11:そこが君のいいところ②(白鳥視点)
最初の数回、飲み会で植原と伊集院の姿を見ることはなかった。が、佐々木のねばりが功を奏したのか、ある時から2人で参加するようになった。でかした、佐々木。
植原は、一番端に座る。その隣は伊集院の指定席。待ち構えていた男たちが群がって行くが、そびえ立つ伊集院の壁に阻まれて、ろくに話も出来ず引き返してくる。
「あっちへ行ってて」とか「飲ませないで」とか、相変わらずの良く通る声で植原に集る虫を追い払う。すげえな。弁慶みたいだ。
そこへ、追い返されてきた男が口をとがらせてやって来た。
「佐々木~。なんなんだよ~、伊集院は。あいつのせいでひとみちゃんと話すことも出来ねえじゃねえか。なんだって、あんな奴まで呼んだんだよ~。」
もともと、男たちの間で伊集院の評判は芳しくなかった。男たちとあまり変わらない目線でハキハキ話す口調。キビキビした動き。
並みの男だと、見下されている感じがするのだろう。伊集院を苦手とする男は多かった。
「植原が『伊集院と一緒なら出る』って言うんだから仕方がないだろ。俺はちゃんと植原を連れてきた。あとは自分たちで何とかしろよ。」
佐々木がうんざりしたように言った。その通りだ。いいこと言うじゃないか。
俺も伊集院と話しに行きたい。が、あいにく俺は俺で女たちに囲まれて身動きが取れない。これじゃあ、何のために来たのやら。
そう思いつつも、俺はその後も飲み会に出続けた。話すことはなくても、伊集院の声を聞いたりするだけでそれなりに楽しかった。
飲み会を何度か繰り返す内、植原に近づこうとして撃沈した奴らが、皮肉をこめて伊集院を“ジャーマネ”と呼び出した。あえて業界用語なところに悪意を感じる。
何なんだあいつらは? 伊集院がいなきゃ植原は飲み会に参加することさえなかったと思うぞ?
参加しているとは言え、自分の周りに群がる男たちを植原は迷惑そうに見ているように感じる。俺も同じだから分かるんだ。
伊集院は、下心が透けて見えてる男たちの手から植原を守ろうとしてるだけなんじゃないのか? 友人として当たり前のことをしているのに、なぜ責められなきゃならないんだ。
そのあだ名はすっかり広まっているから、伊集院の耳にも入っていると思われるが、伊集院は特に気にする様子もなかった。
伊集院に関する、別の噂が流れ始めたのは2年前。
俺がそれを聞いたのは、同期会とは別の社内の飲み会の席だった。佐々木に誘われて、営業部の若い奴らと居酒屋に行くことになった。
「白鳥さ~ん。待ってましたよ~。こっち。ここに座ってくださ~い。」
行ってみると、営業部に配属されてる派遣社員の女が3人いた。佐々木に「なんだよ、コイツら。」と目で問いかけた。
「すまん。お前と飲むってばれたら、無理やりついてきたんだ。」
佐々木が俺だけに聞こえる声で詫びを言う。図々しい女たちだな。香水がキツいんだよ! 誰がお前らのそばに行くか。
「俺は佐々木と話したいからここでいいよ。」
「え~! つまんな~い」と文句を言う女たちを完璧に無視して佐々木と雑談していると「マジかよ!」「あのナリでよくそんなことするな」とかいう声が聞こえてきた。
うるせえな。少しは周りの迷惑も考えろってんだ。
いっそのこと今日は帰るか、と思いかけた時、気になる名前が耳に飛び込んできた。
「伊集院さん、愛想振りまいてすごいんですよ~。」
「ジャーマネってそんな奴だったんだ。」
ん? 伊集院の話題か?
「何の話だ?」
思わず話の輪に入ってしまっていた。待ってましたとばかりに女たちが喋りだす。
「伊集院さんてー、ウチらが若い男の人にお茶出しに行こうとすると、ムキになって止めるんですよ~。」
「『私が行くから』って、すごい剣幕で。あれって絶対、自分を男に売り込みに行きたいんだよね~。」
「売り込んだって、誰も買わないっての。」
「あの人さ~、会社の男の人たちに相手にされないから焦ってんだよ。よその会社の人だって同じなのにさ。」
「そのくせ『後片付けはお願いします』だもんね。ムカつく。」
「顔も性格も悪いのに男好きってサイアクだよね。」
「そのくせ、名前だけミョーにきれいでなんだか気の毒~。」
キャハハっと笑う女たちを見て怒りが込み上げた。どうやら、俺が怒ると禍々しいオーラーが発せられるらしい。昔、友達に言われたことがある。
その時もオーラが漂い始めたのだろう。俺が「最悪なのはお前らの腐った眼と香水の匂いだ」と言ってやるより早く、佐々木が俺の肩を掴んだ。
「白鳥。お前、あんまり調子良くないって言ってたよな? もう帰った方がいいんじゃないか?」
良くないのは機嫌だ。帰る前に、この女たちと、それに同調してる腐った男どもに一言、物申させてくれ。
「いいから。今日のところは帰っておけ。」
佐々木が小声で俺を説得する。俺の怒りに気づいていない女たちは「え~! もっと飲みましょうよ~」とほざいている。ふざけんな。お前らとはもう一分一秒たりとも同席したくない。
「分かった。帰るわ。」
ハラハラしてる佐々木にこれ以上気を使わせるのもかわいそうだから、俺はその場を後にした。
帰り道。俺は発散し損ねた怒りを抱えて1人で別のバーに寄った。いつもなら、俺が1人で飲んでいると必ず声を掛けてくる女がいるんだが、今日は誰も近寄ってこない。まだオーラが出てるんだろう。
飲みながら、さっきの伊集院の話について考える。…おかしい。伊集院が男に媚を売る? 想像もつかない。あいつはそんなんじゃないだろ。いや、いまだにちゃんと話したことさえないのにこんな風に言い切るのは間違っているかもしれない。
でも、俺には確信があった。いつも植原を守って男たちを敵に回す伊集院。大勢の男たちを前に「トイレに行きます」ときっぱり言い切る伊集院。俺の知る数少ないあいつの振るまいからでさえ、あの女たちの話はデマだと想像がつく。
それなのに、なんなんだよ。周りの奴らまで一緒になって。今日のメンツはほとんどが営業部の奴らだった。毎日一緒に働いていながら伊集院のどこを見てるんだ。
たぶん、この話もあっという間に広まるだろう。あの女たち、社食の女集団の中でよく見かけるからな。あんまりひどいようなら今度こそガツンと言ってやらなきゃな。
ガツンと言ってやる機会は割とすぐ訪れた。いつもの同期会の席でだ。
その日、伊集院のことをとやかく言う奴がいないか、俺は目を光らせていた。俺たちの飲み会には元々同期じゃない奴もかなり紛れ込んでくる。
この日も、普段は見かけない総務の女たちが来ていて、アイドル植原を面白くなさそうに睨んでいた。だったら来るなよ。
人数が多いので、いくつかのテーブルに分かれて座っていたが、俺は伊集院の姿が見える席を確保していた。
だいぶ酒が入ってきたころ、同期の男が伊集院に何か話しかけるのが見えた。あいつは、いつも植原に近づけず、伊集院の文句ばっかり垂れている男だ。嫌な予感がする。
そこへ、総務の女が参入した。会話の内容はほとんど聞こえてこないが「意外と男好きなのね~」と言う声と、心からバカにしたような女の笑い声だけは聞こえた。
もう許さん。
再び怒りのオーラを纏って立ち上がった俺を佐々木が引きとめたような気がしたが、今回ばかりは俺の耳に届かなかった。
近付く俺の目に、冷たい怒りの表情を浮かべた植原の顔が映った。お、同志。
が、植原が口を開く前に伊集院が慌てて連れ去った。危険な空気を察知したんだろう。まあいい。当事者はこの場にいない方がいいかもな。
俺は、伊集院に何やら言っていた男と女の前まで歩みを進めた。「おお、白鳥。飲んでるか?」と男が声を掛けてきた。うるせえ、友達でもないのに気安く呼ぶな。
「白鳥さ~ん。ちょうど、席が空いたんですよ。座りませんか~。」
今しがた、連れ立って出て行った伊集院と植原の席を指さして女が俺に言った。
「…誰がお前らと飲むかよ。」
言われた内容が理解できないのか、そこにいた奴らは一瞬キョトンとした顔をした。
「くだらない噂話をする奴らと誰が一緒に酒なんか飲むかよ。」
もう1度、はっきりと言ってやると、さすがに俺の怒りに気が付いたのか、全員黙り込んだ。
「伊集院が男好き? それはお前らの方だろ。男と話すときだけ鼻にかかった声出しやがって。」
怒りの矛先が、間違いなく自分たちに向けられていると知り、女たちは顔色を失くした。
「し、白鳥、どうした? 俺ら、そんな噂が流れてるって話を伊集院にしただけだよ。」
男が場を取り繕うように明るい声で言った。
「そ、そうなんです。」
「私たちも、詳しくは知らないんですけど~。」
ここぞとばかり、女たちが言い訳を始める。が、それは俺の怒りの火に油を注いだだけだった。
「詳しく知りもしないことで人を馬鹿にするなんてよくできるな。お前ら何様だ?」
言葉を失くした女たちは俯いた。正直、この場で正座させて1時間は説教してやりたいところだが、すでに女たちは涙を浮かべていた。
…嘘くさい涙だな。
何気にマスカラを死守する余裕が伺える。とりあえず泣いておけば「私、いじめられてます」って雰囲気になるもんな。図々しいにもほどがある。
相手にするのもばからしくなった俺は、佐々木に「騒がせて悪かったな。」と声を掛けて帰ることにした。
店を出ると、物陰から話し声が聞こえた。この、存在感の強い声は伊集院に違いない。そう言えば、植原と出て行ったっきりだったな。
なんとなく気になった俺は、様子を伺いに行った。すると、話してる内容まではっきり聞こえてきた。
「ひとみちゃん。私は、自分が思った通りに行動してる。それで周りに何か言われることがあっても、それはひとみちゃんのせいじゃない。」
伊集院の声には凛とした響きがあった。それに、あの自信に満ちた表情。
きれいだ、と思った。
男とか女とか、そういうことを抜きにして。まっすぐ前を見据えた眼差しは迫力さえ感じた。
植原も、俺と同じように感じたのだろう。「華蓮さんと仲良くなれてよかったです」と言って微笑んだ。その植原を見て、伊集院が心底嬉しそうな顔をした。
いいな、あれ…。
あんなに柔らかい表情の伊集院は初めて見る。いや、会社にいる他の奴らも見たことがないだろう。植原だけなんだろうな。
あの表情を向けられている植原が、ひどくうらやましいと感じた…。
この時点で伊集院への自分の気持ちがなんなのか、俺はまだ気づいていなかった。
なんてマヌケなんだろう…。
白鳥視点があと2話続きます。




