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ドッペルゲンガーにアイはない  作者: 氷雨 ユータ
おおかみがくる

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覗き込んだ不穏

 眠っていた一か月の間に起きた事はノートに纏められていた。ライターとしての性分か姉として弟の行動など分かってしまうのか、姉貴には頭が上がらない。病院から帰宅すると、二人は当然の様に俺の部屋に集い、ノートを広げるのだった。

「……お前はともかく、レイナは少し遠慮しろ?」

「はぅッ。ごめん。なさい」

「冗談だよ。ただ、あんまり広くないからそこは許してくれ」

 朱莉は約束至上主義らしく、レイナの仲間入りは存外あっさりと認めてくれた。ただし部屋の位置だけは譲れないものがあるらしく、ベッドの上だけは絶対に譲らないと敵愾心をむき出しに言っていた。


 そこ、俺のベッド。


 『他人事』なので実はあまり気にしていない。床に広げられたノートを覗き込んだ。俺達が何を知りたがっているのか分からないせいか、本当にどうでもいい事まで細かく記されている。駅前のパン屋が十円割引だったって何だ。

 目を引く情報をピックアップすると自ずと一か月が虫食いになっていく。警視総監の自殺誤報、渋谷の若者の自殺誤報、新聞社の社長が殺害誤報。誤報誤報誤報。人の死亡はとにかく誤報。テレビをつけて現在のニュースを確認すると、度重なる誤報に情報番組すらその理由を図りかねている様だった。一部の芸能人は陰謀論を真実であるかの如く語っているが、それは果たして公共の電波に乗せて良い内容なのだろうか。陰謀と陰謀論の違いも分からないのに、よくもまあ自分の専門外を得意げに話せるものだ。

 しかしそれを差し引いても前後数年の誤報が多すぎる。姉の記事を見た時もそうだったが、毎日誤報があるのは情報が正確ではないというよりも、明確に何か原因がある。つまりはゲンガーの事なのだが、果たしてその存在に勘付く人間はどれくらい居るのか。俺はその存在を確認してしまったので信じるも信じないもない、ゲンガーは居る。レイナも儀式の会場で全く同じ顔の齊藤享明二人を見たようだ。

「これも。ゲンガーの。仕業?」

「そうさ。だから本当は首相も殺しに行かないといけない。彼も誤報記事の憂き目に遭ったからな。でも誤報っていうのはつまり……もうなり替わった後だから、それをすればめでたく犯罪者の出来上がりだ」

「日光に弱い。とか。玉ねぎに弱い。とか。無いの」

「本物じゃないだけの偽物だからそういうのはないな。あったら俺だってそういう手段を取りたい。だろ、朱斗」

「ああ。誤報人物に関しては……僕達の負けだ。あれは手出し出来ない。もしくは犯罪者になる事を覚悟で手を出す必要がある。例えば首相と入れ替わったゲンガーを殺せば全員消えるとかなら、殺しに行く」

 しかしその可能性は『人間一人殺せば残りの人類も死ぬ』と言っているようなもので、可能性は限りなくゼロに近い。本物じゃないだけの偽物とはそういう意味も込められている筈だ。この国のトップと言えども人は人。ゲンガー界隈において筆頭を務めているとは思えない。

 レイナが俯いたまま動かなくなった。体調不良ではなさそうだ。手を握りながら声を掛ける。

「どうした?」

「…………ゲンガーって。接触してくるなら。最初は。友好的。なのよね」

「最初はね。でもそれは乗っ取りの前準備みたいなものだ。警戒心を緩める目的と言ってもいい。でも誰にだって成功する訳じゃない。好きな事だけしていたいとか、楽だけしていたいとか、心の隙間がある人間を積極的に狙っているとは思う」

「そう思うと誤報記事も感慨深いよな」

 首相の誤報だったり人気配信者の誤報だったり。俺はその立場に立った事がないので理解は出来ないが、立場なりの苦労はあったのだろうと想像に難くない。叩かれたり粘着されるのは有名税とも言われるが、言葉で言い繕ったって面倒なものは面倒だ。いっそ全てを手放したい。いっそ今寝たら一生目覚めないでほしい。そういう願望は、きっとある。新聞社なんて特にそうだ。誤報記事の頻発はメディアにとって致命的すぎる。誤報が出てしまったなら……きっとそういう事だ。



「…………お父さんも。何か。辛かったのかな」



 彼女の一言で部屋全体が空気も沈殿しそうな雰囲気になった。三者の口が引き寄せられるように噤まれて、誰一人言葉を発さない。重力に耐えかねた朱莉が「何か飲み物取ってくるね!」と部屋を出ていった。勝手に人の冷蔵庫を漁らないでほしいが、リビングで姉貴が眠っている(生活サイクルを無視して動いたせいで調子が悪いらしい)ので多分ことわりを入れる筈。

 勝手に寝室に入ってくるような奴でも、超えない一線はある。

「……一応。単純に殺されたって可能性もあるからな」

「でも。私は。攫われる直前まで。気付かなかったのよ」

「…………そうか」

 フォローに失敗してしまった。後頭部を掻いてどうしたものかと考えあぐねているとレイナの方から身体を倒し、もたれかかって来た。拒否する理由はないし、今は出来ない。風紀管理部の部長ともあろう人間の、その弱弱しい態度は痛ましくて見るに堪えなかった。

「匠悟」

「ん?」

「…………助けてくれて。ありがとう」

「ん」

「私。頑張るから。逆にプライベートの時は。頼ってね」

 今度は彼女の方から手を握って来た。俺の手を撫でて、手首を掴み、掌を覆い、指を絡ませる。何か段階として間違っている気がしたが、悪道に堕とした俺がとやかく言える筋合いはない。向き直ったレイナが側面から俺に抱き着いてきた。

「ゲンガーなんて。居るなら。私は。誰を信じれば。いいのかな」

「―――事情を知る人間なら信じられるさ」

「匠悟は。信じられる?」

「誰を信じるかは任せる。俺にだって保障出来ない」

「梯子を。外さないで」

「まだ外してない。俺達は共にゲンガーと戦う仲間だ。そうだろ?」

 レイナに好かれる。悪い気はしないが、こんな形で好感度を上げたくなかった。非日常に感性を侵食され過ぎている。千歳の平和な表情が遠い昔のようだ。




「お待たせ。よく分からなかったからウーロン茶でも如何?」




 朱莉がお盆を片手に帰って来た。

 だからここは俺の家だっての。




















 ノートには学校の状況やあの騒動の結末についても描かれていた。あの騒動以降、報道こそされていないが校内からもポツポツと自殺誤報が発生しているらしい。両親が学校に電話してきたと思えば、次の日には登校……そんなケースへの対処はマニュアルに存在しないので学校側もどうすれば良いか対策を打ちかねているらしい。部活は再開したが、最近は帰りが早めになっているようだ。基本的には五時。スポーツ系の部活には気の毒だが、暫くは生徒の命を優先する意向らしい。それでも弓道部や陸上部などは結果を出しているらしく、流石と言った所。

 また、カウンセリングの件だが、想像以上に生徒達は悩みを抱えている事が判明。その悩みの出どころが人であった場合―――否、教師であった場合教頭や校長から叱られるとか何とか。

 この情報は姉貴がわざわざ足を運んで集めてきたものなので、噂は噂以上にならない。関係者とも言い難い彼女が校内に入っても大丈夫なのは入学当初に教師全員と知り合っているからだ。その時も俺の為に動いていた。

 姉貴には本当に頭が上がらない。

 話が逸れたので戻す。叱られる……らしく、最近は教師と生徒の力関係が逆転しつつあるらしい。なので生徒指導も強くは出来ず、結果的に風紀を保っているのは同じ生徒でもある風紀委員会という有様。何という逆転構造か。

 解散してから、時刻を見計らって千歳に電話を掛けると、ワンコールの終わらない内に繋がった。



「センパイ! 無事だったんですね!」



 電話越しに聞く声は、少し涙ぐんでいた。

「え。ちょっと。何で、泣いているのかな?」

「センパイが大怪我で休んだって聞いて……凄く心配で! でもメッセージ送るのは何か悪い気がその…………と、とにかく無事で良かったです!」

 

 ―――本当に、この後輩と話していると心が落ち着く。


 平和というか、日常というか。純粋というか、単純に元気というか。ゲンガーだったらと心配にはなったが、彼女に限ってそれはない。本人がそう言ったから。

「それより、最近帰りが早いんだって? 俺も明日から登校するけど、退院祝いって事で今から会えない?」

「…………はいッ。是非ご一緒させて下さい。えっと、二人きりですか?」

「犯罪チックな行為が心配なら誰か呼ぶけど」

「いえいえ、センパイの事は信じてますからッ。何処で待ち合わせれば……あ。制服じゃ、まずいですか?」

「ん? まずくないけど何で? お洒落に無頓着だからとか?」

「いえ、一刻も早くセンパイに会いたいなと」

 

 基本的には平和な千歳から窺える唯一の不穏要素が、これだ。


 俺は集団から囲まれる状況を救っただけ。それでこの懐きよう。どう考えても不自然だろう。もう少し仲良くなったらいっそ突っ込んで聞いてみようか。レイナよりは罪悪感もない。というか今の彼女を恋人にせんと動くのは最低だ。傷心に付け入るみたいで……だからさっきも、遠回しに梯子を外したのだが。

 一階に降りると、姉貴はまだリビングで眠っていた。毛布も掛けずソファに寝転がっている。せめてもの恩返しにと自分の部屋から布団を持ってきて掛けた。それでは外出と思い立った所で、まだ心残りがあると思い、眠る姉貴の傍でしゃがみ込む。

「…………お姉ちゃん・・・・・




「色々有難う。俺も大好きだよ」




 面と向かって本気の感謝も言えないとか。

 俺も、年頃か。



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