犬に例えると
「まず一歩」書籍7巻は11月25日、
コミックス4巻は同じく11月14日に発売予定です。
ハイドレンジアでも誰も踏み込もうとしない問題に、あっさり切り込むのはさすが姉妹である。
ネリーは何ということもないように、片方の眉毛を上げただけだった。
「どう、ということもありません。昔から変わらぬ仲ですよ」
「変わったように見えたのだけれど。昨日の様子では、私が無理に世話をしなくても、そろそろよい話が聞けそうだと思っていたのですよ」
「よい話、とは」
ここでネリーの察しの悪さが出るとは思わなかった。
なぜかエドモンドとキーライの男性組は、ラティを止めもせず面白そうな顔で二人を眺めているだけである。
「ゴホン、その。結婚よ、結婚」
さっきまで二人で結婚結婚と話していたのに、なぜ今になってためらうのか。
「結婚、ですか。クリスと?」
ネリーがそんなことを考えたこともなかったという顔をした。
「そもそも、クリスに結婚してほしいと言われたことなどありませんが」
部屋に沈黙が落ちた。
「嘘でしょ」
「やはりか」
「いったい何をやっているのだ、彼は」
ガヤガヤと大騒ぎだったが、サラにはどうしようもない。
「現地に先に行ってて、よかったというしかないですね、クリス」
こっそりとそうつぶやくにとどめた。
ラティを納得させたとはいえ、縁談を匂わせて集めた人を、はい終わりですと返すわけにはいかない。ましてパーティで見せたネリーの美しさは、やってきた相手を魅了するに十分だった。
「ここから数日をかけて、集まった方々に、私が結婚に興味がないことを伝える必要があるらしい。今すぐにでも現場に出たいのが本音だがな」
「私が仮のパートナーになろう。薬師のキーライが常にそばにいると伝われば、少なくともガーディニアに住んでいる者は、そういうことかと諦めがつくだろう」
「キーライ。しかしあなたは確か奥様がいたはずではなかったか」
ネリーの言葉にキーライは少し悲しい笑みを浮かべた。
「こちらに引っ越してきてすぐに、私を残して逝ってしまったよ。薬師でも直せない病はある」
「それは、お悔やみ申し上げる」
ほとんど病気をしないからといって、この世界の人が長生きかといえば、そういうわけではない。ネリーの母のように、体の弱い人もいれば、アレンの叔父のように、魔物にやられて亡くなる人もいる。
「だが、キーライ、クリスの恩師として尊敬するあなたといえど、私は仮にでも付き合うつもりはない」
「もちろん、本気で付き合うわけではない。盾として使ってくれてかまわないと言っているだけだ」
その真摯な態度に、ネリーも最終的にはしぶしぶだが、頷いた。
そこからは、食事や行事のたびにキーライが付き添うようになり、何かを悟った婚約者候補たちは次々と屋敷を去っていった。
「クリスだって付き添っているのに、何が違うんだろう」
純粋なサラの疑問である。
「ええと、私は一日しか見ていないからはっきりとは言えないんだけど」
その疑問に答えてくれたのはアンだった。
「犬で例えると」
「犬なんだ」
サラは思わず声を出して笑ってしまう。クリスに犬耳が付いた幻を想像してしまったからだ。この数日、主に魔法の訓練を通じて、アンとはとても仲良くなっていた。クサイロトビバッタの件は気にかかってはいるが、思ったより楽しい毎日を過ごしている。
「クリスは、飼い主が大好きな犬かな。レトリーバーとか」
そう言うとアンは、右手に小さい炎を出して見せた。魔法の授業は恐ろしいほど順調だった。
「ふむふむ」
「キーライは、飼い主を守る系の犬。ジャーマンシェパードとか」
今度は左手に、もう一つ炎を出した。二つの炎を同時に出すなどということは、サラは最初から考えたこともなかったので、その進歩に驚くばかりである。
「なるほど?」
どちらもかわいくてかっこいい犬だと思うので、サラには違いはよくわからない。
「要は、ネリーに近づくなよと、周りにアピールできているかどうかじゃないかな」
「それだ!」
高校一年生まで元気に育ってきたアンは、実はサラよりは恋愛偏差値が高かったりする。
「魔法は自分が思い描いた通りになる。炎よ、犬になれ!」
アンの手のひらの炎は、ほんのりと犬の形になり揺らめいた。
「よし!」
アンは炎をしゅっと消してしまう。
「わあ、炎の魔法に関しては、私よりずっと上手だよ」
「まだまだだよ。そもそも曲がったりもしないし、バリアなんてどうやってもできないもの」
「バリアはねえ……。難しいと思う」
魔法を学び始めて三日でここまでできることのほうがすごいと思う。サラがなんとか魔法ができるようになったのは、魔物のいる山で必要だったからだ。
「あれは命を守るっていう切迫感から見つけ出したものだし、アンもいずれはできるようになると思うよ。焦らずに焦らずに」
「うん」
「それにしても、キーライって本当に大人の男性って感じ」
距離を縮めながらも、さりげないエスコートに嫌味はまったく感じさせない。
「そうかなあ? エドもあんな感じだし、普通だよ」
「普通のレベルが私の周りとは違う」
おしゃべりしながらキャッキャと魔法の練習をしていたら、アンの婚約者候補として最後まで残っていた少年が帰りの挨拶にやってきた。少年といってもサラと同じ年だ。
「アン。それにサラ」
ニコニコと見守るつもりだったサラは、自分の名前も呼ばれて驚いた。
「最初は繊細な部分に引かれたけど、アンがサラと一緒にいる様子を見てきて、やっぱり招かれ人は元気なところが魅力的だと考えが変わりました。僕はハルトを知っているんですよ。彼のことも尊敬しているんです」
少年は王都からやってきた伯爵家の子息だ。
「アンも、サラも、王都に来ることがあったらぜひ僕の家にも声を掛けてください。兄もいますし、従妹もたくさんいるんです」
「それはどうも?」
活発な振る舞いがどうやら好感度を上げたらしい。
アンがニコニコとごまかしているだけなのでサラが返事をして、年少組の最後の婚約者候補は無事に去っていったのだった。
サラは王都の少年を門のところで見送った後、同じ方向を背伸びして眺めた。
「皆もう、バッタを狩り始めている頃だろうなあ」
「サラも行きたかったですよねえ」
「うん。でも、私は狩りをするんじゃなくて、状況が見たいだけだからね。私よりネリーだよ。生粋のハンターだし、責任感も強いから。でも、そもそもバッタじゃ物足りないかな」
そう話していると、道の向こうに馬車よりも小さい影が見えた気がした。しかもその影はどんどん大きくなってくる。
「誰かがこっちにやってくるのかな」




