君がいるから
ヨゼフは指示だけ出して終わりだろうと思ったがそんなことはなく、サラとノエルの上司的な存在として聞き取りにも付いてきてくれる。以前だったら絶対に嫌だと思っていただろうが、いったん身内に入るとその腹黒さはサラに向けられることはなくなった。
そうなると、薬草ギルドでも地位の高いヨゼフの存在は、若くてなめられがちなサラとノエルにとってはとてもありがたいものである。特に騎士隊に行くことになった時は、本当にいてくれてよかったと思う。
「サラ、久しぶりだね。すっかり薬師らしくなった」
経験のある騎士を集めるのに数日、わざわざ副隊長のお出ましである。しかし、歯の浮くようなお世辞はなくなったので、リアムもサラにとってはだいぶましになったと言える。
「お久しぶりです。今回はご協力ありがとうございます」
返事はすぐだったが、特級ポーションの経験のある騎士を集めるのに数日かかり、しかも集められた騎士の数はそう多くはない。若くてもヨゼフと同じ、二〇代後半くらいであり、後は三〇代から四〇代の落ち着いた騎士だった。
「数はもっといるのだが、その多くは騎士を辞めて別の仕事についていて連絡が取れない。あるいは、ハンターになっている者もいるが、そちらはハンターギルド経由で話を聞いてほしい」
リアムが事情を説明してくれる。
「騎士隊にも特級ポーションは備蓄されているけれども、数は少ない。最近の渡り竜討伐は命にかかわるような怪我をすることはないが、だからといって、他に危険な仕事がないわけではない。現にタイリクリクガメの件では死者も出た」
それはサラは知らなかった。
「それでも、使用後の回復期をどう過ごすかがわかれば、今よりも気軽に使えるようになる。そうすれば命が助かる者も、騎士を続けられる者も増えるかもしれない。聞き取り調査はこちらからお願いしたいくらいだ」
「一つ、誤解しないでほしいんだが」
ヨゼフが目を細くすがめてリアムのほうを見た。金髪、青い目の二人は、濃いと薄いの区別はあれどイケメン対決だなとサラはぼうっと眺めるのみである。リアムとの直接の交渉をしなくていいのがとても気が楽だ。
「回復期を過ごせるのは、助かった者だけだ。特級ポーションは、使いどころによっては命を失う危険な薬であり、要望があったからと言って騎士隊に納めるとは限らないからな」
「使わなければどのみち死ぬ場合、特級ポーションが手元にあるのとないのとは大きく違う。騎士隊に覚悟のない者はいない」
顔だけじゃなくて、会話でも対決していてハラハラする。けれども、サラやノエルではそこまで言い切れなかったと思うので、やっぱりヨゼフがいてくれて助かったと感じる。
「さて、それでは順番に話をうかがいたいと思います。サラ、お願いします」
ぴりりとした空気もなんのその、ノエルが早速聞き取りを振ってくれたので、サラは質問表を取り出して質問を始めた。
「まずは怪我の状況と、その時の記憶から聞きたいです。次に、目を覚ますまでの日にちと」
てきぱきと進めていくと、一人あたり十数分で済む。その中でも一番時間がかかるのが、回復期の間に身体強化や魔法を使ったかで、アレンと同じように、普段から身体強化を無意識に使っている人ほど、使ったかどうかあいまいであった。
サラが気になったのは、怪我をした状況によって、回復期の過ごし方が違うということだ。
騎士団を出た後、薬師ギルドに戻ってきてから、サラは質問表を広げて見比べてみる。
「頭部に負傷して、意識を失って回復した人は比較的早く日常に戻る、身体強化や魔法を使って力が落ちている。体にひどい怪我を負ったものは、怪我が治っても訓練再開に慎重であり、仕事に戻るまでにも時間がかかって、結果として身体能力も変わらない、そんな気がします」
「まさか。見せてみろ」
聞き取りの時からサラが感じていたことは、質問表を改めて見てみるとはっきりしている。
「なるほど。本人が怪我を自覚しているかどうかで変わってくる可能性があるのか。だが」
「ええ。母数が少なくて、確実ではありません」
ヨゼフがパラパラと見ている質問表を見ずに、ノエルが返事をする。おそらく見なくてもすべて頭に入っているのだ、この優秀な後輩は。
「私もそう思います。けど、これから質問する人には、この点に注目する必要はあると思います。それからやっぱり、身体強化や魔法を使った人のほうが後遺症が残っているという傾向ははっきり見えてきた気がします」
大切なのは、回復期をどう過ごすか。怪我の自覚がないと無茶をしやすいということがはっきりすれば、アドバイスもしやすいということになる。
「うーん。面白いね。薬を作って供給するのが本来薬師の仕事なんだが、使用感や使用後について調べるのも、こうしてみると薬師の仕事だという感じがする」
ヨゼフが口の端を片方上げた。
愉快な気持ちでいるのだろうが、やはり腹黒さが外にも出ているなあとサラは思う。
sそれでも、ヨゼフとも悪くない関係が作れそうだ。思っていたよりもずっと気楽な王都暮らしが始まりそうだとほっとするサラに待っていたのは、ハイドレンジアに置いてきた気がかりだった。
「お嬢様」
ウルヴァリエのタウンハウスの執事は、サラのことをかたくなにこう呼ぶ。
「ただいま戻りました。あ、明日は友だちと食事の予定なので、夕食はいりません」
「承知しました。ところで、お客様がお待ちです」
「お客様?」
サラには薬師以外、王都に知り合いはいないはずだ。騎士隊には知り合いがいるだろうという心の声は聞こえないことにする。
「こちらへ」
と案内されたのは、応接室ではなく、食後にみんなでお茶を飲む部屋だった。前回ネリーやライと滞在した時は、よくここに集まっていたなと懐かしく思い出す。
「どうぞ」
開けられたドアから素直に入ると、そこに立っていたのは背の高い砂色の髪の少年だった。
思いもかけない人の姿を見て、サラは固まってしまった。
「アレン」
「サラ」
サラをまっすぐに見るアレンは久しぶりに見た気がする。
「俺もいるけどな」
「うむ」
なぜか少し離れたところにクンツとエルムが向かい合って座っている。
「え、どうして、アレン」
サラが王都に来てからまだ一週間もたっていない。なぜアレンも王都に来たのかはわからないが、深層の仕事が終わってからだと考えても、相当無理をしてやってきたことになる。
サラは焦ってアレンに駆け寄った。
「身体強化で走ってきたんじゃないよね? 一ヶ月たったとはいえ、まだ無理しちゃダメじゃない! あ」
そして心配で思わず出た言葉にひるんだのは、アレンではなくサラ自身だった。
サラはアレンに伸ばした手を慌てて引っ込めて、胸の前でぎゅっと握る。
「ごめん、私。しつこく言うつもりはなくて」
これではまた同じことの繰り返しだ。
思わずうつむくサラの前から、一歩、二歩と下がっていくアレンの足だけが見える。
「ごめん!」
その声に驚いたサラの目に入ったのは、アレンの後頭部だ。
「お、お前! なにやってんの?」
座っていたクンツが思わず立ち上がって叫ぶくらい、衝撃の光景が目の前にある。
「ほんとにごめん! サラはしつこくなんてない! 全部俺が悪いんだ」
部屋の床に正座し、そのまま腕を伸ばして上体を地面に倒すスタイル。
つまり。
「ジャパニーズ・ドゲザスタイル。ハルトに聞いたんだ。これがサラのいた世界の、最上級の謝罪の姿勢だって。正しくは滑り込むらしいけど、ここ、そんなに広くないし」
顔を上げないままだから、アレンは床に向かってしゃべっていて、なんだか声がくぐもって聞こえるが、これはない。
「いや、それは」
いったいアレンに何を吹き込んでくれているのだ、ハルトは。
しかも、きっと漫画かなにかの影響に違いない。
「万が一サラを怒らせた場合の、最終手段だって。これで許してくれなかったら、もう」
伸ばした手の先が床をつかむようにぎゅっと握られる。
サラの胸のまえの手と同じだ。
「言い訳になっちゃうけど、俺、自分が何もできないのに、サラとクンツばかりが先に行っちゃうみたいで焦ってて。せめて、深層探索するサラのそばにいたくて、必死に頼み込んで雑用係にならせてもらったんだ。そんな仕事なんてないのに、むりやり」
なんで無理するんだろうと怒りさえ覚えていたが。その原因が自分にもあったなんて。
サラは思わずアレンの前に膝を付く。
「無理してるって、自分でもわかってた。それが後ろめたくて、サラが心配してくれて嬉しいはずなのに、あんなこと言ってしまったんだ」
「アレン。それで無理して、ハンターとしての力が落ちてしまったら、これまで何年も頑張ってきたことが台無しになっちゃうんだよ」
サラはそう言って、握りしめたアレンの手にそっと触れた。
アレンの気持ちはわかった。それでもサラは、アレンに無理をしてほしくなかったのだ。
アレンはやっと顔を上げると、触れた手を返して、サラの手をぎゅっと握る。
「うん。でも、後悔はそれじゃない。サラにひどいことを言ったことだ。毎日毎日後悔して、ごめんって言おうと思っても、なんでか口から出てこなくて。サラを傷つけるだけの毎日だってわかっていても、地上でサラの帰りを待つより、深層でサラのそばにいたかった」
「言ってること、めちゃくちゃだよ」
サラはくしゃりと顔を崩した。
ごめんと言いながら、無理をしたことを後悔していないという。
だけど、それはサラが怒ることだろうか。
サラもずっと考えていた。
もしアレンが無理をして、力が元の通りに戻らなかったらどうなのかと。
確かにアレンは苦しむだろう。苦しんで、でもそれを受け入れて努力し、後悔しない、そういう人だ。
では、サラは何が嫌なのか。
アレンの力がなくなることが嫌なのではない。アレンが悩み苦しむところを見るのが嫌なのだ。
「私も、勝手だったから」
「そんなことない! サラはいつだって完璧だ!」
「違う! アレンがどうしたいかも、アレンの力が弱くなるかもしれないこともどうでもよくて、ただただ、苦しむアレンを見たくなかっただけなの。自分がつらい思いをしたくなかっただけなの」
そんなサラの背に、アレンが不器用に手を回す。
「それの何が悪いんだよ。俺が苦しまないで済むようにって考えてくれる人が、サラ以外にいるかよ。みんなみんな」
アレンの手に力がこもる。
「自分だけを心配してくれる人が、たった一人でもいたらいいって思って生きてる。俺にはもう、そんな人がちゃんといるのに、大事にせずに傷つけて。ごめん。ほんとにごめんよ」
「うん。私もごめん」
「俺もごめん」
あんなに言えなかったごめんの一言が、一度口にしたらいくらでも言えるのはなぜだろう。
「うえっ」
「泣くなよ」
中身は大人なのに、涙が出てしまうのが恥ずかしくてたまらないサラである。
「それにしても、よくよくお嬢様を困らせるお客人ですね、アレン様は」
サラが落ち着いたころに、初めて声を発した人が、壁際に控えていた執事だったのにはサラも驚いた。
「なんのことだ? あ」
アレンの顔が赤く染まっていく。
向こうでクンツがポンと手を叩いた。
「ああー、そういえば」
「やめろ! クンツ! 思い出すな!」
「何のことだ?」
「エルム! なんでもないんだ」
慌てて立ち上がったアレンが、照れたようにサラに手を伸ばす。
そうだ、前に王都に来た時、アレンの気持ちが爆発したのもこの部屋だった。
サラはアレンの手を取った。
「私はいなくならないって、言ったのに」
「うん。それなのに、俺、自分のせいで失うところだった」
「ほんとだよ。もうあきらめちゃうとこだった」
「やばかった。俺、王都に来てよかったよ」
にかっと笑いかけるのはもういつものアレンだ。
「あれ?」
サラはここで初めて疑問に思った。
「というか、なんでクンツとエルムがいるの?」
クンツは仲間だからで済むが、エルムはなぜだろう。
「やっとこっちに気が付いてくれたか」
俺の出番かとばかりにクンツが立ち上がる。
「その前に、二人とも俺に言うべきことはないか」
クンツはまるでおいでおいでをするかのように、何かを求めて手をワキワキと動かしている。
サラははっと気が付いて、深々と頭を下げた。
「ありがとう! ずっと間に入ってくれてて」
「それ、招かれ人のお礼だな、サラ。合格だ」
ふんとふんぞり返ったクンツに、アレンもサラをまねて不器用に頭を下げた。
「ありがとう、クンツ。ほんとに、いろいろ」
「心配かけすぎなんだよ、アレンは。けど、合格! 仲直りしてくれたんなら、それでいい」
和やかな空気が流れたが、王都に来た理由はまだ明かされていない。
「俺とクンツは、これから一ヶ月、騎士隊の基礎訓練に参加することになったんだ」
「うん?」
「騎士隊では、見習い騎士の間に、身体強化や魔法を使う前の、基礎体力の付け方や魔力の扱い方などを学ぶ。この一ヶ月、アレンを見ていて、強いは強いが、自己流が過ぎる気がしてな」
「それで騎士隊で訓練を」
エルムの説明に、サラもようやっと理解が追い付いたような気がする。
「師匠であるネフェルも多少は基礎訓練をやっているはずなのに、なぜアレンに伝わっていないのかが不思議だ」
「それを言うならエルムがやっても伝わっていないということになりますよね」
クンツの突っ込みが鋭い。聞いてはいないけれども、おそらく巻き込まれて一緒に基礎訓練する羽目になったからだろうなとサラは気の毒そうな目で見てしまう。
騎士隊は基本的に貴族の子弟が入るものだ。アレンもクンツも平民なので、強くなるためとはいえ、貴族の、しかも、見習いの中に混じって訓練するのには気後れもあるのだろう。
元騎士隊長の息子で本人も元騎士のエルムのつてで、アレンとクンツを見習いの基礎訓練に送り込む。そうすることで、アレンの身体強化も、クンツの魔法も、今までより使い勝手がよくなるだろうとエルムは言う。
三人で王都に来た理由がやっと理解できたサラの目を、アレンがまっすぐに見つめた。
「サラ、やり直しだ」
「やり直し?」
もうお互い謝って仲直りしたのだから、やり直しも何もないと思うサラは首を傾げた。
「俺はこれから一ヶ月、身体強化も魔法も使わない」
「もう一ヶ月たったのに、さらに一ヶ月使わないってこと?」
「そうだ。一ヶ月、無理をしないで過ごすから、そうしたらサラが、身体強化を使っても大丈夫かどうか改めて判断してくれないか」
一ヶ月前、二人がケンカをしていなかった頃に戻って、最初からやり直したいんだ、そう続けたアレンに、サラが頷く以外に何ができただろう。
「つまり、皆さん最低でもあと一ヶ月はここに滞在されると、そういうわけでございますね」
執事の人が張り切っている。サラもちょうど、薬師の仕事で一ヶ月ほど滞在が延長になったところだったから都合がいいとも言えた。
「うん。じゃあ、皆さんよろしくお願いします」
つられてなんとなく頭を下げた三人と顔を見合わせて噴き出したサラは、こんなに楽しい気持ちになるのはいつぶりだろうと、なぜかにじんだ涙をそっとぬぐった。
9月25日、書籍8巻発売です。
詳しくは活動報告をご覧ください。




