水鏡
リビングのコタツに下半身を浸けるように忍ばせる。
ローテーブルは取り払われ、人を駄目にする家具の登場。
一瞬にして冷えた身体はほぐされて力が抜けていくのを感じる。
しっかりしている夏菜も同様で狭いコタツの中、僕の股の間に収まり背中を僕に預けて船を漕ぎ始めていた。
そんな彼女を眺めつつ、学校に現れる猫と同じように撫でている。
ちなみに言うと僕の家にコタツなんてものはあるわけもなく、今は夏菜の家にお邪魔している状態。
どうしてこうなったのかというと父さんと村川さんが腹を割って話したいということで、暫く二人にして欲しいと願われた。それ故に暫くの間『それではしばらくうちに来ませんか』と夏菜の提案で市ノ瀬家にお世話になることにした。
昨日の空港からの帰り道、父さんの言葉を思い出していた。
『ゆなのしたことは許されないが私にだって非はある。だから後悔していたこともあるんだ、
家族のためと言いながら仕事ばかりで家庭を顧みることをしなかった落ち度。
仕事が軌道に乗って忙しいながら楽しくて、隙と自由を与えてしまった』
聞いてみればその通りかもしれない。
僕の身近な人。
親に守られて気持ちよさそうに眠る仔犬みたいな無垢な彼女の頬を撫でる。
身悶える仕草をしながらも逃げることはせず心を許してくれている。
例えばこの子。
そしてその親である市ノ瀬夫妻。
一途で思い遣りのある家族。
忘れがちになるが、本来は人の気持ちは移ろいやすいもの。
物理的な距離は心の距離に比例して、理性と思い出がそれを繋ぎ止める。
それがなければ別れてしまうのは必然。
新しい環境に刺激を与えてくれる存在に流れてしまうのは弱さ故。
一度快楽を覚えてしまえば何度も味わいたくなる。
それは僕にも言えたこと。
初めてボールがゴールに吸い込まれた瞬間。
テストで高得点を出した時。
楽曲をミスることなく弾き終えた達成感。
始まりはそんなもの。
試合に勝利、貼り出された順位、ライブの歓声。
小さな快楽から大きなモノに。
それ故に夏菜と最後までしてしまう怖さがある。
バスケをやめた本当の理由は夏菜がいなくなったことで自分の実力があがることなく、ただただ衰えて飽きてきたことに起因する。
恋愛も同じでお互いに飽きないだろうかと。
一緒にいる日々は楽しい。
だからこそ。
だからこそ、いつも中途半端。
「まさかコタツに入ってちょっとした真実に辿り着くなんてな」
手触りの良い夏菜の髪。
掬っては離す行為を繰り返す。
僕は本当にこいつのこと好きなんだな。
トラウマのこと。
不潔なものという認識自体は変わった。彼女も言っていたが、言葉だけではなく身体でも愛情表現が出来ると。
何故出来ないのか。
凄く単純だった。
記憶に残る過去の村川ゆなとその相手のようになりたくない。
大事な存在を大事なままにしたい。
彼女を裏切りたくないんだってこと。
そして裏切られたくない。
行為をしてしまえば更に彼女のことを好きになるのは予想出来る。
その分、裏切り裏切られるとしたら立ち直れなそうなことまで予感している。
僕に怖いと思えることがあるならば間違いなくそれだ。
「……せんぱい」
と、声を掛けられて自分の心理の海から顔を出す。
彼女の顔を覗き込むがふにゃふにゃの寝顔で寝息を立てている。
どんな夢を見ているのだろう。
幸せな夢だといいな。
夏菜を乗せたまま僕も少しだけ眠る。
起きて時間を確認すると日付が変わる少し手前。
未だに気持ちよさそうに眠る彼女は健在。
ただ起こすのは忍びないが、このままコタツで寝かせていると風邪を引きそうだ。
「夏菜、起きれる?」
「ん~?」
舌足らず。
相手が僕だと理解していなさそうな口調。
疲れているのかもしれない。
最近僕の都合で変に連れ回している。
「風邪引くよ、寝るなら自分の部屋に行きな」
「うん」
市ノ瀬夫妻はそれぞれ忘年会やらで家にはおらず、夏菜と僕の二人きり。
青春マンガや小説なんかだと甘酸っぱい展開にでもなるのだろうけれど、彼女がこんな調子ならそんなことにもならず安心して眠れそうではある。
僕に足りないモノ。
あと一歩というよりはもう半歩進む勇気。
僕らの関係を信じること。
夏菜は明後日から元日まで春人さんの実家に行くことになっている。
僕も連れて行かれそうになったけれど流石にそれはお断りしておいた。
本来の僕の自宅でどんな話しがされるのかはわからないが気になる。
「せんぱいは?」
「あぁ、一緒に寝ないのかってことか」
「そう」
仕方ないので夏菜をコタツから引きずり出し、両手で抱えて部屋に連れていくことにした。
「お姫様抱っこ」
「嬉しい?」
返事の変わりに笑み。
と言っても表情は変わらない。
口の端が僅かに釣り上がって目元が少し緩んでいるだけ。
それでもかなりの進歩。
今日は自宅ということもあり普通のパジャマにカーディガンを羽織っている夏菜をベッドに寝かせる。
夏菜のベッドもシングルなので少し狭い。
小柄な彼女であれば十分なサイズ感であるのだけれど、やっぱり二人だと寝返りも出来ない。
「だめ」
袖を掴まれて先回りされた。
散々お世話になっている市ノ瀬家。
客間のどこに布団が置かれているのか知っている。勝手に収納されている襖を開けることに罪悪感はあるもののこっそりと客間で寝るつもりだった。
誤解が無いように言っておくと夏菜と一緒に寝るのが嫌というわけではなく、少し一人で考え事をしたいだけ。
彼女と一緒に寝ると意識が彼女のほうに向いてしまう。
「はいはい」
断れるわけがないのだった。
夏菜を壁際まで詰めてもらい、彼女の横に眠る。
ひんやりとした冬の布団。
「暖かいです」
「うん。夏菜の身体は暖かいね」
まぁ、でも。
裏切られる未来があったとしても今を大切にしない理由にはならないよね。
「先輩」
「ん?」
「呼んだだけです」
口調は元に戻ったが目はとろんと溶けたまま。
薄暗い部屋の中。
少し開いたカーテンの隙間から木漏れ日のように月明かりが僕たちを照らす。
夜の光。
眠たげな瞳に反射して輝く。
彼女の左目の下にあるホクロを撫でると、くすぐったそうにして反射した光が消える。
今を大事にしない理由はないと言った。
布団に潜ると僕から彼女に抱きつき豊かな胸に顔を押し付ける。
甘い匂いと心地よい体温に包まれる。
「いいですよ。好きにして」
「じゃちょっとだけ」
手探りでパジャマのボタンを数個外して肌着の上からもう一度押し付ける。
布地一枚の違いなのに彼女の香りが強く、熱まで直に感じる。
心臓の音もトクントクンと聞こえて不思議な安心感があった。
僕も寝起きということもあって次第に身体の力が抜けていき瞼が重くなる。
後頭部に夏菜の腕が回されたことに気付いた頃には意識が薄れていた。
※
優しさに包まれた朝は清々しい気持ちで目覚めた。
夏菜は先に起きたようで部屋にはいない。
カーテンを開いて外を眺める。
深夜に雨が降っていたようで庭に小さな水たまりが出来ていた。よく見ると凍っているようで冬の寒さが物語っている。
夏菜の部屋のタンス。
一番上と二番目は僕の着替えが用意されている。
僕が泊まった時に洗ってもらったモノから夏菜自身が用意したモノ、春人さんのお下がりなど。
昔に比べたら夏菜の隣にいて恥ずかしくない程度に僕も自分を飾る洋服に気を使い始めた。
と言っても未だにセンスがないと夏菜に苦笑されている。
着替えて顔を洗う。
痛くなるような水の冷たさを堪えて手で掬い顔へと運ぶ。
目覚めは良好とはいえど起きたばかりで鈍っていた思考も引き締められる。
リビングに降りて行くと春人さんも冬乃さんも定位置に座って朝食を食べており、夏菜はお茶だけを飲んでいた。
扉の音で一斉に視線が集まり、それぞれから挨拶が飛んでくる。
挨拶を返し、いつの間にか僕の定位置になっている春人さんの向かいの席に腰を降ろす。
すぐに僕の前にも朝食が並ぶ。
夏菜は僕が降りてくるのを待っていたようで自分の席にも朝食を並べた。
二人揃って手を合わせる。
綺麗な黄色の卵焼きに箸を伸ばした時に春人さんから声が掛かった。
「年越しは向こうに行く関係で今日は買い出しと大掃除するから」
「わかりましたけど、僕はどこを手伝えばいいですか?」
「先輩は一緒に私の部屋と客間ですかね」
「了解」
そういえば自分の家の大掃除をしていなかった。
去年まで大した荷物も家具もなかったから大掃除と名ばかりのいつもの掃除だったけれど。
今では僕の部屋は男の部屋というよりも女子の部屋みたいな彩りになっている。
ぬいぐるみから化粧品やヘアアイロン、ネイルなど美容に関するものから夏菜の私服たち。
僕の物はギターにアンプと場所を取るだけで物自体は少ない。
「先輩の家は私も手伝いますよ?」
「いや大丈夫だろう。今は家に二人いるし、僕の部屋自体は狭いから」
「そうですか。では何からあれば言ってください」
「うん。ありがとう」
「いえ」
「朝食を食べ終えたら早速取り掛かろうか」
「はい」




