合格
「君は薬師だな。先ほど採取をしているのを見た」
「はい」
サラは青い顔で、だがしっかりと頷いた。
「よく聞け。とりあえず一時しのぎに心臓は動かしたが、内臓がやられている。頭を打った時に身体強化が切れたのだろう。重さでやられたんだな」
サラは真っ青になった。心臓を動かしたということは、止まっていたということではないのか。今まで軽い怪我を担当したことはあったが、それほどひどい怪我を見たことはなかった。
「ポ、ポーションを」
サラがポーチを探ろうとしたが、赤毛の男は首を横に振った。
「上級ポーションでもおそらく無理だろう。深層で採取していたということは、君は持っているだろうか」
赤毛の男はためらうようにサラの顔をうかがった。
「特級ポーションなら、あるいは。それでも五分五分か」
「特級ポーション!」
まさにその試験のためにここにやってきたのだ。だが、サラの手元にはない。
「ネリーが! ネリーが持っています! おそらくクリスも!」
だが、二人が目を覚ます気配はない。
「本人でなければ、ポーチの中身を出すことはない。かわいそうだが、諦めるしかないな。ダンジョンではよくあることだ」
「諦める……。そんな馬鹿な。あなたは、あなたは持っていないんですか」
サラに持っていないか聞いたということは、この人は持っていない。それがわかっていてもすがるような気持ちで聞いてみる。
「一人で狩りをしているから、持っていても無駄だ。死にそうなときに自分で使えるとは思わない」
今の状況を見ていると確かにそうかもと思ってしまう。
アレンに震える手をそっと伸ばすと、心なしかさっきより胸の上下が弱くなっているような気がする。
「むり。ぜったいむり。諦めるなんて」
少なくとも今は生きている。サラは伸ばした手をアレンの頬に当てた。
「温かい。まだ間にあう」
サラはすっくと立ちあがった。
「やるのか」
「うん」
苦しそうな顔ですべてを見ていたクンツの一言に、サラは力強く頷いた。
「俺はどうしたらいい」
「ネリーに声をかけ続けて。起きてくれさえすれば、収納ポーチが使えるから」
「わかった」
本当は意識のない人を無理に起こすべきではないはずだが、この世界の治癒の成り立ちはサラのいた世界は違う。今はアレンのために無理をしてもらうしかない。
サラは一歩下がると、ポーチから長机をどんと出し、手早くポーションづくりの道具を並べ、先ほどしまったばかりの薬草籠をとんと置く。
「ガー」
「グー」
観客はたくさんのガーゴイルである。
赤毛の男の眉が上がる。
「それは、特薬草か」
「はい」
サラは一言だけ返事をすると、特薬草を三本取り出し、すりつぶし始めた。時間との勝負だ、余分に作っている余裕はない。
「作り方の手順はポーションと同じだってクリスが言ってた」
震えていた手と心は、慣れた作業で落ち着いていく。
なにより心を静かに保っていないと、魔力を一定に流せない。
だからどんなに気になっても、アレンのほうは見ない。
「ネリー! クリス! 起きてくれ!」
なんで基礎薬に気付け薬がないんだろうとぼんやりと考えながらも、クンツが声をかけているネリーのほうだって絶対に見ない。
サラは心から余計なことを追い出しながら、手元の調薬だけに集中する。
「ガー」
「グー」
バリアの外に積みあがっていくガーゴイルも見たりなんかしない。
やがて薬液の濁った葉の色が、透き通った赤色に変わっていく。
「たぶん、成功」
これをポーションの瓶に移したら仕上がりだ。
まだ熱いポーション液を、サラの魔法でゆっくりと冷やしていく。
鍋ごとアレンにかけたい気持ちを抑え、ポーションの瓶に上澄みを注ぐ。
「できました」
最後に転んでぶちまけたりしないように、慎重に。
青白く変わったアレンの顔に動揺しないように。
「かけますか、飲ませますか」
「体の中だから、飲ませたほうがいいんだが」
意識がないから、飲み込むかどうかわからない。
だが、赤毛の男はアレンの体を起こし、仰向かせて口を開けさせた。
「いちか、ばちか。やるしかない」
肺に入ろうが何だろうが、死ぬよりましだ。
サラは一口ずつ、口の端から赤色の筋が垂れるのも気にせず、アレンの口に特級ポーションを注いでいく。
「うっ。ぐっ。げほっ」
アレンが薬を嫌がって顔を背けるしぐさをした。
そんなしぐさでも、アレンが動いたというだけで希望が湧く。しかも、その拍子にのどがごくりと動いた。
わずかでも、薬を飲み込んだ証拠だ。
「今だ! 無理やりでもいけ!」
「はい!」
顔を背けるアレンをなだめながら、サラは残りのポーションを全部飲ませた。
「ふーう。う」
再び寝かされたアレンの胸は、大きくゆっくりと上下している。
白かった顔色も、赤みを取り戻しているように見えた。
それを見て、赤毛の男は右腕で額の汗をぬぐった。どうやら緊張していたらしい。
「効いたんでしょうか」
少なくとも、先ほどよりは顔色がいい。無事だとはっきり言える自信はなくて、サラはおずおずと赤毛の男に聞いてみる。
「効いたんだろうな。生きているということは」
「え?」
不穏な言葉に、サラは思わず聞き返した。
「いちかばちかと言っただろう」
「そういえばそうでした。つまり?」
「効いていなければ、今頃少年は死体になっていた」
いちか、ばちか。
すなわち、生きるか、死ぬか。
「ふえっ」
サラは思わずへたり込んだ。サラの作った特級ポーションで、もしかしたらアレンの死を早めてしまうかもしれなかったことを、改めて実感した瞬間だった。
「よかった、よかったよ、アレン」
先ほどまで必死にネリーに呼びかけていたクンツも、サラの横にどさりと座り込んで、震える声でアレンに呼びかけている。
そういえば、結局ネリーは目を覚まさなかったのだろうかとサラが顔を上げると、目を覚ましていたのはクリスで、上半身を起こして、ネリーの顔に両手を当てているのが見えた。顔を左右にゆっくり動かし、ほっとしたようにうんと頷く。だが体はふらついているから、クリスもたった今目を覚ましたところに違いない。
その優しい手つきを見て、サラの緊張も緩む。クリスがうんと頷いたのなら、目を覚ましていなくてもネリーは絶対大丈夫だからだ。
クリスがそっとネリーから手を離し、ふらつきながら立ち上がったので、サラは急いで立ち上がって場所を譲る。
クンツと同じように座り込み、そしてネリーにしたようにアレンの顔に両手を当てると、左右にゆっくりと動かしていく。
クリスの親指が、アレンの口元をゆっくりとぬぐう。
「この赤。特級ポーションか」
「はい。それしか方法がなくて」
「ふむ」
のどもと、胸、お腹、手足と、ふらつきながら這うようにして丁寧に全体を確認し終えると、クリスはほっと息を吐いた。
「危ないところだった。よくやった、サラ」
「はい……」
危ないところだったとクリスに言われて、改めて体に震えが走る。めったに褒めないクリスが褒めてくれたことより、アレンが助かった喜びのほうがずっと大きい。
「卒業試験、合格だな」
「え?」
突然のクリスの言葉に、理解が追い付かない。
「卒業試験だっただろう」
「そんな場合ですか!」
確かに、採取して特級ポーションを作るのが卒業試験だった。だが、ネリーが目を覚まさず、アレンが危険だった状況で、合格を言われても素直に喜べないではないか。
「全然嬉しくないです」
「それはそうかもしれないな。だが結果を出した。それは大事なことだ」
この状況で顔を見合わせても、乾いた笑いしか出ない師弟である。




