空しい対策
朱莉で遊んでいたせいで忘れかけていたが、そう言えば昨日はレイナが襲撃されたのだった。予兆さえなかった生徒数名の凶行に職員達は戦慄。会議を開いて対策を募るも、これと言った名案は出なかったらしい。
生徒のストレスがどうとかこうとか……色々考慮された結果、来週からカウンセリングの先生を臨時で呼ぶらしいが、ゲンガーにカウンセリングの効果があるかと言われると皆無だ。あれは別に本物と偽物を見分ける技術ではない。
そんな中で唯一動きがあったのは齊藤享明とその取り巻きだ。管理部を介して抑えられた証拠は銀造先生によって議題に上がり、彼ともう一人は停学処分になった。時系列としては彼等の方が前なのだが、どうしてもあんな事件があると後出しにならざるを得ず、傷害武器の持ち込みは後出しされると一気に都合が悪くなる。退学されなかっただけ幸運と思うべきだ。俺達が(退学すると本物はますます宗教にのめり込むだろう)。
また、ストレスケアの一環として抜き打ちテストは暫く中止されるらしい。誰が言い出したかは分からないがテストのプレッシャーでおかしくなったとか何とか。レイナは成績が良いから嫉妬されたのだとか何とか。
実際の動きはよく分からない。風の噂とは恐ろしいものだ。証明されても無いのに事実のように扱われるとは。
「マジ寒気がするわ。あんな事するとか」
「やべえよな……」
普段ならテストがなくなって喜ぶ生徒は多いが、事態が事態だけに素直に喜べないのが多数派だ。心底から喜んでいる人間も居るだろうが空気を読んで言い出さない。無言でしかめっ面の人間は多分喜んでいる。
「一年とか二年は『他人事』で巻き込み免除だからいいよなー」
「一年生はテストが出来る程授業してないから元々ないよ」
「お前等なんでそんないつものテンションなんだ……?」
「匠悟は分かるけどお前はこっち側だろ朱斗」
「僕もそう思うけど。一晩寝るとあれは夢だったんじゃないかなあって思えてきてさ。正直今でも信じられないよ。D組はお行儀の良い生徒が集まってた筈なんだけど」
「それな。本当何があるか分かんねえよ」
―――不味い流れだな。
ゲンガーの意図的なものではないだろうが、疑心暗鬼になるのは良くない。ゲンガーは本物じゃないだけの偽物だ。ゲンガーの存在を認めさせる事について話し合ったが、その案は閉鎖コミュニティでもあるここで通用しないなら最悪手。本物で同士討ちを始めたりしたら目も当てられない。仲間を増やすにせよこのままにせよ、孤独な闘いを強いられるか。損得や単なる義理人情では仲間などとてもとても生まれなさそうだ。
「部活はどうなるんだっけか」
「暫く休み。生徒の安全を優先した結果だってよ。はー……今年は大会無理かなあ」
「一日休めば三日衰えるって言うもんな」
学校は怠いが、嫌いじゃない。日常の象徴とも言うべき時間に陰が差すのはあまり良い傾向とは言えない。イジメのアンケートみたいなものにも答えなくてはいけないし、カウンセリングの予約も入れなきゃいけない。
億劫だ。大した手間ではないが、大した手間ではないからこそ『そんな事をする必要はないのでは』と気だるくなる。国語の授業は実質道徳で、総合の時間も実質道徳で、昼休みまで胸やけするくらい常識を浴びせかけられた。ひねくれ者なら一夜の内に不良へ転身するだろう。俺はとっくに殺人にまで手を染めてしまったのでこれ以上悪化しようがない。辟易するだけで済んだのは不幸中の幸いというより『ギリギリ致命傷だからセーフ』も斯くやと思われる謎理論だ。
そんな窮屈な時間を過ごした反動で、昼休みはいつも以上に盛り上がった。ストレスケアの一環で暫くは昼休みの時間も十分ほど延長するらしい。たかが十分、されど十分。小学生の頃はたった十五分でグラウンドに出てドッジボールまでやってしまうくらいだ。充分である。
「朱斗~飯食おうぜ」
「人数足りないんだけど、加わってくれよな~狩り行こうぜ狩り」
少なくともこのクラスで俺達は人気者だった。理由は非常に単純で俺達だけが辛気臭くなかったから。厳密には人気なのは悪ノリ大好きな朱斗の方であり、俺の方はというとハブられたりはしないが、積極的に誘われたりという事もない。
自分から絡みにいかないと孤立するタイプと言えば分かりやすいか。
理由はよく分からないが昔からそうだ。周囲は俺を嫌っている訳でもない。絡めばなんだかんだ盛り上がってくれるし。
「おーモテモテだな朱斗」
「どっちかって言うと女の子にモテたいんだけどなあ!?」
何度か俺に視線を送ってきているが、その想いには応えられない。彼女は人目がある限り明木朱斗であり、男同士は過度にスキンシップを取るべきではない。次の恋を見つけたいなら出来るだけ控えるべきだ。印象どうこうの話というより、単純に身内ノリは楽しいせいで依存性があるから。
「んじゃ俺はレイナの所に行くわ。心配だし」
「え、じゃあ僕も行くよ。同じ部員でしょ
「お前はストレスケアの一環で付き合っとけよ」
男子達の間で笑いが起こる。やはり多くの人間が散々説かれる道徳に嫌気がさしていたらしい。ただ一人真顔になった朱斗は粘り強く交渉を続けようとしたが半ば強引に俺が脱出したので話は打ち切り。男共の悪ふざけに巻き込まれた。
―――まだゲンガーが潜伏してる可能性はあるし、必要な分断だと思うよ。
あまり一緒に居すぎると、いざ単独行動を取った時に各個撃破される恐れがある。何処の誰ともしれぬゲンガーを警戒し過ぎて悪いという事はない。こちらは二人、あちらはどう少なく見積もっても俺達より多い。小手先でも何でもやるべきだ。
本当にレイナの所へ向かう予定だったが、恐らく彼女は教室には居ない。事件現場に戻りたい被害者はそういないだろう。適当に見積もって三日間くらい……少なくとも今日は教室でない何処かで授業を受けていると見た。階段の踊り場で背中を向けながらメッセージを送ろうとする(本人に聞くのが手っ取り早い)と、背後から誰かにツンツンと背中を突かれた。
振り返ると、
「こんにちワン!」
犬耳のカチューシャをつけた千歳が、握った拳を曲げながら鳴いていた。
「…………センパイッ、どうです? 面白かったですか?」
渾身のクオリティと言わんばかりにニコニコと微笑む後輩。俺の反応を窺う瞳には微かな期待が込められていたが、それどころではない。
「そ、それは………………まずい、ぞ」
「まずいですか?」
「人が死ぬ」
「ええ!」
萌え死ぬ。
確かに二人でユニークな挨拶を考えた時はあったが、誰が犬耳カチューシャを着用しろと吹き込んだ。素直な後輩が真面目に犬をやりだしたらそれはもうただの犬だ。忠犬だ。子犬だ。試しに同級生の男子にやってみればいい。ユニークかどうかはさておき可愛すぎて告白間違いなし。免疫が無い男子ならもしかして自分の事がと謎のぬか喜びを始める勢いだ。
「そうですか……いいアイデアだと思ったんですけど」
「あ、いやとてもいいアイデアだと思うよ。でもほら、うん。挨拶ってもっと気軽にやるものだからさ。俺じゃないけど、変な奴って思われるかも」
「ではセンパイを見つけた時だけやりますね!」
マジッ?
願ったりかなったりだ。何だこの後輩、心が読めているのではあるまいか。少し気分を落ち着かせた所で改めて用事を尋ねる。
「何か用があって来たんだよね? 挨拶披露しに来ただけだったりしたら……ちょっと面白いけど」
「あ、そうでした。昨日、センパイにお菓子持っていく約束しましたよね? ケーキじゃないんですけど、クッキー持って来たんです。よろしかったら一緒に食べませんか?」
「あー! …………うん。いいよ。丁度俺も、千歳に聞きたい事があるかもしれない」
「名前、呼んでくれるんですね。嬉しいですッ」
そう言われると、今までは君と指していたか。無意識的にも少し距離が縮まったのかもしれない。
新たな共犯者の件だが、このいたいけな後輩を誘うべきだろうか。
後三話とか二話くらいで終わる筈




