きっとずっとアイしてる
不可能とは、文字通り出来ないという意味だ。普通のやり方では無理とは断言しつつも、鳳先生にさえ終了させる方法は良く分かっていないとの事。俺達の思惑は早速暗礁に乗り上げた。
「終わらせるのは不可能って……どういう意味ですか?」
「文字通りですよ。ほら、僕と春夏ちゃんと両次さんは生き残ったのにまた参加させられてるでしょ。別に何も終わってないんですよ。僕やウラノさん……詠姫さんの事ですね。外に出られたら単にこの地を去ればいいだけですが、君達のような管神住人はそうもいかない。違いますか?」
「俺には何の事だかさっぱりなんですけど、泰河達はその気になれば出られるだろ。親を説得……とかはまあ、色々ハードルあるだろうけど、操さんなんて独り身じゃんか。お金をお姉ちゃんに無心すれば暮らしていけるよ」
「君って、凄く酷い事言うよね」
「お姉ちゃんも誰かを助けられるならあげるだろうなって思って」
あんまり気にした事はないが、お姉ちゃんはかなりお金を持っている。あの家だって俺を連れ出す前に買ったらしいし、学校生活の中でもお金に苦労した事は一度として存在しない。それこそ金銭管理なんてやらなかったので実感も湧かなかったが、十万円くらいは気前よくくれるのではないかと。同じ住人のよしみとして。
「弟……いや匠与君でしたよね。信じがたい事を言うかもしれませんが、管神住人は浮神を経由しないとここを出る事が出来ません。これは前回、僕が確認しています」
「やっぱり何言ってるか分からないんですけど」
「僕も前回、親しくなった人を連れて脱出しようとした事があると言っています。後はもうお分かりですね?」
脱出は失敗して、その人は死んだ。戯びのせいなのか脱出しようとしたせいなのかは分からないが、とにかく現在まで生き残ってはいない。この話に操さんは何やら一層強く頷いていた。それは傍目に見ても過剰で涙が零れ落ちんばかり。泰河が奇異の目で彼女を見つめていた。
「……あの、分からない事があるんですけど」
「なんでしょうか」
「何で戻って来たんですか?」
そう。それが分からない。鳳先生にはわざわざここに戻ってきて不幸にも巻き込まれる義務もなければ運命も無い。一度は外に出たのだから、そのまま外に居てしまえばいい。ウツセミ様が自由に出来るのはこの管神という地だけだ。助けたいと思う大切な人間でも居ない限り、わざわざここに来る理由は自殺くらいしか思い浮かばない。
その割には、生き延びようとしているし。
「そういう約束なので」
「約束?」
「こればかりは外の話なので、どうしても聞きたければ後で個人的に。今はどうやってこの戯びを終わらせるかでしょう?」
「ねえ。匠与君。貴方、ウツセミ憑きなんだよね? だったら直接聞いたら分かったりしない?」
………………。
「え、何この沈黙。不味い事言った?」
不味いどころか、核心を突いた発言だ。恥ずかしそうに長い三つ編みを触る操さんを横目に、俺も己の境遇に改めて目を向けた。
名莚匠与は名莚家の長男だ。名莚の血は嫌われなければならず、繋がる事もなく、アイされる事もない。同時にそれはウツセミ憑きなので、自分の顔を反射する場所であればいつでもどこでもウツセミ様と対話する事が出来る。
ゲームマスターが口を滑らせるとは考えにくいが、やるだけやってみよう。
「鏡、借りますね」
管神の家には最低一か所に鏡が存在する。特に決まりではないが住人は毎日挨拶をしているらしい。当の神様には全く届いてないなんて滑稽な話だが、ウツセミ憑きなら話は別だ。鏡に己の顔を映し、それを相手に見立てて語り掛ける。
「ウツセミ様。いらっしゃいますか」
鏡に映る俺が、俺じゃない声で、俺の口を使って喋り始めた。
『我に夢見があると仰るか。悲しきはその想像力か名莚の子よ。人ならざる人の影法師を、よもや人の尺度で測ろうとは。まこと滑稽であらせられる』
「鏡ゑ戯びの終わらせ方を教えて下さい。勝ち方じゃありませんよ」
『無粋なお方だ。宴の閉め時を尋ねられるとは。だがよろしい。お教えしましょうぞ。ずばり名莚の子が全てを思い出さねば始まりませぬ』
「思い出すって何ですか? 貴方は全てを知っているんですか? 教えてください」
『お断りいたしましょう。何せ知りすぎれば身を滅ぼされます故。我も丁度興が乗ってきた所です。今暫くは付き合わっていただかなくては困りますな』
「はぐらかしてばっかりじゃなくてヒントをくれませんか? 始まったゲームは終わらないといけない。今のままじゃ永遠に一回戦二回戦三回戦ってワンモアが続いてるだけです。終了条件も教えてくれないと、ゲームとして不公平ですよ」
『一理ございますな。ではこの管神についてお調べになるとよろしいでしょう。その上で名莚の子は己と向き合わなくてはなりませぬ。毎度の夢見をお忘れなきよう。それは他ならぬ名莚の子の記憶。全てを思い出されれば、きっとお役に立ちましょう』
「もう結構です」
鳳先生の一言をきっかけに後ろを振り返る。ウツセミ様は決してひとりでに語り掛けてくる事はない。飽くまでこちらの問いに答えるだけなのだが……
「聞こえるんですか?」
……あれ。
どうして気まずい空気になるのだろうか。この質問に浅いも深いもない。知らなかったから聞いただけなのに。
「……僕はウツセミ様と話せないので、なるほど良く分かりました。そういうギミックですか」
「鳳先生? 勝手に納得しないで欲しいんですけど?」
「匠与君。貴方、自分で喋って自分で答えてるのよ」
「え?」
そんな筈はない。俺は鏡に語り掛けているだけで、喋っているのはウツセミ様だ。鏡に映る俺の姿を利用して喋っているだけ。まるで自作自演の様に喋っているなんてある筈がない。そう思いたい所だが、管神住人とは冗談を言い合う仲ではない。空気の読めない冗談は寒いだけだ。ここにそんな真似をする人間がいるとはウツシ以上に考えにくい。
「……ちが、俺は!」
「ああいえ、別に誰も嘘っぱちとは思ってないと思いますよ。『外』だったら精神疾患の一種だとかそういう風に診断されるかもしれませんが、ここはウツセミ在す下神の地。そういうものでしょう」
鳳先生は宥めるように俺を座らせると、ペットボトルの飲料水を渡してくれた。未開封なようで、一口飲んでみると清純な風味と極上の喉ごしがおよそ二日ぶりに俺の食道へ流れ込む。こんな生活を送り始めて気が付く事はまだあった。およそコンビニで売っているモノは美味し過ぎる。他の住人が知ったら中毒間違いなしだ。
「さて、それではウツセミ様のアドバイス通り、話してもらいましょうか。貴方が見た夢を」
二度目の夢は苦しいモノ。
遠い遠い冬の記憶。
四畳半の世界から解放された俺に真の世界とやらは広すぎた。どこまでも続く青空と境の分からぬ地平線。囲っていた壁なんてものはなくて、足がついていた畳なんてものはなくて、その先には無限の世界が花開いていた。
それが怖かった。
恐ろしかった。
まるで自分の世界を否定されているみたいで。
。でいたみるいてれさに鹿馬を怖恐の分自でるま
『大丈夫だよ〜大丈夫大丈夫。お姉ちゃんが一緒に居てあげる。タクが一人で眠れるようになるまで、タクが一人で歩けるようになるまで。私がずっと傍に……あ、あれえ!? ななな何で泣いてるの? ごめんってば! 子供扱いしないで的な事! あれ、ええ? こ、子守唄でも歌うかな。でもそんな歳じゃないよね……ええー?」
お姉ちゃんが好きだった。
きっとこの世界の誰よりも。
ずっとこの世界の誰よりも。
『おねえちゃん』
『ん?』
『だいすき』
『……もうッ。タクったらやだなあ。そんな今更な事言われたって困っちゃうよ。私もタクが大好きだよ』
『ほんと?』
『うん。ほんとだ。仲良し姉弟になれて嬉しいよ。これからも仲良くしようね』
世界の全てはお姉ちゃんだった。狭く苦しい牢獄の世界を解放してくれた詠姫お姉ちゃんが俺の世界の中心だった。
誰か知らない人は俺を████様と呼ぶけれど。関係ない。お姉ちゃんが呼んでくれる名前だけが真実なのだと思った。
『いやあ今朝は冷えるね〜。はいこれ褞袍。頑張って編んじゃいましたー! オーバーサイズだけどまあ大丈夫っしょ!』
彼女の一挙手一投足が狂おしくて。その表情の全てを額縁に入れておきたいと思ってしまった。
そしてそれは、間違いなく名筵匠与の初恋だった。
『詠姫が……好き? アイしてる? 何を言ってるんだお前は』
『少しは考えなさい。詠姫は貴方の実のお姉さんなのよ』
そんなの知らない。俺はお姉ちゃんが好きだった。アイしてる。
『なんで分からないのッ? 血が繋がった者同士は結婚しちゃいけないの! 馬鹿なこと言ってたら迷惑をかけるわよ!』
だってアイしてるんだから仕方ない。それでもアイしてるんだから仕方ない。
『大体だな。お前をそんな風に教育した覚えはない』
『忘れたなんて言わせないわ。████様はヒトであっちゃいけないのよ』
俺のアイは否定された。
だから俺に自我は許されない。
自我がなければ████様との相違もなく。
人を見る目もなければ。
自分をアイする事も出来ない。
全てを否定されて、俺は俺でなくなった。血の繋がった家族と結婚は出来ないし、好きになる事も本来はありえない。
でも仕方ないじゃないか。
名筵詠姫は俺の世界に登場する唯一の女性で、唯一優しかったんだから。かぞくの意味も分からなかった俺が好きになるなんて当然の事じゃないか。
それでもきっと、この末路は正しかったのだと思う。
だって、恥ずかしいじゃないか。
だって、惨めじゃないか。
だって、気持ち悪いじゃないか。
だって、不気味じゃないか。
実の姉に、本気の恋をしたなんて。
色々な意味で重い




