若子の正体
「証拠が、見つかりました」
敢えて進展もなく集会所へ戻ると、母らしき誰かが得意気にそう言った。隣の流未も事情は知らないらしい。ペアで捜査はしなかったのか、捜査と言われても外の世界の常識に疎いせいで何をすればいいか分からなかったのか。どちらでもいいが、母親が俺を見ている以上、こちらも反論の準備が必要かもしれない。あちらと違って捜査は一切していないので全て口先だけになるだろう。辛い戦いだ。
「私も見つかったよ。英雄さんの所で」
「俺も見つかったよ。ただ俺の方は、誰が犯人かというより誰が犯人じゃないのかっていう証拠だけど」
「わたしもみつかった」
「……みんな、もうすっかり慣れちゃったね。私の方は何にも。だから流れの整理に徹するよ」
「俺は……」
どうしようか。
アイリスは何を思ってか偽証する気満々だ。彼女を信じて任せるか、それとも俺も参加した方がいいのか。イヤホンを通して一方的に口裏を合わせる事が可能なので、相互監視は意味を為さない。一方で参加しなければお姉ちゃんと一緒に場を回す事になるだろう。その場合、俺達は主張に対して物言いをする立場になる。小回りが利くのはそちらだ。
「見つからなかったよ」
過去に、嘘の癖を見抜かれた事がある。その経験を苦く思っているので今回は正直に進めていこう。
「じゃあお母さんの方から聞いていこっか。お母さん、どんな証拠を見つけたの?」
「まず私は死んだ人達の場所ではなくて、鏡ゑ戯びで死んだ人の場所へ行ったわ。具体的には食堂の二階、静谷家の私室ね。あら、別に疑ってた訳じゃないのよ? ただ知信君。過激だったでしょ? 椿さんが死んだ時」
「―――はッ?」
あれだけ俺や木冬さんを目の仇にしておいて、自分が疑われるとは思っていなかったようだ。知信は呆然と口を開けたまま、固まってしまった。管神住人から疑われるなど初めての経験だろう。泰河と比べると非常に気が短い(もしくは母親の死で苛立ってる)男だ、一度でも自分を疑う人間を彼は決して許さない。
「な、何言ってんだババア! 俺がそんな事する訳ねえだろうが!」
疑われると、何故腹が立つのか。それは自分が無実だと知っているからだ。彼はその前提条件に基づいて怒っている。『狛』によって証明された人間以外は全員がその前提を持っているのだが―――前述の通り、鏡ゑ戯びはもう関係ない。
ただし例外はいつだって存在する。
「詠姫の言う通り、、私達は人が死ぬことにすっかり慣れてしまいました。その事に全員異論はないと思うけれど、ならあの時だって同じ事が言えるんじゃない? 勇さんは全員で拘束したし、浅見さんは二人で痛めつけた。そして何人もの死体を確認したわ。知信君なら、もう殺す事に慣れててもおかしくない。違う?」
「ちっがう! 泰兄ぃ! こいつだ! こいつだよ俺はやってないのに! 滅茶苦茶な理屈で騙そうとしてる! こいつ殺すしかないよ! なあそうだろ!?」
「お前、ちょっと黙ってくれ」
一度目は困惑、二度目は放心。
実の兄は黙れと言っただけだが、感情的になった人間にとってそれは否定を意味している。今まで自分の味方だった筈の兄が裏切ったと。思い込みが激しいならそれくらいは思うかもしれない。
「泰兄ぃ……何でだよ……」
「それで何を見つけたの?」
「……血塗れの…………棍棒よ」
「はあああああああああああああああああああ!?」
誰よりも分かりやすい反応をしてくれる男だ。たかだか大声で耳鳴りがなったのは初めての経験だ。慣れない感覚に思わず耳を塞いだ。
「何でそんなもんがあんだよ!」
「それは貴方が一番良く分かってるんじゃないの、人殺し」
「知兄ちゃん。マジか」
「そんな訳ねえだろ! 大体棍棒なんて何処で使うんだって! 元々持ってなきゃ使えないだろ!」
「ねえ、そろそろ私も発言していいかな。このままじゃ話し合いにならないよ」
「話し合いと言っても、もう犯人は決まったようなものでしょ。これ以上何があるの?」
「じゃあ聞くけど、今まで出てきた死体は何で殺されたの?」
全員が顔を見合わせ、心当たりがない事を共有した。誰も死体なんて確認していない。見るのだって嫌だろう。まがりなりにもその直前まで生きていた人物がどんなふうに死んだか。ここが旧い価値観で生きているからこそ、堪えられない。だから誰も布団を剥がさず、その死亡だけを確認してウツツセ沼へと沈める。
「刃物ですか」
「そう。私も死体は見てないよ。でも、じゃあどうやって死んでるか判定してるのって言ったら、布団に残る血とか、刺し痕でしょ。つまり凶器は棍棒じゃない。血塗れってのは……真犯人がそういう風にしたんじゃないかな。私達だけじゃ死体のあった部屋を掃除しきるなんて無理だから、血液くらい幾らでも手に入るでしょ」
「急に肩を持つのね。じゃあ貴方はどんな証拠を見つけたの?」
「名莚屋敷で血の付いた鉈を発見したよ。私の所にも鉈はあるけど無くなった訳じゃないから両次さんの所から盗んだんだろうね。問題はこれが、詠姫さんの所から発見されたって事なんだけど」
「お姉ちゃんはそんな事しないもん!」
「俺も賛成だ。お姉ちゃんは外に居たし、まともな倫理観もある。理由もなく人を殺すなんて思えない」
思わない。思いたくない。
否定するだけなら誰でも出来るからと言って、当人は口を挟みたがらなかった。悪気はないだろうが、かえってそれが知信の印象を悪くしている。感情的なのは結構だが、こういう理性的な場所でそれが悪手なのは勇さんの一件から学ばなかったようだ。
「俺は操さんが犯人じゃない証拠を見つけた。いや、見つけたっていうか今もなんだけど。操さん、早朝に獣の解体とかした?」
「良く分かったね~。血が何処かに残ってた?」
「いや、凄い獣臭がする」
血生臭い現場に何度も足を運んでいるせいで嗅覚が麻痺していた事に全員が気付いたのはこの時だった。個人目掛けて全員が鼻を近づける光景は中々恐ろしくもあったが、確かに獣の臭いがする。人によっては拒絶間もあるだろう。春夏は勢いよく距離を取ったし、お姉ちゃんは顔を顰めた。
「こんなに強烈な臭いなら、現場に残ってても不思議じゃない。そういう証拠」
「泰河。それじゃ時系列がごちゃごちゃだ。三人が殺されたのは夜だから、早朝に何をしてようが関係ない。でも、お前の発言は正しいと思う。操さんは殺人なんてしてない」
「……どういう事だよ。俺はてっきり、殺した後に解体して獣臭で臭いを誤魔化してるとかそういう方向で反論されると思ったんだけど」
「人の臭いがその程度で誤魔化せる訳ないだろうが」
いつも有耶無耶になっていたが、俺は人と違いの分からぬ正体不明の存在ゲンガーを殺してきた。
きまってバラバラに解体して、隠してきた。だから血肉の腐敗臭や糞尿の香りは嫌という程知っている。胃液に触れて消化中だった食べ物であったり、空気に触れてしまった脳髄だったり。『他人事』で乗り切っていたが、あれは尋常な人間なら慣れようと思って耐性を得られる代物じゃない。強い動機や覚悟、生来の狂気のような殺人の資質が必要になる。
ゲンガーが蔓延る前は色々とケアしていたが、それでも家に帰った直後なんかはどうしようもないので多分お姉ちゃんは気付いていた。ゲンガーを何とかしたいという言葉の意味に。
「アイリスは何を見つけた?」
「はんにん」
取り立てて覇気もなくそう言われて、瞬時に呑み込めた人間が何人居ただろう。空気の読めなさは相変わらずだが、アイリスは背中から一台のカメラを取り出した。黒くて小さなカメラはさして重さもなく持ち運ぶには手頃な重量と形だ。写真の美を追求するような人間には使われないかもしれないが、一般的に使用する分には不便も感じないだろう。
「ひでおをみつけたのはわたし」
「ん。それは私が保証する。たまたま愛莉栖ちゃんと鉢合わせしたんだ。それで木冬さんを処刑した時、英雄さんがタクを脅してたって事を言われて―――こんな時だから、冗談で受け取れないじゃん。だから真意を問いたくて尋ねたら死んでたの。春夏ちゃんは寝てたよね」
「う、うん。気が付かなかった…………いつも、鳳兄ぃが起こしてくれてたから」
「先生には感謝しないとね。うん。だからここは嘘じゃないよ。ちゃっかりカメラパクったのはどうかと思うけど。あ、カメラの説明しないとね」
そう言ってお姉ちゃんはアイリスからカメラを取り上げると、俺に向かってシャッターを切った。フラッシュライトはオフにしてあるらしい。それからカメラの内側を全員へ見せるように裏返す。
「こんな感じで、景色が撮れちゃうんだよね。で…………あー。そういうことか」
「詠姉?」
カメラ内に記録された写真を動かすと、今さっき撮った写真の次に、墨でべたべたに塗り潰された龍の絵が映っていた。それが何を言わんとしているかを察せぬ者はいなかったが、それよりも俺は杜撰さに驚きを隠せない。
―――おいおい。
初見殺しが過ぎる。カメラを知らない人間にしか通じないぞ、こんなの。
「お、俺!? お、俺が犯人だって?」
黒龍君の反応はさっき彼の兄が見せてくれたので新鮮味がない。カメラも知らなければ外も知らない人間にこの証拠を覆す方法はあるのだろうか。逆に知っているならここまで動揺する必要がない。演技派ゲンガーなら話は別だが。
「ば、馬鹿げてるぞッ! 犯行の瞬間とかならまだしも、こんな絵で俺が犯人とかねーわ! 俺の名前が書いてある訳でもないし、こんなの誰でも描けるぞ!」
「じゃあ、なまえはなに」
「教えねーよ! 大体そういう外の機械持ち込むのって卑怯だろ! 俺達何も知らねーし、そっちが幾らでも捏造し放題だし―――!」
「狛蔵竜弥。それがお前の名前だろ』
知らない筈の名前。聞いた事もない名前が、懐かしい響きを伴って声に出る。悲しいかな他の誰にもやはり聞き覚えは無かったが、黒龍だけはハッキリと表情を失って、真っ直ぐ俺の方を見つめ返してきた。
「…………何で。それを」
「そもそも、お前達は別に血など繋がっていない。静谷椿が都合よく食材を手に入れられる理由を少しでも考えなかったのか? まともに暮らしていけばここで食べられる食材は畑で採れるいくらかの作物と両次と操が手に入れてくる宍肉くらいだ。それ以外の食材、例えば魚や米など、どうやって入手していたんだ? 泰河』
「…………上から、流れてきたって母さんは言ってたよ。父さんが活きてた頃は外から買って来た事もあるし、おかしな事は何もない」
「ほう。では聞かせてもらおうか。お前達の言う外とは何だ?』
「え? そんなの聞いてないよ。俺達は詠姉と違ってこの地を出た事ないし、興味も無かったんだから!」
「ほう。では再度聞かせてもらおうか。両次は言っていただろう、お前達はその時管神を離れていたから何も分からないんだと。この地を離れた事がないのに鏡ゑ戯びを知らぬのは如何なるつもりか』
「それは……学校の行事で外に」
「では外はどのような場所だ』
「な、何の関係があるんだよタクミ。それにお前少し様子が―――!」
「誰も外になど行かなかったし、行けない。頻繁に外の食べ物を手に入れられるのは偶然でもなければ上の気まぐれでもない。お前等の母親がその身を犠牲に手に入れていたのだ』
「ふっざけんな! そりゃてめえ、どういう意味だよ……! 返答によっちゃ、ここでぶんなぐっぞ!」
「その割には正確な答えを求めるようだな。ではその根性に敬意を表して伝えよう。静谷椿は狛蔵家に身体を売って、その見返りとしてお前達の食を満たしていた』
「てめぇ―――よくもそんなデタラメを!」
頭に血が上り切った知信の拳が最速で俺の頬を殴り飛ばした。それからすぐに馬乗りになってフルスイングの頭突きをしようとした所でアイリスが頭部を抑え込み、遅れて反応したお姉ちゃんと操さんが知信を引き離して凶行は失敗に終わる。受け流す極意など知らないずぶの素人だ、殴られた頬がとても痛い。
「タク、大丈夫!?」
「……ああ、大丈夫だ』
「じゃあだいじょうぶじゃない」
そういう意味ではなかったのだが、二人に介抱される気分はそう悪くないので黙っておく。
「話を続けようか。黒龍はその仕事の最中に生まれた不貞の子だ。狛蔵とてその事実を公にしたくはない。かつての火翠のように強権を握りたいと思う家は居るからな。故に狛蔵竜弥は管神へと流された。本名を教えないのは本人と家と母親の意向であろうな』
黒龍は静谷兄弟の中では末っ子に位置する。つまりはそういう事だ。これを第三者が否定するのは不可能。発端としてこの状況は、誰も知らない筈の裏事情を何故か俺がペラペラ喋り出した事で始まったのだ。否定出来るとすれば、本人くらいか。
それも最初の反応で手遅れだが。
「…………っち。何で知ってんだお前。きめーマジで」
「黒龍。お前本当に……?」
「そうだよ。でも、だからどうしたんだって話。龍の絵だけでなんで俺が犯人って事になるんだ? ん? 言ってみろよ」
「確かに犯人って事には繋がらないかもな。ただ、お前が犯人じゃないなら何故余所者の夕波英雄がこんな写真を撮影していたのかという疑問が残る。何にせよ無罪にはならないぞ。精々が容疑者だな』
これで全員の証言が揃った。
捜査のその字も知らない、そもそも捜査をしていない、何の成果も無かった。三拍子で全てが語れるぐだぐだな集会もそろそろ締める時だ。鏡ゑ戯びは関係ないので殺す人数に制限もない。もし二人に票が集まるなら、その時は二人を沼に沈める。
「―――そろそろ、投票しようか」
「まって」
アイリスが待ったをかける。指をさした先には、黒龍こと狛蔵竜弥。
「いどうしよう」
わざわざ反対する声も無かったので、ウツツセ沼へと移動した。選ばれた人間は大人しく沈むという話だが、その言葉通りになるかは怪しい所だ。
「じゃあ、投票開始。せーのって言うから。殺人犯だと思う人を指さして」
アイコンタクトで全員がそれを共有。お姉ちゃんが大きく息を吸った。
「せーの!」
ズドンッ!




