鬼の子
「という訳で来ちゃったよ、匠ちゃん」
「いや、という訳でって何も説明受けてないんだけど」
「センパイ~センパイ~うふふ♪」
困惑している。
まず山羊さん達がどうやって入って来たのか。ここは物理的にも人の出入りが封じられ、ウツセミ様によって隔離された土地の筈だ。千歳の名前に因縁があるのは知っているが、それだけで脱出出来るなら苦労はない。そして因縁も何もない山羊さんが入れる道理もない。オカルトに疎いからだろうか、さっぱり原理についての理解が足りない。
それよりも気になるのは千歳の性格にズレが生じている事くらいか。ここまでべったりされる覚えはないのだが、どういう経緯で俺は抱き着かれているのだろうか。悪い気はしないものの、事態は混迷を極めるばかりだ。
「えっと、取り敢えずちゃんと説明してくれ。どうやってここに来たのかとか、何で来たのかとか色々あるだろ。後は千歳が何でこんなべたべたしてくるのかとか」
「それは単純に病状が悪化したからとしか……」
「びょ、病状?」
「いや、比喩的な表現だよ? 火翠ちゃん、匠ちゃんが学校やめてから不安定な感じで、あたしもちょくちょく面倒見てたんだけど……ちょっと状況が酷くてさ」
「俺が学校をやめてまだ一週間も経ってない訳だが、何が酷くなるって言うんだよ」
「ドッペル団からゲームってのが仕掛けられたんだよ」
タキサイキア現象のような錯覚を覚える。その単語が、俺の世界の全てを遅くした。
「…………は?」
「総理官邸に犯行声明文みたいな感じでそれが届いて、報道されたんだよ。本当の人類を決めようって感じだっけか。それから凄い数で人が死んでって、対抗する為にドッペル団を探し当てるってんで皆おかしくなっちゃったんだ。その流れ弾で火翠ちゃん何回か囲まれたみたいでさ。完全に人間不信に陥っちゃって、うわごとみたいにずっと『センパイに会いたいセンパイに会いたい』って言ってるから、会いに行くしかないかなって」
「……千歳、そうなのか?」
「ご、語弊が……ありますよッ。山羊先輩だってセンパイに会えるって分かった時からずっと嬉しそうなんですから!」
「あ、ちょ。それ言うの無しだよ火翠ちゃん! 匠ちゃん、別にそれは深い意味がある訳じゃなくて―――」
やっぱり会話が頭に入ってこない。しかもこの会話、俺が居ると微妙に気まずいぞ。本人が聞いていていい内容なのかが疑わしい。空気を読んで席を外した方が賢明かもしれない。二人がよろしくやってる内にアイリスへの疑問を解消するという手も考えられる。
―――ただし、そちらは実質答えが出ている様なものだ。損傷した腹部にありったけの包帯が巻かれている。処置としては正しい正しくないを論ずる以前に手遅れの筈だが、ゲンガーである彼女にとって手遅れはない。俺達がどういう出会いをしたかを思い出せば分かる事だ。あの時だって実質的には手遅れだっただろう。
「まあ、来た理由はいいや。誰に連れてこられた?」
「マホって人だよ。あたし達でどうするか悩んでたら急に表れて、匠ちゃんに会わせてくれるらしいから連れてきてもらったんだ。車で」
「マホ!? き、来てるの?」
誰よりも早くお姉ちゃんが反応した。辺りを見渡せどそのようなミステリアス美人は居ない。
「全部終わったらこっちにおいでって言って、帰っていきました。森で置き去りにされて凄く怖かったんですけど……」
事情は非常に複雑だった。
森で彷徨っていた二人は車を入れようとするお姉ちゃんと遭遇。その手伝いついでに入村した後、『誰にも気づかれるな』という助言を受けて行動していたら鳳先生に発見され、今に至るとの事。どうもお姉ちゃんと鳳先生から色々な事情を聞いていたようで、二人は俺の本名と正体についても知っていた。
「センパイがどういう状態であっても、私にとっては大好きなセンパイですから。こうして無事なのが分かっただけでも嬉しいですッ」
屈託のない笑顔を向けてくれる千歳に、心が安らぐのを感じる。無理に明るく振舞い続ける反動で、それは気質の一部分にもなりつつあるようだ。改めて抱き着いてくる後輩に、今度こそ強い抱擁を返した。
「火翠の女か。ならば俺の名を聞いても影響はない筈だ』
「……センパイの中のセンパイですか?」
「その呼び方は正しいものではないが。火翠の女は識る力に長けている。ナムシリの力など通ずる道理はナシか』
「匠ちゃん的にはどういう状態なの、それ」
「意図的に出ている訳ではないぞ。しかし贖罪の羊よ。中々稀有な力を持っているな。通りでウツセミの力が及ばぬ筈だ』
俺は俺の言っている事がまるで理解出来ない。俺の為にも解説が欲しい所だが他ならぬ俺が一体何を解説してくれるというのか。わざわざ自分に親切が出来る程、俺という人間は優しかっただろうか。
多分、今の自分は得意げになりながらきょとんとしている。どんな表情なのか鏡でもないと想像すら出来ないが、間違いなくそういう気持ちではある。
「――――――あ、もしかしてそういう事か。山羊さんは死ぬ為に生まれた身代わりの一族だから、名前を奪われるかもっていう本能的な恐怖がないんだ」
そう。山羊さんは―――夜山羊菊理は黄泉國に最も近い生者だ。名前が存在証明であり、その名前を奪う事が存在証明の死であるなら、元より死を本懐とする夜山羊の血には嫌うという本能がそもそも働かない。
水色のシャツワンピースをはためかせながら、山羊さんが首を傾げた。本人が理解している訳ではないようだ。
「もてもて」
「あん?」
頭を真後ろに傾ける。アイリスが紅い瞳を凍らせてじっとこちらを見下ろしていた。相変わらずの無愛想だが気の置けない関係だ。精度に自信はないが何となく彼女の気持ちは分かる。
「……もてもてって何だその一言。これモテるって言えるか?」
「いえる」
「友達が会いに来ただけなんだが?」
「きにいらない」
「……………………………………………………もしかしてや、ヤキモチ焼いてるのか?」
「しらない」
「ばか」
アイリスがそっぽを向いてしまった。
…………やっぱり良く分からない。
「大体事情は分かった。ドッペル団のゲームについてはそれこそ終わってから聞かせてもらうとして、細かい質問を。山羊さんが私服なのに、何故千歳は制服のままなんだ?」
「あたし、学校辞めたから」
「え…………は? は? はあああ? 何で? どうして? 今更イジメがあったとかでもないだろ」
「だって匠ちゃんも学校やめただろ。この後どうなるかは分からないけど、もし学生に戻る事があるなら同級生で居たいなあって思って……あはは。これ目の前で言うの恥ずかしいね。出来れば忘れてほしいかな」
「私は学校帰りだったので。でも山羊先輩もセンパイも学校に戻るのはやめた方がいいと思いますよ。授業とか一切やりませんし、毎日毎日話し合いでドッペル団だと思う人を殺すんです。人が死ぬのなんて何回も見ちゃいましたけど! 私、やっぱり慣れなくて……」
「もうお判りでしょう。ナムシリ様」
背後から鳳先生が会話に割り込んでくる。俺ではなく『俺』へと投げられた問い。『他人事』の様に俺が笑う。
「僕は全ての材料を揃えました。終わらせる事が出来るのは貴方だけ。もしくは貴方の結んだ因果だけです。ウラノさんを失いたくないと思うなら、そろそろ自分を取り戻してください」
「……いい度胸だ、名前を隠す不届き者よ。しかしお前の果たしたい約束とはまた違うのではないか?』
「違いませんよ。僕がした約束は『私達がどうしてこんな目に遭わないといけなかったのか、突き止めてほしい』です。何故千年村がそんな目に遭わないといけなかったか、そんなの元ネタが悪いに決まってるでしょう。こんな場所で、こんな因習があるから、誰かがそれを外に漏らして都市伝説になったんです。火のない所に煙は立たぬ。煙を消したいなら火を消せばいいだけの話」
「鳳先生。お言葉ですけどタクに―――ナムシリ様にそんな力はないですよ。死者が死なずに済む方法なんてどう考えても」
「あるよ』
材料は全て整っている。実行するのは俺だけだ。完了させられるのも俺だけだ。しかし分かっているように、それをすればこの地を去る事になる。必然それはゲンガー達に対する再挑戦を意味している。
今だけ力を貸してくれ。
力を貸すのは今だけか。
これから先もずっと。
ずっと先も、これからも。
他人事でいい。軽率でいい。
俺にしか出来ない事がある筈だ。
千歳を抱きしめたまま立ち上がる。その瞳を鏡の様に覗き込んで、話しかけた。
「居るか、ウツセミ』
『ナムシリ様。如何なされましたか?』
「お前の望みを聞こう』
『はて。何の話でしょうか』
「とぼけるなよ。火翠の姫と供物の女を導いたんだ。狙いもなくそんな真似をするお前ではないだろ―――ゲンガ』
瞳に映る俺の顔が初めて驚愕に染まった。かと思えば突然微笑み、見覚えのある表情を作ってみせる。
『…………これは懐かしい響きを。その名で呼ばれるのは久しぶりですな』
「蓋を開けばおかしな話だ。実際の所、お前は戯びをする気など毛頭なかった。ただ死者を用いて記憶を揺さぶり俺を目覚めさせたかった。その上でさせたい事があったのだろう。それは大方、外で幅を利かせるゲンガーに関係している事だ。率直に尋ねよう……黒幕は誰だ?』
『鬼の血、鬼灯の家系にございます。鬼とは即ち人類の敵。人に害ある怪物は古代より鬼と呼ばれておりました。当人にその自覚は無いようですが、苗網操―――否、明鬼朱莉もまたそこに連なっております。ナムシリ様を除けば管神で唯一の生存者でございます。その力で以て、話を聞いてみるのは如何でしょう』




