先送り
朝が来る。
昨日に比べればよく眠れて自分の図太さに少し救われはしたものの気は晴れない。
夏菜と家にいる人間の二者択一。
選ぶまでもなく夏菜と。
ただ気まずさは残る。
子供のような猜疑心と独占欲。
冷静になればなるほど自分の感情に羞恥を覚える。
寝起きのまま枕に顔を埋めて身悶える。
冷えきった空気が丁度いいと思うほど身体が熱い。
真実は確かめなければわからない。
答えが出ていないのであれば問を正さなくてはならない。
それがどちらにしろ。
大きく深呼吸をしてから着替えて身なりを整える。
今日は自宅に生き物の気配がする。
家電が動いているのも感覚的にわかる。
顔を合わさず出掛けることも可能だけれど、家に一人残すことに不安もある。
産みの親とはいえ何を考えているのかさっぱりわからない。
無駄に夕飯を作られるのも食材に申し訳ないので顔を合わせて断りを入れておくことにした。
お金はどうしているのだろうか。
1つ分かっていること。
以前に届いた手紙からこの女には今は相手がいない。
彼女は僕らにそうしたように、相手に裏切られた。
結局似たもの同士がくっついたというわけで笑える話だ。
困って父さんに復縁を迫るような面の厚い性格をしていて、今回向こうからやってきたのは迎えが来なかったからと予想出来る。
それに加えて金銭的余裕もなくなっていると思考する。
手紙は捨てたが内容は僕のスマートフォンの中に残っていて、いつでも確認出来る。
どこに住んでいたのかは知らないが移動にだってお金を使う。
家に前に現れたときには大きなスーツケースにボストンバッグと住んでいた家にあった荷物をほぼほぼ持ってきていた。
こんなにあの女の事を考えていたのは向き合うためでもあるのだけれど、夏菜と顔を合わせることに対する現実逃避でもあった。
会って話をしたいようでしたくない。
「はぁ……」
ため息が漏れる。
他人の事でこんなに悩む日がくるなんてね。
思ったよりしんどい。
考えれば考えるほど沼。
うだうだしていても時間は待ってくれない。
家を出て今度はゆっくり深呼吸をする。
喉や鼻から冷気が通り抜けて、かすり傷に触れるような痛みを感じる。
口から漏れる息は白く頼りなく登っていく。
昼も近いというのに空は暗く、灰色の雲が天井を作っている。
この冷え込みとこの曇り空。
雪でも降ってきそう。
手ぶらでいいと言われていたけれど招かれる立場。
それはどうかという思いもあって洋菓子店によってから焼菓子の詰め合わせを購入してから、麗奈ちゃんの自宅の最寄りの駅に降り立つ。
中学が同じ学区内ということで何度か着たことのある住宅街。
待ち合わせよりも少し早めの15分前には珍しいロングコートに首元にはマフラー、足元はストッキングにブーティという身なりの夏菜が改札を出て直ぐの小さな広場で待っていた。
「お、おはよう」
「はい。おはようございます」
一日経ってささくれだった感情も落ち着いてはいる。
けれどお互いに気を使った結果か距離があった。
腕を組むことはなく袖の先をそっと掴まれているだけ。振り払わない様子を確認すると歩く距離に応じて徐々に腕へと近づき、最終的にはいつもの形に落ち着く。
会話がなく、何か話し掛けたほうがいいのだろうか。
自然体でも心地よさを感じていたけれど、今は気まずいだけだ。
切っ掛けを見付けるために夏菜をぼんやりと眺めると、左手の薬指にいつもとは違う指輪がはまっている。
「指輪つけてきたんだ」
ブランドのロゴが刻印されているだけのシンプルなデザイン。
同じものが僕の部屋にもある。
「はい。前に頂いたのはチェーンを買ってきてネックレスにしています」
彼女の両親も大学時代につけていたペアリングをネックレスにしていたから参考にしたのだろう。
「先輩のもあるんですよね。つけないんですか?」
僕が彼女の指を見ると同時に彼女また僕の指を見ていた。
「う~ん。まだいいかなって」
「せっかくのペアリングなんですから、私はつけてほしいんですが」
「いつかね」
「先輩のその逃げ方卑怯ですよ」
「逃げてるわけじゃ……。いや、そうかもな」
先送り。
今決めなきゃいけないこと、そうでないこと。
どれも先送りにしてきたような気がする。
「これでも昨日のことは怒っているんですからね」
「それは本当ごめん。でも外せない用事なんだよ」
「わかってます。わかってますけど感情的に割り切れないんです。恋人になって始めてクリスマスイヴなんですよ」
「どうしてほしい? 埋め合わせはするから」
「話してください」
「……」
「駄目です」
間髪入れず否定。
昨日は大人しく引き下がったとは思えないほどの迫力。
言うべきかどうか迷った末に今はまだ、言うべきときじゃないと感じた。
家族の問題。
こればかりは彼女でも関わらせる話しではないと思ったのだ。
だが、それを否定された。
「私先輩に対して少し気が引けてたと思うんですよね」
「そう?」
結構ズバズバ言われているし、甘えてくるうえに誘惑してくる。
「容姿や能力、自分を俯瞰してみても優れていると理解しています。ただこれは個人技ようなもので、団体戦となると途端に相手の気持ちがわからず迷います」
「そんなことは……」
本当は身内だけで終わらせたかった事。
でも家にいるあの女を見ているとどうでもよくなったのが本音。
あいつのせいで彼女に負担を掛けていたのだと思うと苦々しいが。
組んでいた腕を外し向かい合う。
今日始めて彼女の顔じっと見つめることになった。
すこし目が赤い。
それに気付くと申し訳無さが心に漂う。
「順調に進んでいるところにいつも落とし穴が……。今回は私の態度というよりは別の何かっていう予想なんですがどうですか?」
「そうだね」
夏菜に対して思うことがないわけじゃないが、今日の態度をみるに心配することはなさそう。
この娘は嘘をつけない。
ついてもバレやすい。
なら素直に話すべき。
力になってほしいわけじゃなくて安心させたい。
先日、夏菜が男の人と一緒にいることで不安になったように何か秘事が相手にあると不安になる。それは彼女も一緒だと思ったからだ。
「簡単に言うと母親が帰ってきたんだよ」
「え? ちょっと……。こうしている場合じゃ――」
彼女が言い切る前に少し遠くから大きな声で呼びかけられて二人して振り向く。
「夏菜さん待ってましたよっ」
僕と夏菜の丁度中間ぐらいの身長に誰かに似ていて幼い顔。
夏菜になつく姿は犬っぽくある。
髪の色を亜麻色にすれば……。
「麗奈ちゃんの身内?」
「はい。弟の智樹くんですね。橋田家の長男ですよ」
「仲良いんだね」
「どうでしょう。懐かれているとは思いますがちょっと過剰なんですよね」
「ふ~ん」
治療したばかりささくれがちくちく痛む。
「麗奈の弟なのできつく言いにくいんですよね。いい子ではあるんですけれど」
智樹と呼ばれた少年が小走りでこちらに寄ってきているのが見えるが、夏菜は彼に意識を向けずなにか嬉しいことでもあったのか少しだけ顔をほころばせる。
「何?」
「今の嫉妬ですよね」
「そうだけど」
「先輩が嫉妬するなんて嬉しいですね。愛されてるって感じがします」
言葉でも伝え、態度でも示すようにそのまま抱きついてくる。
「あの少年見てるけど」
彼女が抱きついたことで脚が止まって悔しそうな悲しそうな顔をしている。
その姿をみて僕は優越感に浸ることなく、少年の表情を見つめていた。
恋する少年。
彼は夏菜に惚れているのだとすぐにわかる。
「関係なくないですか?」
似た感情を向けられすぎて気付いていないのか。それとも気付いていて構わず普段の態度を取っているのか。
後者だとしたら残酷。
「夏菜がいいならいいんだけど」
「?」
「そろそろ行かない?」
「はい」
夏菜は横に並びなおして一緒に歩き出し、立ち止まっている智樹に顔を向ける。
「向かえに来なくてもよかったのに、一昨日も送るって言って店までついてきたし」
「一昨日?」
口に出す間に何のことか理解した。
現金なもんで心がふわっと軽くなる。
「先輩から連絡きたときにはずっと付いて着てたんですよ。家までついてきそうなのが嫌で父さんのお店までいきましたけど」
彼女からすると嘘を言っていたわけではなかった。
視点の問題。
一瞬でも疑ってしまった自分を恥じた。
「夏菜、ごめんな」
「はい、大丈夫です。何のことかわかりませんけれど」
近づくだけで彼の表情がさらに曇り僕を見た。
「夏菜さん、この方誰ですか?」
「誰って……。麗奈は伝えてなかったの?」
「ねえちゃんはなんも……」
「麗奈の学校の先輩で私の――」
途中で言葉を遮る子だな。
我が強いんだと思う。
「なんだ良かった……。夏菜さんって見た目によらずスキンシップ激しいんですね」
「だから先輩は――」
「お兄さんもどうぞ、家もうすぐなんで」
夏菜が押されている。
落ち着いて話しをする彼女と違ってせっかちな彼。
会話が成立していない。
歓迎する気はあるようで、夏菜が言っていたいい子ではあるらしい。
「面白い子だね」
「私は疲れますけどね……」
※
橋田の表札。
共働きで弟たちの面倒をみているという話を聞いて、ドラマや漫画などの創作物から想像する家は古びた建物。
しかし、そんなことはなくしっかり整備された一軒家。
市ノ瀬の家よりも大きく、夏にはバーベキューなんかも出来そうなほど庭も広かった。
「何人兄弟なの?」
「麗奈に弟くん二人に妹さん一人の四人ですね」
智樹君の案内のもと玄関に招き入れられる。
他人の家に入ることは滅多にないため緊張する。
家の中に入ると智樹君が一直線に走っていき、リビングと思われる部屋の扉から麗奈ちゃん顔を出す。
足元には小さな男の子が張り付いていて身動き出来ないみたいだ。
「渉先輩ようこそ。この状態なんで、勝手入ってきちゃってください」
「お邪魔します。これ焼き菓子なんだけど、日持ちするし自由に食べて」
「ありがとうございます。やっぱり律儀なんですねぇー」
「招かれる立場なんだからそんなもんでしょ」
彼女は脚に張り付いていた弟を抱き上げて玄関までやってくる。
「なにその格好……?」
赤い衣装。
縁には白いファーのようなもこもこした生地。
見たまんまサンタのコスプレ。
髭のおじさんではなく、街中で見るような肩出しのワンピースタイプ。
「急遽昨日買ってきたんですよ、これ」
「まぁ一年に一回着るかどうかだしね」
「私は着るつもりなかったんですけどねぇー」
麗奈ちゃんの視線の先には夏菜。
「なに?」
「恥ずかしがり屋の夏菜にはちょっと荷が重かったのかなって」
「黙って」
「いいからそのコート脱ぎなさいって」
「よく考えたらなんでみんなの前で見せなきゃいけないの」
「いつもの潔さはどこにいったのよ。ちょっと来なさい」
足元に張り付いていた弟を抱きかかえながらも夏菜を引き摺ってリビングの外へ。
普段からそうしているのか力強い。
抵抗していたようだが地の力は麗奈ちゃんのほうが上らしい。
リビングに残ったのは僕と智樹君。
「柊さんでしたっけ?」
「うん。どうしたの?」
「お土産ありがとうございます」
「あぁ、大したもんじゃないから。数だけは入ってるからみんなで食べて」
「姉ちゃんと妹は甘いもの好きなんで助かります」
「ならよかった」
「あ、好きなところ座っていいっすよ」
「さんきゅ」
他愛のない会話。
初対面ならこんなものだろう。
智樹君に飲み物を出してもらって木製の椅子に座る。
テーブルにはまだ何も置かれていない状態でこれからというところ。
料理係である夏菜が連れて行かれたので正直なにもやることもなく、話題があるわけでもなく静かに過ごす。
上の方でどたばたいってる音がするが何をしているのやら。
15分経ってリビングの扉が開くものの、彼女たちではなく身長は智樹君よりやや小さいぐらいで、夏菜より少し大きい女の子だった。
姉に触発されてか髪色は鮮やかな亜麻色。
ギャルっぽい見た目には見えず、それは服装が清楚系だからだろうか。
「お邪魔してます」
「あぁ、うん。……はい」
僕と顔を合わせると恥ずかしそうに手に持った荷物をテーブルの上に置くと、智樹君の隣に座った。
「渉さんこいつ人見知りなんで気にしないでください」
「そんなこと気にしないよ」
「あたしが人見知りなんじゃなくて、智樹が無礼なだけでしょ。それよりお姉ちゃんは?」
「なんか二階に行ったよ」
「言われた通りボードゲームいくつか買ってきたんだけど」
見たことのある玩具店の袋。
中には人生ゲームなどを始めスカルなど多人数で遊べるゲームが入っていた。
二人の間に割って話す必要もなく聞くだけ。
僕も夏菜も一人っ子なので新鮮。
「そういえば知らない靴もう一つあったけど」
「夏菜さんだよ」
「わかり易すぎあんた。嬉しそうな顔しちゃって」
「しょーがねぇじゃん一目惚れなんだから」
「ふぅーん」
頂いたドリンクが空になり更に手持ち無沙汰が加速する。
スマートフォンで意味もなくブラウジングして時間を潰そうと決めるが。
「あの、その……」
遠慮がちに声が掛かる。
そういえば挨拶はしたけど自己紹介がまだだった。自分の名前と麗奈ちゃんとの関係性を伝えると、彼女もまた自己紹介をしてくれる。
「絵梨花です。こいつの双子で妹になります。来年で高一です」
「双子だったんだ」
男女の双子は初めて見たし、あまり顔が似てなくて驚いた。
にしてもすごい年齢層の兄弟だ。
「えっと渉さん」
「なに?」
「違くて、渉さんって呼んでいいのかなって」
「好きに呼んでくれて構わないよ」
智樹君は人見知りだと言っていたけれど、向こうから話しかけてきて気を使ってくれる。
3人で他愛の会話をしながら更に15分が過ぎた頃、智樹君はトイレに行くと行って席を外し、また絵梨花ちゃんも買い物ついでに自分の日用品も買ってきたようで部屋に戻り、リビングに一人取り残される。
二人と入れ替わるようにして、ようやく夏菜と麗奈ちゃんその腕に抱かれた幼い子どもがリビングに姿を現した。
「夏菜」
コートを脱いでいてその装いは、麗奈ちゃんとお揃いの色。
赤と白のクリスマスカラー。
デザインは少し違っていて、夏菜の場合はフード付きの短いケープを羽織っており、後ろ姿はケープで多少隠れているものの腰から背中にかけて大きな隙間があり素肌が見えている。
「……なんですか?」
「何着ても似合うのずるくない。めちゃくちゃ可愛い」
「……ありがとうございます。本当はこれ昨日着るつもりだったんですよ」
「怒ってる?」
「怒ってます」
「でも恥ずかしい?」
「恥ずかしいです」
妙な雰囲気。
向かい合って見つめ合う。
夏菜の手がそっと伸びてくると両手を絡めてくる。
「人の家で何をしようとしてるかっ」
「「あ、うん。ごめん」」
綺麗なハモりを見せて少し離れる。
「先輩、家のことは帰りにはしっかり聞きますからね」
「わかってる」
麗奈ちゃんにたしなめられて僕は夏菜から離れて先程までいたテーブルの前に座り、置きっぱなしになっていたスカルを箱に直す。
最初に戻ってきたのは智樹君で、キッチン付近でエプロンをつけようとしている夏菜の傍に寄るとこれでもかと言うほど褒めている。
夏菜は喜ぶどころか呆れ気味で、両手で近づいてくるのを避けながら口を開いた。
「わかったから落ち着いて」
「後で写真取らせてくださいよ」
「無理」
「残念です」
「しつこいから……。静かに待ってて」
少し強めに拒絶されて智樹君はしぶしぶ僕の向かいの席に座る。
「せっかくボードゲームあるんだからこれで時間潰そっか」
「そうっすね」




