私は貴方を信じたい
「嫌だよ、そんなの」
お姉ちゃんが大好きだ。姉弟として、家族として、一人の女性として。叶えられる願いなら全て叶えたい。俺が出来る範囲であらゆる助けになりたい。それでも例外というものはある。例えばこんな感じで、殺して欲しいというお願い。
大好きなお姉ちゃんからのお願いは聞きたいが、それを実行すると大好きなお姉ちゃんが居なくなる。
だから出来ない。それだけの理屈。
「もっと別の方法がある筈だよ。もっと頑張ろうよお姉ちゃん。俺も協力するから」
「私は頑張ったよ。頑張り過ぎた。これ以上頑張ったら壊れちゃう。分かってよ。時間がたくさんあっても出来ないものは出来ないんだよ。それともタクは私と一緒に壊れてくれるの? 何百回何千回、馬鹿みたいにこのひとえにし戯びなんて茶番を続けるの!?」
「それは嫌だけど! でもそうだ、脱出すればいいじゃないかッ。それならまた前みたいに……」
「それも無理。物理的に出られるかどうかも分からないし、オカルト勉強してたお蔭で今ならちょっと察せる。ウツセミ様の方にもなんか思惑あるんでしょ。じゃなきゃタクの記憶なんか戻さないもんね。それが達成されない限りは出られないだろうし、二度と逃がさないでしょ。詳しい事は後で聞けばいいじゃん。私を殺した後なら全部答えてくれると思うよ」
「大体何で殺させようとするんだよ! 俺がお姉ちゃん殺したくなる訳ないだろうが! 嘘でも何でも……俺はお姉ちゃんが好きだった。思惑通り大好きだったよ! 殺したくなんて……ないよ」
「―――じゃあ、殺したくなる理由をあげようか」
「そんなものない」
強い風が吹く。お姉ちゃんの綺麗な黒髪が水のように流れ、整っていた髪の毛を搔き乱した。身だしなみに気を遣わなくなるのは、心情的にも危ない状態と聞いた覚えがある。ならば殺して欲しいと願う彼女の精神状態はまともではない。本当に全てを諦めて、それでも何とか幕切れだけは欲張りたいという終末的な意地が窺える。冗談じゃない。どんな理由を言われても首を縦に振るものか。
「…………………………」
「…………」
「………………なかった」
「無かった?」
「私が完璧すぎて…………タクに殺させたいと思わせる理由がなかった…………」
決して自賛ではない。むしろその逆、遠回しな自虐だ。完璧という言葉の裏には己に対する痛烈な皮肉のみが込められている。何もかも失敗した癖に、肝心な場所で失敗しない自分を責めているのだ。
「……二つ聞かせてよ」
「何?」
「英雄さんを殺したのは俺だけど、結局誰が残る二人を殺したの? お姉ちゃん?」
「そのつもりはあったけど、違うね」
「俺がひとえにしを終わらせたとして、今の生存者はどうなるの?」
「そりゃ死ぬよ。元ある状態に戻るんだもん。ウツセミ様の思惑は知らないけど、ここは無人の地になると思う。浮神はもうゲンガーの影響を受けてて手遅れだし、丁度いいんじゃない? ここは一応聖域だから、大切な人を避難させればゲンガーも来ないと思うよ? 昔みたいな使い方になりそうだけど」
お姉ちゃんを殺さずに脱出する方法が思い浮かばない。
お姉ちゃんを殺さずにひとえにしを終わらせる手段が思い当たらない。
「お姉ちゃん。ちょっとだけ待って欲しい。具体的には明日まで。もし明日までに他の方法が思い浮かばなかったら、その時はお姉ちゃんの言うとおりにするから」
「………………ごねるの、無しね」
「なし」
「ん。分かった。じゃあ待つよ。どうせ何も無いと思うけど」
「本当にそう思いますか?」
姉弟水入らずの空間にそんな呑気な声を差した人間が居た。その低く穏やかな声を俺達は良く知っている。とうにそちらを向いているお姉ちゃんは状況が呑み込めなくて、固まっていた。何事かと思い振り返ると、そこに立っていたのは。
「こんにちは。今朝死んだばかりなんで、流石に新鮮な反応をくれますね」
「「ぎゃああああああああああああああああああああああああ!」」
揃って叫ぶ。尻餅を突く。ここは死者の村だと知ったばかりだというのに、部外者でしかない鳳先生がものの数時間で復活した事に驚きを隠せなかったのだ。彼は楽しそうに笑っているので狙ってやったと思われる。性格が悪いとしか言いようがない。
「ほ、鳳先生。何で…………?」
「何でって、別に死んでないですよ僕は。ただこのまま生存してると展開が悪そうだなと思って、じゃあ一旦退場するかと」
「いやいやいやいや! どうやって全員の目を欺いたんですか? お、俺勝手に部屋上がって色々やってたんですけど!」
「ウツツセ沼に沈めてくれたじゃないですか。死んでないなら這い上がるのだって簡単です。そもそも皆さん、死体確認が雑なんですよね。前回もそうですけど今回だってそう。両次さんの死亡確認の時布団を剥がしてないですよね。死んでる筈なんて思い込むからこんな風に利用されるんです。反省してください」
何故怒られているのだろう。それは鳳先生の運が良かっただけだ。あの場には死体を何とも思わない俺やアイリスが立っていた。もし確認されていたら彼はどうするつもりだったのだろうか。性質の悪いドッキリという着地点を見込もうにも、ここの住人にそんな概念はない訳で。
認識を逆手に取った戦法に脳みそをやられ、思考が停止している。何故戻って来たのかも分からないし、何故ここに―――
「言ったでしょう。千年村での約束を果たしに来たって」
心を読まれる。
一体何なんだこの人は。
「と言っても僕が出来る事はあんまりないです。この瞬間に水を差しに来ただけと言っても過言じゃないですね」
「それは俺も……ですけど。他に手があるんですか?」
「―――まずは村に戻りましょう。二人が待ってますよ」
さっきから二人、二人と誰の事を指しているのか分からなかったが顔を見ればすぐに判明した。
―――ので、隠れた。
何故ここに居るのかは置いといて、どんな顔をしていいのかが分からない。碌な別れも告げずに目の前から消えて、どんなに怒っているか。俺が逆の立場なら勿論怒る。それくらい仲良くなってしまったし、過剰なほど肩入れした。別れも謝罪もなく遠くへ行ってしまった俺には弁明の余地など無い。ずっと騙し続けていた男に、文句を言う筋合いはない。
「なにしてるの」
「―――えッ。おま!」
紅い瞳の少女が俺の身体を引っ張り出す。二人の少女が俺の存在に気付いて駆け寄ってきた。内の一人はそのまま押し倒さんばかりの勢いで飛びついてきて、宙を仰ぐよりも零れ落ちる涙が視界を全面的に塞いだ。
「センパイ…………良かったです…………ッ!」
「……あれ。あたしの出番ない……?」




