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ドッペルゲンガーにアイはない  作者: 氷雨 ユータ
アイを知りたい神の子

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無償のアイと無情のアイ

「おータクの部屋っぽくなったね」

「褒めてないだろ」

「いんやー褒めてるよ。みすぼらしい小屋も中々豪華になるもんだなあって」

「褒めてない」

「褒めてないわ」

 遂にお姉ちゃんを負かす事に成功したが何も嬉しくない。みすぼらしい小屋なのは事実で、部屋っぽくなったのも事実だ。褒めるも貶すもなく事実を述べられているので、実はここの勝敗は引き分けになる。

 あっちで使っていた枕とか着替えが増えるだけで生活感が一気に増してくるのは長年の普通生活が実を結んでいたという証拠だろう。枕元には花暖との思い出が眠るように横たわっており、個人的にはその存在がここを俺の部屋たらしめている。

 草延匠悟の初恋は間違いなく彼女だ。

 名莚匠与にそれを踏みにじる権利はないが、こうして大切に保管する事は出来る。もう二度と戻る事は無いかもしれないが、この思い出があればそれだけでまたいつでも草延匠悟に替われる。アイデンティティと言っても過言は無く、存在理由と言っても無理はない。

 アイリスの分も運んでいたので日は既に落ちていた。夜食は食堂で取る決まりになっているが、両ジジイが不機嫌になると困るという流れでまたも俺はハブられてしまった。こんなのはいつもの事で俺は気にしていないがお姉ちゃんが許すかは別だ。アイリスと協力して無理やり外に連れ出さなければ危うく取っ組み合いのガチ喧嘩が始まっていた……ように思う。

 女だから殴らない、女には殴れない。そういう道徳意識、或は倫理観や正義感の様な価値観は朽ち果てている。ジジイは長生きし過ぎなのだ。

「じゃ、一段落したし夜食でも摂ろうか。食堂は使えないし、今夜は椿さんも忙しいし、お姉ちゃんが特別に腕を振るってあげよう!」

「…………すごおおおおおく嫌なんだけど、拒否権とかないの?」

「腕によりをかけて作るから、きっと美味しいよ?」

 詠姫お姉ちゃんは飽くまで無邪気な殺し文句を貫いて、諭すように首を傾げた。不味いのは分かっている。彼女の料理が不味いのは環境のせいではなく本人の壊滅的スキルのせいだ。誰が言ったかワンマンアーミーならぬワンマンバイオハザード。配給所で仕事でもしようものなら忽ち受給者の味覚がぶっ壊れて世界は終焉に閉じる。

 でも。

 その笑顔があんまりにも理性を殺しに来るもので、つい承諾してしまった。アイリスもゲンガーながらお腹は減るようで参加するとの事。絶対にやめた方がいいと俺は言ったが、頑固なので聞く耳を持たなかった。



「はい、じゃかじゃん! お姉ちゃん特製の闇鍋です!」



 因みに火は『火吹』の為に起こしたモノを使っているが。

「はい、解散」

「ちょちょちょちょ。嘘嘘嘘。日が暮れて暗いからそう言ってみただけ。中身はちゃんとした物だって! 食べられるし! ヘルシーだし! 衛生的だし!」

「ヘルシーはともかく食べられなくて不衛生な物はもうただのゴミだよねそれ。産業廃棄物とかそっちの類でしょ。お姉ちゃん、自分が最低基準を何とか満たしてますって言ってるだけなの分かってる? ていうか味見した?」

「いつもしてますが何か?」


 ああ駄目だ救いようがない。お姉ちゃんの味覚はぶっ壊れていた!


 見た目は普通の味噌汁だ。お玉に掬われた一部分が何ともぼやけていて透明感がない。滴る姿もやけにとろみがあって、水というよりは弱めのゲルではないのか。具材は豆腐とシソと芋の簡素な物らしいが、豆腐がこれでもかと入っているのは嬉しい誤算だ。味噌汁に入った豆腐は素面よりも遥かに美味しく感じる。個人の感想だ。

「おいしそう」

「マホさんが作ってくれてたら俺もそう言いたいんだけどなー」

 俺なりの悪態を吐くも、お姉ちゃんの自信は揺らがない。

「もう、大丈夫だって。私ね、気付いたんだよ。料理の神髄。テロとかマジで言わせないから、タクが毎日食べたいてくらいとびっきり美味しくしたつもりだよ?」

 

 ……もしかして本当に美味しいのか?


 今まで散々叩いてきた。この料理はどんなに不味いかという自由研究も勝手に仕上げて見せた記憶もある。この六年間にどれだけお姉ちゃんのテロうりに悩まされたか分からない。それでも信じてみたい時はある。

 ()()()()()なのだから。

「はやくたべたい」

「待て。俺から食べる。お前に毒味をさせようとは思わない」

 話を聞こうという姿勢もなくアイリスはお椀にスープを注ぎ込んだ。見た目だけはまだ美味しそうだ。こうなってしまえば上下関係は逆転して、俺は彼女の毒味によって命を守られる立場となる。バツの悪い顔になっているかもしれないがこれでもポーカーフェイスだ。期待と諦観の伏し目でアイリスの唇を見つめてみる。

「………………食べろよ」

「さきにたべるんじゃないの」

 まだ掬ってねえよと言いかけたその時だ。アイリスが自分のお椀を渡してきたのは。行動の意味が全く分からなくて硬直する。

「いや、あの」

「あーん」

「え? そういう感じ。え、流し込むの?」

「つぎはわたしのばん」

「こんな時にもいちゃつくねー。凄く複雑な気分だなあ。タクと仲良しなのは良い事だけど、この場違い感ねー」

 そんな空気、アイリスは気にしない。彼女は基本的に俺の声以外何も聞こえていないのだから。おずおずと両手で器を作ってそれを受け入れると、「いただきます」と言ってほんの少しばかり啜った。



「……………………」

「……………………」

「………………どう」 



「…………辛くて酸っぱくて微妙に甘い。後味が凄まじく悪いけど、今までの中じゃ一番美味しい」

 お世辞は無い。今まで散々貶してきた腕前に今更媚を売るものか。少なくとも口に入れて二秒くらいは美味しい。フライング気味の美味しさを後味に被せて何とか一杯飲み干すと、お姉ちゃんに抱きしめられた。

「良かったああああああああ! タクが美味しいって言ってくれたよおおおおお!」

「いや、お、美味しいとは言ったけど……ていうかお姉ちゃん、力強い…………!」

「ううううう……なんか涙が出ちゃうなあ……! 椿さんに五〇回くらい口を挟まれた甲斐があったよー!」

 そんなに口を挟まれたのか。

 それだけでこんなに改善したのか。

 余計に椿さんの事が嫌いになれなくなってしまった。彼女は味覚イズムのテロリストから俺を救ってくれたのだ。

「……全部食べられる?」

「それは絶対無理」

「だよねー。まだまだ精進が必要かな。私も一緒に食べるからもっと食べて?」

 アイリスは虚空を見つめながら黙々と中身を食べていた。



 演技じゃないんだってば。
























 初日なので、紙切れは使わない。代わりに思考の整理に充てるとしよう。

 何の因果かここにはかつて千歳の家とマホさんの家があった。狛蔵は…………生徒会長が同じ苗字だったっけ。今は違う場所に住んでいるのだろうが、特にマホさんと千歳は偶然とも思えない。管神の権力者である名莚家の長男こと俺。同じく長女及び唯一の女性らしい千歳と、正体不明のマホさん。携帯が通じるなら今すぐにでも尋ねている所だ。

 事情を知っているとすれば鳳先生だろう。お姉ちゃんと出会って直ぐに意気投合するなんて羨ましい。それだけでは片づけきれない絆も感じたが、何なのだろう。初日を乗り越える事が出来たら尋ねてみるのもありかもしれない。作家がここに来るなら、ネタ集めの一環でこの付近の歴史を調べていても不思議ではない。ここには本が無いし浮神は自由に歩き回れないので、昔を知る貴重なチャンスでもある。

 

 何より気になるのは、ウツセミ様とゲンガーが酷似している点か。


 これも偶然とは思えない。名莚の長男がウツセミ様に酷似した存在と対決する。何やら因果めいたものを感じないか。

『まだ眠られぬか。名莚の子よ』

「んーちょっとお腹の具合がやばくて。ウツセミ様。ゲンガー……ウツシガについて何か知ってますか?」

『ゲンガ? ウツシガ? お教えしましょう……と期待されているのであればご期待に沿うはかないませぬ。それはこの戯びが終わるまではお教え出来ない言葉です。答えを知りたければ他の者へ尋ねるがよろしい』

「……鏡ゑと何か関係が?」

『全て終わればお教えしましょう。今はただ、我に夢見を託されよ。名莚の子は全てを思い出さねばならぬ。であれば自ずと破滅も回避出来ましょう』

 ウツセミ様の発言は何一つとして理解出来ない。

 口を噤む以上、俺には()に対して強硬手段を取れない。諦めたように俺はベッドに潜り込んで、花暖との思い出を抱き枕に就寝した。














 






 彩島両次の死体が見つかったのは、翌朝の事だった。

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