12:そこが君のいいところ③(白鳥視点)
俺がキレた飲み会の3日後、社食で日替わり定食を食べていると、隣に佐々木が腰掛けた。
「この前は悪かったな。」
俺が言うべき台詞を佐々木が先に口にした。
「お前に謝られる覚えはないぞ。」
「いや。俺が誘った飲み会なのに、嫌な思いさせたからさ。」
佐々木は何も悪くない。抑えが利かなかった俺が大人気なかっただけだ。
「気にするなよ。俺も場を悪くしたからな。」
後悔しているわけではないけどな。
「ああ、あいつらには『白鳥はくだらない噂話が嫌いだから気を付けろ』と言っといたから大丈夫だ。」
佐々木が言ったことは半分事実だけど、微妙に違う。俺が嫌いなのは“伊集院華蓮にまつわるくだらない噂”だ。他の奴のことなら、不快に思いながらも聞き流すことができた気がする。
ん? なんでだ? 他の奴らの噂話は聞き流すことも出来るのに、なぜ、伊集院の場合は腹が立つんだろう?
そこはとても大事なところのような気がするんだが、俺の思考は佐々木の言葉でかき消された。
「それで。お詫びってわけでもないけど、仕入れてきたぞ。“伊集院の噂の真実”」
「真実?」
佐々木は、伊集院の直属の上司である後藤主任になぜ伊集院だけが来客の対応をするのか尋ねてきた。
最初「営業事務の中の話だから」と渋っていたが、「伊集院に変な噂が流れている」と告げると主任の表情が一変し、教えてくれたようだ。
理由は3つ。植原にセクハラまがいの言動をする顧客がいること。派遣社員が入れるお茶があまりにマズイこと。派遣社員の香水がキツイこと。
簡単に言うとそんなことらしい。なんだよ、あいつら自業自得じゃねえか。確かに、あいつらの淹れるお茶は飲みたくない。半径3メートルくらいの距離ですら臭うもんな。
「後藤さん、えらい剣幕で怒ってたぜ。『くだらないこと言う奴がいたら私のところに連れてきなさい!』って。」
後藤主任はきちんと物事が見えてる人のようだ。良かった。植原以外にも伊集院の味方がいるらしい。
「で。後藤さんの話によると、あの子たち、伊集院に嫌がらせもしてるみたいなんだよな。」
「嫌がらせ?」
ここのところ、伊集院ではありえないようなミスが相次いでいるらしい。よくよく目を光らせてみると、あいつらが故意にそうなるように仕向けている節がある。
「どうしてそんなことをするのか、理由が分からなかったけど、きっとそれね。ありがと、佐々木君。あとはまかせておいて。」
後藤主任は鼻息荒く立ち去ったらしい。頼もしい人だ。
しかしサイテーだな、あいつら。社会人として以前に、人として間違ってるだろ。
「飲み会の席では、俺ももっと気を配るようにするけど、心配ならお前もこれからも顔出せよ。」
「ああ。そうだな。」
そう。これからはできるだけ俺が守ってやろう。あいつが植原を守るように。
決意を新たにした俺を佐々木が生温かい目で見ていたことに、俺はまるで気付いていなかった。
俺が、自分の気持ちにやっっっっっと気が付いたのは、それからさらに1年が経った去年の春。これまた同期会の席でだった。
佐々木が「白鳥に来てほしかったら、くだらない噂はするな。」と周知徹底してくれたおかげか、伊集院に面と向かって嫌味を言うような奴はあれ以来いなかった。
でも、噂が消えたわけじゃない。いまだにまことしやかに囁かれてる。普通、噂ってのは75日で消えるはずなのに、ずいぶんとロングセラーだ。
だから、俺はいつも見張っていた。伊集院を傷つけるような輩が来たら即撤去できるように。
「相変わらず、鋭い目で見つめてるな。」
例によって、佐々木が俺の隣に座った。
「見つめてるのもいいけどさ。一体いつになったら話し掛けんだよ。このままじゃいつまでたっても告白なんかできないぞ。」
「は!?」
告白? 誰が、何を??
「あれ? 違うのか? お前、昔っから伊集院のことばっかり見てるから、俺はてっきりお前は伊集院狙いだとばかり…」
「いやいや、待てよ!」
俺が? 伊集院を? 何言ってんだコイツは。そんなんじゃない。俺は、ただ、あいつを守ってやりたいんだ。あいつが、植原と楽しそうに話してるあの柔らかい表情を。
「…まさか、気づいてない…とか?」
佐々木が心底驚いた顔で俺を見つめた。気付くも何も、そんなこと考えたこともなかった。
そりゃ、あいつの強いところを好ましく思ってる。植原のために一生懸命なところも。ああ、あとは、はっきりとしたよく通る声、ピンと背筋を伸ばして歩く様もいい。そして…あの時、植原に「自分が思った通りに行動してる」と言い切った時の自信に満ちた目。あれを思い出すとなんだか鼓動が早くなる。
「いいと思ってるところは多々ある。」
「だから! それは好きってことじゃないのか!?」
そうなのか!? 言われてみれば、伊集院を見てると、こっちを向いてほしくてたまらなくなる。あの声で俺に話し掛けてくれたらモアベター。
この気持ちを“好き”って言うのか!
「…初めて知った…。」
俺がボソッと呟くと、佐々木はやれやれとため息をついた。
「お前…意外と鈍い奴だったんだな。」
「…そうみたいだな。」
俺の前に突き付けられた衝撃の真実。あまりの驚きに呆然としてしまう。
「変だと思ってたんだよ。せっかく俺が定期的に飲み会をセッティングしても、お前、ストーカーチックな目で見てるだけなんだもんな。」
「俺のためだったのか!?」
知らなかった。俺らの代の同期会がやけに頻繁だとは気づいていたが…。俺や植原に近づきたい奴らにせがまれてるせいだとばかり思っていた。それにしても、ストーカーチックってなんだよ。
「金魚のフンのために4年も面倒な幹事を引き受けるわけないだろう。」
ごもっとも。
「…長いこと、苦労かけたな…。」
「いいってことよ。それより、やっと自覚できたんだろ? これからはガンガン行けよ。」
…そうだな。俺、伊集院が好きなんだよな。なんでこんな簡単なことに気が付かなかったのか。じゃなきゃ、こんなに気になることないはずだよな。まして、守ってやりたいと思うなんて。
「まかせておけよ。」
力強く頷くと、佐々木は「頑張れよ」と言ってジョッキを掲げた。
そうだ。俺は伊集院をモノにする。あんないい女、眺めてるだけなんてもったいない。
この時、俺は相変わらず付き合ってる女がいた。よし、まずは身辺整理だな。彼女がいる分際で伊集院に近づくなんてできないからな。
次の日。俺の頬には真っ赤なもみじマークがついていた、女に別れを告げるのも初めてなら、引っぱたかれたのも初めてだった。いきなり「好きな女がいる。別れよう。」って言ったんだから当たり前だけどな。
身軽になった俺は、さっそく行動を開始した。佐々木に頼んで、飲み会では伊集院の隣の席を確保してもらうことにした。
そして、やっと初めて言葉を交わせた日を俺は忘れない。
「ひとみちゃん、海に行ってきたんだ。いいなぁ、私、何年も行ってないかも。」
俺のすぐ隣で伊集院の声がする。感激だった。いつも、少し離れたところから漏れ聞こえてくる会話に耳を傾けていただけだったから。でも、それももう終わりだ。これからは、その声も瞳も、俺の方を向かせてやる。
「伊集院、海が好きなのか?」
今、声が上ずっていなかっただろうか? 情けないけれど、人生26年目に迎える初恋だ。たったこれだけを言うのに、すごく緊張した。
「海? うん。好き。」
突然会話に加わった俺に、一瞬警戒の色を浮かべて伊集院が返事をした。植原狙いかどうか見定めてるってとこか。安心しろ。俺の狙いは植原じゃなくお前だ。
「海と山ならどっちが好きなんだ?」
いつか迎えるべく初デートに向けてリサーチ開始だ。「海」と答えを聞いた俺は、その日家に帰って、おススメの海のデートスポットをネットで検索した。
それからも、俺は伊集院の隣を陣取り、色々な会話をした。初めは植原に近づくための当て馬かと疑っていた伊集院も、回を重ねるにつれ、その警戒を解いていった。
飲み会の席だけでなく、俺は機会があれば会社でも話しかけるようになった。少しでも趣味や好みを聞き出したくて。
スポーツが好きらしいことも分かった。休みの日はジムに行くこともあるらしい。俺と一緒だ。
次は、ステップアップしてデートに誘うか。あんまりガッついて見えないように、さり気なく持ちかけよう。
…が。伊集院は一筋縄でいく女ではなかった…。
デートの定番、映画に誘えば「興味ない」。「飲みに行こうぜ」と誘って「分かった」と言うから浮かれていたら同期会になってる。
「…ほんとは、2人で飲みたかったんじゃないか?」
佐々木が気の毒そうに俺に聞いてきた。分かってんなら言ってやってくれよ! あの鈍い女に!!
俺も鈍かったけど、伊集院は輪をかけてひどかった。たぶん、俺が毎回飲み会のたびに隣に座っていることさえ気づいてないだろう。
行動開始、1年経過。俺もそろそろ限界だった。もう待てない。あいつが欲しい。自分だけのものにしたい。こんなやり方じゃだめだ。あいつは一生気付かない。たぶん、自分に恋愛感情を抱く男が存在すること自体、想定外なんだろう。
意を決した俺は、正面切って告白することにした。いや、自分のものにするならプロポーズしちゃった方がいいよな。俺にはすでにその覚悟ができていた。
そして、やっと、2人きりで会うことに成功した俺は、自分の思いを伊集院に告げた。俺にとっては一世一代の告白だった。
それなのに。それなのにあいつは…
「あんたの名字が“白鳥”だからよ-----!!!」
あの、よく通る声で叫んで(しかも人を指さして)居酒屋から立ち去った…。




