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ドッペルゲンガーにアイはない  作者: 氷雨 ユータ
アイを知りたい神の子

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異常の雄弁

 約束通り、今夜も操さんの家を訪ねた。

 食堂では適当に野菜を煮込んだだけの詰め合わせ汁が配られたが、こちらの家では宍肉のステーキが振舞われた。

「ステーキ!?」

『今度は鹿だね』

「え、フライパンなんかここにありましたっけ?」

「それは馬鹿にしすぎだよ。食堂の方にあったでしょ。まあ使わせてくれるとは思わないから、色々工夫する事になったけどね」

 もう毎日ここに入り浸れば外と遜色ない食事が振舞われるのではないか。珍しい食材を食べられるなら上回る可能性すらある。肉だけだと彩りが足りないと思ったのか雑に名前も知らない山菜が横に並んでいた。

「ただ綺麗に焼くのは無理だったから、そこはごめんね?」

「いやいや、もうぜんっぜん大丈夫です。肉なんて食べられると思ってなかったので……鹿の肉って地味に食べた事ないんですよね。どんな味なのか楽しみです」

 綺麗に焼くのは無理だったどころか、俺達の為にわざわざカットしてくれた痕跡も窺える。形も不揃いで厚みもバラバラでお世辞にもうまい切り方ではないが、そういう心遣いが俺は嬉しかった。わざわざ俺の為に、というのは別に思い込みではない。その証拠に当人は何やら謎の肉っぽい何かを煮込んだ鍋を食べている。

「操さん、それなんですか?」

「宍のモツ。別に食べれん事はないのよ? 狩人様の特権って感じ? 二人には鹿のとびっきり美味しい部分あげたからこれ以上はあげられないよ」

「はあ……」

 肉のマイスターと化したアイリスの方を見遣ると、彼女はステーキをまじまじと見つめて、それから俺に視線を戻した。

『芯玉って部位だね。簡単に言えばモモ肉』

「成程な……」

 見て分かるのかそれは。良く分からないが、鹿肉という奴は脂身が少ないらしい。とにかく赤い。牛肉か何かみたいだ。猪の肉とどう違うのか気にならない事もない。あれは中々さっぱりした味わいと甘味の絶妙な脂が病みつきになる程だったがはてさて。

 口に運んで、良く味わってみる。逆に外ではこういうのは味わえないだろう。貴重な瞬間だ。脳に焼き付けておきたい。

「……柔らか……うま……」

 美食家でも何でもない俺にとって、肉は大体美味しいものだ。そういう大雑把な舌だから食レポが出来ないともいえるし、大雑把だからこそ美味しさの許容範囲が大きいとも言える。全体的に柔らかくて癖がない味わい。脂もしつこくないし、肉の脂っぽさが嫌いな人でも食べられそうな予感はする。猪と一緒で食べ疲れしなさそうな感じ。ただしあっちは多少硬さがあって、こちらは非常に柔らかい。どちらを好みとするかは個人の嗜好によるだろう。一般受けするのはどう考えても鹿の方か。

「なんか僻地に来たのに物凄く近代的な食事をしてるみたいです……幸せだあ……」

「そこまで喜ばれるとやっぱり嬉しいね。でもこれくらいしか提供出来るものないし、私は料理が下手だから」

「お姉ちゃんを差し置いて料理下手は逆に嫌味ですよ操さん。大体あの人は肉を焼こうものならブラックホールを作り始めるんですから」

「は?」

「ブラックホールを食べた時の舌たるや無限の宇宙を思わせる圧倒的虚無感と、意識を引きずり込んでしまいそうな酸味だけが暴虐の限りを尽くして、恐らく料理じゃないだろうという遺言を脳に残すんですから」

「―――――えっと。何を言ってるの?」

 嘘は何一つ吐いてない。ありのままを食レポしただけだ。文字通り苦い思い出が蘇ってきたので、かき消すようにステーキを頬張る。ご飯も掻っ込む。美味しいなあ。


「……ねえ、匠与君。どうしてあんな事言ったの?」



 鹿のステーキがあんまりにも美味しいから、つい目的を忘れそうになってしまった。そうだ。それについて話したかったから、操さんの家に寄ったのだ。

「…………夢を見たんですよね。操さんが死ぬ夢」

「私が?」

「それで最後に木冬さんへ悪態吐くんですよ。アンタが偽物かって。その夢が真実なのかどうなのか。仮に真実でも、操さんがウツシという可能性について否定しきれてる訳でもなくて。だから真面目に勝ちに行くなら気にしない方が良かったんでしょうけど。死んでほしくなかったんです。貴方に」

「肉をくれるから?」

「…………まあ、それは一割くらいそうなんですけど。操さんは俺を見ても敵意とかそう言うのが無いので」

「家の話ね。うん。まあそりゃそうだ。私は余所者どころか誘拐された身で、名莚の事なんか何もしりゃしない。嫌いようがないもん」

「それが理由ですね。まあ仮にこれが間違っててもお父さんの言い分なら翌日には操さんが選ばれるのでいいかなって思って」

「割り切る所は割り切るんだ。匠与君ってやっぱり、何処かズレてるよね。でもそういう所、結構いいと思うよ? 私みたいなおばさんに好かれても良い事なんも無いと思うけど。あはは」

「え、何歳ですか?」

「二十五」


 おば………………さん?


 おばさんってなんだ? スーパーとかで戯れてる四十歳から五十歳の女性の事ではないのか。言語のマジックでも食らっているのか、するとお姉ちゃんはお姉ちゃんではなくおばあさんだったのか?

「その年でおばさんはどう考えても基準の方が狂ってると思いますけど」

「じゃあ私をお嫁さんに出来る?」

「出来ます」

「即答かい」

「狩猟が出来る女性に萌えたり燃えたりするタイプです」

 

 ―――名残惜しい気持ちが、そこはかとなく。


 最後の晩餐は、せめてつつがなく、後腐れなく、思い残す事なく。終わらせたかったのに。今の気持ちはきっと真実だ。嘘ではない。誤魔化しようがない気持ち。それはたった一言で表せる。けれど今の俺が表す資格があるのかどうか。

 

 死体が見つかれば、翌日に俺は死ぬ。


 だから今日、一か八かでゲンガーを殺すと決めた。しないという選択肢は無いのだ。ゲンガーによって誰かが死ねばそれは必然的に今日自白をして場を攪乱した俺の仕業という事になるから。

 けれども。

『死にたくない」

「え?」

 操さんが、聞き逃した様子できょとんとしている。自分が今夜死ぬかもしれないという恐怖など知らないかのように。愉しい時間は二度と訪れないかもという不安から目を背けるように。アイリスは何を言おうと決して俺を否定しないだろう。そういう女の子だ。だからこれからの選択は、誰の所為にも出来るものじゃない。

「操さん。俺はこのままだと明日、確実に死ぬと思います。理由は話せないんですけど、死にたくないので協力してくれませんか?」

「―――それ、私に出来る事?」

「操さんじゃないと出来ないと思います。これが終わったら早速準備をお願いしたいです。その間に俺は、自分の仕事を済ませるので」

















 俺の仕事?

 決まっている。今日は誰を殺害するかだ。獣の狩猟じゃあるまいし、こんな姿は誰にも見せられない。

「始めようか』

『随身いたしましょう。何処へでも』

 案内に従って手に入れた凶器はツルハシ。何故こんなものがあるかはどうでもいい。人を殺すのには十分すぎる一本だ。問題は、これで誰を殺すかという部分。

「本当にハッキリしないんだな?』

『こればかりは力の所在が何処にあるかという問題故、申し訳ございませぬ。誰を狙いに?』

「もう決まってる。明日以降も生き残る為に必要な犠牲。俺が死んで都合が良いと思う奴』

 彩島家の一室。鳳先生とはまた違う部屋で、彼は眠っていた。馬鹿みたいに布団で全身を囲んで、愚かにも火を灯して、従順にも水を張って。

「明日からは鏡ゑ戯びじゃない。こんなもの、何の意味もない』

『では如何しましょうか』

「ゲンガーの話なんてここの連中に話しても伝わらないだろう。まして俺の信用じゃな。だからこうする』

 破壊。

 徹底的な破壊。

 ランタンも、水桶も壊して、ついでにその準備の全てを行った人物も。布団で隠れて見えないが問題はない。どうせ最初の一撃は不意を突いた致命傷だ。繰り返せば人は死ぬ。


 ガッ!


 無造作な一撃。頭蓋を陥没させ、脳髄に鉄が突き刺さる。

 続く二撃。ここからは死体の損壊でしかない。


 ガッ! 


 頭蓋というよりも頭部がぐちゃぐちゃになってしまった。

 眼球も潰れ歯はへし折れ、最早それは人の顔ではなくなった。


 ドスッ!


 首の骨が奥にへし折れる。

 砕けた骨が分離する。

 皮膚や筋肉を突き破り、とっくに活動を辞めた心臓が露わになる。

 肋骨を粉砕する。

 丁寧に。丁寧に。丁寧に。丁寧に。身体の一本たりとも満足に骨が残らないよう徹底的に。耕し、耕し、耕し、耕し。肉の花壇が出来上がるまで耕したら、外で摘んだ雑草をそっと肉の中へ。

「仕事は終わりだ』

『鮮やかな死体にございます』

「これで、俺の生き残る目が沸いた。どうなる事かな』


 










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