可愛くて、ポンコツな
外食の体をちゃんと果たすべく、帰りには牛丼屋に寄った。券を買うタイプのお店は何者かの厚意が絡まないので安心だ。大抵は何故かお会計済みになる事が多いので、外食の頻度がそれなりでも使う金はそれほど多くない。姉貴は『呪われてるんじゃない?』と笑っていたが、幸運はそう何度も続くものではなく、そこに作為が見える以上不安で仕方なかった。
尤も、その程度の憂いなど眠れば忘れたりどうでも良くなる。寝不足と疲労は鬱の元だ。今日は色々な事をしたので久しぶりに疲れた。部活よりも疲れたのは久しぶりだ。帰宅した途端に眠気に苛まれたので素早く入浴等の就寝準備を整えて眠った。自発的な行動というよりは夢現状態だったかもしれない。目覚ましをセットしたつもりが起きた時にオフになっていて、家族を問い質したら自分が勝手に止めただけみたいな。出た例えが中学までの悪癖とは笑えもしない。
人は忘れる生き物だ。忘れる事で改善する行動もあれば思い出した事で再発する行動もある。
「………きてー」
「おーきてー」
「……じゃあ僕も寝よっと」
「そうはならんだろッ」
脊髄反射が眠気に勝った瞬間を祝うべきだろうか。寝ぼけ眼に朱莉を見つめると、彼女は嬉しそうにニヤリと笑った。
「おはよう。君の寝顔を見られてラッキーだ」
「……なんで、居るんだ?」
「遅刻確定だから起こしに来たんだよ。今八時だから、ジェット機でも使わないと間に合わないね」
…………寝過ごしたのか、俺は。
姉貴は多分寝ているので頼りにならない。元々生活リズムが壊れている人だ。夜に活き活きしていたのは単純に夜行性としてのリズムがハマっていたからなのもあるだろう。時刻を伝えられた瞬間学校に行く気が失せた。ずる休みをするとレイナを不安がらせてしまいそうなので登校はするが、焦るつもりはない。焦れてもいない。なんかもう、色々どうでもいい。
ベッドの上で背中にのしかからんとする朱莉を捌いている内に、俺は質問に対する答えが成立していない事に気が付いた。
「待て待て。起こしに来たもおかしい。俺の家の警備はそこまで甘くない。どうやって家に入った?」
「スペアキーだけど」
「渡した覚えがない」
「細かい事はいいじゃないの。僕が居なかったら君は今日一日ずっと寝てそうだし、うわッ!」
何度も何度ものしかかってくるのが鬱陶しくて、雑に振り落としたら朱莉が膝の上に降って来た。落とした目線が彼女と交差して、微妙に気まずくなる。
「……男同士で膝枕って変かな?」
「異性でも変だ。恋人同士でもないと」
視線が外せない。
昔から男として接してきたせいで、朱莉からは基本的に色気というものを感じないのだが、旧校舎で俺を呼んだ時と今だけは、説明のしようがない色気がある。何かに憑りつかれたようにとは今みたいな状況で言うのかもしれない。視線を逸らそうと思えば逸らせるのに、逸らしたくないと思わせる何かがある。
「……昔、本で読んだ事あるんだけど。キスって友達同士でもするらしいよ」
「ナンパな本だな。俺は硬派だからそんな真似しないぜ」
首に朱莉の手が掛かった。首吊り縄のように緩やかに、道連れを望むように。
「僕じゃ美子の代わりにはなれないかな」
「なれない。お前はお前だ。美子だってお前の代わりにはならないよ。別に、お前の事を嫌いな訳じゃないんだ。俺は美子ゲンガーと付き合ってたが追いかけまわした尻は紛れもなく本物だ。女の趣味が悪いのかもしれない。正直に言えばお前はかなり面倒くさい女だなあなんて思ってたりもする」
「傷つくなあ。そんな言い方」
「でも嫌いじゃない。俺達はきっと、相性が良すぎるんだ。互いが互いに望みを懸けて依存したら何処までもどこまでも堕ちていく。そんな気がする。今はまだ、共犯者のままでいないか? ゲンガーの侵略が進んだら元も子もない。次に会う俺達が本物という保証は何処にもないんだ。だから―――」
「本物だよ」
会話を遮るように、朱莉が断言した。
「君はずっと、本物だ」
「何で分かる」
「理由が要るの? 君は自分が偽物だって思ってるとか?」
「いや……」
「じゃあそれでいいじゃないか。君は本物。私も本物。たった二人の共犯者。それはきっとどんな関係よりも」
そこから先は、ない。彼女も俺も口にしなかった。ただ一つ、契りを交わさんと抱擁を交わして、それで朱莉はようやく満足してくれた。
―――なーんか恥ずかしいな。
ハグくらいならそれこそ男同士でもやる。体育祭で優勝した時とか、文化祭で賞を取った時とか、合唱コンクールで頂点を取った時とか。それ自体に恥ずかしい要素は含まれていない。なのになぜ、こんなにも恥ずかしくて、安堵しているのだろう。
『他人事』なので分からない。
「さ、蜜月の時間はここまでだ。遅刻は確定だが重罪くらいは免れるだろう。僕も手伝うから支度しよっか」
「ん。さんくす。その前……いや、後でいいか。相談があるんだが―――」
「共犯者を増やしたい?」
遅刻確定の通学路をゆっくり歩きながら、朱莉は首を傾げた。目には見えないが身体中からクエスチョンマークを出している事だろう。
「何でまた急に。さっき共犯者がどうこう言った私が馬鹿みたいじゃないかッ」
「いや、よく考えなくても二人だけで侵略に抗うのきつくねって話だよ」
俺の理屈に筋は取っている筈だが、朱莉は全く納得している様子はない。公衆の場で一人称が戻っているのが何よりの証拠だ。ちょっとした相談のつもりだったのだが想像以上の顰蹙をかったようだ。彼女は頭の後ろで腕を組みながら唇を尖らせていた。
「酷いなー。落ち込んじゃうなー。共犯者っていうのは特別な関係だと思ってたのになー。匠君はそういう事言っちゃうんだへー」
独り言みたいに不満をぼやくのがまた絶妙に面倒くさい。最初から耳を貸してくれるとは思っていなかったが、説得のチャンスも果たして無さそうだった。一応粘る。
「何体居るかも分からないのに近所に住む俺達二人だけってのは正直無理しかないだろ。世界と協力しろなんて言わないよ。まずゲンガーの存在を認めさせる事から始まるしな。でも仲間は居るべきだ。その方が色々と動きやすいし割り出しやすくなると思わないか?」
「匠君。君はひねくれものだから感覚がマヒしているのかもしれないが、最終的には殺すって事を忘れてないかな」
「…………乗ってくれるだろ。人じゃないし」
「本物じゃないだけの人だ。最初のあれは相手が間抜けだっただけ。本来はちゃんと処理とか隠蔽とか犯罪チックな真似が必要って言わなかったっけ? 乗っかってくれる人なんて見つかるとは思わないね」
「お、言ったな。じゃあ見つかったら俺の案は可決って事で」
「ああいいとも。絶対、ぜえええええったい見つからないから」
俺から少しばかり距離を取った朱莉が「二人きりがいいのに……」と呟いていた。小声のつもりかもしれないが通学時間を過ぎたこの道に人気なんてない。遅刻が怒られるのは規則に従えない少数の行為だからだ。多数が従えない規則は多数が悪いというより規則そのものに問題がある。たまに車が走る程度では声など隠せる道理はない。
「……分かってるよ。俺も見つかるわけないって思ってるさ」
「え、ホントッ?」
心なしか嬉しそうな表情で朱莉が肩にぶつかってきた。ならこの賭けはなしに……とでも言いたげだ。
「……一応、やってみるけどな」
和解の流れにあった梯子を外して足を速める。彼女は暫く呆けていたが、おちょくられた事に気付くと直ぐに追いかけてきた。
あー楽しい。




