PAPER 7
アビューズは電話を切る。
エンプティ。
彼は、また御使い候補を探してきたらしい。
御使いは、身寄りの無いものの中でも、特に特殊な者達が、エンプティなどのリーダー的に組織を率いる者達の審査の結果、勧誘が行われる。
この人生に何の意味があるのか分からないが、自分はきっと、自身の力を手にして、自身の止められない感情を、行為に移すしかないのだと思う。
†
『繁茂の館』の一角にある、傷痍軍人達の座敷を出た処だった。
経済的徴兵制度として、戦争に行った兵士達の中で、手足や眼球などが吹き飛び、不具者となった者達が、この館には収められており、彼らはみな、英雄として祀られているが、実態はまるで違い、毎日、死にたいと願い、戦争に行かなければ良かったと後悔する日は無いのだと、アビューズに告げた。
いっその事、傷痍軍人、全員を楽にしてやろうかと思ったが、迷った。
今の処、そこまでの義理は無い。
今だに、自分は迷っている。
エンプティを、……裏切るべきかどうかを、迷っている……。
カフェで、あのファントム・コートに会ってから、調子が狂っている。
もしかすると、これまでの人生において、自分でただ一人、決断しなければならない事なのかもしれない。もし、自分が自分の道を決意すれば、きっとこれからは長い孤独にさらされるだろう。
†
アジトに戻って、ビデオでも観ようと考えて、レンタル・ビデオに寄ると、この国の創生神話やこの国の国旗などがパッケージになっていて、愛国心を煽るようなDVDが、ずらり、と並んでいる。棚の隅々まで見てみると、障害者がいかに不要なものかを描いているような介護の実態のDVDまで置かれていた、後はアクションや恋愛ドラマなどが多い。そう言えば、本屋に寄っても、こんな感じだった筈だ。
これから、御使いを、エンプティを、裏切らなければならない。
ヴェンデッタと対立し、戦い、挙句の果てには、殺害する事。それは、結果として、この国の政府や大企業のボディーガードをしている御使いの裏切りであり、つまるところ、エンプティへの裏切りになる。
もう、戻れない。
ただ、自分は弱さを乗り超えたいのだと思った。
†
「大丈夫ですか?」
バイアスが声をかける。
ボブはホテルで、落ち込んでいた。
自分の報道を聞き入れようとする者は、ほとんどいない。
自分のやっている事は、ただの危険と隣り合わせの虚無なんじゃないのか、と。この国の国民達は、真実を知ろうとしない。真実を報道しようとして、テロリスト扱いされてしまっている。
それに、昨日は、謎の殺し屋に会った。
彼は、脅しに来たのだろうか。
「バイアス、ありがとう。俺は少し、朝食を食べに向かうよ」
「今、外に出るのは危険かも……」
「大丈夫だ。あれから襲撃は無い。それにアイーシャも、また戻ってくるんだろう?」
朝の駅は混雑している。
彼は、喫茶店を変えて、サンドイッチとコーヒーを取る事にした。そして、半ば義務的のように、この国の新聞を読む。
昨日の怪人は現れなかった。
少し人通りが少ない路地を歩いていた。
いつもの散策場所とは違う。
アパートと、プレハブ小屋が密集している。
鬱蒼とした森が、建物の向こう側に見えた。
「あの、すみませんー」
ボブ好みの、美人だった。まだ若い。
「道に迷っているんですけど、学校に遅刻しそうになって、ここからどうすれば××商店街に戻れますか?」
あどけない口調だった。
彼は、少しだけ鼻の下を伸ばす。
「学生さんなのかい?」
「はい、大学生です」
白いブラウスの上に羽織った、オレンジ色のカーディガンが、とても健康的な印象を受けた。可愛らしい……。清純タイプ、とは、こういう子の事を言うのだろうか……。
「えと、何か落としましたよ? お兄さん」
彼女は爛漫な口調で告げる。
ボブは、財布でも落としたのか、触る。
「いや、私の持ち物ですねえ。お兄さんの事が書かれていますねえ。国家指名手配犯、自称ジャーナリストのテロリスト、ファントム・コート。これ、お兄さんの事ですよねえ?」
「……、お、お前は……?」
彼女ははにかみながら、何かの写真の束を、ボブに向かって投げる。
写真には、アイーシャが殺害した者達の死体が映っていた。ペンキで字を書いた看板なども写っている。
「家族も殺すかあ。困ったなあ。私はお父さんもお母さんも大切だからなあ」
「守るべきものが沢山あるって大変ですよねえ、窮屈だし」
彼女は、アパートのゴミ捨て場の中から、何かを拾ってくる。大きめのバケツだった。中身があった。汚れないように、ハンカチか何かでハンドルを握り締めているみたいだった。
「でも、たとえば家族がいない、とか、孤児とかだったらどうするのかなあ? 家族に死んで欲しいとか。私は平穏な生活を守りたいんですよ。テロリストさん」
彼女は、二つのバケツを転がす。
中から、少し乾き始めた、人間の細切れ死体が広がっていた。
「無能な部下達なんで、家族もろとも殺しちゃいましたっ!」
彼女は両手を合わせて、はにかむ。
ボブは、尻もちを付いた。
脳漿と、頭蓋骨の破片などが、地面に飛び散っていた。
「お、お前は…………?」
「私ですか?」
「私の名はヴェンデッタ。血の復讐、報復、などを意味するコードネームらしいです。未成年の時に、政府のヒットマンに登用されました。今は花の女子大学生ですっ! 彼氏持ちだから、ナンパとかしないでくださいねっ!」
「ねえ、ねえ、テロリストさん。昨日の仕事は、部下達の家族を殺しまくってたんですよ。一夜漬けだから、眠いです。軍の上層部から徹底しろ、って言われているので、私、頑張っちゃいましたっ!」
彼女は、いつの間にか、ベレッタ拳銃を手にしていた。引き金を引く。
ボブの太股が撃ち抜かれる。
「…………っ!!」
言葉に出来ない苦痛だった。
「あ、今、殺しませんよ。大丈夫。政府からは殺さずに捕えるように言われています。まあ、これからの尋問、拷問とかも私がやるのかな? それとも別の人かなあ?」
彼女はスマートフォンを取り出して、誰かに連絡しているみたいだった。
「ボブさん…………っ!!!!」
誰かが叫んでいた。バイアスの声だ。
大量の杭達が、ヴェンデッタへと襲い掛かる。手応えは無い。
無数の杭は、舗装された地面に突き刺さっている。
「お前が怪物少年か」
彼女はアパートの上によじ登りながら、柔和な笑みを浮かべていた。
「別組織の人から聞いているよ。お前にダメージを与えたら、怪物化するって。でも、お前自身の能力は大した事は無い。ふふう、お前の命に興味は無いんだよねっつ!」
「何っ?」
まるで、瞬間移動でもするかのように、ヴェンデッタは消えていた。
彼女が立っていたアパート屋上の壁には、無数の杭が突き刺さっていた。
ボブは、みぞおちに、重い拳を食らった事に気付いた。
ふと。
赤、が、現れる。
そいつは、ヴェンデッタの前に立ち塞がる。
「色々、悩んだけれども、俺には、この道しかないみたいだ」
赤、は、告げた。
「喫茶店でも、出会ったな」
赤いずきんの男が、声をかけてきた。
ボブは、少し警戒する。
今、アイーシャの代わりに、バイアスが彼を警護している。
赤い髪の少年バイアスが、警戒心を露わにしていた。
喫茶店では、バイアスが、たまたまトイレに行っていた。だから、目の前の敵が、ボブを殺そうと思えば、殺せた筈だ。
殺意は、特に感じられない。敵意もだ。
「お前、『繁茂の館』を調べていただろう?」
アビューズは、問う。
ボブは頷く。
バイアスは、警戒心を露わにした。
「奇遇だな。俺もだ。そして、お前も傷痍軍人達の病室や、反戦思想を持つ者達に出会ったな?」
それは、尋問というよりも、共鳴のようなものだった。
「あのう、俺はですね…………」
「仲間だ」
「ファントム・コート。俺達は仲間だ。俺は覚悟するし、決意する。俺は今の仲間達を裏切って、権力者達専属の殺し屋をやめる。お前の側に着く」
「護衛に、困っているんだろう?」
「え、ええ、アイーシャというフリーランスの傭兵を雇いましたが。彼女は別の仕事を優先して、俺の方に彼女の部下であるバイアスを置く、と言ったのですが…………」
「俺がお前の護衛をしてやる。無償でだ」
「気付いていると思うが、このホテル。囲まれている…………」
赤ずきんは、強く言う。
「早く、この場所から逃げるんだっ! 俺は、あの女と戦うっ!」
アビューズは、バイアスに向かって、囲んでいる兵隊達を始末するように告げた。




