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ドッペルゲンガーにアイはない  作者: 氷雨 ユータ
アイを知りたい神の子

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156/173

サイドチェンジ

浅見木冬は余所者だが、この管神に足を踏み入れた以上、従わなければならないルールがある。火吹・水鏡・籠枕。それらを守っておいてこの鏡ゑ戯びの結末を認めないとは筋が通らない。この村が大嫌いな俺も、前回生還者の鳳先生も投票で選ばれるようならきっと従うし、そうせざるを得なくなる。


 処刑は速やかに行われた。


 逃げ出そうとする彼女を全員で抑え込み、鎖で身体を縛って、ヒステリックにキーキーと喚く口を黙らせて。春夏と知信による徹底的な制裁が加えられた。

「良くも……良くもおじいちゃんを……うわあああああああん!」

「クソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソォォガアアアアア!」

 法律で騙るなら、私刑はそれこそ犯罪だ。そういうものを無くす為に法律が存在する。死を異常と見なす世界に何がどう常識的で道徳的なのかを語るつもりはないが、アイリスと過ごした日々を以て、断言出来る。

 ここはあまりにも前時代的で、苦しい場所だ。

 外の世界を知った人間には到底耐えられない。当然の様に制裁を加える彼等と、それを黙認する俺達と、『狛』の立場を良い事に大笑いする黒龍。ウツセミ様の諸々がゲンガーに似ていると感じていたがそれは撤回しよう。

 具体的な表現は出来ないが、何かが違う。

 細かい差異だ。取るに足らないようなものの積み重ね。けれどもこれはゲンガーじゃない。非常によく似た別物だ。

「匠与君。ちょっといいかなあ?」

 殴る蹴るの暴行が三分ばかり続き、踏まれた枯葉のようになってしまった木冬さんが二人の手でウツツセ沼へと引きずられていく。まだ三日目だというのに、最早住人達の目に迷いは無かった。例外があるとすれば泰河と操さん、それにお姉ちゃんか。苦虫を噛み潰したような、吐きそうな、気まずそうな。三者三様の表情に共通するのは迷いか不安か。

 そんな中で、英雄さんがわざわざ俺に話しかけてきた事に意味がないと考えるのは楽観的だ。木冬さんは彼の相方であり、恐らくこの場で彼女の無実を信じていた唯一の人物。それは結果からも明らかで、彼は俺に投票している。

「……俺が憎いですか?」

「え?」

「投票の流れは、俺か木冬さんの二択でした。あの人が死んだから俺が生きてる。裏を返せば、俺が死ねば生きていた事になります。それでこれからも『火』として活躍してくれたでしょう」

 ウツシを自称した俺だが、それで処罰されるという事は無かった。どの道それは明日になればはっきりする。安全策を取るならまとめて二人を殺せばいいと思われるだろうが、そういう考え方は『他人事』混じりだ。 

 あれは究極の選択。

 俺を生かして木冬さんを殺す。多数決がそういう選択をした。本当の命が懸かった場面でこの選択をする意味をよく考えてほしい。どちらか、という流れになった時点で俺も殺すという選択肢はないのだ。

「―――ひーちゃんは優しい子だった。見ず知らずの君とどちらを選ぶかという話なら、私はひーちゃんを取ったと思うねえ。だから、恨んでないと言えば嘘になる」

「まあ、そうでしょうね」

「分からない事だらけだ。私には、君が目の前の状況を見てあんな発言をしたとは思えない。もう戯びも終わった事だし、教えてくれないかな?」

 流石に鳳先生の付き添い人とだけあって鋭い指摘だ。

 でもあれは反則だ。教えた所で信じてもらえるか分からないし、英雄さんの性格が悪ければ俺が守りたかった人を殺してしまうかもしれない。


 割れ窓理論というものを知っているだろうか。


 平たく言えば違反行為の痕跡は周囲のモラルを低下させる、という理論だ。ゲンガーの出現によってこの理論は概ね正しい事が照明されている。殺人、自殺、死に直結する行動の全てから忌避感が取り払われた結果、人は躊躇なく殺害行為に手をつけられるようになってしまった。管神ではたった今私刑が行われたばかり。全員がそれを黙認してしまう状況。外の出身である英雄さんが人格者だったとしても、殺人に手を染める可能性はゼロではない。

「鏡ゑ戯びが終わってから教えますよ」

「迂闊な発言はしたくないと」

「別に、ここから出られるようになったら貴方はこの地を公開するんでしょう。ここでは平然と殺人がまかり通ってるって」

「死が『嘘』じゃない。それだけで関心は引けるだろうねえ。今話題のドッペル団との関与も紐づける事が出来れば完璧だ。はははは!」

 英雄さんがゆっくりと俺の肩を通り過ぎる。去り際に、肺を裂いたようなささやきを残して。



「君に色々と聞くのはやめだ。二度と私の前に姿を現さないでくれたまえ。もしかしたら、殺してしまうかもしれない」

 


 明日になったら忘れていそうな怨みをしかと胸に留めて、俺はお姉ちゃんの下へと歩いていった。それは丁度二人の過激派が帰還した頃で、お姉ちゃんの心残りもまた俺だけのようだった。

「タク。話したい事がある顔をしてるね」

「それはそうだけど。お姉ちゃんが先に話していいよ―――あんまり関係ない話だし、遠くに行こうか」

 きっとそれは俺達にとっての姉弟喧嘩。きっと犬も食わない些細なすれ違い。それをわざわざ他人に聞かせるような趣味は無いし、いつまでも軋轢を解消させない訳にもいかない。珍しくついてこようともしなかったアイリスを気にかけつつ、人霊樹の所まで肩を並べてついていく。

 血の繋がった実の姉。大切で大好きな俺のお姉ちゃん。俺だけのお姉ちゃん。距離を感じるのは何でだろう。直ぐに繋げたその美しい手が、とても遠くにあるような気がして。手を繋ごうにも繋げない。

「…………ごめんなさい」

 言い訳の余地もなく、俺は深々と頭を下げた。望まれれば崖を飛び降りる、殴りたいなら殴ればいい。ビンタでも処刑でも何でも。弟を守りたいだけの姉に対する背信に言い訳は通用しない。裏切者には、謝る事しか出来ない。

「自分が何したか、分かってる?」

「はい。馬鹿な事をしました」

「一歩間違えば、タクが死んでたんだよ」

「ごめんなさい」

「何であんな事したの?」

「…………ごめん。言いたくない」

 マホさんから貰った紙でどうのこうのと言い出した日には、何か良くない事が起きる予感がした。鏡ゑ戯びの範疇にない行動だ、前々回を経験したお姉ちゃんなら盤外戦術を快く思わないだろう。

 長い沈黙があった。お姉ちゃんの瞳を覗き込む。


 泣いていた。


 瞳の光輝をそのまま流しているのか。そう錯覚せんほどにお姉ちゃんの瞳から光が失われていた。絶望と諦観に塗れた真っ黒い瞳がダイヤにも劣らぬ輝きを漏出し、定義がそれを涙と呼んでいるだけなのか。

「こんな事、二度としないで」

「分かった」

 いつもの様にお姉ちゃんが俺を抱きしめる。何度も何度も繰り返す。俺はまた間違って、俺はまた頷いて、俺はまた立ち尽くして。お姉ちゃんのアイを受け取りたくて。

「お姉ちゃん」

「何?」





「アイしてる』




















「おや、今度は珍しい来訪ですね。ウラノさんと一緒に来るとは」

 夜は操さんの家に行くと決まっているので、その前に用事を済ませる。俺が鳳先生に聞きたい事は戯びがあってもなくても知りたい事だ。切っ掛けが鏡ゑ戯びだっただけ。前回同様に彼は快く迎え入れてくれたが、仮にもここは彩島家だ。そういう態度が許されるのは客人ではなく家主の様な気がする。

「しかし、本当に仲の良い姉弟ですね。俺の親友を思い出しますよ」

 放っておいてくれれば良いものを、指摘されると恥ずかしい。お姉ちゃんと繋いだ手を離そうとしたが、姉の握力には勝てなかった。

「いたいいたいいたいいたい! ごめん、ごめんて! 離さないから」

「鳳先生。何を教えてあげてたんですか?」

「色々教えましたよー。僕がここに来た目的とか、ウラノさんの千年村での動向とか。え? まさか余計な事吹き込まれない為に監視してるとか?」

「今日はあんまり弟から離れたくない気分なだけです。私の事は良いので、気にせず話してください」

「話し辛いんだけど!」

「愛莉栖ちゃんがどうせいつも傍に居るんでしょ」

 それはそれだ。彼女はイヤホンを介さないとそれなりに口数の少ないゲンガーなので何となく傍に居るのは仕方ない。話に割り込むでもなし、本当にくっついているだけなのをわざわざ排除する気にはなれない。

 時々首を傾げたり、腕を軸に身体を寄せてくるのは身長差もあって小動物みたいだ。可愛いくて無害なので放置は自然の摂理。

 

 そんな可愛い女の子は今日に限っていないのだが。


「……まあいいや。鳳先生、火翠、水鏡、狛蔵、の血を継いだ人間が知り合いに居るって話覚えてますか?」

「勿論。運命かどうかっていうスピリチュアルな話をした記憶があります。その続きですか?」

「そんな感じです。今日、鏡ゑ戯びをやって疑問に思いました。火翠の力、水鏡の力、狛蔵の力。それぞれどんな効果を持つのか説明してくれましたよね」

「全部ウツセミ様がやってるので、マークみたいなものですけどね」

 そういう話の潰し方は卑怯だが、俺が発展させたいのはもう一つの方向だ。



「何でこの割り当てになるんですか?」



「……何でって。そういう力がある家系だからでしょ?」

「マホさんはともかく、残り二つにそんな力があったとは思えないよ」

 千歳も生徒会長も普通の人間だ。或はゲンガーかもしれないが、ともかく管神に準ずるような力は無かった。『火』『水』『狛』に沿って戯びの力が割り振られているなら、当の本人達にその力がないのはおかしい。先生に言わせる所では、元ネタが分からない。

「知ってる部分までで大丈夫です」







「御三家について教えてください」

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