一緒に住むんじゃないかな」



 聞いたとたん夏菜は音を立てながら立ち上がる。

 ただ珍しく周りの目を気にしたようですぐに座った。



「すみません」

「びっくりしたけど大丈夫」



 座りながらも彼女の表情は険しく、指先がこめかみに触れている。



「まだ決まったわけじゃないからね」

「それはそうなんですが。先輩のお父さんならきっちりと断ると思っていたのですが。なので当たり障りのない態度を取っていたのですが私も」

「色々考えた結果じゃないかな」



 人生は長い坂道、一人で生きていくのには寂しいし疲れる。

 僕の長くもない人生でも夏菜がいることで色彩が色づく。

 

 一度裏切った相手に対してもう一度信用を寄せるということは難しいが、父さんは信じると決めたのだから僕から言う事ない。

 我慢すれば済む話。

 自分の恋愛を理解し始めた僕にとって大人の恋愛なんてわからない。



「先輩は不満じゃないんですか」

「思う所はあるけれど」



 それで僕も大人と言われる年齢に近い。

 いつまでも子供のままではいられない。



「思う所はあるってつまり不満なんですよね。だったら言ってやったほうがいいんじゃないですか」

「お前とは一緒に住めないって?」

「そうです。何年も放置しておいて虫が良すぎですよ」

「でも僕は養われている立場だから」

「……なんか悔しい」



 つまりまだ僕らは子供なのだ。

 僕よりも落ち込む夏菜の姿。



「僕のために傷つくんだね」

「当たり前じゃないですか」



 尚も表情が固いままの夏菜の両手を向かい合わせのまま握る。

 冷たい手が小刻みに揺れていて本気で怒って悲しんでいるのだと伝わる。



「なんで笑ってるんですか」

「僕、笑ってる?」

「はい」

「嬉しいからじゃないかな」



 眉間に眉が寄っていたが、ほぐれるように平坦に戻った。

 よく見ると片方の、前髪で少し隠れている方の眉だけ上がっている。

 呆れられている。

 嬉しいのは本音なんだけどね。



「アホですか。馬鹿なんですか。こっちは本気で心配していたのに」

「それが嬉しいんだよ」



 カフェの窓際に座っている僕ら。

 日は高く建物の影が僕らに差す。

 照明の明かりだけでは頼りなく、俯いた彼女の顔にも影が落ちて表情が隠れた。

 夏菜のこのきっつい口調も久しぶりに聞いて逆に僕は心中穏やか。


 静かに流れる時間の中で彼女は様々な考えを巡らせている。

 自分のことではないからすぐに答えは出ないのだろう。

 口を開いては閉じて、頭を悩ませる。



「はぁ……。もういいです」



 それから出てきた答えはやはり呆れのまま。



「あれ、僕もしかして見捨てられた?」

「そんな軽口叩くなら、今度は先輩に対して本気で怒りますよ」

「怒った顔も可愛いねって言ったらどうする」

「こうします」



 握った手が宙へと浮かぶ。

 そのまま夏菜の口もとに連れて行かれると。



「いっつっ……」

「ばふぁなこといってないふぇ」

「人の手噛んだまま喋るのやめな」



 馬鹿なこと言ってないでと伝わったけれどさ。

 口から手が離れると夏菜の唾液で手の甲がびしゃびしゃに濡れていた。

 くっきりと歯型も残っている。



「先輩はどうするんですか?」

「一緒に暮らしたとしても一年でしょ」



 散々悩んできた問題。

 向こうから押し寄せてくると否応無しに答えが出る。



「あと一年もすれば進学出来る」



 やりたいことは見つからないままだけれど、国公立に通うメリットは大きい。

 今はまだでも将来の役に立つ。

 学費も私立に比べると飛んでもなく安い。

 選択肢としては上等な部類。



「自宅からも通える距離ですよね」



 地元だと真っ先に思いつくのが海に近い大学で偏差値も県内ではトップ。

 神楽先輩も受験予定の大学。

 上京するのも考えたけれど、僕にはそこまでのメリットを感じられなかった。

 もちろん日本を代表するような大学に入れるのならば状況は違う。夏菜なら受かるだろうけれど僕には荷が少し重い気もしている。


 昔は地元が嫌いだった。

 皆に嫌われていた幼少期。

 中学からそれに変化が起きて、周りいる人たちが好きになっていく。

 今では地元が好きになった。

 だから遠く離れるつもりもない。

 この子もいる。

 ちょっと嫌なこともあったけど、今は好きなまま。



「片道どのくらい掛かるかわかってる?」

「それじゃ出来れば広めの部屋借りてくださいね」

「住む気?」

「いずれですね。今度は本当の同棲ですね」

「そ、そうだね」



 本気だろうな。

 夢は少し遠回りしてから叶えると言っていた。

 それよりも同じキャンパスで思い出を積み重ねたいと。

 今では僕もその傾向が強くある。



「先輩が決めたことなら口出しはしませんけど、本当に平気ですか?」

「大丈夫だと思うよ。いっそのこと夏菜の家に一年間お世話になるか」

「……」



 まずい。

 冗談のつもりで言ったのに、彼女の顔をみて焦る。



「すぐに帰りましょう」

「まだ注文した物来てないけど」

「あ、流石にそれはお店側に悪いですね」



 飲食店経営者の娘。

 どうなるかわかってらっしゃる。

 コーヒーとチーズタルトがテーブルに並ぶと僕は急かされるように平らげるのだった。

 ソフトドリンクを一気飲みして咽ている彼女を見て苦笑いする。

 この辺は春人さん似だろうか。



 ※



「ただいま」

「ただいまもどりました」



 夏菜の自宅では口調が逆転する。

 二人とも家族のように暖かく迎えてくれるが敬語が抜けない。

 春人さんにはたまに堅い堅いと笑われてしまう。



「静かだね」

「……そう、ですね」



 夏菜は気まずそうな表情を浮かべ答えるのに時間が掛かった。

 二人の靴は玄関に置かれたままなので出掛けている様子はない。

 自宅にいる筈だけれど気配がない。

 騒いでいた客間からも声は聞こえない。



「先輩少しそこで待ってもらえますか」

「玄関で?」

「はい」



 彼女の反応で大体の予想がついた。

 大変仲がよろしいことで。

 玄関で扉を向いた状態で腰を降ろす。

 靴を履いたまま言われた通り夏菜が戻ってくるまで待機。

 後ろからパタパタと駆け回るスリッパの音が響き、二階へと消えていった。

 二階は夏菜の部屋と夫婦の部屋、あとは物置になっている部屋の三つ。

 すぐに戻ってくるだろう。



「すみません、お待たせしました」

「居た?」

「寝室に」

「何やってるか予想つくから気を使わなくて良いよ」

「私が気になるので」



 確かに。

 自分の身内。



「今は寝ているようなので部屋に戻りましょうか」

「うん」



 食材を冷蔵庫に仕舞い、正月用の飾りはリビングの隅に。

 消耗品は小分けにして彼女が適切な場所へと置いていく。

 僕のほうが片付けは終わり、二人分の飲物を淹れて一足先に夏菜の部屋へ。

 入り慣れた部屋。

 でも入るたびにうっすらと落ち着いた清潔感のある香りが鼻孔をくすぐる。


 シンプルな机の上。

 元はスイーツが入っていたフラスコは花瓶となっており、その隣にスティックタイプのルームフレグランスが置かれていた。

 香りの正体。

 白い瓶にグレーのスティック。

 落ち着いた色合いでインテリアとしても機能している。

 ちょっとした拘りを感じる。

 我が物顔でベッドに横になる。


 窓から差し込む光り。

 冬の冷たい空気吸って冷淡な印象を受ける。

 日が落ちるのも早く、遠くの空は夜の気配。

 こちらに届くのは、もう暫くあとのこと。

 瞼を閉じて擬似的な夜を作り遮断した。



「疲れた……」



 この数日、頭がオーバーフローしそうなぐらい考え事をした。

 僕の本質は間抜けと言ってもいいほどぼんやりしている。

 長いこと悩んできた傷にも光明が見えてきた。

 暗闇から光り。


 時間は残酷であると人は言う。

 けれど今回は優しさに満ちていたかもしれない。

 時の流れは人を成長させ強くする。

 出会った人や積み重ねた想いを装備して。

 疲れ果てた旅人の前にオアシスが現れて、乾いた喉を潤すような感覚。


 傷跡は残ったまま。

 決して癒えることなく遠い記憶。

 たまに思い出してはもがき苦しむこともあるだろう。


 それでいいのだと受け入れることが出来たら楽になる。

 大きな切っ掛けがあったわけじゃない。

 日々の積み重ね。

 人付き合いを通して学んできたこと。

 なんてね。

 そう思えればどれだけ本当に楽だったか。


 ……。

 ……すぐこれだ。

 夏菜が居るときは彼女のことを考えれば救われた。

 一人になった途端、足元が崩れる。

 虚勢。

 強くなった気で弱い。


 廊下から足音。

 もうすぐ彼女が傍にやってくる。

 弱い自分を見せるのは嫌だな。

 弱った顔は今すぐ戻せない。

 横向きになって背けることを選択した。



「寝ちゃったんですか?」



 平坦で抑揚のない彼女の声。

 冷たい手に導かれ、人の柔らかい温もりが側頭部に。

 振り返れば一緒に流れ往く時を過ごし、近くでずっと信じてくれていた瞳が映るはず。

 その瞳に映っていたモノ。

 弱った顔は映したくない。


 いつか見上げた空は茜色、グラウンドに落ちる校舎の影。

 吹奏楽の途切れ途切れの演奏。

 砂と汗とボールのニオイ。

 楽しかった時間。

 思い出の情景。


 コーヒーと紅茶の香り。

 バニラムスクの甘い匂い。

 絹のような肌触りの髪。

 穏やかな時間。

 癒やしの光景。


 彼女の膝を濡らす。

 悲しくもなく、辛くもないのに。

 修復し続けたモノが壊れる音。

 声を潰しても溢れ出てくるものは止まらない。


 ――疲れた。

 悲しくはない、辛くもない、やるせない。

 我慢して誤魔化して保ってきた。


 やっとやり直せると思った筈。

 拙いながらも父親だと思えるようになってきた。

 希薄だった関係。

 ようやく家族になれたと。


 涙を拭う指先。

 流石は市ノ瀬夏菜。

 向き合ってもいないのにバレる。

 霞む視界に映る逆さまの彼女の顔。

 僕を見つめる真っ直ぐな瞳。


 もうぐちゃぐちゃだ。

 自分が何を思って何を考えているのかすらわからなくなった。



「休んでもいいと思います」

「……」

「十分頑張ったんじゃないですか。結果が大事な世の中ですが、私はその過程を見てきました。思い描いた結果ではないかもしれませんが、やり終えたと思います」

「……そうなのかな」

「疲れた時は休むものですよ。そしたらまた起き上がって歩けるようなります」

「頑張ったかな」

「はい」

「出来ることやれたかな」



 もっと自分から連絡を取って仲を深めることも出来たかもしれない。

 もう遅い。

 でも結果は……かわらなかっただろうな。



「勿論です」



 でも彼女は認めてくれる。

 肯定してくれる。

 投げかけるように呟き、上体を起こして向き合うように座り直した。



「はい。これからは先輩の思うように過ごせばいいと思います」



 夏菜の掌が包み込む。

 頬の熱が彼女の手に吸収される。



「先輩は1人じゃありませんから。私がずっと居ます」



 身体ごと抱きしめれる。

 ちょうど顔が見えないのがありがたい。

 涙は溢れて彼女の肩を濡らす。



「我慢しないでください」



 頭を撫でられ更に涙が途切れることなく伝う。

 嗚咽のような声が出てくる。



「溜まったものを全て吐き出してください」



 こんな情けない姿を見せているに聞かせたくなくて、夏菜を肩を噛みながら堪えた。

 痛いだろうに黙って受け入れることに、余計に涙が止まらなくなった。


 彼女に抱かれ全てを吐き出す。

 それによって夏菜と更に深い絆で結ばれる。

 そんなシーン。


 でも僕は捻くれている。

 吐き出さない。

 言わない。

 好きな女の子の前、強がっていたい。

 ちょっとだけ残った見栄。

 男の子としての意地。



「ですよね。先輩はやっぱり私が負けを認めた唯一の人ですね。意地っ張り」

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