プロローグ
気づけば私は夜行バスに飛び乗っていた。
一番のキッカケは、東京の音楽事務所へ送ったデモ音源に返信があったことだった。スカウトから電話もあり、「上京の許可が降りるのであれば事務所一丸で特別のサポートをしていきたい」という熱烈なお誘いの言葉は、高校に行けなくなってしまった私にとって、なによりもの励みになり、また、推進力となった。
それからは田舎の安いアルバイトでコツコツ貯金をして、念願の目標50万円を達成。続いて、最大の懸念だった宿も、センパイのトモダチ経由でルームシェアの許可をゲット。
金あり、宿あり、夢のアテがあり・・・。つまり、あとはもう上京するしかないわけだった。
(東京! 東京! TOKYO! TOKYO! トーキョー! トーキョー! トーキョー!!)
狭苦しいシングルシートに座りながらも、頭の中はすでに東京一色。都会をテーマにした名曲の数々を頭の中で流して、私はずっとライブモード全開でテンションがアガりっぱなしだった。Welcome to TOKYOとは、まさにこんな感じだろうか。
だけど、スマホに届いていた1通のメッセージに気づいてしまうと、そんな気持ちは一気に盛り下がってしまった。
『このバカ娘。もう知らない』
母親からの返信内容――それは、最後の最後まで"上京を認めてはいない"という、反対の意志に他ならなかった。
いきなり行方不明になると心配するだろうから、念のための連絡だった。でも、こんな不快な気持ちになるなら黙って去れば良かったとも思う。
(なんで大人って、ああなんだろ……。だれが何を言ったって、私は絶対にこうするんだから、ムダなことなのに)
ヘッドホンを外すと、シャカシャカと漏れる音が、暗い車内に小さく響いた。ちょっとイヤなことを思い出すだけで、あんなに盛り上がっていた気持ちがガクーンと一気に下がるのだから、心というやつは不思議なものだった。
それから窓の景色をぼうっと眺めていると、やがて車内は就寝の時間になっていた。他の乗客たちが眠る準備を始めており、自分も同じように毛布をかぶって、シートの上で器用に横たわってみる。どうやら、いつもの布団の寝心地と違って、熟睡はできそうにない。だけど、そんなことは二の次のことでしかなかった。
照明の落ちた暗闇の中、じっと天井を見つめて、私はあらためて決意を固める。
(絶対、歌手になろう)
今も昔も変わらない夢。ただそれだけを願い、想い、行動することが私にとってのすべてだった。
だから、この時に手を伸ばしてしまったのも、そのためだったのかもしれない。
――あなたに決めたわ――
「え?」
突然、聞こえてきた声に驚いて、そう声を漏らすと――
(なにこれ……夢?)
思わず、目を疑う。なぜなら、その一瞬の戸惑いの間に、周囲の景色が綺麗サッパリなくなっていたからだ。そこに存在していたはずの乗客やバス、さらには外の景色までも、そのすべてが消えており――どこを見渡しても、ただ真っ白い空間だけが広がっていたのである。
そして、ふと頭上を見れば、そこには"光の渦"が浮かんでいる。ところどころ銀色の小さな粒子がキラキラと散っており、なんだか、とても神々しい輝きを発している。
――時間がないの。おねがい。来て――
頭の中へ直接響いてくる声は、あきらかに女の声だったが、その姿はどこにもまったく見当たらない。どうやら、こことは違う、ずっと遠くの場所からささやきかけているらしい。
(もしかして女神様とか? って……そんなわけないよね?)
――あなたの願いは分かっている。大丈夫。それを叶えることも――
どうやら向こうの声は一方通行らしい。こちらの気持ちなどお構いなしだった。
(フツーに考えたら、こんなの怪しいだけなんだけど……)
いつもであれば無視を決め込むべき場面ではある。しかし、この時には、一つの直感が、常識というブレーキを完全に壊してしまっていた。
まさに今、自分が夢に向かって動き出したタイミング――そんな時に起きた超常現象なのであれば、きっと良い方向へ繋がることに間違いない、と、何の疑いもなく、本気で信じ込んでいたのである。
さらにいえば、頭であれこれ考えるより先に、身体のほうが勝手に動いてしまっていたのだから、これはもう、どうしようもないことだった。
そうして夜行バスに飛び乗っていた時のように、気がつけば手を伸ばしており――歌手を夢見る少女、オリハラ・ナツは、その光の中へ消えていったのだった。
すごく久しぶりに"なろう"へ復帰しました。
また、ぼちぼち書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。




