狭義の教義
怪しい宗教の管理する民家でも、これが不法侵入である事に変わりはない。これで名実共に犯罪者となった俺達だが、よくよく考えればゲンガーを殺した時点で一般的には恐らく殺人者なので不法侵入如きで臆する必要はない。
民家の中はこれと言って代わり映えはなく、至って普通の一軒家といった所。奥の台所から人が出てきただけで不法侵入がバレる危うい状況だが、齊藤享明にしても他の人にしてもどうやら二階に集まっているらしい。会話としては聞き取れないが音が聞こえてくる。
合図は無かったが今の内にと俺達は一階を調べる事にした。しかし空き巣じゃあるまいし特に変わった点がなければ調べると言っても物件の内覧みたいなものになってしまう。ここは本当に救世人教のアジトなのだろうか。
宗教っぽい要素が一つも見当たらない。
例えばシンボルとか、よく分からない祭具とか聖なるなんたらとか自画像とか。日常において違和感たりうる異物がこの家の中にまるで存在しない。普通の家だ。何の変哲もない。二階から声がする以外は。
「……カルトらしくないね」
特別感もなければ神格化もない。謎の偶像もないし教義の書き記された張り紙も。音を殺しながら探した結果、一階はダミーなのではないかという発想に至った。どんなカルト宗教でも文明社会に触れず生きるのは不可能に近い。極力外に出ないにしても通販くらいは使うだろう。そういう時、宗教観ダダ漏れの危ない部屋を見せたら少なくとも配達員はこの家について実情を知っている事になる。今すぐにそれが繋がるという事はないが、外に漏れた事情は巡り巡って必ず警察の耳にも伝わる。
「……行くか?」
指を上に立てると、朱莉は悪戯の上手くいった子供みたいに意地の悪い笑顔を浮かべて小指を絡めた。
「いいね。行こうか」
階段を上がると音としか認識出来なかった声もハッキリ聞こえてくる。
「真実の世界の到来は我々に救いを与えてくださります。三日後のレイゲツが昇る時、我々は偽人として最後の大任を果たすこととなるでしょう―――」
「レイゲツ……」
「満月の事だね。丁度三日後だ」
「何で分かるし」
「文脈」
この低い男は恐らく教祖だ。信者達は声一つ出さずに黙って聞いているようだ。彼の声が大きいのが幸いして多少の足音は誤魔化せる。反対側の部屋に忍び込むと、そこは寝室だった。やはり宗教観が見えてこない。
「……なんか、臭わないか?」
「…………加齢臭とか不潔から来る体臭じゃなさそうだね。臭いの元は押入れか。調べたら後に退けない気がするし、最後に探索しよう」
声には出さずとも俺は賛成を示した。そして手分けして部屋を探索する事になった。引き出しや箪笥は特に生活や価値観が表れるいわば情報の宝庫だ。一階と違って、最初の引き出しから早速妙な物を見つけた。
それは日記だ。今日一日を省みるものでもなければ記録する目的でもない。信者全員の依存状態や経済状況などが事細かに記録されている。日々の記録という意味では日記帳だが、気になるのはそこじゃない。五年前から様子がおかしいのだ。一ページ目から読み直さなければ違和感に気付けなかった。
文章が繰り返されている。
一ページ目の記録と五年前の記録で書かれている文章が一緒だ。この教祖は同じ言葉を多用する事に抵抗感があったようで、一日たりとも表現が被らないように辞書でも引いたのか常用外の漢字を使ってまで気を遣っている。だが五年前を区切りに全く同じ表現が生まれてしまった。寸分の狂いもない。句読点の位置さえ一緒だ。一ページ目が五年前、二ページ目が五年目から数えて二ページ目。
一五〇ページ時点で信者の一人に何かあったのだろう、斜線が引かれて以降は記載されていないが五年前から急に記載されている。何も考えずにコピーした証拠だが、流し読みした程度では気が付きそうもない。
「匠」
「ん?」
呼ばれたので箪笥の中を覗いていた朱莉の元へ。開けた瞬間から散乱したと思われる数々の品は俺達が探し求めていたカルトっぽい証。趣味の悪い人形と男女別の衣装。フラスコの中に満たされた大量の血液。コルク栓で締められているので取り返しのつかない失敗はまだしていない。
紛れていた書物は救世人教の教典だ。朱莉と一緒に読んでみると(読解速度はたまたま朱莉と完全に同速)、救世人教は醜い俗世を実行によって変えたいと願う人によって生まれた宗教で、俗世を構成する概念を長期的視点から破壊していく事にある。
一つ、金銭。
俗世を俗世たらしめているのはお金が蔓延っているからであり、こちらで教祖が清めた聖なる紐を貨幣として広める事で消し去るつもりらしい。実物貨幣とは言えないので強いて言えば信用貨幣なのかもしれないが、その信用は何処から勝ち取るのだろう。後、根本的な所で間違っている。簡単に言えば貨幣の互換が生まれただけだ。
二つ、人間関係。
個人と個人が様々な形と思惑で繋がるから諍いが起こるので、万能の人たる教祖を通じて全人類が間接的につながる事で恒久的平和を目指す。これも根本からおかしい。教祖が絶対に人に嫌われないどころか、妄信的なまでに信用されないとこの目標は決して実現しないだろう。
三つ。本能改革
生きとし生ける人間には本能が存在する。内の一つが生殖本能もとい種の保存であり、これを個人個人に持たせたままのさばらせておくと人が人を嫌う円環が生まれるので、全ての生殖は教祖が行い、未来の世代を教祖の子で満たす事で平和が訪れるというもの。
総合すると、清められた紐が信用貨幣になる世界で全人類が教祖を通じてしか他人を知らず、教祖だけが女性と関係を持ち子供を産ませ、またその子供同士も教祖を通じてのみ知り合っているという地獄そのものの世界。
それが救世人教の教義。
「…………偽典?」
「外典偽典が生まれる程歴史なんてないだろう。もっと単純に考えるべきだ。幸い、私達にはそれが出来る下地がある」
「え?」
朱莉は箪笥から離れると、唯一触れていなかった箪笥に手を掛けた。全部開くまでもない。少し開いただけでその異臭は強烈さを増した。
「―――ッ! なん……おぅッあ」
発言すら封殺する臭気がこの世に存在したとは驚きだ。身近な激臭と言えば生ごみが思い浮かぶが、ソレでも鼻をつまむくらいでここまではない。
ガタッ。
教祖の声が消えて、代わりに足音が一つ。それを皮切りに二つ三つと足音が聞こえて、廊下からぺたぺたと素足の踏みつける音がする。会話に集中していなかったせいでタイミングを逸した。二人で探索するのではなく、一人は会話に聞き入るべきだったか。後悔しても遅い。
窓から逃げる? そんな真似しても駄目だ。今はどんなに時刻を加味しても昼。誰かに見られたら通報ルートは免れないし、警戒心を抱かせてしまう。いっそ信者全員が本当に『偽物』なら遠慮なく殺せるのだが―――証拠がない以上、暫くは本物だ。
「こっち」
「え?」
「早く入って」
「でも」
「いいから入って。それしか方法がないんだ」
暗闇の奥を確認するよりも早く押入れの中に飛び込むと、続いて朱莉も入って内側から押入れを閉める。瞬間、充満する腐敗臭に俺はえずき、そのまま全てを吐き出しそうになった。何かが俺の唇をせき止めなければもうとっくに全て、色々、ぶちまけていただろう。
誰かが部屋に入ってくる。それっきり大きな音はしないが油断は禁物だ。ベッドのスプリングが軋んだり、椅子を引く音が微かに聞こえる。まるで部屋の主のように寛ぐ音を壁越しに、俺達は三時間以上も頭痛と眩暈を誘発する密室の中で過ごす羽目になった。
その間も唇は押し留められ、朱莉の細やかな吐息だけが耳に届いていた。
連続。




