PAPER 8-3
「しばらくは、動かさない方がいいです……っ」
医者は告げた。
彼は元軍医だ。ヴェンディが稀に負傷した時に、この病院を使っている。
殺し屋の癖に、正義の下に戦うという事が許せない。……いや、自由を求めようとする事が、許せないのだろうか……?
彼女は縫合された左腕を見る。
包帯で綺麗に巻かれている。
腕の感覚が無い。
腹にも包帯が巻かれている。
「あああああああああっ、ちくしょうっうううぅぅっぅああああああっ!!!!!!」
彼女は叫んでいた。
これだけの負傷をした事は、過去に無かった。
アビューズと言ったか。
絶対に殺してやる。
†
ささやかな幸せが欲しかった。
能力者なんてものに、なりたくはなかった。
力なんてものは、人を不幸にするだけなんじゃないのか?
ヴェンディには、同年代で、今風の流行りの女の子に対しての嫉妬心がある。
だから、過剰に、女性誌などを読んで、清楚で、男性から好かれるようなファッションやメイクを選んだりする。普通に幸せになりたい。
十代の頃、漠然と自分が異常なのだと知って、絶望した。そして、この政府の要人から勧誘されて、諦めが付いた。こういう風にしか生きられないのだ、と。
今の彼氏である、ポッパは、自分の希望だった。
普通に生きて、結婚して、こんな政府の下でも生きたい。
背景のように、一般人に溶け込みたい。
そればかりが、今の自分の生きる目的なのだ。
アビューズに対して見たものは、おそらくは鏡のようなものだったのではないか。おそらくは、あちらもそう思っている。
この社会が、この国が、病んでいて、一部の既得権益を持つ者達が、一般市民達を奴隷のようにして栄えている、という事は彼女は知ってしまった。知ってしまっているから、この国の支配する側に回るしかないのだと思った。そして、だからこそ、恋人であるポッパも、出来るだけ同じ立場に行かせたい、と……。
†
自分には何も関係が無かったし、自分はささやかな幸福の為になら、誰が犠牲になろうともどうでもよかった。この国に階級があって、それが見えないようにされていて、大企業や官僚ばかりが国民を奴隷にしていて、甘い汁を吸っている。
そんな事は多くの人間が知らない。
深く知ってしまった者達の多くは、収容所に入れられていったのだから。だから、この国は平和を維持している。マスメディアが作った、仮想の平和の中に閉じ込められて、死ぬまで現実を知らないし、どんな苦境な目にあっても、病気で借金を背負っても、子供が餓死しても、長時間労働で過労死しても、全ては“自己責任”という言葉で片付けられるのだ。
ヴェンディには、何も関係無い。
アビューズは、馬鹿だと思う。
平凡に生きたい。
十代の頃、天から異能の力を授かった時から、そう強く願った。
普通になりたい人間の気持ちなんて、ずっと普通の世界で生きてこなかった人間には、決して分からないのだろうから。
†
アビューズは、少しの間、呆然としていた。
ヴェンデッタには、逃走された。
転がっている腕も、持ち運ばれた。
今、逃してしまったから、また襲撃されるかもしれない、自分ならばいい。だが……。
……あのヘタレなジャーナリスト、自分で身を守れる力が何にも無いんじゃあないのか?
ファントム・コート、ボブの下に戻らなければ……。
「バイアスが守っている筈だ…………。もし、あの女が忠誠が高くて、片腕であのジャーナリストを殺しに行こうとしても、バイアスが返り討ちに出来る筈…………」
今すぐ、気絶してしまいたい。
自分も、決して、軽傷では無い事に気付いた。
この辺りで、何処か身を隠せる場所を探そう。




