異世界と魔女
(ここは――?)
目覚めたナツは、おもむろに起き上がると、その怪しげな部屋をぐるっと見渡した。
固い石床に描かれた、巨大な魔法陣――そこを中心に、あたりには"たくさんのモノ"で溢れかえっている。
でたらめに積み重なる書物は数百冊をゆうに超えており、見たこともない生物のハク製や骨、爪や牙や毛皮などの素材が、壁や天井の至るところに吊り下げられて、視界一杯を迫力満点に覆っている。
さらに目を惹くのは、"金目のモノ"だった。天井に並ぶ燭台の明かりに照らされて――長剣や短剣の剥き出しになった刀身、金貨や銀貨、鉱石や宝石などの輝きが、チラチラと伺い見える。
(たぶん、ここの人は片づけできないんだろうな――)
つい、のんきにそんなことを考えてしまうくらい、まあヒドい散らかりようだったのである。きっと掃除なんかも長くしていないのだろう、年季の入った古臭いカビの匂いが充満しており――ノドへの影響を考えると、ナツにはとても不快な場所にしか感じられなかった。
「っていうかさ。おーい! だれもいないの?」
確かめるように、そう呼びかけてみるが、返事はまったくない。また、足元の魔法陣を抜け出て、近くの様子を探ってみても、およそ人の気配は感じられない。
だが、それは明らかにオカシイことだった。少なくとも、
(あの声が私に呼びかけてきて、今、こんなヘンな場所にいるわけだしね)
足元の魔法陣――。おそらくはコレが原因で移動させられたのだろうとは思う。最近、バイト先の友達からすすめられた、いわゆる異世界系のマンガが、ちょうどこんな感じの展開だったからだ。
あとはこの場に王様だったり、女神だったり、創造主とか名乗るような相手がいれば状況も説明してくれるのだろうけど……はたして自分を呼び出した存在は、どこに行ってしまったのやら。
「うーんと? たしか、異世界とかに呼ばれると、ステータスが見れたり、トンデモな強さになったりするんだっけ?」
そんなことを思い出しながら、試しに、近くの本棚に向かってパンチをしてみるも――ナツはすぐに後悔した。
「……おやおや? フツーに痛いんですけど?」
本棚は至って、無傷。突き出した拳は、ジンジンと痛み、いくらかシビれている。また、いくらステータス画面とやらを想像してみてもまったく現れないし、ついでに魔法なんか使えたりしないかと思って、それっぽく念じてみたが、もちろんこちらも変化ナシ。
それ以上続けると、ただのイタい人になりそうだったので、ナツはファンタジーを夢見ることを1分も経たないうちに諦めて、すぐに決意した。
(うん。とりあえず、外に出てみよう)
このまま待機していても、ただただ八方塞がりなだけである。そして、なにより恐れたのは、この部屋の空気の悪さが、大事な歌声に悪影響を及ぼしかねないからだった。
そうして入り口の扉に手をかけたところで、ナツはふと思い直した。
今の自分の所持金は3万円とちょっと。あとの貯金は口座に預けているが、これがもし本当に異世界だったら、はたしてどちらも使えるかどうかは分からない。リュックのお菓子も、数日くらいはしのげるかもしれないが、それで打ち止めだ。
結論。もしかしたら17歳の非力でか弱い女子が、無一文の状況で、見知らぬ土地にぽいっと放り出されることになるのかもしれないわけだ。
「つまり、先立つものは必要よね……?」
チラリ、と振り返り――先ほどの"金目のモノ"をじっと見つめると、ウフフフフ、と欲望にまみれた笑いが自然とこぼれてくる。
(いやね。盗むわけではないのだけど、ちょっとした換金をね。そうそう、あくまで換金。ちゃんとした数字は知らないけど、たぶん金貨って一枚百円くらいなものだと思うのよね。形もなんか似てるし、きっとそう――)
なんて、すべての物事を自分にとって都合の良い方向に解釈して、まさに今、ナツが現行犯になろうとした時、その声は再び聞こえてきた。
――あああああああ! あとすこし! やっと発見!!――
「へ?」
見れば、急に魔法陣がざわつき出していた。石床に刻まれた模様すべてがぼわっと発光して、シアンやエメラルドの色合いに輝く、不思議な気体の集まりが渦を巻き、その中央に集まり出している。
次第にそれらは形状を整え出して、おぼろげな人の姿を織り成していた。
「ふう。やっとパスが繋がった。まさか分体の制御まで失うなんて――やっぱり、さすがにもう少し慎重にやるべきだったわね」
「えっと――」
「ああ。ちょっと待ってて。もう少しイメージを具体化させてから……」
声の主がそう言うと、ぼんやりとした人の輪郭がみるみるうちにくっきりと仕上がっていき――最終的にその場に現れたのは、独特の黒装束に身を包む、とびきりの美女だった。年齢は一回りから二回りは上といったところか。"同性の憧れる妖艶な大人の女性"というテーマをそのまま体現したような容姿であった。
「ふう。おまたせ。あなたは無事に移動できていたみたいで良かったわ。オリハラ・ナツちゃん」
「ちょっと。なんで私の名前を知ってるの――」
「そんなのカンタンなことよ。わたしほどの魔女になると、大概の相手は"識別"できちゃうもの。ほら、こんな風に」
すっと、魔女を名乗る彼女が、指を空中でスライドさせると――そこには、先ほどナツがどんなに頑張ってもまったく表示されなかった、四角いホログラム状のステータス画面がしっかり現れていた。そこの見出しには、確かに、"織原夏"と、フルネームの漢字まで正確に記述されている。
わけのわからない状況に戸惑うナツだったが、もう大体すべての察しはついていた。
「つまり、ここはやっぱり異世界で、あなたが私を連れてきたってこと?」
「ええ。まあ、こちらからすれば、あなたのいた世界のほうが異世界ってことになるけど……とりあえず、その両手に持ったものは元に戻して、ゆっくり話しましょうか。ナツちゃん?」
ニコリと笑う魔女。
すると、手元に隠し持っていた金貨が勝手に動いて、空中に取り上げられる。おそらくは魔法とか、そういう超常の力を使ってのことなのだろう。
ふよふよと浮かぶそれらを見ながら、ナツは観念するように、深くため息をついた。
(本当に来ちゃったんだ。異世界ってやつに……)
ステータスは次回!




