PAPER 5ー1
旧約聖書に挿入されている『伝道の書』と呼ばれるものから、皮肉的な意味も込めて取ったのだろう。暴君と呼ばれる大量殺戮者である超能力者のウォーター・ハウスは、死亡されたとされている。彼が生前に書いた詩篇、断章のようなものは『伝道の書』と名付けられ、各地に断片的に散らばっている。自主制作の物品として古本屋に売られていたり、図書館の閉架書庫の中であったり、誰かが本人から貰ったものを持っていたりする。一体、その数や量がどのくらいのものなのか分からない。
アビューズは、エンプティから、そのコピーを譲り受け、手にしている。
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全体主義国家に関する考察が、『暴君』の『伝道の書』の中には記されていた。
ザ・ステート、という、この国家の構造を読み解く手がかりになった。
全体主義国家にとって、哲学や文学や芸術は不要だし、権力者にとって害になる。
だから、無内容なコンテンツの量産が必要になってくる。
‐芸術を無価値にする構造‐
暴君、ウォーター・ハウスは、大した思想家では無かったのかもしれない。彼の随筆は、素人眼にみても、稚拙な文体や、まとまりの無いアフォリズム(断片的なもの)に溢れている。そもそも、彼にとっては、日記でしかなかったのかもしれない。ただ、膨大な量に及び、数知れず、地下水脈のように世界中に散らばっている、という事だ。
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国民の豊かな暮らしは、戦争や略奪によって支えられている。
たとえば、パソコン、スマートフォン、ファーストフード、車、電化製品。
それら国民の生活を支えている、あらゆるものが、軍事産業に加担している。
何を人生の足がかりにすれば良いのか分からない。
少なくとも、エンプティは、アビューズに、暴君の書いた書物を渡すべきではなかった。考える事、思索する事、疑う事、反逆する事、破壊する事、そういった概念の数々が、日記には記されていた。エンプティは、アビューズを操り人形にしたかった筈だ。だが、それはエンプティ(虚無)自身にさえ、分からないのかもしれない。
エンプティは、ウキヨという武器商人の若社長を見て、自分と似ていると言った。だが、アビューズに言わせると、二人は全然、違う。
……人間を信じる事を教えてくれたのは、皮肉にも、俺に殺し屋の道を提示してくれた、エンプティだった…………。
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アビューズとは、権力の「濫用」を意味する言葉だ。
彼は自身の力をこれまでずっと、行使し、慢心し、濫用してきたのだと思う。
彼にとって、普通の人生というものがまるで分からなかった。
見えない透明な、鉄格子の中で生かされているようだ。
何処に行っても、孤立しているかのように思えてしまう。
ウンザリする程に、この世界には、何も無い。
下らない娯楽、下らない毎日を、みな人生を浪費させながら生きている。勝手に生殖して、子供を作って、育てて、死んでいく。社会の歯車になって、呆けた老後を送って、死んでいく。何も無い。
人生がもう一つあれば、もっと幸福になれるのだろうか?
違った世界で生まれ変われば、今よりも、もっと幸福なのだろうか。
人生をやり直したって、どうせ、同じような人生を繰り返すだけなんじゃないのか。
彼は、このザ・ステートという国の中を散策していた。
基本的には、エンプティの指令で動いているが、彼は漠然とずっとこの人生のままでいいのか? という問いが拭い去れなかった。
彼は、いつものように、好物の甘い物を食べようと決めた。
カフェの中だった。
彼はコーヒー味のアフォガードを注文する。悪くない味だった。砂糖は依存的に彼の心を満たしてくれる、何も無くて、真っ黒な穴の開いた彼の心をだ。
ふと、この前のウキヨとフルカネリの歓談を思い出して、苛立ってくる。
そして、アビューズは毒付く。
「何もかも詰まらねぇな、この国の下らない愛国心のようだ」
彼はアフォガードのソフトクリームに突き刺さっていた、棒状のチョコレートを口に入れる。
「ですよねえ……、この国は本当に詰まらない」
彼の声に対して、すぐ隣にいた男が、まるで条件反射的に返していた。そして、思わず、その男は、すぐに軽率な事を言ってしまった事に気付いたみたいだった。
アビューズは、そいつの顔を、まじまじと見る。
「お前、…………。駅などにある張り紙の奴に似てないか?」
髭面に、眼鏡の男だ。彼はかなり冷や汗を流していた。
「同僚から貰ったファイルの中にも、お前の顔あったぜ? 確か名前はファントム…………、何だったかな? …………」
髭面の男は、帽子を深くかぶる。
「ば、ば、ばれるもんですねえ…………、……指名手配犯って……」
「貴方、貴方は、何者なんですか……?」
「俺の名はアビューズ。赤ずきんとも呼ばれている。なあ、お前、ファントム・コートという名の政治犯だろ? 何でも各地の政府の秘密情報を握っているそうじゃねえか」
「一応、俺は、お前を殺すと依頼されていない」
彼は、さり気無く、パンケーキのナイフを握り締める。
「ただし、今は、だ。我々、御使いに依頼がくれば、お前は殺す」
そして、手にしたナイフで、髭面の男のマグカップを切り裂いていく。マグカップの上部が、見事にドーナツ状に切れていく。
「じゃあな、お前の事は多分、簡単に調べ上げられる。もし、俺に今後、下される任務次第では……」
男は、悲鳴を上げて、この場を去ろうとしていた。
この男を殺す事は、任務には無いが……。
いずれ、彼がドジを踏めば、勝手に死ぬだけだろう。
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