ネリー、最高!
「サラ。渡り竜の習性についてちゃんと説明しておくべきだった。私がワイバーンをも弾く絶対防御などと勝手なことを言ってしまったからこんなことに」
ライオットはサラの両手を握ってその手を額に押しいただくようにした。少しだけ白髪交じりの後頭部からは、後悔の気持ちが伝わってくる。
「その小さな体で渡り竜の咆哮をあんなに至近距離から受けたとは。私が騎士隊長をやっていた時でさえ、そんなことは数えるほどしかなかったし、その時もたくさんの騎士が周りにいたからすぐに助けることができ、なんとか事なきを得たくらいだ。倒れた七頭の渡り竜を見ながらアレンに話を聞かされた時はぞっとしたどころの騒ぎではなかったぞ」
「七頭。私が倒れた時は三頭は生きていたんだけど、麻痺していただけの渡り竜も倒したんだね」
サラはそれも気にかかっていた。麻痺がとれたらどうなるんだろうと。
「騎士隊が倒した。落としてしまった竜は殺すしかない。理由はよくわかっただろう」
「うん」
まさに今のサラがそれを証明しているというわけだ。
「空から渡り竜が降りてきた時、麻痺しかけていたのは三頭で、残りは心配で一緒に降りてきたという感じだったの」
「サラの言う通りだ。降りてきた時は仲間の竜を取り囲むようにしていたんだよ。でも、そのうち逃げていく人たちに興味を示したから、俺が魔法で攻撃してなんとか一頭は注意を引けたんだけど」
一頭だけアレンのほうに向かっていたのはそういうわけだったのかとサラの疑問が解けた瞬間である。
「渡り竜は基本単独行動だが、たまにゆるい群れを作ることもある。たまたまそれに当たったのだろうが、今回は運の問題ではなかったからな」
「運の問題?」
突然出てきた運の話に戸惑い聞き返すサラに、ライは苦々し気に頷いた。
「騎士隊が麻痺薬の実験で無茶をしたらしい。ずいぶん遠くの竜に麻痺薬を浴びせようとして、中途半端に麻痺させたまま取り逃がした。それが南西の丘で、降りたところがちょうど南の草原。サラたちのいたところだ」
「もう一カ月も実験を重ねているのに、なんでそんな無茶を」
「功を焦ったのだろうな」
サラは、王都初日にわざわざ挨拶に来たリアムを頭に思い浮かべた。仕事帰りそのままで、麻痺薬の匂いがしていた。実験は調子がいいようで、とても元気だったと思う。
「実験はうまくいってるのだと思ってました」
「うまくいっていたんだろう。だが、クリスが来てしまったからな」
「だって」
サラは不思議に思った。
「どっちがいいかではないでしょ? どっちも成功したらとてもいいよねという話だと思っていました。だから二つ並行して実験をするのだと」
「だが二つあったら自然に優劣がつく。初日はちょうどアレンが爆発した日だったから、サラはクリスの実験の話は聞けなかったと思うが」
そういえばクリスの話もネリーの話もクンツの話も全然聞くことなく、薬師ギルド二日目に突入したのだった。
「俺、ほんと今回いいところないなあ」
ぼやくアレンにライオットも苦笑いである、
「竜の忌避薬はそれはもうよく効いたそうだ」
「さすがです。クリス」
忌避薬づくりと効果的な使い方を実験するのにまず一年近くかかっているのだ。その準備が報われてよかったと思う。
「一定の距離を置いて忌避薬を振りかけた焚火をする。上がった煙を、なるべく幅広く魔法師が拡散させる。実験はそれだけだが、竜は明らかに煙を嫌がって逃げるように方向を南寄りに変えたそうだ。ということはつまり」
「騎士隊の待つ南西の丘には竜はこなかった?」
「正解だ。さすがサラ。理解が早い」
一日特にすることのなかった騎士隊は焦り、普段なら手を出さない距離の渡り竜にむりやり麻痺薬を浴びせたらしい。だが、そんな距離で訓練もなしに正確に当てることはできずに、今回の件になったということだ。
「それも実験と言えば実験だけど」
「人的被害を出すようでは、実験は失敗だったな」
サラは失敗だったのだろうかと思う。サラがたまたま被害に遭っただけで、他の人は無事に逃げていたはずだし、実験そのものはあまり失敗だったとは思えなかったのだ。それからはっとしてアレンのほうを見た。
「建物の中にいたあの人たちは? 大丈夫だった?」
「ああ、無事だった。結局建物は壊されずにすんだし、実は家の中には何人も人が残っていたらしいよ」
「なら、少しでも役に立ったのかな。私たちが行っても行かなくてもおんなじだったかなって、ちょっと思ってたの」
サラはえへへと笑った。
あの時モナとヘザーの手を引きながら考えていたのだ。二人はそもそもちゃんと安全を確保したところにいた。もしサラもアレンもいなくても、他の人と一緒に逃げて助かったのではないかと。
ライオットはサラの手を握ったまま、大きく首を横に振った。
「あの時、もう少し王都の中心部寄りの建物の高いところから一部始終を見ていた人が何人もいたんだ。サラは建物を守ったと思っているようだが、違うぞ」
確かに、サラたちは地面にいて、目の高さの真実しか知らない。
「渡り竜は、逃げる人の群れを追って町の大通りに向かおうとしていた。その気をそらせて草原にいる自分に向けたのがアレンだ。それで人々が逃げる時間が確保された」
さっきのアレンの説明と一致する。
「人々が遠くに行ってしまうと、渡り竜には追う理由がなくなった。だから、あまり見たことのない建物に興味を持って近づいたらしい。それを防いだのがサラだ」
「すぐに気絶したらしいですけど」
サラが渡り竜を防いでいた時間などたいしたことはなかったことだろう。
「見ていた人たちも、竜の咆哮が聞こえて少女が倒れた時は衝撃を受けたと言っていたな。それから少年が飛び込んできて、もう駄目だと思ったらなぜか無事で、だが、結局竜は町へ向かったと」
サラはアレンの背中におぶさったことを思い出して、それも見られていたのだと思うとちょっと恥ずかしくなった。
「だが、まるで何かの壁に阻まれているように竜は前に進めなくなった。そうこうしているうちに、赤毛のハンターが、ゴホン」
ライは突然咳払いした。
「つまり私の素晴らしい娘であるネフェルが風のように走ってきて、渡り竜を殴り飛ばしたそうだ。タウンハウスが王都の南にあれば私も見られたかもしれないのに」
咳払いしたのはネリーのことがあまりに誇らしくて感情が高まったからなのだろう。
「その時のネフェルをこの目で見たかったものだ」
「俺は見ましたからね」
アレンが胸を張っている。目をつぶっていたサラに実況解説してくれたのもアレンだから、ばっちり見たのだろう。
「やっぱりネリーはかっこいいや」
「その通りだとも」
部屋に笑い声があふれたが、ライオットは急に真面目な顔に戻った。
「つまり、アレンとサラがいなかったら、大通りを逃げる王都の民に直接咆哮が浴びせられたかもしれなかったということだ」
サラは自分が一瞬で意識を刈り取られたことを思い出してぞっとした。
「そして複数の建物が破壊されていただろう。そうなっていたら建物の中にいた人々も無事だったかどうかわからない。よって、アレンとサラが行った意味はあった。それが結論だ」
「はい」
友だちになったばかりの人たちのために、後先考えず行動したことが、結局は人のためになったのなら、怖い思いをしたかいがあったというものだ。
「それと、ほんとにごめんよサラ。護衛とか言って、結局はいつもサラの力に頼ってしまう。サラのバリアの弱点を見つけたからって、俺には何にもできないじゃないか」
情けなさそうなアレンに、サラは微笑んだ。
「でもあそこでアレンが飛び込んできてくれなかったら、そしてバリアを張り直すように言ってくれなかったら、どうなっていたことか。そもそも私もアレンがいることを前提に飛び出しちゃったからね」
お互いのことをよく知っているから、それを当てにしてしまう。だが、それも悪いことではないとサラは思うのだ。
「今回のこともそうだけど、私にしかできないことがあって、アレンにしかできないことがある。案外いいコンビだと思うんだけど」
アレンはちょっといたずらな顔をした。
「だったら一緒にダンジョンに」
「行かないよ」
本当はそこに貴重な薬草があるなら行くかもしれないけれど、冗談で終わらせようとしてくれたアレンに、今は乗っかろうと思う。
「よし、今日ゆっくり休んだら、明日からいよいよ薬草採取だ!」
「いや、もう一日休んで、何をするか改めて考えたほうがよいぞ」
それもそうだと思ったサラは、そのままゆっくりと休ませてもらったのだった。
明日は「転生幼女」更新
明後日は「まず一歩」更新です。




