罪過と約束
話し合いが終わった事に安堵する人間も居る一方で、やはり俺を殺しておいた方がよかったのではという声もあった。しかしながら鏡ゑ戯びは一旦終了した。自分が死ぬかもしれないという想像をしたくない人間が立場に拘らず大勢居て、誰に言われずとも外でこの話はしないという流れが生まれていた(鳳先生が事前に言っていたが、その後の流れで俺も忘れていた)。
「タク。この後予定ある?」
予定が無いから自分の家に戻ったのだが、残念ながら頭を振らざるを得ない。隣からアイリスが遊びに来ているのだ。何故来たかもよく分からないが用はあるらしいので追い出す訳にもいかない。
「アイリスがなんかしたいらしい」
「そう。じゃあ終わったら畑の方の道に来てくれる? 渡したい物があるから」
「え? 何それ」
「んー秘密にする程でもないけど、若い二人を邪魔する気にはならないから後でね。何か困った事があったら私の所に来て。鳳先生に会いに行くから」
「それこそ何の用事だよ」
「…………戯びの事で聞きたい事があるだけ。じゃ」
お姉ちゃんは無垢色の浴衣をはためかせて出て行ってしまった。暗黙の了解とやらには決して従わない彼女が、俺は大好きだ。アイリスの方へ振り返ると、何やらこちらを見つめながら足をばたつかせていた。
「何の用だ?」
イヤホンを渡されると同時に足を刈られて布団の上へ。瞬く間に全身を拘束された俺に彼女が上からのしかかってきた。ちっとも重さを感じないので問題なく喋れるが、これは一体何のつもりだ。
『幾らか聞きたい事があるんだけどいいよね』
「ん? 答えられる範囲ならな」
『この場所って内緒話は有効なの』
「……人も随分減ったし、特に俺は警戒されてる身だから無理だろうな」
ただし例外はいつでも存在している。アイリスはイヤホン越しに俺へ喋りかけているので、俺から話す分には何のアドバンテージもないが、彼女から教えてくれる分には誰にも聞き取れない。無線技術が発達する現在、デジタルな暗号よりもアナログな金庫で保管した方がかえって安全とも言われる世の中で、彼女はある意味人間社会における言語のアナログ化に成功している。
イヤホンを奪い取れば盗み聞きも可能だが、それを気付かれずに行うのは不可能だ。忘れがちだが彼女もまたゲンガーの一人。人間を躊躇なく殺せる様な存在だ。さっきの物騒な発言はジョークでも何でもない。俺が危ないと思ったら躊躇なく実行するだろうという確信がある。
布団から抜け出すと、紅い瞳を至近距離で覗き込んでしまった。焦がれんばかりの狂気と溢れん艶に満ちたその双眸。特に不思議な力はなくとも見る者全てをひきつける。もしこの瞳の色が血の色だったなら。俺は喜んで人を殺していただろうという錯覚が、ついさっきまでの事実の様に刷り込まれる。
視線を逸らせない。
『じゃあ貴方のお姉さんはどう』
「……知らないけど。鳳先生も大概人気者だから内緒話にはならないんじゃないか」
『それなら公開話だね』
「要領を得ないな」
『聞きに行こう』
俺としてはかなり意外なのだが。アイリスは鏡ゑ戯びにかなりのやる気を見せていた。なじみ深い価値観の下で人が死ぬと思うと正直俺は気分じゃないが、こんな状況でお願いされたら断れる人間は居ない。その瞳に魅せられて、自分の意思の様に俺は頷いた。
―――じゃあ誰の意思かって?
さあ?
体重は軽いのに胸はボリューミーという矛盾が自称理系の俺に突き刺さったのかもしれない。アイリスのせいでゲンガーについての考察が何度も振りだしに戻っていることを彼女は知る由もないのだ。
食堂の方に寄ってみたが先生もお姉ちゃんも見当たらなかった。
「あら、昼食にはまだ早いと思うけれど」
不審者さながらの顔出しぶりに微笑みながら椿さんがやってきた。仕込みの最中だそうで、厨房の奥には泰河の姿も見える。小学校時代から何も変わっていない。上の兄姉に全部押し付けて下の弟妹は自由気ままに遊ぶのだ。
それはある意味で俺達にも言えるので、知信達を責めようとは思わない。
「お姉ちゃんか鳳先生見ませんでしたか?」
「集会所を離れてからは見てないけど。泰河。何か知っている?」
「さあね! 春夏の所にでも行ったんじゃない! その声はタクミだよね、悪いけど僕は今とっても難儀してるから可及的速やかに出ていくのだ! 昔のお前ん家から道が続いてるから、そこにあの三人は滞在してると思うよ!」
何かどころか、全部教えてくれた。
「すまん。ありがと―――」
「でやああああああああああ!? ぼ、僕の計算が間違っていたと言うのか……! くそ……」
キャラの変わりつつある旧友については、何も考えないようにしよう。
自分の家の前を通るのは大変な勇気を以てしても難しい行動だった。また流未と鉢合わせする可能性もあれば、両親に再び拉致られて今度は二度と出られないかもしれない。今は身体も大きくなったので無抵抗になるつもりはないがそれでも勝てるかどうか。
―――名前、あったっけ。
両親の名前を知らないのはおかしい。何故なら家庭訪問や三者面談の際に確実に聞いている筈で、微塵も興味が無かったとしても最低限記憶にはその発音が残っていて然るべきだ。それすら覚えてないという事は、そもそもないのではないか。
アイリスと腕を組みながら鼠の様に素早く通過した。視界の端に映った植物はアサガオか。鉢植えもそのままという事は代わりに誰かが世話をしているのかもしれない。普通に考えればあれをくれた張本人だ。
『タクは花が好き? 嫌いなら仕方ないけど、好きなら一緒に育ててみようよ。へへ、二人で頑張って観察日記完成させよーねー♪』
――――――。
お姉ちゃんとの思い出は数えきれないほどあるのに、両親との思い出が全くないのはどういう了見だ。監禁状態が終わってからも何一つ思い出せない。マホさんと新婚旅行に行った記憶は捏造出来るのに何故だ。
『居た』
下らない思考に浸っていると、アイリスが真っ直ぐ壁に向かって指をさした。季節外れのカブトムシでも居たのか知らないが間違いなく人は居ない。壁にめり込んでいたら猟奇的だが、そんな冗談はさておき耳を当てると。
「親友ですか? いやまあ誘ったんですけど、『碌な目に遭わない冒険より流石に婚前旅行のが大事だバーカ』って言われて……じゃあまあ仕方ないって事で」
「そんな事はどうでもいいんです。鳳先生。そろそろ本題に入りましょう」
直ぐに向かったのが功を奏したか、雑談の話題を避けて本題だけを盗み聞く事が出来そうだ。名莚屋敷からこの光景は丸見えなので、不審に思われぬようにアイリスと対面で抱き合ったまま壁に凭れる。
「魔女狩りってどういう意味?」
「そのままの意味ですよ。貴女も分かってるなら思う所がある筈だ。鏡ゑ戯びと『魔女審判』はあまりに似ている。だからねウラノさん。僕は思うのです。鏡ゑ戯びはタダじゃ終わらないって」




