黙らせる
「転ばないように、転ばないように」
サラが山道で怖いのは、下り坂のほうである。
先導するクリスが無駄な力を使わないようにバリアの内側に入れて、丁寧さを意識しながら一定の速度で進んでいく。
「うう」
「あ、目が覚めたみたいです」
そうして一生懸命進んで、怪我人の目が覚めた気配がしたのは、魔の山を抜けて草原の安全な街道に入ったところだった。サラはクリスに合図して、いったん歩みを止めた。
「ルロイ。大丈夫か」
「は、はい。やっぱりクリス様だった。夢じゃなかった」
今まで眠っていたとはいえ、昨晩一度、意識は戻っている。
「私は担架で運ばれているんですか。君は、サラか。そうか、クリス様の助手に……。うらやましい」
そんな場合かとか、助手ではないとかサラは言いたかったが、それだけローザでクリスが慕われていたということなのだろう。
「助手ではない。それぞれ独立して働く薬師だ。だが、弟子ではある」
「うらやましい、うらやましい」
レコードなど聞いたこともないサラだが、これが壊れたレコードのようだということなんだなと思う。
「うるさいな。お前も弟子だろうに。そんなことより、具合はどうだ」
クリスがどうでもいいことのように切り捨てているのがちょっとかわいそうだが、うるさいので仕方がない。
「私も弟子。はい。そうです、私はクリス様の弟子、はい」
寝転がったまま宙を見つめてぶつぶつ言うルロイに、特級ポーションの副作用を疑うサラである。
「手足は動くようです。少し体と頭が重い気がしますが、頭痛もなく、どこかが痛むとか調子が悪いとかそんな感じはありません。体を起こせるかというと……」
クリスがルロイの背中を支え、ゆっくりと体を起こすのを手伝った。
「ふむ。めまいなし、大変疲れた感じはしますが、問題ありません。立ち上がることもできそうです。おや?」
ルロイはゆっくりと足を担架から下ろすと、左右を見渡した。
「お二人しかいませんが。誰が担架をかついできてくれたのでしょう。私はいったい何に座っているのですか? 下に支えがありませんが」
少しずつ頭がはっきりしてきたのか、左右を見る目がせわしなくなる。
「私がバリアという魔法で作った担架に乗せてます。さあ、少し水を飲みましょう。少しずつですよ」
パニックに陥る前にと、サラは用意していた水を飲ませた。
「ポーション入りですね。雑味のないさわやかな味。重い怪我をした後に飲むのに、水とのバランスもいい」
薬師らしい反応をした後、ルロイはクリスの手を借りて立ち上がると、いろいろと用を済ませてまた担架に横たわり、安心したようにほっと溜息をついた。
「バリアというものを初めて見ました。ハンターの使うクンツの盾というものを長くした感じですね」
護衛の使っていたクンツの盾も茶色なので、連想しやすかったのだろう。いちおうクリスが訂正を入れてくれた。
「クンツの盾のほうが、サラのバリアを真似して作られているんだ」
「そうでしたか」
サラのバリアが知られる前に、使い勝手のいいクンツの盾のほうが人々に知られていく。面白いものだとサラは思う。
「とにかく寝心地がいいです。仕事柄、担架はよく見ますが、人手がかからず、揺れず、不思議な感じですね。なんだか楽しいです」
「だいぶ回復してきたようだな」
クリスはほっとしたように体の力を抜いた。担架に乗る人たちはなぜ皆楽しそうなのか。
「頭がはっきりしてきたところで、改めて言わなければならないことがある。ルロイ、君には特級ポーションを使った」
「特級ポーション。はい、確か昨日もそう言っていましたね」
「覚えていたか。いいか、よく聞きなさい。一か月の間、無理をしてはならない。特に魔法を使うことは絶対に許可しない。調薬も駄目だ。なぜなら調薬には魔法を使うからだ」
「調薬は魔法を使う? そう、そうですね、確かに魔力を一定に注ぎますね」
ハンターも騎士も身体強化を魔法だと認識していない。薬師も慣れてくると無意識で魔法を使うから、その魔法が魔力を使っているのだと認識していない。
今まで特級ポーションを使うのは騎士かハンターだけだったからあまり考えなかったが、薬師だけでなく、職人が使う場合も想定しなければいけないだろう。
「特級ポーションの注意書きに、薬師と職人も入れたほうがいいですかね」
「その通りだな。落ち着いたら薬師ギルドに周知しよう。ではそろそろ出発するか」
サラとクリスが出発しようとすると、ルロイが安心したように微笑んだ。
「よかった。これでローザのギルドも安泰です」
サラは、話しているルロイの担架を、サラの後ろではなく、クリスと話しやすいように前に移動してあげた。そしてルロイを挟んで、えっほえっほと街道を走り出しながら、ちょっとルロイのことを気の毒に思った。なぜなら、話している相手はクリスだからだ。
「何が安泰だ? 言っておくが、私は二度と、どこのギルド長にもならないぞ」
優れた薬師ではあるが、怪我人の心に配慮するなどという繊細な思いやりはクリスにはかけらもないというのに。
「なんということだ。朝出勤すればクリス様がいて、薬師が仕入れてきたギンリュウセンソウで竜の忌避薬を作る。ギルドは笑い声であふれ、納入するポーションに困ることもない生活が始まると思っていたのに」
「そんな生活は私がギルド長だった頃もなかったではないか。私は忙しく薬師ギルドにいる暇もなく、薬草は常に足りなかった」
クリスが冷静に指摘している。
「これは特級ポーションの副作用か? 妄想が症状の一つである可能性はゼロではない」
サラがひっそりと心の中で疑っていたことをクリスは口に出してしまう。
「妄想ではありません。クリス様がいた時の薬師ギルドは、薬草こそ足りませんでしたが、何の波風もたたずうまく回っていたではありませんか」
「人はそれを停滞と呼ぶのだ」
クリスの返事には苦々しさがあふれていた。
サラは襲ってくるツノウサギを眺めながら二人の話を静かに聞いていた。
おしゃべりできるほど回復したのはよかったが、ここは無理せず口を開かないほうがいいのではないかと思うが、クリスが止めないなら出しゃばる必要はない。
「ネフのところへ行きたいと思いつつ、常に足りない薬草類でなんとかポーションを作る。ギルドを回すのに精一杯で、結局ネフのところへはほとんど行くことができなかったし、新しいことを試す余裕もなかった」
そういえば、王都から薬草がなかなか来ないから、サラの採取してくる薬草でしのいでいた時期があった気がする。
「むしろもっと早く辞めて、ネフと一緒に魔の山で暮らせばよかったのだ」
この発言にはサラはあきれてしまった。
そのころ仕事を辞めて魔の山に押しかけていたら、自分の責任を果たせと、ネリーには振られていたんじゃないですかと指摘するべきかどうか。
流れの薬師になってからネリーに告白するまでいったい何年かかったと思っているのだろう。
「あの方がいたから……」
きっとネリーについてろくでもない恨み言を言う気に違いない。
「そうですね、王都の薬師ギルドのノエルがこないだ言っていましたよ」
まるで嘆くようなルロイがその先を言わないよう、サラは焦ってさえぎった。
「クリスが王都でもローザでもギルド長をしてくれたのは、ネリーがいたからであって、薬師ギルドはネリーに感謝をするべきなんでしょうね、って」
「それはっ!」
「おや、お話で興奮するようなら、口を閉じて休んだ方がいいですね。落ち着かないようなら、昨日飲んだポーションをもう一度出しましょうか。よく眠れますよ」
サラ流の「黙れ」である。
ネリーのことを悪く言う奴に容赦はしないのがサラの方針である。
そして、ノエルを通してネリーを褒めるというサラの作戦は見事に当たった。
クリスの機嫌がよくなったのだ。
「ノエルはそんなことを言ってたのか。さすがに、将来を嘱望された薬師、見どころがある」
「ほんと、そうですよね。さすがノエルです。自慢の後輩です」
ちょっとだけ、サラのほうが年上なんですよというアピールもしておく。
ルロイがサラのほうに向ける視線には好意とはいえないものが宿っていたが、サラはむしろ感謝してほしいくらいだ。
ネリーのことを悪く言っていたら、ルロイはクリスから嫌われていたかもしれないのだから。
特級ポーションはものすごく体力を消費する。
近くにクリスがいてはしゃいでいたルロイも、サラに話を邪魔されて気が抜けたのか、担架での移動が気持ちよかったのかはわからないが、その後はごねずにすとんと眠りに落ちてしまった。




