ナツの呼ばれた理由
部屋を移動して、ナツはすっかり圧倒されていた。
カフェテラスのようにオシャレで清潔な空間――窓からは明るい陽光が刺し込み、テーブルや椅子、絵画や彫刻などの調度品は、いずれも高級そうで、先ほどまでいた暗くて湿っぽい部屋とはまるで異なる環境だったからだ。
おそらく、ここは来客用の応接間といった場所なのだろうが、そのスケールとグレードについては、海外の大作映画に出てくるような派手派手しい王族、貴族の映像と比べて、まるで遜色がない。
察するに、この屋敷はかなりの豪邸なのだろう。金貨や銀貨を無造作に散らかしていたことを思うと、少なくとも、お金に困る家でないことだけは確かだった。
そして、なによりここが異世界だとあらためて実感させてくれたのは――
(……コスプレなわけないだろうし、本物……よね?)
目の前で、テキパキとティーカップを並べて配膳していく、獣の耳を持った給士――ざっくりいえば獣人メイドさんであった。
種族はトラやネコのようなものだろう。年齢は自分と変わらないくらいに見えるが、はっきり言って、同性の自分がうらやましいと感じてしまうくらいに可愛いらしい。物腰柔らかな仕草は、ずいぶんと堂に入ったものであった。
(美人に可愛い子に……なんだかヘコむなぁ。それにこの人。たぶん、すっごい金持ちなんだろうし――)
テーブルの対面に座る、黒い美女にちらっと視線を送り、ナツはのんきにそんなことを考えた。
「ナツちゃんって、ずいぶんと落ち着いているのね。キモが据わっているというか――普通、もう少し慌てたりするものだと思ったのに」
用意された茶をさっそく啜って、先に口を開いたのは魔女のほうだった。しかし、ナツにとって、その第一声と、悠長に構えた様子には、いくらかの不快感を覚えた。
「いっとくけど。そっちに見せてる態度と、私の気持ちがどっちも一緒だとは思わないでよ。これでもけっこう驚いてるし……怒ってるんだから」
「へえ。怒るって、どうして?」
「当たり前でしょうが! ええと……。まず、あなたは私の名前を一方的に知ってるけど、こっちは未だに知らない状況って、どう思う?」
「あら、これは失礼。べつに隠していたわけじゃないの。ただ言い忘れてただけ。名前はディルディアよ。ついでに教えておくと、親しい人はディアって呼ぶし、こちらから親しくしたいと思っている人にもそう呼ばせているわ」
「そう、ディルディアさんっていうの。ありがとう。なら、それはオーケー。そしたら次の話。むしろこっちが本題なんだけど……」
白銀に輝いていた"光の渦"と、その時に聞こえていた声のことを思い出しながら、ナツは続けた。
「いったい、どうしてわたしをココに呼んだの? なんだかお願いされたみたいだったから、ついついノリで来ちゃったけど。なんか、とくに用事なんてなさそうな雰囲気だし。あの時の声って、ディルディアさんで間違いないんだよね?」
「ふふ、水臭いわね。ディアで良いのよ。それとも、それがナツちゃんなりの苛立ちの表現だったりするのかしら」
「いいから答えてよ。理由次第じゃ、ホンキで怒るんだから」
「そうねぇ。とはいっても、どっから説明したものか……。それより個人的には、ナツちゃんが本気で怒ったほうがどうなるのか、むしろ見てみたいかも?」
そのすっとぼけには、さすがのナツもカチンときたらしい。両手でバシンっとテーブルを叩くと、つい衝動的に立ち上がり、さらに声を荒げた。
「あんたね!!」
――と、叫んだ矢先、その視界を大きな"画面"が覆った。それは、先ほど魔女が示してみせたステータス画面であった。
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名前 :織原夏
年齢 :17
レベル :1
称号 :魔女の被害者
魔法 :なし
一般スキル:絶対音感、作詞作曲、不撓不屈
特殊スキル:心響歌唱
超常スキル:幸運、自動翻訳
固有スキル:絶対詠唱
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空中に浮かぶホログラム映像を見ながら――ナツは早々に、一つの決定的に見逃せない項目を見つけてしまった。
「ちょっと。これって、私のことよね。称号のところに"被害者"ってあるけど……これはいったいどういうことよ?」
魔女の被害者。文字通りに考えるなら、その加害者は魔女である。そして、魔女に該当する容疑者は、今、まさに目の前にいる。
「いやー……。本当ならね、伝説の勇者と同等のステータスになるハズだったの。なのに、なんかよくわかんないけど、自動翻訳以外の指定付与スキルは消えちゃってるし、なぜか魔女の私ですら見たことのない、超珍しそうなスキルがいくつか付与されているし……。いったい、どういうことなんだろ?」
「……質問しているのは私なんだけど?」
「いやいや、魔法陣も完璧だったと思うのよ。オリジナルを徹底コピーした上、入念に日を重ねて、慎重に機能拡張の調整をしていったわけだから。事実、召喚自体はうまくいったし、術者であるわたしが異世界に干渉して相手を選別するという新機能自体もうまくいった。じゃあ、問題はどこにあったのか。もちろん、イレギュラーとなった原因はすでに明確。答えは、異世界同士を繋ぐ"境界"に精神滞在することが想像以上に難しかったという点ね。おかげで、リサーチも念話も十分にできなかったし、わたしの"母体"も未だに漂流したままだし――」
「……」
半眼になって、厳しい視線で詰問するナツに対し、ごにょごにょと、なにやら難しげな専門用語を、言い訳がましく並べていく、魔女ディルディア。
こちらの世界にやってきて、まだ間もないナツだったが――その気まずそうに視線を逸らしたままでいる表情がどんな意味を示すのかということには、さすがに同じ人間である以上、察しがつく。
(……上等よ……)
そう決意を固めて、ガサゴソと、自前のリュックサックから、一つの"現代アイテム"を手探りで取り出しておくと――ナツはつかつかと魔女の近くへ歩いていって、さらに尋ねた。
「私にはコッチの世界のことはよく分からないんだけど……。今の話をまとめると、あんたは勇者とやらを召喚しようとしたら、それに失敗して私を誤って呼んでしまった、って理解でいいのかしら?」
「惜しい! 正確には、ナツちゃんを最強の勇者として召喚しようとしたら、その恩恵はほとんど得られず、だいぶ貧弱な状態で呼んじゃったってとこね。なぜかレアなスキルはあるけど、どれもたぶん戦闘向きとは思えないし――」
「ほほーう、なるほどなるほど。ちなみに、どうして私みたいな普通の女の子を、わざわざ名指しで最強の勇者とやらにしようとしたのか、そこんところ、もう少し詳しく説明してみてくれる? 普通、もっと強そうな人とか選ぶわよね?」
「それならさっき言った通りよ。あっちの世界で人材を探す時間を十分に得られなかったから、まあテキトーに――」
「てきとう」
「いや、ちがうのよ? 短い時間でも、ちゃんと選別はしたんだから。さすがにオッサンとかオバサンの勇者とかはイヤじゃない? だから、できるだけ若い子をと思って探したんだけど――あの時、ナツちゃん以外にあんまり若い子がいなくてね。それで仕方なく」
「しかたなく」
「あーと。えーとね……ナツちゃん? なんだか顔がちょっと恐いわよ」
確かに彼女の言う通り、平日の夜行バスに乗車する青少年なんて、あまりいないだろう。しかも、地方出発の便だったから、なおさらだ。ナツだって、普通に高校へ通って、普通に学生生活を送っていられたなら、そんな思い切った行動は起こしていなかっただろう。
だから、魔女ディルディアの立場で考えてあげるなら、苦境の中での最善――いわゆる苦渋の選択であり、仕方のないことだったのだろう。
しかし、それはつまるところ、こういうことである。
「要するに、アンタは最強の勇者とやらを召喚したかったけど、失敗した。そして、勇者のステータスにならずに呼ばれてしまった私に対しては――おそらく、なんの用事もないって認識でいいのよね?」
「ふふ。ナツちゃんは理解が早くて助かるわ。その通り!」
なぜか無邪気そうに屈託のない笑みを浮かべる魔女。たまらず理性が飛びかける――が、その前に、ナツにはどうしても最後の確認をしておく必要があった。
「へえへえ、そうかそうか。ふふふ。なるほどなるほど……ってことは用事がないんだから――もちろん、私は元の世界に帰してもらえるのよね?」
「あー、そればかりはどうしようもないのよね。なにしろ召喚の魔法陣って、神々の遺産であって、人が生み出したものじゃないから。理論的な証明がされていない以上、根本の機能自体を変えることは不可能。呼び寄せることはできても送り帰すことはできない、完全な一方通行なの」
「は? いや、だって、おもいっきり私に声かけてきてたじゃん。あんな感じでひょひょいー、と戻してくれたらオッケーなんだけど?」
「本当にごめんなさいね。あれは移動ではなくて、ただの干渉。そして、そのちょっと声をかけるだけの術式ですら、10年ほどの年月をかけて、最近ようやく仕上げることができた成果なの。いや、正確にはまだ未完なんだけど……なにしろ結果は半分失敗。わたしの"母体"は未だに境界空間を漂流中で、そもそも完全に戻ってこれるかどうかも怪しいというペナルティつきなわけだし――」
「えっと。それはつまり?」
「ナツちゃん。過ぎたことを考えていても仕方ないわ。人生、前向きが大事。これから分体のわたしと楽しく生きる方法を一緒に考えていきましょ☆」
いったい、どこで覚えたのか、現代特有、てへぺろダブルピースの決めポーズを構える、ディルディア。
この時、ブチンっと、何かの切れる音がしたのは、あくまでナツの頭の中だけの出来事であった。
(この――)
元の世界に帰れないことが分かったのなら、もう何も気を遣う必要はない。
ナツは先ほど準備していたアイテム――自前のマイクに電源を入れて、そのボリュームを最大に設定し、本件の諸悪の根源である魔女の耳元で、持ちうる肺活の全力全開を振り絞り、ただひたすらに、思い切り絶叫してやった。
「このばかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――!!」
今後、書いていく中で、ステータスは後からいじったりするかもです。ご容赦くださいませ。




