誰だって生き残りたい
「鏡ゑ戯びはウツセミ様と行われる神聖な遊びです。こちらの数は決まっておらず、ウツセミ様は一人きり。両次さんが説明されたように、どちらかが全滅するまで行われます」
「鳳さん。それはどうやって判定されるの?」
まだ一言目だが、泰河が口を挟んだ。分からない事をどうにか理解しようとする姿勢は見習いたいものだ。
「次の日に誰も死ななければ、終わりだと思いますよ。実際、前回はそれで終わったし。話を続けますと、この戯びは単純な間違い探しとかそういうものではありません。先程も言った通り、見ただけで判別は不可能。親しい人間でも……いや、親しい人間ほど見抜けない可能性があります。僕は別に疑心暗鬼になって潰しあえなどとは言いませんので、どうでしょう。集会所の外で戯びの話は禁止という事で」
「私も賛成する。皆、いいよね」
沈黙は同意とみなされる。大概は都合よくつかわれる言葉だが、今回は正にその通りの効果を発揮していた。誰だって知己を疑いたくないに決まっている。知己が人を殺す筈がないと信じている。鳳さんを嫌っていたとしてもその言葉だけは噛みつけない。
ここの死だけは本物だから。
「では続きを。このゲーム、ただウツセミ様を見つけるだけじゃゲームは終わりません。流れから説明しましょうか。僕達はこれから話し合いで誰がウツセミ様かを考え、多数決で選びます。選ばれた人間は…………死んでもらわないといけません」
過去に参加経験のある者を除いて、全員が息を呑んで目を見開いた。
「いやよ! 私まだ死にたくないわ!」
「そりゃ俺もだ!」
「私も。息子達を置いて先に死にたくはないわね……」
流未を筆頭に次々と拒絶の声が上がる。こうなる事が分かっていたかのように鳳さんは目を瞑り、お姉ちゃんは俺の肩に手を置いた。
―――大丈夫。タクだけは私が守るから。
そう囁きを添えて。
「鳳の説明に納得出来ねえ奴ぁ、参加しなくても構わねえ」
クソジジイが珍しく助け舟を出すように呟いた。
「ワシはこの時間が嫌いだ。手短に済むならその方がええ」
「―――両次さんの言葉を訳すと、話し合いに参加しなくてもいいが戯びそのものは全員参加が原則なので、その場に居ない人物も投票先に入ると言っています」
「鳳先生! そ、それって。例えば私が話し合いしたくないって言った時に……」
「全員が木冬さんを選んだ場合、貴方には死んでもらわないといけません」
「そんな! こ、こんなのおかしい! 話し合いで人が死なないといけないなんて! 法律違反! 法律違反ですよ。け、警察を呼びます。そんな真似絶対認めない!」
「ひーちゃん。私達は鳳先生に密着してたから乗り遅れたけど、どうも外じゃ死は嘘と言われていて、それも結構な割合で信じられている。警察が対応してくれるとは思えないけれどねえ」
「死が嘘なら単なるゲームなので積極的に参加して欲しいですね僕は」
案の定、殆どの人間が納得しない。参加しなくても選ばれる危険性が残っているなら、話し合いに交わらない理由がない。誰も疑いたくないし死にたくもない。同時に知らない場所で自分の死が決定するのが我慢ならない。一言で言ってしまえば複雑な気持ちという奴だ。二つ返事で了承して戯びに参加する様な人間が居たらそれこそ『ウツシ』とやらに違いない。
「なーウタヒメ。お前は本当にこんな事をやったのか?」
「黒龍君。私だってこんなのやりたくないよ。でも考えてみて。自分が殺されるかもしれないって時に黙って殺されるのは違くない? 私は殺されるくらいなら……この話に乗るよ」
経験組と未経験の溝はなかなか埋まりそうもない。これが埋まらないとルール説明も何もあったもんじゃない。俺も何か手助けしてやりたいがが、鏡ゑ戯びの経験などないせいでイマイチ口も出しにくい。
「じゃあこうしましょうか」
鳳先生が立ち上がる。
「どうも皆さん実感がないご様子で。それなら今日は戯ぶのをやめて、明日を待ってみましょう。死体が出ないならそれで良し、出たなら……それは個人に任せます」
「鳳! てめえそれはッ」
そう。
参加者達の発言が真実なら、確実に誰かが死ぬ。鳳鳳先生はそれを証拠にしようとしているのだ。確実な犠牲を以て証明とする。それは誰にとっても分かりやすくて―――最も残酷な選択。自分が選ばれないという保証はない。全てはウツセミ様の心のままに。
「はい。じゃあこれで多数決。今日から始めた方がいいと思う人は手を挙げて下さい」
両次、春夏、鳳先生、詠姫お姉ちゃん。椿さん、勇、操さん、俺、アイリス。
過半数が賛成につき、今日を一日目とする事になった。
否定派は気持ち良くない結果に終わってしまったが、これからもこういう風に決まっていくのなら、理不尽を嘆いている場合ではない筈だ。鳳先生は股胡坐を掻いて桶を指で揺らした。
「改めてルールを説明します。これには命が懸かっていますが、ウツセミ様にとっては戯びです。なのでこちらにも比較的勝ち目のある要素も備わっています。僕がかつて同じような状況に陥った場所では霊と呼ばれていましたが―――こちらにはそういう固有名がないので、便宜上『力』という事にしておきます。詠姫さん。紙に書いてくれませんか。僕達の内の誰かが持たされた力を」
お姉ちゃんは畳からスッと立ち上がると箪笥を開いて筆と紙を取り出した。一から墨を擦るのかと思っていたが墨汁くらいはあるらしい。それ以上の指示も出されぬ内に彼女はスラスラと三つの絵を描いた。
「これらについて管神に住む皆さんなら分かる筈だ。子供達は分からなくても仕方ないけれど」
それは三つの彼岸花が鏡越しに描かれた絵と。
井桁のように組み上がった線を火で囲んだ絵と。
衣領樹で囲まれた山川の絵。
「うーつしーみぬーまのー、まーもりーしはー」
春夏が不意に歌い出す。続きの一節を淡白に鳳先生が続けた。
「火翠 水鏡 狛蔵。かつてここを支配していた三家の力がこの中の誰かに宿っています」
「それは別に、その家系じゃなくてもだよ。前々回、私には狛の力があった」
「前回前々回の力は引き継がれないみたいですね。この点は両次さんにも納得していただけるはず。僕達は嘘をついていません」
この集いを率いているのは名筵家ではなく両次だ。彼は乱暴で粗野な一面しかないクソジジイかもしれないが、それでも比類なきカリスマはあるわけで。
今は発言を一任しているだけで彼が大声をあげれば先生もお姉ちゃんも黙る。黒龍は俺と同じく彼を嫌っているが、それでもこういう場では決定に従う。それだけの威厳が彼にはある。
その威厳を逆手に経験者は発言の信用を保障する。
「火の力を授かった者は、水を張った桶が赤色に染まると言われています。この力を持った者は寝る前に水の前で名を告げる事で夢にてその正体を知ることができます」
「夢で、ウツセミ様と会うんですね」
「待ってくれ鳳鳳。それならウツシってのを聞いちまえば終わるんじゃ…?」
「勇さん。誰が鬼か分からない、これはそういう戯びだよ。興ざめさせる様な真似はやめて欲しい。ウツセミ様がその気になれば私達は全員殺せてしまう。さっきも両爺ちゃんが言ったけど、これは普段守られてる私達からの恩返し。遊びたい盛りのウツセミ様へのおもてなし」
詠姫お姉ちゃんの瞳は澱んでいる。それは彼女に限った話ではない。部外者と俺を除いて、ウツセミの話を口に出した時全員がこういう目をする。
それを合言葉にして、全員が納得するのだ。
「続けます。水の力を授かった者は水が凍りつくと言われています。この力を持った者は寝る前にウツセミ様へ名を告げる事で、その人はその晩襲われることがなくなります」
「そりゃ自分も守れんのか?」
「守れたら、優しくない人は終わるまで自分を守り続けるでしょうね。出来ると思うなら名を告げてみて下さい」
静谷次男こと知信の発言が一蹴される。泰河には「お前まさか」と疑われていたが、元より半信半疑、話し合いの参加に消極的な彼からすれば言ってみただけのようだ。
「狛の力を授かった者は、水がなくなっているそうです。授かる人間は三人。その三人はいかなる理由か……詠姫さん」
「夢で同じ力を授かった人間を知る事ができる」
前回の戯びでお姉ちゃんは狛の力を授かっていたらしいから説得力が違う。
ルールを整理しよう。
これはウツセミ様一人と人間の戯び。ウツセミ様への感謝として行われるイベントだ。
人間の勝利条件はウツセミ様がすり替わった『ウツシ』の死亡。
ウツセミ様の勝利条件は人間全員の死亡。
人間に与えられた力はこの地の御三家だったらしい火翠、水鏡、狛蔵に沿って与えられる。
火は寝る前に告げた人の正体がわかる。
水は寝る前に告げた人を守れる。
狛は夢の際に同じ力を授かった人間を知ることができる。
火翠……?
「質問はありますか?」
「……力が被る事はありますか。火と水被りとか、ウツシが水を持つとか」
ここに来て初めての発言。鳳先生が俺の方を向いて頭を振った。
「僕の参加した時は無かったし、仮にあってもウツシと被るのはあり得ない。それじゃこちらが不利なだけですからね。戯びの概念に悖るというか」
「ワシも知らねえ」
クソジジイがノーと言うならお姉ちゃんには聞くまでもない。
「それ以外の力はありますか?」
「……過去にないなら、無いと思いますよ」
これ以上の質問は今のところない。
他の皆もないようだ。
「僕の役目は終わりですね」
「なら、始めるしかねえ」
クソジジイはそう言い切ってから、俺の方へ視線を向けた。
「ウツセミ憑きのてめえは死ね」




