クラリッサ
「やっぱり、私、薬師を目指したいんです」
その宣言に、サラは驚いてぽかんと口を開けてしまった。しかしテッドの返事に口が閉じた。
「その年でか?」
出た! テッドのデリカシーのなさ!
クラリッサがいくつかわからないが、少なくともサラよりはいくつか年上で、おそらく貴族としては結婚年齢は遅い方だと思う。婚約者がいるということで、なんとか体裁が整っているという感じだろう。
「本当はずっと薬師になりたかったし、毎日薬師ギルドに通いたかった。でも、あなたの婚約者という立場で、そんなことは言い出せないから黙っていたんです」
貴族の娘で薬師というのは、王都の受付の横柄な女子くらいしか見たことはないが、なれることは間違いない。
だが、町長代理の婚約者という立場が早い時期に決まってしまったら、それまでの間だけ薬師になりたいと言い出せるのはよほど気持ちの強い人だけだろうと思う。
「いや、俺は婚約者としてそんなことは強制してない」
「でも、一人前になってから、カメリアから帰ってから、王都から帰ってから、町長代理が忙しいから、そして町長になったばかりでまだ仕事を覚えられないからって、ずっと結婚を先伸ばしにしてきましたよね」
「実際、町長の仕事もちゃんとできているとは言えない状況で、家族を持つのはちょっと」
サラは、独身の男子あるあるだなと、冷たい目でテッドを見てしまった。
サラが社会人だったころ、こういう話は同僚からも友だちからもよく聞いたものだ。
曰く、資格試験に受かったら、役職が付いたら、給料がいくらになったら。
本当は覚悟がないだけなのに、そんな陳腐な言い訳をして、若い女子の、いや若くなくても女子の、貴重な時間を奪っているということに気がついていない。
そんな男子は結局、お相手から見切りを付けられ、振られる羽目になっていた。
「薬師の仕事に興味を持っていたのは知っていたが、手伝いがしたいだけで、なりたいとまで思っているとは知らなかった。言ってくれたらよかったのに」
「だから今、言ったじゃないですか」
これを痴話げんかと言っていいものかどうか。だが、サラは親しいはずのテッドより、断然クラリッサの味方であった。
クラリッサは、草で汚れた服のまま苛立たしそうに体の横で両手を握りしめている。
「婚約者なんだから、あなたと食事をしてこい、一緒に行事に参加してこい、仲を深めてこいって、
お父様は口うるさく言うけど、食事だって仲を深めるのだって、自分一人ではできないんですよ!」
そうしてダン、ダンとレディらしくなく地面を踏みしめた。
「あなたがカメリアに行った時も、そのまま王都に行ってしまった時も、やりたくもない婚約者の仕事をやったのは私なんです。もううんざりです。あなたがどう言おうと、お父様がどう言おうと、私は薬師になります! サラさんのようにね!」
おっと、サラに流れ矢が飛んできてしまった。テッドがおろおろしていてだんだん楽しくなってきたサラである。
「で、でも、婚約はどうなる?」
「どうなるかはあなた次第でしょう? 今までだってあなたの都合で伸ばされてきたんですから」
百パーセント同意です、と、サラはうんうんと頷いた。
「じゃあ、私は帰ります」
「送っていく! 送っていくから!」
焦るテッドが面白いのは置いておくとして、サラはクラリッサに声をかけた。
「あの、クラリッサ。ちょっといいですか?」
くるりと振り返ったクラリッサの目は涙でいっぱいだった。
はた目には怒っていたように見えたが、穏やかな人があれだけのことを口にするのは相当ストレスだったことだろう。
「ええと、これからポーションを作りますが、見ていきますか」
クラリッサの涙は見なかったことにして、サラは一度しまった長机を出していく。
「見ていきます!」
クラリッサは涙を拭いて、近づいてきた。
「おい! サラ! クラリッサ! ちょっと待て!」
テッドが何か言っているが無視して、ポーションを作るための道具と薬草を、二組出していく。
まだ薬草を採取するために残っていた数人が、遠慮がちに寄ってくる。
「クリス、調薬は秘密ってわけじゃないですよね」
「ああ。気にせずにやるがいい。私がいた時もクラリッサは薬草の仕分けくらいは手伝っていたし、ポーションの作成も見ているはずだ」
クリスに後押しされて、サラは薬草の作り方をクラリッサに教えていく。
「まず、葉っぱだけちぎって乳鉢に入れるところからです。ここは知っているのかな」
それからすりつぶして、水を入れて火を通し、魔力を流し入れながら、くるくると溶液をかきまわす。
葉っぱをちぎるのも、すりつぶすのも、とても楽しそうだ。だが、魔力を注ぐところで手が止まった。 実際、ここが一番難しい。
「魔力……。流し入れる……?」
クラリッサが戸惑っているが、やはり手伝いはしても、ポーションを作るまではやっていなかったらしい。だが、薬師になれるかどうかは、この段階で魔力を込められるかどうかにかかっている。
魔力の少ない人にはそもそもポーションが作れないし、魔力の扱いが苦手な人も、向いているとは言えないからだ。
つまりサラは、今、調薬を教えたいわけではない。調薬のまねごとを通して、クラリッサにどれだけの素質があるか見てあげようと思ったのだ。
「クラリッサは、何か魔法は使えますか?」
「風と水の魔法なら少々」
「見せてもらえる?」
何か関係あるのかという顔をしながら、クラリッサは手を前に出して構えると、風の魔法を見せてくれた。
ゴウッと勢いよく風が出て、見学していた人たちの髪の毛を揺らす。
よく考えたら、ハンター以外の人の風魔法なんてほとんど見たことがなかったが、この風の勢いを見ると、クラリッサの魔力は強いほうのような気がした。
「うん、その風の魔法を、手のひらから出した感覚のまま、ガラス棒を持って」
「はい」
「そのガラス棒から薬液に、小さな小さな、そよぐような風の魔法を送り込むつもりで、ゆっくりとかきまわす」
「は、はい」
濁っていた薬液が透明度を増す。
「そこまで。棒を引き上げて」
「はい!」
くるくると回っていた薬液の流れが落ち着くにしたがって、澱が下に沈んでいく。
やがて透明な層と、濁った澱の層と二つに完全に分かれた。
「テッド、味見、じゃなくて確認を」
サラが見てもいいが、テッドに思い知らせる方がいいだろう。
「あ。ああ」
テッドがガラス棒を薬液に浸し、手に受けてからぺろりとなめてみる。
「……ちょっと濃いめだが、ポーションで間違いない」
「嘘でしょう」
なぜかクラリッサがショックを受けて、後ろによろよろと下がっていく。
いつの間にかクリスもやってきていて、同じようにぺろりと味を確認している。
「ポーションだな。少し苦いが」
「私が作ったの? 本当に?」
呆然とするクラリッサとは別に、目の前でポーションの調薬を見たなじみの少女の目がキラキラしているから、この子もいずれ薬師を目指すかもしれないとサラは思う。
「クラリッサ。すぐに魔法が出てくるのって珍しいと思うんですが、練習か何かしていましたが?」
「はい。淑女教育や社交の合間の、貴重な息抜きでした。目立たぬように訓練するためには、風の魔法が一番だったんです」
割と自由な貴族であるウルヴァリエでも、ネリーの姉のラティーファは、レディはこうあるべきという意識の強い人だった。つまり、まだまだ男女の格差のある世界なのだ。まして貴族の女性は、よき妻、よき母となることが求められるのだろう。
そんな息苦しい中での息抜きが、ばれないようにやっていた風の魔法の訓練と、薬草図鑑を眺めること、それに薬師ギルドに手伝いに行くことだったということだろうか。
少なくともサラは、薬師になりたいという人を、年齢だけで弾くようなことはしたくない。
「私は、クラリッサには薬師になる素質はあると思います」
呆然としていたクラリッサが、信じられないという目でサラのほうを見た。
「私は、クリスに訓練を受けていたので、正規の薬師がどれだけの時間をかけてどれだけ努力しなければならないかはわかりませんが、本人がやる気で、ローザの薬師ギルドが受け入れるのなら大丈夫なんじゃないでしょうか。年は関係ないと思います」
最後の一言はテッドにちくりと嫌味である。
「ゴドウィンがよいと言ってくれれば、薬師ギルドはクラリッサが見習いとして入るのはかまわないですよ」
寝ていたはずのルロイの声が後ろから聞こえる。
「薬師はいつでも人手不足気味ですから。サラの指導があったとは言え、ポーションが一応形になったのなら、素質はあるということでしょう。あとはクラリッサ、あなたとテッド次第です」
クラリッサは、薬師を目指すと言ったことがここまで大きな流れとなるとは思わなかったのだろう。おろおろして、どうしていいかわからない様子だ。
「クラリッサ、私はしばらくは毎日、午後にここで薬草の講習と買い取りをしていると思います。いろいろ決めたり動いたりする前に、薬草と親しむ時間を作ってはどうですか?」
「薬草と親しむ時間?」
「そう。ポーションは薬草がないと作れません。いわば、採取は薬師の基礎だと思うんです。その基礎を固めてみては、ということです」
初めの一歩を、進みやすくしてあげるくらいしかサラにはできない。それでも、その道を進もうと思うならば、一歩から先は自分で踏み出さねばならないのだ。
「はい。ありがとうございます」
クラリッサの声からは、不安や迷いは消えているように思う。
「じゃあ、水魔法で道具の洗浄をするところまでがお仕事ですよ。一緒に洗いましょう」
二人が道具の後始末をするまで、薬師たちは背後で静かに待っていてくれた。
ルロイもいつの間にか寝椅子を片付けていた。
サラにもお疲れ様ですと口々に声がかかる中、テッドはクラリッサに声をかけていた。
「屋敷まで送ろう」
「お願い」
そうして普通の婚約者として肩を寄せ合って歩いていくのを、サラは首を傾げながら見送った。
「さっきまでケンカをしていたような気がするのに、実は仲がいい?」
「長い付き合いだが、二人とも奥手だから、先に進むきっかけがなかなかつかめないんでしょうな」
ルロイもそう言い残すと、薬師に付き添われながら去っていった。
残ったのは、サラとクリスである。
「戻りましょうか」
「ああ。サラ」
「はい?」
サラは普通に警戒せずに返事をした。
時々サラにとんでもないことを押し付けるクリスだが、今は特に、問題となるようなこともない。特薬草くらいならすぐに提出できるのは、クリスもわかっているはずだ。
「サラを見ながら、私がカメリアに招かれたのは、薬師の育成のためだったなと思い出していた」
「そういえばそうでした。でも実際は、職場放棄の尻ぬぐいをさせられることになって大変でしたよね」
「ああ。あの時のサラはすでに薬師といっても遜色ない活躍だった」
「いやあ、それほどでも」
今思い出してみると、あの時の自分は本当に丁寧に、クリスとテッドから薬師の基礎を叩きこまれていたことがわかる。そんなサラの回想をよそに、クリスは話を続けた。
「薬師の育成の態勢が整っていないのに、私を招くとはとあきれたものだったが、私が間違っていたのかもしれない」
まるで自分の頭の中をまとめるようにゆっくりと話している。
「今サラがやっていることは、薬師の育成にほかならない。正確には薬師の育成の第一段階か」
クリスは、自分の頭の中をまとめるかのようにゆっくりと話している。
「薬草の採取から始めれば薬草に親しむことができるし、そこから素質のある薬師や、薬師になりたいという者が現れることがあるかもしれない。生徒を集めてもらうのではなく、自分で生徒を集めていく。そういう形の育成方法があったんだな」
「でも、学校と言うほどではないですよ。講師だって私一人です。そもそも、ハンターギルドの講習のおまけみたいなものですし、薬草を採るだけなら一日で終わっちゃうような内容ですし」
「講習に出た全員が、初日で薬草を採取できるようになったというところが、どんなにすごいのか気づいていないとは」
クリスがやれやれと頭を横に振る。
サラにとっては、王都に続いて二度目のことなので、特に面倒だともすごいことだとも思わない。
そういえば、王都でやった、なりたてハンター講習会については、クリスには話こそ聞かせたものの、やり方や成果までは報告していなかったかもしれない。
「そういえば、特級ポーションを自分で経験したルロイが、経験レポートを書いてくれるそうだ。一か月、きちんと経過を観察したものを、薬師ギルドの皆と共有し、サラとノアノエルのレポートを勉強し直したうえで、特薬草の依頼をするそうだよ」
「ルロイからの依頼になるんですね。そこまでローザにいるのかな、私」
一か月先のことなんて考えもしなかったサラである。
「ローザでやりたいことはすべて終わったと?」
そうクリスに問われたら、いいえと答えるしかない。
「まだ魔の山に行っていません」
正確には、行ったけれど、本当に行って帰ってきただけだ。
「管理小屋まで行きたいし、そこからゴールデントラウトのいる渓谷や、ガーゴイルのいる崖も見てみたいし、なにより増えた知識で、特薬草やギンリュウセンソウを見つけてみたい。高山オオカミだってちょっとしか見てないんです」
「あれは愛玩動物ではないのだが」
サラの熱意に、クリスが苦笑する。
「どういうタイミングで魔の山に行こうかな」
「行けるといいがな」
不吉なことを言わないでほしいものだ。
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