PAPER 10 ー人間の条件ー 2
病気とか精神病とか、身体の障害とか、そんな色々な理由で働けない人間は、なんで死ななければならないのかなあ、と、アビューズは思うのだ。もっと突き詰めていくと、職場や軍隊などで、上司の命令にちゃんと従えなかったり、ちゃんと首尾よく仕事をこなせなかったりする人間は、なんでクズ扱いされるのだろうかなあ、と。
不要な命。
不要な命。
不要な命。
不要な命。
……………………。
もし、エンプティが拾ってくれなかったら、自分の命運はどうなっていたのだろう? 聞く処によると、自分のような特殊カリキュラムを受けた少年兵達の人生は、悲惨なものばっかりだったと聞く。自殺したり、養父、養母を殺害してしまったり……。
ずっと、刑務所の中で過ごしているような人生だ。
ヴェンデッタは、自分の鏡だったし、だからこそ、壊さなければならない。そうする事で、前に進めるような気がする。
誰かの正義は、他の誰かの正義を押し潰す。善とか悪とか、正義とか倫理観とか、きっと、それは形を変えて、色々と間違いを犯していくのだろう。
アビューズは、自らの抑えきれないエゴと、自由に憧れる心の為に、今、刃を振るって、唯一無二の恩人である、エンプティを裏切ろうとしているのだ。
†
銃の引き金を引く。
ヴェンディの能力は、敵が死ぬ位置が分かる。先程まで目の前にいた赤ずきんの男は少ししりぞいて、物陰に隠れた。位置は分かる。物陰に隠れていても、無数の赤い点となって、敵の死の地点が、彼女の眼から見る事が出来るのだ。
最初に、この赤い点が見えるようになったのは、いつだったか。
幼い頃に、飛んでいるセミを見て、セミの身体の所々に見えたような気がする。それが何だったのかを理解するのに、十年くらい経過した。彼女が高校生に入った頃くらいの頃に、近所の野良猫を見ていると、点の途中に、赤い線が走っている事に気付いた。彼女は、その線に沿うように、鉛筆を投げ付けてみた。
すると、鉛筆は、綺麗に野良猫の喉に刺さって、猫は絶命してしまった。
自分の能力の概要は、敵の死の位置が分かる、という事なのだろうか。
この能力を有効に使うには、拳銃がなじむ事が、後で判明された。彼女は簡単に狙撃の名手になっていた。赤い線に沿う事は簡単で、赤い点に到達させるのは、とても自然な事だった。
物陰に隠れていようが、人間を含めた命は、赤い点ばかりだ。何処に敵が隠れていようが、彼女は赤い線を辿る事によって、敵の位置が分かる。多分、この能力をより生かすには、戦場だ。戦場で、ガレキやジャングル、水の中、何処に隠れていようが、赤い線を辿る事によって、敵の位置が分かってしまう。
†
アビューズの太股に、銃弾がかする。
足が出血していく。
闇夜だ。
ヴェンディを見失ってしまっている。
アビューズは、左に飛ぶ。
右肩に銃弾がかする。
即座に飛んでいなければ、撃たれていたのは心臓だった。
敵の射撃の腕は異様だ。
相当な実力者だ。動いていなければ、必ずヒットするだろう。
†
アビューズは、まだ完成途中の、オリンピックのドームの中へと入った。観客席を走り去る。此処が、決戦の舞台に相応しい、と彼は考えていた。
オリンピック。
この国の、医療や教育費、福祉予算などを削って作られた、邪悪な祭典だ。
そして、この国の暴力の象徴そのものだった。
この周辺にいた、警備員達は、見つけ次第、片っ端から当身を使って気絶させていった。一般市民は、一人も巻き込まない。それが、アビューズとヴェンディの中の、暗黙のルールだった。
どちらも、政府や大企業の為に、殺しを行ってきた。
もしかすると、互いの立場は違っていたかもしれない。
ヴェンディが、彼を追跡してきた。
そして、自慢のマグナムの引き金を引き続ける。彼女の能力の概要は分かっている。標的の位置が、黙視してなくても視る事が出来る。
二人以外、誰もいない観客席の座席の一つが、銃弾によって破壊される。
アビューズは走っていた。
†
ドームの中の中央にいた。
グラウンドは、整備途中だ。
「まるで、此処が、世界の中心のようだな」
彼は呟く。
完全に無防備だ。はっきり言って、撃ってくれ、と言っているようなものだ。隠れて、狙撃されれば、極めて危険な状態に陥る事になるだろう。
「こいよ、俺を殺してみろ」
静かに。
マグナムの引き金が引かれる。
アビューズは、撃ってきた弾丸を、刺身包丁で切り落とす。何発も、何発も、撃たれる。切り落としていく。
座席の背後に、かがみながら、連射していっているのだろう。位置は分かる。
そう。
逆なのだ。
市街地や、ビルを挟んで撃つ方が、ヴェンディの能力による“障害物に関係なく、敵の位置が分かる”という能力を無効化出き、むしろ、見晴らしの良いここからだと、彼にとって、ヴェンディの位置が分かりやすいのだ。
刃物を投げる、投てきによる攻撃は苦手だ。アビューズの手を離れれば、この握った刃物は、鉄など切り裂けない、ただの刃にでしかなくなる。アビューズは異常な殺人技術ではなく、超能力によって、バターのように鉄や弾丸などを手に持った刃物で切り付けているのだ。
……なあ、こいよ。俺は、お前のところまで行ける。
引き金は引かれ続ける。
次々と、アビューズは、弾丸を切り落とし続ける。……戦略らしい、戦略は、自分では考えていないのかもしれない。ただ、対決したい。その衝動で戦っている。
アビューズは、もう一つ、刺身包丁を取り出して、二刀流になる。
彼は、瞼を閉じる。
弾丸が、飛んでくる。彼の身体は、コマのように回り出す。まるで、踊っているかのように、彼は回る。二つの刃物によって、弾丸は叩き落とされる。
そして。
彼は跳躍した。
観客席の一つに着地した。
ヴェンディの姿が見えた。
彼女は、笑っているように、見えた。
二つの刃を手にして、アビューズは、ヴェンディの下へと跳躍する。着地後に、首を刈るつもりでいた。
今度は、ヴェンディの方が、飛んでいた。何度か、着地し、その場所へと向かう。
「とても、見晴らしがいいわね」
彼女は、嬉しそうだった。
「ねえ、アビューズ。お前とは違った形で会えたかもしれない」
彼女は、先程まで、ヴェンディがいた場所にいたアビューズに向かって、マグナムの連射を続けていた。彼女も二つの腕で、二丁の拳銃で、アビューズを攻撃していた。
アビューズは、何度も、跳躍する。
何発か、被弾してしまう。
………………。………………。
アビューズの右腕は撃たれていた。貫通している。二発もだ。マトモに刺身包丁が握れず、思わず、地面に取り落とす。
「これで、この前のお返しはしたわね。お医者様から、あんまり左腕を動かすな、って言われているから。傷害が残るかも…………、ホントはリハビリしなければならないのにね」
しばらく、二人は無言だった。
互いに、オリンピック会場内部の中央のグラウンドで、静止していた。
「ありがとう、アビューズ」
ヴェンディは、そう言う。
「私、恋人に向き合う事にした。……好きだから、愛しているから。……アビューズ、貴方は裏切る事によって、自由を選んだのだと思う。この体制の犬になりたくないから……」
「ああ、俺はこの国は間違っていると思う…………、俺の上司も、きっと間違っている…………」
「うん…………、私の上司も、間違っている。私も間違っているし、この国の殆どの人達も間違えている。みんな、自由にならないといけない。戦って、この国がおかしいんだ、って考えないといけない……」
ヴェンディの拳銃の引き金は引かれる。……やはり、だ。アビューズは気付いていた。二丁拳銃と言っても、彼女が左手で引く行動は若干、右手よりも遅い。
傍から見ると、馬鹿馬鹿しい戦いなのだろう。
障害物が何も無い場所で、正面切って、拳銃を持っている相手に、ナイフ使いが挑んでいる。だが…………。
ヴェンディの首の右側から、血が流れる。
アビューズが切ったのだ。そして。
背後から、彼女の腹は、刃物によって貫かれ、そのまま刃は、心臓部位まで向かっていく。ヴェンディは口から血を吐いていた。刃は引き抜かれる、うつぶせに、彼女は倒れる。
†
スポットライトが、とても眩しい。
こうこうと、輝いている。まるで、小さな太陽のようだ。
「私……、死ぬみたいね」
「ああ、急所にまで届いている筈だからな」
アビューズは、腰を下ろす。
彼は、首の左側から出血していた。
「俺達、違った出会い方をしたかったな」
アビューズもまた、深手を負っていた。右腕が酷く痛い。両脚の傷も治ってはいない。
ヴェンディは、カーディガンのポケットから、スマートフォンを取り出す。
そして、彼女の恋人に電話を入れる。
「ポッパ。……夜遅くにごめんね。あの…………、その違うよ。そんなんじゃない、って。別れ話とかじゃないよ。そんな口調に聞こえた? ごめんね。ねえ、…………、ポッパ。私………、あの私……、私の事、もっと知って欲しくて…………」
「私の家の鍵、預けていたでしょ? 私の部屋の鍵、机の一番下の引き出し開けて。その引き出しの鍵は、引き出しの一番上に入っているから……………………」
「ねえ、ポッパ。これから、君が生きていく上で、どうしても知って欲しい事が、その鍵が掛かった引き出しには入っているの。君が、この世界をどう見ていくのか。ねえ、ポッパ、男らしく、強くたくましく生きて欲しい。間違っている、と思うものは、間違っている、って思える人間になって欲しい。……ふふっ、だから、別れ話じゃないって、私、そんなに変な口調かな? 動転してる……?」
「これから、君は生きていく上で、とてつもない不条理に晒されると思う。なんで、この世界がおかしいんだ、って苦しむ事が多いかもしれない。自分がダメだから、自分を責めるかもしれない。でも、自分を責めないで欲しい。君は立派に生きている。十年後も、数十年後も、君は立派に生きていて欲しい。間違えないで欲しい。おかしいものは、おかしい、って考えて欲しい。それで、戦って欲しい。…………ねえ、そんな悲しい声で言わないでよ、だから別れ話じゃないって………。大丈夫、私は今、誰だって向かうべき場所に向かうだけで、私とポッパはずっと一緒だから…………」
アビューズは、静かに、スマートフォンを耳にあてる、彼女を見ていた。
「私の部屋の机の引き出しに、この世界の真実が書かれている資料があるから。DVDにして焼いているものもある。いつか、貴方が見る事になるだろう、って、漠然と思っていた…………」
「大丈夫、別れ話じゃないんだって。…………、私の心はずっと君のものだよ、じゃあ、そろそろ、電話、切るね……」
そう言って、彼女は電話を切り、スマートフォンを落とす。
「ねえ、アビューズ…………」
「なんだ……?」
「お互い、立場は逆だったかもしれないわね。私が、間違った生き方を続ける、貴方を殺す、っていう事もありえた……」
「ああ、ありえた……。おおいに、ありえた。運命は分からないな。俺達は鏡なんだからな……」
「私、心の底から愛している、って思える人に会えて、良かったと思っている……」
彼女は口から、血を吹く。
「じゃあな、俺はそろそろ行く。悪いが、お前の上司を、今から殺しに行く」
「元上司だよ」
「そうか、じゃあな」
「……悪くないわ、この汚れた金で作られた場所の中心が、私の墓標ってさ……」
ヴェンディは静かに眼を閉じる。
†
バークス議員直属の殺し屋ヴェンデッタは、死亡した。
後は、バークス本人と、武器商人と、軍事産業の連中、大企業の社長、他国からやってきた外資系の連中。そして、与党で影響力を持っている奴ら。
全員を、皆殺しにする。
「まだ……、動けよ。俺の脚…………」
アビューズは、汚れた利潤によって作られた、邪悪なる宮殿を、後にする……。
†
傷痍軍人の館にいた、反戦思想の持ち主である婦人が言っていた言葉だ。
『この世界に生まれてきた子供達に、生まれてきてよかった、と思えるような世界にしたい』と。
人間は、戦争や貧困によって、不幸に見舞われて、生まれてきたくなかった、と思っている者達が、潜在的には多いのだと思う。みな、愛国心という宗教や、ただ国家に従うだけの中身の無い人間になる事、複雑な思考が出来ないTVのバラエティで笑っていられるような人間でい続ける事、それで、生まれてきてよかった、と本当に思えるのだろうか、と。
アビューズは、ファントム・コート、ボブと話した。
想いは、同じなのかもしれない。
希望のある、物語にしていきたい。
数年後なんて、期待出来ない。数十年後、更にもっと先に、この国が民主的で、良き国家になって欲しい。しいては、世界中の国の人々が平和で穏やかに暮らせればいい。




