零の心酔
「これ、多分借りてる倉庫か何かだよね」
時刻が午後を回った頃、俺達はとっくに家を出て早めの昼食を取っていた。名目上はデートなのでそれっぽくしないと朱莉が怒るかもと気を利かせたつもりだ。作戦会議としても使えるし、要警戒人物にでもされていない限りは盗み聞きの心配もない。完璧だ。
デートのセンスは無いので選んだ店はジャンクフード店だが、『丁度ハンバーガーが食べたいと思ってたんだよね』と言ってくれて一安心。俺に対する気遣いでないのは、お店で一番高い『バガの斜塔』を頼んだ事からも明白だ。もし他の商品を頼んでくれたらメニュー表を見てジョークの一つでも言えたのだが、
『こんな常軌を逸したバーガー誰が頼むんだよ、なあ?』
『私』
それっきり話が繋がらなくなるのでやめた。余談だが商品名の元ネタはピサをピザと間違えた従業員の存在から連想ゲーム的に話が繋がったらしい。
「お前ってそんな大食いだったっけ」
「嫌いだった?」
「いや、好きだぞ俺は。男にしても女にしても美味しく食べられるのは一つの才能だと思ってる。俺には真似出来ないな」
「グルメリポーターじゃあるまいし、何か才能が必要だとは思わないけど」
「『他人事』と考えるせいかな。俺にもよく分からない」
もっと分からないのはそれだけ食べているのにどうして胸が育たないのか、という事だが。口に出すと単なる痴話喧嘩になる。統計的に貧乳が多いらしいのは知っているが、肝心の大きい人のサンプルが姉貴だけというのは現実味がないというか現実味しかなくて複雑な気持ちというか。
問題は胸に限った話ではない。スタイルの良さをどうやって維持しているのかも謎だ。胃下垂なのだろうか。だったら将来の進路はグルメファイターで決まりだ。応援してやるとしよう。
「『他人事』と考えるのは癖なの? それとも意識してやってる?」
「意識してやってたつもりが無意識になった。こんな時に役立つとは思わなかったけどな。本当はもっとこう、建設的に使いたかったよ」
「例えば?」
「恋人とデートする時とかに『自分事』として考えると緊張したり謎の失敗をするだろ。そこで失敗しなくなる」
「そうだった。君は骨の髄まで恋愛脳。何かと恋したがる盛りのついた男子だったね」
「何とでも言ってくれ。俺は愛の注ぎ場所に餓えてるんだ」
だから恋愛抜きに誰かを助けるのかもしれない。最早それは『他人事』なので俺には分かる筈もない理由だ。分離は時として相互不理解を生む。俺は『自分』の事が時々分からなくなる。それだけはどうしても『他人事』という視点からでは見えないから。
「じゃあ、私が立候補したら認めてくれるよね。お生憎様、私は愛まで底なしの大食い女だ。腹ペコ同士仲良くしようじゃないか」
「……オムライスにハート書いたら許してくれないか?」
「ダーメ♪ 私が死んでも毎日毎日枕元で君へのラブポエムを読んであげるよ。丁度昨日で一万を超えた所なんだ」
何故だろう。寒気がしてきたのは急に冷え込んだから? この良い天気……という程でもない曇天……に冷え込み? 今の季節を考えてみろ。四季が失せてたまるか。
「これデートでする話じゃなくね?」
「テンプレートが用意されてるなら誰も苦労しないんだよ匠。それとも酒が入るような席でされる下世話な話をご所望かな?」
「真昼間っつってんだろ。もっとこう何気ない……何気ないって何だ?」
美子との会話はその場所ありきの脊髄反射なものだったので中身があったとは言い難い。朱莉と純粋な悪友だった頃の会話もそうだが、思い返すと中身の無い事と言ったら後で頭を抱えるくらいだ。でも会話なんてそんなもので、そこが楽しいのかもしれない。一度気にするとシフト不可なのがネックだ。
勝手に首を傾げる俺に溜息をつくと、朱莉は半分程食べたバーガーを置いて口を開いた。
「自分でこんがらがっちゃったよ。じゃあ何気ない話を一つ。隣の市のバッティングセンターにホームランチャレンジってのがあってね。全球打ち返すと豪華焼肉セットが貰えちゃうんだ」
「野球部に頼め。終わり」
「もうちょっと会話楽しまない?」
「オチが見えてる。俺にとってほしいんだろうが。無理だ無理。大体野球初心者はヒット打つのがギリだ。ホームランとか馬鹿じゃねえの」
「そんな事言わないでやろうよ。カップルしか出来ないんだよ?」
「血も涙もないチャレンジだな。今時そんなの採用した場所あるのか。……でも焼肉パーティは楽しそうだ」
出来るだけ大人数で食べたいのが本音だ。知り合いをかき集めればそれなりに集まるか。最悪部活メンバーで開いてもいい。適当に理由をでっちあげれば銀造先生もついてくるだろう。あの人は部活さえ関わっていなければ相対的に寛容な方だ。
「……まあ、考えておくよ」
「テストの期間に被せるなら理由付けが楽だよ? テストの打ち上げって名目が使えるから」
そうだ、テスト。嫌な事を思い出した。
傷害事件の勃発で有耶無耶になっているが、三年生になっても俺達には定期考査という気だるいイベントが待っている。抜き打ちについては暫く大丈夫だろう。レイナ傷害事件はあまりにも唐突過ぎて抜き打ちどころではない。テストされるのは生徒の倫理観であるべきだ。
「…………朱莉。全教科百点取れるか?」
「取ろうと思えば」
「絶対?」
「絶対」
凄い自信だ。
点数操作をしているとは言っても、満点は無理だと思っていたのに。
「次のテスト取ってみてくれよ」
「いいよ」
朱莉は汚れた口元を拭きながら立ち上がった。
「さ、食事は終わりだ。倉庫の中に何があるか見てやろうじゃないか」
倉庫―――貸出コンテナは開け放たれていた。
中にあるのは椅子が一つと天井灯が一つ。電源は外から捜査出来る様にケーブルが延ばされており、それ以外は特に何もない。強いて言えばちょっとした工具が置いてある程度だ。広さに反して生活感のある規模は非常に狭かった。
「…………拷問部屋だね」
「え?」
聞きなれない、現実感の付随しない言葉を聞き、間抜けな声が出てしまった。この現代で拷問とは何の冗談だ。控えめに失笑すると、朱莉は気にも留めないで理由を述べる。
「拷問、という言葉は適切じゃないな。洗脳部屋に近いかもしれない。いや、求める答えを聞き出すという意味ならやはり拷問かな。匠、何の為に外から明かりを操作出来る様になってると思う?」
「分からん」
「電気を消すから、電気を点けるからだ」
電源の役割を言い出した時は何をとち狂ったのかとも思ったが、暫く考えてようやく言わんとする事が分かった。それは肉体的苦痛を伴わないが、代わりに精神をおかしくする要素を秘めている手口。密室の中で何度も何度も電気を消して付けてを繰り返し明滅した世界を眺め続けていると中に居る人間は気が参って幻覚を見るようになるそうな。いる筈のない人が見えたり、謎の音が聞こえたり。
眼を瞑れば回避出来るが四六時中目を瞑れる人間はいない。何処かで開ければそこでお終いだ。空腹やのどの渇きも含め、人は簡単に極限を知る。
「ただ、ケーブルの状態や中のコンテナを見るに使い込んだ様子が無い。ほぼ新品だ。救世人教で長い間使われていたとは考えにくいが、使われてないならこんな地図を用意してある理由もない」
「つまり、使った」
「そうだね。使った。あんまり使ってないから迷わないように地図を用意してたのかな、すると誰に使ったかだけど……」
「齊藤享明だ!」
俺は、もう一人の彼が突然友人関係にあった一人を誘拐した事について話した。忘れていた訳ではないが、姉貴に話したせいで何となく朱莉にも話したものだと混同していたのだ。その時はただ一人を除いて全員の連携が取れていたので同じメンバーだろうとも付け加えつつ、今度こそちゃんと話した。
「……そうか。そう言えば君の方を聞き忘れてた。私のミスだ。いや、取り返しがつくならミスじゃないか」
「本当につくのか?」
「多分ね。いずれにせよ三日後にならないと付け入る隙は生まれなさそうだ。今日の所は解散しようか」
「残り二日はどうする?」
「それは学校次第だ。澪奈の件をどうするかによる。彼女を守ろうという気が無いなら―――ラッキーだけどね」




