トーナメント 4-1
1
「生きているのは、貴方だけみたいですね?」
腕にウジ虫が這っている。
自分は死者の群生にいたのではないのか?
夜明けが近かった。
日の光が差し込んでいる。
派手な民族衣装を着た、細い眼の男だった。
彼は死神であるのかもしれない、もうじき死ぬべき運命の自分を出迎えに来たのだ。
「丁度、帰る途中で貴方を見つけたので……、もしよければ、手当をして差し上げましょうか? ……どうやら、胸部の骨が折れて、左足に酷い怪我を負っているみたいですね。このままでは化膿して、左足を切断する羽目になりますよ」
彼は何かを手にしていた。
そしておもむろに、地面にそれを置く。
どうやら、それは筒のような形をしている瓶みたいなものだった。
「ああ、これですか? 中で腐らせないようにホルマリン処理をしたんですよ。いつもの事です。依頼者が証拠を持ってくるように言ったので」
どうやら、それは、自分達を率いている将校の頭部みたいだった。
「貴方達の軍の上層部は、私が全滅させました。
「お前は……、……何者だ……?」
戦争の最中だった。
バラバラに四肢が吹き飛んだ同じ部隊の者達の死体が転がっている。蝿やアリが腐敗していく肉片に群がり始めている。爆撃されたのだ。ナパームの臭いが今でも、脳裏にこびり付いている。
眼球の溶けた
「取り引きをしませんか?」
彼は、薄く笑っていた。
どこか、何もかもを小馬鹿にしているような笑みだった。
「貴方は強い……。今の貴方は、私にも分かりませんが“別人”なんですよね? 私はその、貴方の中の4番と5番によって苦戦を強いられました。なので、2番の貴方と取り引きがしたい。お互いにとって、悪い条件では無いと思うのですよ」
「貴方の才能は一国の軍隊、それも、下級兵に収まっている器では無い。けれども、多重人格者である貴方は、自身の力をコントロールし切れない。どうですか? 私達と共に生きませんか? 悪くない取り引きだと思うのですが…………」
彼の心の奥で、別の何者かが囁いている。
怒りの衝動に満ちているのだと。
だが、今の彼の人格は、目の前にいる男の言葉を受け入れようとしていた。
†
彼の家は貧しかったので、彼は軍隊に入る事になった。
兵士になる適正試験は緩く、とにかく金の無い者達ばかりが兵隊になった。
経済的徴兵制、という奴だ。
国家の方針の是非は知らないが、両親の虐待から逃れる為に、彼は軍に従事した。学校で友人も出来なく、イジメも酷かった為に、軍に入っても、目の敵のように上司や同僚からいびられた。それでも、家庭にいるよりは幸福だった。
更に、宗教差別も根強い。
†
依頼主は民間人ではない。
政治家、大企業の社長、投資家、銀行家、時にはマフィアの幹部や警察などが主だ。
御使いの存在は知られていない。
†
「エンプティという名は虚無や空虚を意味します」
何処かの民族衣装に身を包んだ青年は自身の事を吐露していく。
「私は生体兵器として、この世界に命を授かりました。培養カプセルの中で生まれたのかもしれませんし、もしかすると人間の死体の身体をつなぎ合わせて作られたのかもしれませんね。私自身、私の出自にあまり興味が無いのです」
彼は、ただ、死神であった者の話を聞いていた。
「私は心が無いのかもしれません」
彼は少しだけ、哀しそうに、おどけるように言った。
「私達は標的に対して、冷酷です。そうするべきです。でも、その親族などはどうでしょうか? 標的が死に、悲しみや憎しみが連鎖していく。私達はそのような事を引き受けている職業なわけです」
†
現実は、悲惨で、どうしようもない。
だから、沢山の人格に肩代わりさせていった。
自分の中に無数の人間がいる。
あらゆる感情が、とぐろのように渦巻いている。
生きる事はとても悲しかったし、苦しかった。いつからか、空想の友達と話をしていたように思う。
エンプティから、世界の仕組みを聞かされた時に、発狂し、むせび泣き続けた。
どうせ、どんな歴史においても、どんな次元においても、自分の価値を認めてくれる者なんていないのかもしれない。
自分の中に渦巻いているのは、この不条理に対する怒りなのだ。
†
「俺は人間でありたい……、最後まで……」
「人間?」
エンプティは、せせら笑う。
「人間である事がそんなに素晴らしい事ですか? 私はアンデッドにも、マシーンにもなりたいですよ。もちろん、神にも悪魔にも。人間の命なんて脆いですからね。その精神も。人間である事が、それ程、素晴らしい事だとは私はまるで思えませんね」
†
沈殿する空しさの中、何処に自分の居場所を求めればいいのだろう?
エンプティから、色々な事を教えて貰ったような気がする。
彼には聞きなれない、民主主義の在り方や、一人一人が人権を持っている国が存在し、国によっては、手厚い福祉を受けている場所があると聞かされた。
生活保護制度や、医療保険などによって、それから教育を受ける権利などの存在によって、サーティンは今までのような生き方をしなくても良い人生があったのではなかったのか、と。だが、そんなものは机上の空論だ。彼は、自分の国で生まれて、自分の国の秩序、法律の下、人格が形成されてきた。
あらゆるものに対して、無知だった。
自分は、この世界に翻弄され、裏切られ、利用され続ける奴隷でしかないのだと自覚させられた。
他の人格達とも、情報を共有したいと思う。
†
死の国の闘技場の戦士として戦う事を決意したのは、エンプティに対しての厚意からだった。自分は暗殺者には向かない。そして、再び、軍隊に戻るつもりも無い。
自身の生活の面倒を見てくれる、エンプティに対して……。




