天まで萌ゆる命の芽
終わりと言ったがあともう一話だけ。
俺の考えた作戦は二日間レイナを交えて遊び続ける事で間接的に他人から守ろうというものだ。帰路は俺と朱莉が、そして夜はグループ通話で片時も耳を離さない。少々過激と言われようともそれくらいしないと守れない気がした。
隠す事でもないので個人グループで俺の方からその旨を伝えると、素直に『嬉しい』という返答が返って来た。
『クラスが。違うから。部活の時くらいしか。話せないけど。もっと……話したいの』
クラスが違うくらい何という事はないから話しかけに来ればいいと言ったら何故か「はぅぅぅ!」と恥ずかしがられた。よく分からないが多分面倒なのだろう。でもわざわざそれを口にするのが恥ずかしくて……多分、そんな所か。
―――え、じゃあ何でスカウトは出来たんだ?
部活だからか。
勝手に結論が導き出された。
当人の了解を得ない護衛はその時々で問題を起こすが合意があるならその心配はない。二日間、俺と朱莉は気を引き締めてレイナの護衛にかかった。と言っても一緒に帰って夜は朱莉が見つけてきたゲームで集って遊んでいるだけ。
『寝落ちって、睡眠の質が良くないんだってね』
『じゃあ。今日。早めに終わるの?』
『いや、僕達は悪い子だから寝落ちするよ。ねえ匠』
『俺を巻き込むな。悪い奴はお前だけだ』
俺にメッセージを投げて以降、姉貴は家に帰って来なくなった。ちゃんと連絡は取れているので失踪したとかそういう事ではないらしい。本人も心配しないでほしい旨を伝えてきたが、ゲンガーの存在を認めてしまうとどうしても帰って来た姉貴が本物なのかどうかという事を考慮しないといけない。本物じゃないだけの偽物はどうして面倒なのだろう。
滅んでしまえ。
しかし、後一日の辛抱だ。明日が問題の三日目。インターバルに拉致するプランは俺達によって潰された為に、救世人教はどうしても明日中にレイナを拉致して何かを決行しなければならない。レイゲツが満月の意なら夜。明日の夜さえ凌ぐ事が出来れば多分……大丈夫だ。
姉貴に言わせれば教義に反する行動は教祖である限り取れないらしい。だから個人単位で執着されていなければ大丈夫との事。
『明日雨らしいぞ』
『んー雨は嫌だね。気分が落ち込んで』
『教室の中。蒸し暑いわ。窓も。開けさせてくれないし』
しかしその雨が人を助ける事もある。自然現象は一概に善悪で語れないのだ。
『てるてる坊主。作ろうかしら』
『高校生にもなっててるてる坊主!? 澪奈部長も可愛い所があるんだねえ』
『はぅッ! だ。だって。本当に。嫌だから』
『てるてる坊主作るなら逆さがいいぞ』
『……何で?』
『ああ、表向きだと頭がつるつるだろ。雨が滑るから雨になりやすいんだ。ところがさかさまだとスカート部分が器になって雨を受け止めるから晴れになる』
嘘である。
大体、その理論だとてるてる坊主で雨を受け止められるかどうかになってしまう。実際に効果があるかどうかはさておき、雨を晴らすのはてるてる坊主の力であって、その身体ではない。少し考えればおかしな豆知識なのだが、レイナは騙されてしまった。グループに逆さ吊りのてるてる坊主が送られてきて、たまらずマイクを切って大笑いしてしまった。
どうか許してほしい。
明日が晴れになっては困るのだ。たかがてるてる坊主如きが天気予報に勝てるとは思わないが、念には念をという奴だ。事情を話したとは言ったが朱莉もレイナもこっちの情報は知らない。まさか今日(時間帯的には日付が変わっている)、雨が降らなければ何処かで火炙りにされるなんて思ってもないだろう。
『……明日は色々面倒そうだし、俺はもう落ちるわ。お休み』
友達の命が懸かった日に寝坊は厳禁だ。朝五時にセットした目覚ましに従い、俺は目を覚ました。睡眠時間は三時間と少し。ショートスリーパーではないのでコンディションは少し悪いが、後でたくさん眠ればいい。今はとにかく起きなければ。そんな気がしたのだ。
光を遮っていたカーテンを開けると、少々雲は多いものの基本的には素晴らしい晴天が広がっていた。
―――何でだ?
天気予報によれば雨が降る筈だ、と。そこで俺はとんでもない落とし穴に気が付いてしまった。予報は所詮予報に過ぎず、その確率は極僅かながら、外す事もあるのだと。そうでなければ本当に逆さてるてるが雨の受け皿になってしまったか。
その場で崩れ落ち、絶望を味わっていた所で電話がかかってきた。姉貴からだ。こんな不運に見舞われた直後は無性に彼女の声が聴きたくなるので丁度良かった。
『もしもし』
『弟君。要注意だけしとく。救世人教が全員消えた』
『……え?』
『家に帰れてないのはごめんよ。彼等が使えそうな建物を虱潰しに当たってたんだけど全部当てが外れたどころか、今日晴れだし…………! 全部無駄になってちょっと萎え気味。そっちはお友達大丈夫?』
『ん。全然大丈夫だ。攫われてもない』
『そう。でも油断しちゃ駄目だからね。普通なら一安心と言いたい所だけど、君はゲンガーと戦ってるんだから』
通話が切れた。
不穏な事を言ったが俺を怖がらせたい意図は視えない。大丈夫な筈だ。姉貴は心配していただけだ。ゲンガーが付け入る隙なんて一ミリも無かった。登校は本来の帰路が似ている朱莉が何とかしている筈で、下校は俺達二人がついている。抜かりはない。強いて言えば学校にいる間はどうしようもないが、その他の目を掻い潜ってなり替わる隙はむしろない。今は学校全体がピリピリしているので猶更だ。
取り敢えず、学校に行こう。
焦っていた。何故かは分からない。
信じたかった。他ならぬ自分達の周到さを。
認めたくなかった。ミスとも言えぬ負け筋を。
あまりにも早く起きすぎたので、朝の準備はきちんと終わらせる。きっとこのソワソワは夜になるまで―――いや、明日の朝になるまで終わらないのだろう。その確信がある。逸れば逸る程、時間の経過は遅くなった。体感で五時間以上の暇を持て余したが実際には二時間。これは酷い差だ。
頼むから今日も学校に来てくれ―――!
そんな切実な願いは無事に聞き届けられた。どうしても暇を持て余した結果校門で一人一人生徒の登校を見届ける生徒指導の真似事を始めたら、朱莉もとい朱斗と一緒にレイナが登校してきた。
「あ、匠」
「匠悟。おはよう」
「ちょいちょいちょちょい。朱斗。ちょっとこっち来てくれるか」
催促に見せかけて強引に連れ出すと、レイナからギリギリ見える所で内緒話をする。
「朱斗。澪奈とゲンガーが変わる瞬間ってあったか?」
「無いと思う。学校に行くまでと帰るまでと帰った後、ここ数日に抜かりはない筈だ」
……だよな。
でも放課後まで気は抜かないでおこう。
何も無かった。
襲撃も、混乱も、異変も、違和感も。何もない。不気味なくらい平和で、それ自体が不安になる程平和だった。
「じゃあ、今日も帰ろうか」
一応、今日で最終日だ。彼らに教義に従う気があるなら今後襲われる事は……多分ない。少なくとも満月が出るまでは。
「レイナ、手の方はまだ痛むのか?」
「ええ。結構深く。刺されたから」
治るにはまだ時間がかかるらしい。包帯に触らないよう優しく彼女の手を握ると、朱莉を率いて歩き出す。
「一つ提案なんだが」
「ん」
「何?」
「寝不足だから夜じゃなくて今日は帰宅次第やりたい」
寝不足なのは本当だ。理由としては一割もない。本当の理由は夜になる前が一番危険だと思ったからだ。彼らの行いたい何かが満月が出た瞬間に行わないといけないのか違うのか、それは分からないが、気持ち的には月の出る前に準備は済ませたかろう。
だからこうして俺が時間を拘束する。自由時間を奪い外出を封じればレイナがどうにかなる事はない。
「僕は構わないよ」
「私も。構わない」
「じゃあ決まりだな。とっとと帰ろう」
帰路についてからも、驚くくらい何も起きなかった。駅前からも救世人教の人間は姿を消し、そんな宗教など初めから存在しなかったかのように平和が静まり返っていた。
「匠。どうしたの」
「いや、今日は胡散臭い宗教勧誘がいないんだなあと思ってな」
「そういう日も。あると思うわ」
何故素直に喜べないのだろう。何もない事を純粋に喜びたい。そこに裏があるなんて考えすぎだ。あったところで何が出来る?
分岐路につき、残りの道を朱莉に任せた俺は一足早く帰宅。先にグループ通話を開いて待っていると、突然電話がかかってきた。
携帯ではなく、家の。
「え」
家の電話に連絡が入る時は家庭訪問か姉貴の関係者と相場は決まっている。悪戯電話の線は薄いとして、誰からだろう。もし姉貴の関係者なら申し訳ないが出直すようにと言わなければ。階段を下りて電話を取ると、耳をつんざく大声が響き渡った。
「弟君! 友達はどうしたの!?」
音割れが酷い。どんな至近距離で叫んだのだろうこの姉は。破れそうな鼓膜を労わりながら数秒の間を置いて返答する。
「な、何。急にどうしたんだよ」
「救世を見つけた。自分の身体に火を付けて歩いてる。天気予報が外れて晴れになっちゃったし、始めるつもりなんだと思うッ。早く確認して!」
姉貴の怒号を受けて逃げるように二階に戻る。開きっぱなしになったグループ通話には朱莉だけが入っていた。
『あ……朱斗。無事か?』
『ん? うん。結局誰も来なかったね。骨折り損のくたびれもうけだよ』
『……実はなんか雲行きがおかしくなってきたんだよ』
『天気は良いよ』
『そういう事じゃなくて、実は』
『遅れた』
レイナが参加してきた。これは無事、という事で良いのだろうか。姉貴の早とちりにしては、救世人教の動きがおかしい気がする。時刻は四時半をちょっと過ぎたくらい。満月が見えるとすればもう少し時間が…………いや、月の周期的に、夕方でも見えるか。
単に目立たないというだけで。
『レイナ。家に不審者が居たりしなかったか?』
『別に、いつも通りよ。どうしたの? 突然』
窓の外から何の希少性も美しさもない山を見遣ると、明らかに人為的な煙が立ち上り、山の表面がごうごうと燃え盛っていた。
ゲンガーは本物を詳しく知れば見破りにくくなるが、何もその工程が必須という訳ではない。山本ゲンガーの一件で俺は知っていた筈だ。
本物のレイナは、あの山の中に居る。




