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ドッペルゲンガーにアイはない  作者: 氷雨 ユータ
狂真サークル

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聖なる四文字のガラン

 昼になって再び廊下に足音が出た。それと同時に緊張が緩んだ俺達は雪崩のように押入れから飛び出した。

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…………地獄だった」

「雰囲気は悪かったよね」

「そういう意味じゃないし……どさくさに紛れてそういう真似はやめてほしいな。一応、初めてだったんだが」

「ならあいこだ。私も初めてだった。でも臭いは少し誤魔化せたから勘弁してよ」

 それに関しては言い返せない、事実、俺達と一緒に転がり落ちてきた死体の臭いは今も尋常じゃない腐敗臭を放っている。肉が崩れ落ちた死体からはわざわざ特定するのも嫌な体液が滲みだしている。山本ゲンガーは殺して間もなかったからこんな臭いがしなかったのだろうか。それとも本人がやはり甘かったのか。

「ずっと気になってたんだけど、君、死体見るのやっぱり慣れてるよね?」

「……何で、そう思うんだよ」

「死体から発せられる臭気や血液に嫌悪感を抱いても、死体そのものを見る事に抵抗がない。それは『他人事』かどうかで片づけられる話じゃないよ。ゲームの中でさえ死体を見たくない人間も居るんだから」

 そんな事言われても、『他人事』だからとしか説明出来ない。それ以上でもそれ以下でもなく、言い方を敢えて悪くするなら『そこで死んでいるのが自分ではないから』としか言えない。もし自分が死んでいるなら、俺は今までの性格さえも破棄して恐怖しよう。

 一点張りでは納得してくれそうもないし、少し捻った言い方で語ってみるか。

「……そういうのってさ、没入感というか自己投影というか、自分がそこに居る錯覚のせいだろ。八ビットの死体だったら誰も怖がらないしな。だから、そういう事だよ。目の前に死体があっても実感が湧かない。死体を見て自分も殺されるかもとか、こうなってしまったらとか、取り返しがつかない事をしたとか、祟られるとか、未来に対するイメージが出来ないって言うのかな。だから慣れてるように見えるんだと思う」

「―――自己分析が上手だねえ。そういう男の子はモテるって聞くよ」

 俺としてはこの状況でそんな冗談が言える朱莉の方がずっと慣れていると思う。が、考えても見れば今までの行動からして彼女は俺に正体を開示する前からずっとゲンガーを殺してきた筈なので、慣れていない方がむしろ問題だ。

 そのジョークには付き合えない。朱莉は長い間を一人で受け止めたかと思うと、唐突に部屋を出て行こうとした。

「ちょ、朱莉」

「判明した事がある。既にゲンガーは『本物』になっていたんだ。死体の損壊は激しいが、多分それ、本物の教祖様じゃないかな」

 言われてから改めて振り返る。俺は警察関係者でも何でもないので死体から身元を特定する真似は出来ない。まして顔も知らない教祖の事なんて、全く。しかしその条件は朱莉も同じ筈だ。彼女が元メンバーとか、トンデモ情報が潜んでない限り。

「何でそう思う」

「箪笥の中に入っていた教義は少なくとも人を傷つけるものじゃなかった。馬鹿馬鹿しいのは今も一緒だけど、暴力的なやり方じゃ支持されないってのは分かってたのかな。私は教義の事を詳しく知らないが、今の救世人教は澪奈に危害を加えた。この時点でもう、本来とはかけ離れている」

 日記の内容が途中から代わっていたのはその為か。いつ頃ゲンガーが来たのかは分からないが、五年より前は本物が運営していて、五年前から偽物ゲンガーの運営になった。気になるのは平和に生きたい筈のゲンガーがどうして注目を集めるような過激な方針を取るようになったかだ。本物とすり替わるつもりなら今までの教義を引き継げばいいだけの事。教祖にやる気があってもなくても洗脳状態に入った信者の眼は曇り切っているので絶対に見抜けない。

 このゲンガーも何かおかしい。『本物らしさ』を捨てて独自路線を開拓している。日記帳は明らかに偽装を入れており、俺達のように正体を見破らんとする人間を欺く意思が見え隠れしていた。

「……何でゲンガーは、そんな事を」

「さあ。それは本人に聞かないと分からないな。ただ、私達のやる事は変わらない。ゲンガーは殺さないと」

「計画はあるのか?」

「今はまだ、ね。実行は早い方がいいだろうからこっちに来た齊藤君がどっちなのかってのは今すぐにでもハッキリさせたい所だけど、まずは二階の探索をしてからだね」


 ―――あのケースはないのか?


 尾行を取りやめたのが悔やまれるが、あの時はあれで正しかった。全て結果論だ。それにあそこで戻ったから俺は姉貴の協力を得ようという選択を選べたのだ。ポケットの中で携帯を開くと、朱莉に気付かれないようにメッセージを送る。


『大きなケースを隠すとしたらどういう場所に隠すと思う?』


 探す前からヒントを聞くなんて馬鹿らしいが、これはゲームでも何でもない。齊藤享明がゲンガーかどうかを判明させる為に必要ならばどんな手でも使おう。足音は朱莉曰く外に出て行ってしまったらしいので多分今はこの家に誰も居ない。教祖が良く分からない話をしていた部屋に入ると、大勢の人間の出入りを想定したのだろう。ここまで普通の一軒家だった場所に、突然和室が表れた。それも不自然なまでに広い。家を側面から見たらかなり歪になっていそうだ。

「ようやくそれっぽい場所が出て来たね。まあ、難癖レベルだけど」

「他の部屋と比べて広いってだけだもんな」

 奥の掛け軸や仏壇ぽい箱を調べに入った朱莉を見送って携帯を確認。姉貴からは『家の様子を頂戴』と返された。確かにそうだ。どんな家か知らない事には始まらない。『普通の家』と言っても、『普通』の守備範囲が広すぎて想像するのも難しいだろう。

「ちょっと今までの部屋を回ってきていいか?」

「いいけど、探し忘れは無いと思うよ。特に一階は探すだけ無駄っぽいし」

「それはそうだが、写真くらいはとってもいいだろ。後で振り返る時にも使えるし」

 五分も掛からないからと念押しするとようやく朱莉は折れてくれた。手っ取り早く入り口から見た光景を七枚程送信。ずっと画面を見ていたのかもしれないが既読は早かった。


『隠さないと思うな』

『それはなんで?』

『この様子じゃ自分たちがカルトって自覚があるんだと思う。本当に自分達が正しいと思うなら家の中くらい堂々としてるから。ところで一つ聞きたいんだけど、誘拐と救世人教は確実に関与してるの?』

『もう一人がここに出入りしてるのを見た。ゲンガーが本物になりたいならあっちもここに出入りしてる筈だ』

『分かった』


 二つの事件は繋がっている。それが明確になったのは一先ずの収穫だ。問題はここからどうやって朱莉の力を借りずに救世人教をどうにかするか。恐らく彼女はゲンガーさえ殺せれば残りは放置するだろう。

 それに。取り残された信者が歪んだ教義を掲げてレイナを再度狙う可能性は十分に考えられる。非常に危険だ。ゲンガーよりも直接的で短絡的。そんな危ない芽は摘んでおくに越した事はない。

 階段を上り直して部屋に戻ると、朱莉が部屋中に塩を撒いていた。

「…………」

 え。

 およそ理解するのに数秒。黙々と何処ぞから持ってきた塩を撒く彼女の姿が、俺には奇異に思えた。

「何してんの?」

「少し面白い物を見つけたから最後の仕上げだ。何でも良かったんだけどお清めとかいう名目で使いそうな塩の袋が大量にあったからばら撒いてる」

「みりゃ分かるよそんなの。何でそんな真似するんだ」

「掃除する時間を稼げるだろ。中に人が入ったのは明白なんだから物取りの線も疑わなきゃいけない。かなりの時間稼ぎが期待出来る」

「いいのかそんな迷惑行為して。ここが誰の家かも知らないのに」

「教祖の持ち物があるなら教祖の家だ。他人の家に死体を隠蔽出来るものならやってみてほしいね。ただし押し入れに隠すなんて雑な方法はどんな阿呆な信者でも気付いてしまうと思うが。そして教祖はとっくにゲンガーに替わってる。どうせ殺すんだから構いやしないよ。信者は痛くも痒くもないだろうし」

 

「なんでそんな非効率的な事するんだ?」


 朱莉の手が止まる。

「……君には名案があるの?」

「超簡単なものがある。元から不法侵入者な俺達には支障ないからついでにやっていこう」


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